母 (角川文庫 み 5-17)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041437179

作品紹介・あらすじ

「わだしは小説を書くことが、あんなにおっかないことだとは思ってもみなかった。あの多喜二が小説書いて殺されるなんて…」明治初頭、十七歳で結婚。小樽湾の岸壁に立つ小さなパン屋を営み、病弱の夫を支え、六人の子を育てた母セキ。貧しくとも明るかった小林家に暗い影がさしたのは、次男多喜二の反戦小説『蟹工船』が大きな評判になってからだ。大らかな心で、多喜二の「理想」を見守り、人を信じ、愛し、懸命に生き抜いたセキの、波乱に富んだ一生を描き切った、感動の長編小説。三浦文学の集大成。

感想・レビュー・書評

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  • 「蟹工船」を書いた小林多喜二が
    こんなにも素直で、底なしに優しく、バカがつくほどの真面目であったのかと
    そこに驚かずには居られなかった。
    そしてこの多喜二を育てた母の天性のおおらかさ、
    苦労を重ねてきながら少しもいじけたり、ひねくれたりしていない
    明るく穏やかで情け深いその性質に
    「ああ、こんな人間がいるのか、こんな家族があるのか」と
    深く感じ入ったのである。

    私にとってはこの小説のメインは
    未洗礼だろうが、キリストを知らなかろうが、
    貧しかろうが、学がなかろうが
    美しく優しい、正直な心を持った人間がいた、という部分にある。
    そしてその人間が営んだ家庭だからこそ、
    経済的には豊かになれなくとも、こころは世界で一番豊かで、
    おもいやりに満ちた美しい家族が育まれたのであろう。

  • 何気なく手に取って買った本でこんなに感動するなんて・・・。小林多喜二=プロレタリア文学=『蟹工船』と昔暗記したあの小林多喜二の母の物語だ。特高につかまり,拷問を受け,亡くなった多喜二。そんな知識で彼の印象を決めつけていた自分が恥ずかしくなった。三浦綾子さんは多喜二の母になりきって,独特の口調で語りかける。学はないが,寛容で息子の選ぶことはすべて善と信じ切る母。貧乏の中で育った多喜二は,貧乏な人を救うには世の中を変えなくてはいけないと考え,小説を書き続ける。若くして女郎に売られたタミちゃんに恋心を抱いた多喜二は彼女を救おうと自分の財をなげうつ。しかし,彼は彼女に指一本ふれようとしない。自立した学ぶ者同士が結びつこうと理想を語り,読んでいていらいらするほど,実直に生きる。いたわりあう二人があまりにいじらしく,いつしか「母」と同じ視点で彼ら2人を見守っている自分に気づく。彼の死はあまりにむごかった。母は牧師と出会い,息子の多喜二の死とキリストの死をだぶらせる。それでも命日が近づくたびに,哀しみが打ち寄せてくる。その哀しみは限りなく深い。
    私はこの本を読んで多喜二が好きになった。タミちゃんという女性を好きになった。時代がもう少しずれていたら,彼ら二人はきっと結ばれていたにちがいない。
    読み終わった後,もう一度多喜二が小さい頃書いた夢を読み返した。

    「うちの母さんの手は,いつもひびがきれて痛そうです。着物も年がら年中,おんなじ着物を着ています。・・・ぼくは,ぼくのお母さんにも,よい着物を着せて,小樽の町中,人力車に乗せてやりたいです。これがぼくの夢です。」
    こんな多喜二が好きになった。

  •  自身の誕生日にこの作品を読み終えたことがとても感慨深いです。
     物語の語り手やその時代に生きた人々の『苦』を想像すれば自分の人生で感じた悩みや苦労の小ささを知ることができ、彼らの『苦』の万分の一をも満たしていないことを思い、胸中の受け皿がよりいっそう大きくなったことを実感しています。
     本当の『強さ』『やさしさ』『幸せ』について、もう一度零から見つめる決意を固めました。

     一文だけ引用させていただきます。

    「誰だって、隣の人とは仲よくつき合っていきたいんだよね。うまいぼた餅つくったら、つい近所に配りたくなるもんね。むずかしいことはわからんども、それが人間だとわだしは思う」

    この中の『つい』が今までの、そしてこれからの自分の心の中に[在る]ことを信じて

  • 然程厚くない文庫本1冊の小説だが、なかなか濃密な感じだと思った。最近、少し積極的に作品を読むようになった三浦綾子の小説で、1992(平成4)年に登場した作品ということだ。
    「小林セキ(1873-1961)」と名前を挙げて、直ぐに判る人は少数派であると考えられる。他方で「小林多喜二(1903-1933)」と名前を挙げれば、「“プロレタリア文学”の小説家」と判る人が多いと思う。小林セキは、この小林多喜二の母である。
    本作は、小林セキの「一人称の語り」という方式で一貫している。或る日の午後、来訪者を迎えた小林セキが、夕暮れ迄にゆっくりと想い出等を語っているという体裁である。最晩年の小林セキは、娘の一人が嫁いだ小樽の朝里の家に在った。その家で話しているという体裁だ。
    本作の内容は小林セキの来し方、家族のことということになる。小林セキは秋田県内の村で生れて育って小林家に嫁ぎ、子ども達も生まれ、やがて夫の兄が事業を起こして一定の成功を収めた小樽へ移って行くという経過を辿る。そして長男が夭逝したので実質的に長男という様子でもあった小林多喜二を巡る様々な事柄を振り返って語るというのが本作の内容だ。
    小林家は地主であったが、後継者であった小林セキの夫の兄が事業に失敗して財産を損なってしまった。夫婦は貧しい小作農として村で暮らしていた。夫の兄は東京へ出て再起を目指したが巧く行かず、好況に沸いていた小樽へ移り、やがてパンや菓子の店を興して成功する。弟夫妻の長男の面倒を見たいと小樽に引き取ったが、長男は夭逝してしまった。その後、夫妻と子ども達は兄の招きで小樽に移る。小樽でも決して経済的に豊かとは言い悪かった。それでも多喜二は、父の兄、伯父の店で働きながら学資の支援を受け、小樽高商(現在の小樽商大)に学び、銀行に職を得たのだった。
    こういうような一家の物語が、当事者たる小林セキの証言として綴られる本作である。
    物語は、小説家としての活動で評判を得て行く他方、社会運動家として当局の弾圧の対象というようになり、やがて銀行を去って東京で活動するようになり、「逮捕後に惨殺」という事態に至ってしまう。そういう経過に臨んだ小林セキはその心情や承知している経過等々を語る。更に、その後の心の軌跡のようなことも語られ、穏やかに最晩年の時を過ごしていることが語られる訳である。
    貧しい暮らしぶりながら、何か刺々しさのようなモノがなく、朗らかに暮らす親子という姿、兄弟姉妹という様子に心動かされる。小林多喜二は弾圧の対象になって、結果的に殺されてしまうのだが、「公平に仲良く暮らす人々の世の中を目指したい」とした多喜二の主張が殊更に奇怪なものであったとも思い悪い。そういう様子に触れ、明るく優しかった息子を悼む母の様子というものが凄く迫る。
    「昭和」という時期が幕を引き、作者も70歳代に入ろうかという中、「我々が通り過ぎた“昭和”とは?」という問題意識で綴られたのが本作なのであろう。似たような問題意識の作品として、本作の少し後に纏まった、過日読了の『銃口』も在ると思う。
    極々個人的なことなのだが、自身の祖母も秋田県出身だった。秋田県辺りの方言の抑揚が下敷きになった独特な話し口調だった。本作の「小林セキの語り」という体裁で綴られた文章は、その「祖母の話し口調」を想起させるもので、黙読していても音声が聞こえているような気がした。
    何か経済的な事柄は事柄として、「心豊かな在り方」を追っていた、意図せずともそうしていた、互いの笑顔を糧にするかのような家族が在って、その一家の息子が如何したものか酷い目に遭ったというのが、小林多喜二の経過ということであろうか?何か深く考えさせられた。
    本当に、或る高齢の女性が話していることに耳を傾けるかのような感じで、ドンドン読み進め、読み進める毎に余韻が拡がるような本作は御薦めである。或る意味で「平成の初め頃以上に殺伐としていないか?」という感じがしないでもない現在であるからこそ、本作が読者に「迫る」のかもしれないというようなことも感じないではなかった。
    作品と無関係かもしれない余談だ。小林多喜二が学資の支援を受けた小樽のパンや菓子の店だが、後に製紙工場が進出した苫小牧に店を出している。この苫小牧の店の後継者がハスカップのジャムを使ったロールケーキを世に送り出す。現在も向上や店舗が苫小牧に在って、そのロールケーキも販売が続いている。小林多喜二の伯父が営んだ「三星堂」に因んで<三星>(みつぼし)という会社だ。苫小牧では老舗菓子店として通っているようだ。

  • 何と素朴で優しい人だろう・・・とこれを読んで思いました。
    この物語の主人公で語り部の母のことです。
    その母とは小説家、小林多喜二さんの母、セキさんのこと。
    13歳で農家に嫁ぎ、その後主婦として母として、ただただ愚直に正しい道を生きた女性の追想からなる物語。

    母の口から語られる小林多喜二は親孝行で働き者、正しい心根をもち、誰よりも強い意志をもつ人でした。
    常に社会的に恵まれない人の立場に立ち、小説を書いた。
    そしてそれが元で命をなくしてしまった。
    あまりにも無残な拷問という形で-。
    それを見た母のあまりの衝撃。
    それを思うと胸がつまります。
    親孝行な息子だけど、最後にはとんでもない親不孝をしてしまった。
    正しい道を選んだが故に。
    それがとても悲しい。

    セキさんは13歳で嫁ぎ貧乏な中、苦労をしてきた女性ですが、それでも自分よりも恵まれない人への愛情をもっているというのが素晴らしいと思いました。
    だからこそ、小林多喜二のような思想をもった息子が育ったのだと思う。
    文字の読み書きができない事を恥じ、こんな母親は息子に何もしてやれんと思う場面がありますが、それよりもずっとずっと人間として大切なものをこの人はもっている。

    だけどそんな人もあまりにもむごい息子の死に神を呪います。
    しかし、それがやがて信仰の道へ進むきっかけとなるのです。
    世の中って、何がきっかけになり、どうなるか分からない。
    今の時代に、ただシンプルに単純に素朴に生きることは難しい。
    だからこそ、同じ女性としてセキさんに憧れ、こんな風に生きたいと思いました。

  • 朗読会の作品として取り上げられていたため、読んでみたかった。
    三浦綾子作品はほぼ読んだつもりだったが、知らなかった。
    蟹工船の作者である小林多喜二の母セキの物語。
    セキが自分語りをする中で浮かび上がる、貧しさと明るさ、清らかさ。
    7人産み3人が亡くなる。そのうちの一人が次男である多喜二。多喜二が身請けしたタミちゃんのこと。

    日本一の小説家でなくていいから、朝晩のごはん、冗談を言い蓄音機を聞きぐっすり眠る、そんな夢も叶わなかった

    もちろん時代も違うけど幸せの基本はここにあると痛感する。多喜二が警察で拷問を受け亡くなったとき、
    私は多喜二だけの母親ではない、と生き続けたこと。
    産んだ子を失う、それだけで十分に辛い。それが3人、そして一人は拷問を受ける。それを忘れはしないが、キリスト教の教えと、子ども、周りの人に支えられ生きていく様子が目に浮かぶ。
    作中、いくつか疑問に思うこともあったが、それ以上の
    『母』。

  • 小説「蟹工船」で有名な小林多喜二の母・セキが語る、小林多喜二および小林家の歴史。
    この小説のすごいところは、セキの語り口調が自然な東北(秋田?)の方言で、まるで実際にセキからインタビューしたみたいに書かれていること。
    あとがきによると、三浦綾子さんは夫の光世さんから「小林多喜二の母を題材に書いてほしい」と言われて、取材をしたり資料を集めて書いたのだそう。「きっとこんなふうに話すだろう」と、母としての立場とその心情を想像しながら、それを小説に落とし込んでいったってことだよね。すごすぎ。
    三浦綾子はやっぱすごい。

    近藤牧師が「神の恵みです」と言いながら泣いたとき、私も一緒に泣きました。そうなんだよ、キリストと一緒にいたいと思えるって、神の恵みなんだよね・・・。

  •  「母」の人生は言葉では言い表せられないほどの惨い経験を経てもなお続いた。なんと過酷な毎日だったことか。生きる意味はないと思っていたと思う。
    この物語を読んだものが軽々しく「母」の気持ちを代弁するなどできることではないが、子をこんな風に失い、それでもなお、生きねばならない。そのことを呪っただろうと思う。自分に残されてる命をぜんぜん理解できなかったのではないだろうか。

     そして、「母」はキリスト教えに耳を傾け、共産党にも入党するがそれらを心の支えに熱狂することはなかったようだ。そのことを私はとてもよくわかる気がした。
     何に関しても「過ぎる」行為、「信じすぎる」行動を自分が自分で許さなかったのではないかと思う。そいういう意味で多喜二の共産党の活動への熱狂や筆者三浦綾子自身の信仰の姿勢とは真逆にある人であった。
    受洗していないことにおそらくは嫌悪を覚えたのは反面、信仰しなくとも素晴らしい人間だった多喜二の母に一目置くというか、畏怖の念があったのではないだろうか。

     この本を読みながら多喜二の恋愛への姿勢や活動への熱狂はなにかどこか「過ぎて」いて、ジッドの「狭き門」を思わせた。
     
     多喜二のような人々の上に今の日本が気づかれたのだから、そのことを深く思うべきなのだろうけれど、この母を悲しませた罪は大きい。自分が親不孝をしているなと思ったら読むがイイと思った。

     ところで、三浦綾子氏がなくなった数年後だったと思うけれど、夫の光世氏の講演会が無料で入場できるというので友人と連れ立って行った経験がある。その時にこの「母」という小説を知ったのだ。びっくり、もう20年以上前。
    会場でその時初めて「共産党主催」の会だったと知り、勧誘されるのではないかと少々、ビビりながら聞いたのだが、演者の光世さんも「母」の小説のエピソードを語りながら(ほぼ何も覚えてない。すみません)しきりに「政治のことは無知」とか「共産党のことはなにもわからない」とかしきりに挟み込みながら語っていたことだけど覚えている。やさしい良い人だなと思った。

  • 秋田弁で人好きのする語り手は小林多喜二の母、セキがモデル。終始話し言葉なのに飽きないで読んでいられる。自分が話を聞いているようで心が和んだ。言葉からぬくもりを感じ、このおかあさんになら何でも話してしまいそうだ。
    百姓の貧乏な暮らしから抜け出せない負の連鎖が辛かった。世の中を良くしようと立ち上がる人がいなければ変わらない。
    神も子を失っているという視点を初めて得た。殺された多喜二をイエスに、セキをマリアに重ね合わせるのは確かにそうなのかもしれないと思わされた。
    なによりも、セキが遺した文章に心が動かされた。幼少期勉強をしている余裕がなかったから、あとから文字を学んだという拙さがあるからこそ、心情を吐露したこの文章に率直さが表れていると感じる。言葉ってなんて貴重なものだろうかと思う。
    文字を読めないセキに話して聞かせる多喜二や、絵を見せて語る近藤牧師のような、分け隔てなく学びの場を設け共に進もうとする姿勢に感銘を受けた。一生を通して考え続けることは決して無駄じゃないと思う。

  • 多喜二のすること信用しないで、誰のすること信用するべ

    母さんはいい母さんだ。体はちんこいけど、心のでっかい母さんだ。

    そんな会話ができる子育て、素晴らしい。学歴じゃない!

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著者プロフィール

1922年4月、北海道旭川市生まれ。1959年、三浦光世と結婚。1964年、朝日新聞の1000万円懸賞小説に『氷点』で入選し作家活動に入る。その後も『塩狩峠』『道ありき』『泥流地帯』『母』『銃口』など数多くの小説、エッセイ等を発表した。1998年、旭川市に三浦綾子記念文学館が開館。1999年10月、逝去。

「2023年 『横書き・総ルビ 氷点(下)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

三浦綾子の作品

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