aroenさんの感想
2012年3月30日
・近藤が打首、梟首されたことを知った有馬藤太は、後日実行者の香川敬三に難詰した。この時、香川は「番をするものがいなかったから斬った」と答えたという。 ・薩摩有数の人々、有馬、桐野利秋、野津鎮雄・道貫兄弟は、近藤の死を痛んだという。 ・近藤の首なし死体は処刑後、近藤の血縁者たちによって、掘り起こして密かに三鷹の龍源寺に運ばれたという定説があるが、別説で、昭和四年に板橋の地元の人たちで処刑場の墓を掘り起こしたところ、首のない骨で、胴体、手足の骨も完全に出土した。茶色く変色した布の切れ端が、少しずつ骨に絡まっていたそうだ。それを丁寧に洗い清めて新しく赤がかった黒茶色のかめに安置して、再び埋葬したという。 ・箱館戦争後、最後の新撰組隊士は96人。うち京都以来の古参隊士はわずか13人だった。 ・最後まで生き残った元新撰組3番隊組長斎藤一は、維新後、子どもの教育において、新撰組式のスパルタ教育を行なっていたという。
むいさんの感想
2007年11月12日
奥羽〜箱館を調べるときに、よくひっぱり出す論本。
中村彰彦 1949年、栃木県栃木市生まれ。東北大学文学部卒業後、文藝春秋に勤務。87年に『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。91年より執筆活動に専念し、93年に『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞、94年に『二つの山河』で第111回直木賞、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を受賞。また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞。小説に『鬼官兵衛烈風録』『名君の碑』『戦国はるかなれど』『疾風に折れぬ花あり』、評伝・歴史エッセイに『保科正之』『なぜ会津は希代の雄藩になったか』など多数。 「2020年 『その日なぜ信長は本能寺に泊まっていたのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」