幸福論 (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041315262

作品紹介・あらすじ

裏町に住む、虐げられし人々に幸福を語る資格はないのか? 古今東西の幸福論に鋭いメスを入れ、イマジネーションを駆使して考察。既成の退屈な幸福論をくつがえす、ユニークで新しい寺山的幸福論。

感想・レビュー・書評

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  • “性”を扱ってる章がとても好きだった。性行為における「イク」という言葉の意味の面白さ(距離、何処に行くのか?)風俗嬢が口にする「遊んでいかない?」というセリフ(愛していかない?ではない)
     自慰行為の想像力(僕は自慰って言葉が好き、自分を自分自身で慰めるって素敵じゃない、性的にだとしても)
     二人でいる幸福を一人の幸福とすり替える愚かしさ、(それも人間的だと夏目は思うけど)
    性的にコンプレックスがある自分は読んでて楽しかった。

  •  わたしの幸福とは噛み合わなかった。けれど、随所に食いこんでくる痛みのようなものを感じた。ちなみに、「幸福論」という名前のつく本はこの世にたくさんあるようですが、わたしはこの名前の本を読むのは、これが初めてです。
     最初に「わたしの詩のなかには、いつも汽車がはしっている」とあるけれど、たしかにこの文章は、めまぐるしい景色を汽車のなかでひたすら追い続けるようなところがあったなと思う。わたしの胸にひっかかったのは、「出会い」と「偶然」だった。いずれも経験による裏づけがある。新学期の朝の幸福。あれは出会いへの期待からくるものだった。それに、親になにもいわずにサンタさんからのプレゼントを待つ夜なんていうのは、偶然を期待する行為そのものだったんじゃないか。
     しかし、幸福とはなんだろう。彼の追った幸福とは、どんなものだったんだろう。

  • 「私たちの時代に失われてしまっているのは、
    幸福ではなくて幸福論である。」

    哲学といっしょで、幸福そのものよりも(そんなものはきっとない)、どうすれば幸福か、なにが幸福かを考えて行動することのほうが大切、だと思う。


    ・書物の歴史性を、現在化していくおは、読者の肉体である。
    →どういう肉体のコンディションで本を読むか。

    ・スクリーンがあれば、人は何度でも死に、何度でも生きられる。

    ・変装の役割。差別の克服。
    自分を解放する日常的な冒険。

    ・演技を生き方の方法にすることで、想像と現実の間の階級を取り除く。

    ・交際を広げたい人は、身近な人も他人とみなす疎外感。
    出会いに期待する心は、幸福を探す心。

    ・アトム畑井。自分がボクサーになって殴られる様子がテレビに映ることで、母に自分を探してもらえるという期待。

    ・売春婦は、「遊んでいかない?」とは言うが、「愛していかない?」とは言わない。
    ホイジンガ「愛が遊戯であり、性がまじめである」

    ・なぜ「いく」っていうんだろうか。
    なにかが逃げていくのか。

    ・オナニーはランプの魔人と似てる。

    ・「オナニーは、出会い。自分の中に同胞を見出す行為」寺山修司

    ・距離と歴史。
    100mを11秒で走るランナーにとっては、10000mは18分の歴史。
    走ることは、過去をたぐりよせること。

    ・歴史で大切なのは、伝承されるときに守られる真実の内容。どうつくりかえ、再構築していったか。そこにどういう意図があったか。

    ・寺山修司の劇団は、身の上相談。
    不幸な人が、不幸を演じればいい、という考え方。

  • 寺山修司の散文は少し読みにくいけれど、

    怖くなったり嫌になったり
    気持ちまで影響されてしまいます。

    同じ言語でニュアンスを理解できることに
    彼と同じ日本人でよかったと思うくらい
    著者は偉くすごい人だなあと感じます。

  • 『私たちの時代に失われてしまっているのは「幸福」ではなくて「幸福論」である』として、肉体、演技、出会い、性、偶然、歴史、おさばらの周辺部の切り口を始めとして、小説、詩、哲学、歌謡曲を縦横無尽に引用しながら語る。とは言え「こうしたら幸福になれる」とは説いてはおらず、幸福論の実体に焦点を当てている。『アランの「幸福論」などくそくらえ!』と冒頭で断言しているところも寺山修司らしい。本書は『幸福論』を越えて『人生論』としても読めるのではないか。寺山修司のエッセイを読んでいると、走るように、歩くように本を読みたいと思ってしまう。書かれた言葉の外へ出てゆきたいと不思議な衝動に駆られる。

  • 池袋の梟書房で、題名や装丁を隠した状態で入手。

  • 寺山修司氏の1969年の著作を、1973年に文庫化したもの。
    『幸福論』というタイトル、小難しい表現で彩られた文章で、評論を読んでいるような気分にはなりますが、寺山修司氏らしい言葉遊びが随所に飛び出す、評論風な詩集ともいえます。
    幸福を感じるためには、こうしなさい、と、一応は教えてくれていますが、寺山修司氏がどんなことをしている時に幸福を感じるのか、というエッセイ集でもありますね。

    どちらにしろ、自分にとって本書は気楽に読めるような内容ではなく、気力と体力が必要とされる読書になりました。

  • 幸福論は、より人間的な自由への止揚である❗(^o^)/

  •  天才とバカは紙一重。いや、論理的な文章展開を予想すると、論理のところに見られ、結論が理解しきれない。作者が演劇作家であり、文系脳の持ち主であるということに起因する気がしてならない。本当に言わんとすることろ理解するためには、3倍くらい時間と反芻が必要になるため、結局何がいいたいか、ほとんどわからないまま読み終えてしまった。

  • 幸福とはこれこれ、こういうものだということを述べる書物ではない(そもそも筆者は書物から幸福論は学べないと言う立場を取っているし、「幸福論」という理論があり、それを実践するという、理論ー実践の二項対立を嫌っている)。筆者が幸福論という語から連想する事柄を次々にテーマ別に書き連ねていっているという印象だ。想像力をもって、ふんだんに自分自身を表現してゆけということが言いたかったのかな、と解説を読んだ後に思った。

    _________________
    目次:
    マッチ箱の中のロビンクルーソー
    肉体
    演技
    出会い

    偶然
    歴史
    おさらばの周辺部
    _________________

    (なぜ出会いは偶然の項目に含まれなかったのか疑問だ)

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著者プロフィール

寺山修司(てらやま・しゅうじ):1935年、青森県生まれ。54年「チェホフ祭」で短歌研究新人賞特選を受賞、脚光を浴びる。早稲田大学教育学部在学中にネフローゼを発病、4年間の療養生活を送ったのちに劇団、演劇実験室「天井棧敷」結成。劇作家・演出家として活動するかたわら、映画監督、詩、小説、批評、歌謡、競馬評論など、国内外で様々な分野の才能を発揮した。83年5月、旺盛な仕事のさなかに逝去。

「2023年 『さみしいときは青青青青青青青』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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