幸福論 (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041315262

感想・レビュー・書評

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  •  わたしの幸福とは噛み合わなかった。けれど、随所に食いこんでくる痛みのようなものを感じた。ちなみに、「幸福論」という名前のつく本はこの世にたくさんあるようですが、わたしはこの名前の本を読むのは、これが初めてです。
     最初に「わたしの詩のなかには、いつも汽車がはしっている」とあるけれど、たしかにこの文章は、めまぐるしい景色を汽車のなかでひたすら追い続けるようなところがあったなと思う。わたしの胸にひっかかったのは、「出会い」と「偶然」だった。いずれも経験による裏づけがある。新学期の朝の幸福。あれは出会いへの期待からくるものだった。それに、親になにもいわずにサンタさんからのプレゼントを待つ夜なんていうのは、偶然を期待する行為そのものだったんじゃないか。
     しかし、幸福とはなんだろう。彼の追った幸福とは、どんなものだったんだろう。

  • 池袋の梟書房で、題名や装丁を隠した状態で入手。

  • 寺山修司氏の1969年の著作を、1973年に文庫化したもの。
    『幸福論』というタイトル、小難しい表現で彩られた文章で、評論を読んでいるような気分にはなりますが、寺山修司氏らしい言葉遊びが随所に飛び出す、評論風な詩集ともいえます。
    幸福を感じるためには、こうしなさい、と、一応は教えてくれていますが、寺山修司氏がどんなことをしている時に幸福を感じるのか、というエッセイ集でもありますね。

    どちらにしろ、自分にとって本書は気楽に読めるような内容ではなく、気力と体力が必要とされる読書になりました。

  • 日本文学ですね。 #日本文学 #幸福論

  • 初の寺山修司。カドフェスより。
    『書を捨てよ、町へ出よう』を、先に読んでおくべきだったかな、と感じている。

    「幸福論」の不在から唱えられる『幸福論』。
    有名なアランのものなどは、けちょんけちょんにのされてしまう。
    なぜなら、書物の中でのみ生を与えられた論に学ぶことなどないから(と言いたいのだと思う)。

    書物とはモノローグである。一方向的に説かれる幸福とは、いかなるものか。
    そこで寺山修司は、身体性•双方向性を持つことに意味を見出す。とはいえ、それを説くためにはやはり書物という媒体を通すしかない不自由さに苦さを感じてもいるのだが。

    「想像力も、交換可能の魂のキャッチボールになり得たときには、「幸福論」の約束事になり得るのである。」

    「山椒魚人間にとって、変装は想像力の超克になり、生き方の選択につながるように思われる。」

    「陽が昇ったり沈んだりすることは、必然であり、それ自体に少年たちのギターの神話の力が及ぼすものは何もないだろう。だが、それでもギターを弾かねば偶然と「幸福論」とのあいだをつなぐ、時の架橋工事などはじまらないのである。」

    「幸福は決して一つの「状態」ではないのだと知ったとき「幸福になってしまったあと」などということばは失くなるはずである。」

    自己否定ではなく自己肯定に繋げるように歩み続ける寺山修司の後ろ姿くらいは、見つめられたように思う。

  • 平成の幸福論。

  • 極めて難解。正直に申し上げて様々な文献の引用が多岐にわたり、ワタクシには十分理解が出来なかった。
    表面的かつ一般的な社会性を(処世術)・理性を考慮したり希望を持つことなく、深層心理に近いレベルにおいて正直に自己表現が出来ているのかどうかということなのか?

  • 優しさのある分、いつもの修司らしさである毒気に欠けるが、小さな幸せの見つけ方を教えてくれる一冊。数々の著書中、わりと女性向き。アラン、ラッセルなどいくつかの「幸福論」の中、椎名林檎のそれはここからのテイストであろう。

  • 読後のさわやかさ。

  • う〜ん、難しい。
    僕にはきっと寺山さんの言いたいことの10のうち1も理解できてないのかも。

    でも、途中まで投げ出さずに読めたのはどこかに魅力を感じているからなのか。

    また時が経って読んだとき、その時は今より理解できるといいな。

著者プロフィール

詩人、歌人、劇作家、シナリオライター、映画監督。昭和10年12月10日青森県に生まれる。早稲田大学教育学部国文科中退。青森高校時代に俳句雑誌『牧羊神』を創刊、中村草田男らの知遇を得て1953年(昭和28)に全国学生俳句会議を組織。翌1954年早大に入学、『チェホフ祭』50首で『短歌研究』第2回新人賞を受賞、その若々しい叙情性と大胆な表現により大きな反響をよんだ。この年(1954)ネフローゼを発病。1959年谷川俊太郎の勧めでラジオドラマを書き始め、1960年には篠田正浩監督『乾いた湖』のシナリオを担当、同年戯曲『血は立ったまま眠っている』が劇団四季で上演され、脱領域的な前衛芸術家として注目を浴びた。1967年から演劇実験室「天井桟敷」を組織して旺盛な前衛劇活動を展開し続けたが、昭和58年5月4日47歳で死去。多くの分野に前衛的秀作を残し、既成の価値にとらわれない生き方を貫いた。

「2024年 『混声合唱とピアノのための どんな鳥も…』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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