委員物語: プレイバックへようこそ2 (角川文庫 ひ 5-6)
- KADOKAWA (1991年12月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041740064
感想・レビュー・書評
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タイムカプセルを開けたみたい。
氷室冴子さんの声が聞こえてくるようで、なつかしいというのにとどまらず、彼女が考えていたことに頭を下げたくなる気持ちにもなります。
「与える側と、受けとる側という、明確な線引きをしておいて、おゼゼとひきかえに、受けとる側にあらゆるものを与えながら、未来のビジョンだけは決して与えず、その結果、茫漠とした不安状態におくことで、ヒステリックな消費行動に走らせるという陰謀が、いつか、どこかで企まれちゃったんじゃないのか、という気がする。」
「'80年代から今('90年頃?)は、女たちの高度成長期だったというのです。・・・がんばれば、明日はもっとすばらしい。もっとお金も手にできて、そのお金で手にいれられるブランド品のかずかずが、ウィンドーごしに、雑誌のページに輝いている。・・・そうして今、その高度成長もまた、オトーサン世代のときと同じように、カゲリが出てきているのではないかー・・・」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ジブリ作品【海が聞こえる】の作者のエッセイ集
大人が自分の昔を振り返るときの見方を妙に冷静に見てしまう自分がいたことを覚えている
大人になった今、それがわかるようになった自分もいたり・・
一服の清涼剤的一冊 -
氷室冴子のヒロインはいつも戦っていたように思う。
どうしようもない片思いとか、時の権力者とか、ジェンダーや過去のトラウマやコンプレックスやしきたりや、結婚というシステムとか。
全力で抵抗し、最後まで泣き寝入りしない。
それは氷室冴子氏の作家人生と通じるものがある。
今でこそ定番となった平安時代のお姫様の主人公も当時としては冒険だったし、第一少女小説そのものがとてもランクが低いものとして軽視されていたものを、一つの大きなジャンルに成長させたのは彼女の功績が大きい。
彼女のプロットのおもしろさにごまかされがちだが、なぎさボーイや海がきこえるにおける思春期の心の揺れや痛みのある美しさは、『少女小説』でならではのものであり、ほかの多くのラノベ少女小説家と少し肌合いが違うところだった。
そんな彼女の子供のころの思い出を紐解いたエッセイは、以前の『冴子の東京物語』に比べるといささか散文的ではあるものの、その片鱗を見ることができる。
きつい口調で自分の不利になること、自分の青さも苦く振り返りながらつづっている。正直者と言うより、これが自分だ、と開き直りに近い潔さでさらけ出している。
現在のネット社会なら彼女のこのテンションの高いエッセイはかっこうの餌食になり、「やな女」「ワガママ」とか嬉しそうに貶めるんだろうなぁと思いますが、そんな悪評にもきっと彼女は立ち向かうのかもしれない。
内容は昭和生まれの私でもついていけないピーターのデビューのころの話や石油ストーブが来た日のばたばたなどかなり古い時代のよもやま話で今の人には逆に新鮮かもしれません。
学級委員の図書委員になれなかった悲哀は個人的に身につまされました。
本なんか全然読まない人が楽だからとかで図書委員になって、本の虫だった私が何の因果か学習委員かなにかを押し付けられていたよ。しかも受験シーズンになったら内申書狙いでかつて私に委員をおしつけていた奴らが立候補するという、せちがらい話だった。
氷室さんが初恋の男の子にシナを作っていた優等生と喧嘩する話はすごいなたくましいな、と自分の小学生時代と比べてびっくりしましたけれど、まさに彼女の小説にでてきそうで笑ってしまいました。
氷室冴子さんのあとがきをなつかしく思い出せるエッセイ集でした。 -
プレイバックパート2の文庫版。
これで氷室先生の著作は全部読んだことにー!
102 お商売として成立させられないのは、(中略)視点の多様さの欠如、あるいはテツガクのなさだと、わたしは思うのですよ。
「旅立ちの時」には哲学があった。
現在は過去を負い、さらに未来へとつづく。
ほんとに世の中を、変えられるか。
逃亡者である親と、その運命をともにしている息子の痛みをこまやかに描きだし(メジャーテーマはこっち)、その息子の恋人の口をとおして、
「どうして、あなたが他人の重荷を、背負わなきゃならないの?」
と問いかけさせ、リバー・フェニックスの息子に、
「他人じゃない。家族だ」
と一面での真理をいわせますが、それに呼応して、さらに、
「家族はいずれ、別れるわ」
とつよい女の子に、涙ながらにいわせていること。それが、いっとうすばらしいのです。
この女の子だって、自分の親とのあいだにあるソゴを抱えて、苛立っている。ただの元気元気なタフネスガールや、息子のためにだけ存在するマドンナじゃない。彼女もまた、傷ついている。そうして、その女の子の親は、客観的にみて、そう悪いひとでもない。小市民的ではありますけれども。
そのなかで、女の子も日常的に苛立ちながら、自分自身に、そうしてリバー演じる男の子に、いうのです。
親はもういい、と。
ただ、これからは自分の人生を生きるべきだ。なによりも、それが重要なのではないか、と。
それもまた、製作者側の、いつわりのない誠実さだろうと思うのです。
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小学校6年のとき、敵対していたマツエ(仮名)という女の子は、アグネスに出てくる3年の生徒会長のモデルだな。
議長権限で、まわりの迷惑かえりみず、強権発動させる、嫌なライバル。
氷室先生の小説のキャラは、みんなユニークで人間味があるのは、それぞれモデルがいて、書きたい人間性があるからかもしれない。
わたしが書くと単なるライバル、とかでしか書けないので、薄っぺらになる。身近にいるいた人から、キャラを作り上げていくべきだな。
大学時代に憧れたドイツ人教師とか、クララ舎でしーのが憧れてたシスター・アンズベリウスとかなんとかいう人だろうしね。
わたしも、頑張って小説書こうっと。 -
(メモ:高等部1年のときに読了。)
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2009年1月24日購入。
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奇跡的に、読んだことなかった。パンチは足りないが、まぁ自分も妙な委員会に所属していたことを鑑みて。