- Amazon.co.jp ・本 (596ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043089017
感想・レビュー・書評
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むずい
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無意識の大家フロイトの大学での講義をまとめたもの。
普段何気なく使っているあたりまえの無意識という概念をたった一人で確立していった、まさに天才。
本書はフロイトの晩年にあたる著書で、「夢」「象徴」「無意識」「小児期への着目」「神経症」といった彼の思想のほとんどがカバーされている。書き方も非常に緻密な論理で構成され、とてもよく整理されている。はじめて知ったことだが、「不安」という概念は彼が提唱していたものなのだということに驚いた。
よくフロイトは「性」しか考えていないだとか、「無意識の存在の証明ができない」とかよく批判されるが、彼の「性」は「生殖」のことではなく、「快楽原則」のことである。「性」は無意識と深い関係にあるが、それがすべてではないというような記述も見られる。また、無意識の存在うんぬん言われるが、無意識というものを仮定して、その結果夢や間違い・神経症というものが生じたのなら、無意識とそれらにはかならず関係性があると言える。論理学の基本。
だが、本書を読んでいて考えたのは、社会文化要因というものを彼があまり考えていないこと。たとえば、父親は息子の行動をことごとく監視し、息子の享楽を邪魔するために抑圧が生じるというような記述があるが、どうなのだろう。また、母親の乳房が快楽原則の始めとあるが、母親のいない子どもはどうなのか。哺乳瓶で育てられた子供はどうなのか。文化差はないのか。この辺に関することは、後書きにあるように、のちの研究で明らかにされている。
また、精神分析の治療法や術式も疑問に思う。彼は無意識を自由連想で意識化することで治療の一歩を踏み出せると述べているが、そもそも意識化できないから無意識なのであって、無意識を仮に自由連想によって言葉にしても、言葉は意識化という検閲を受けるのだから、無意識を意識化した段階で、それは歪められたものにはならないのだろうか。自由連想とはいってもそれは無意識の表れで見かけほど自由ではないとフロイトは言うが、言葉を使う時点でそれはもう無意識ではないのに、と考えた。
さらに、本質である「リビドー」についての考察がうやむや。たぶん講義だからということでもあるが、「リビドー」についてきちんと真実を明かさなければ、結局はリビドーを基にしたフロイトによる物語に終わってしまう。
「リビドー」は快楽原則に従うという。この快楽は欲望を満たすものなのか。肉体という滅ぶ運命の快楽は消滅が必然なので、つまりリビドーは常に快楽を求め続け、とどまることを知らない。リビドーは根本からして満たされることない。それを抑圧しているから精神病になるとフロイトは言うが、少し考えられる人ならリビドーによって与えられる快楽は無価値と気づける。彼のいうところの昇華とはこの辺のことをいうのであろうか。
ともあれ、彼の発見はパラダイムシフトをもたらしたことには変わりない。それは確かなこと。 -
思い出しレビュー。
大学入試直前に読んだ本。精神分析学と心理学は違うものだという認識を得るまでそう時間はかからなかった・・・。フロイトの精神分析学の代表的入門書。フロイトを知りたければこれ一冊を読めばよさそうなものだが、この一冊を読むのは骨が折れる。 -
「無意識」領域の発見は20世紀芸術や哲学に大きな影響を及ぼしました。
よって私にとっては基本書。
しかしながら通読できていません。