ひとを<嫌う>ということ (角川文庫 な 35-2)

  • KADOKAWA
3.56
  • (60)
  • (99)
  • (136)
  • (19)
  • (10)
本棚登録 : 1142
感想 : 120
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043496020

作品紹介・あらすじ

あなたはひとから嫌い!と言われたら動揺するでしょう?あなたは自分が嫌いなひとからもできれば嫌われたくないでしょう?日常的にふりかかる「嫌い」の現実とその対処法を、家族にとことん嫌われた哲学者が徹底的に考え抜いた。「嫌い」の要因8項を探りあて、自己嫌悪、嫉妬、軽蔑、復讐の本質をみきわめ、"サラッと嫌い合う"技術と効用を解き明かしていく-。豊かな人生を過ごすために、きちんとひとと嫌い合う、「嫌いのバイブル」誕生。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  •  妻子にひどく嫌われてしまった経験があり、その状況がずっと続いている哲学者の著者。生い立ちもかなり大変だったよう。そういった経験をした著者だからこそ書けたのだろうと納得の一冊だった。どこかで聞いたことのある話、ではなく、著者の考えた完全オリジナルの話、と感じた。〔人を好きになる事と同様、人を嫌いになることの自然性にしっかり目を向けよう〕と呼びかけ、〈嫌い〉の段階や原因を考察している。

     部分的に抜き出すと、とても誤解を受けやすい内容だと思うので、安易に紹介するのは怖い一冊だ。なので、気になったり引っかかったりした方は是非通読してみて欲しい。私も途中まで、人を嫌うことをこんなに肯定してどうするんだ?嫌いにまみれたら辛いではないか、と居心地が悪くなり、自分の中にある〈嫌い〉の感情を余計に情けなく思ったりしたが、終盤になると靄が晴れた。

    〈嫌い〉の原因について八つ書かれている中で、(一)相手が自分の期待に応えてくれないこと(四)相手に対する軽蔑 が特に興味深かった。

    (一)のカテゴリーより
    ○善人とは(他人と感情を共有したい人)のことです。(略)しかし、ここにとどまりません。彼ら(近い他人)も同じように自分を気にかけてもらいたい。期待してもらいたい。(略)ですから善人とは嫌いに向き合わない人といえます。
     この人種には大きく二通りある。一つは自分はいつも善意の被害者であり、相手がいつも加害者であるという人。自分の加害性に全く盲目なのです。こういう善人は常に愚痴ばっかり言っている。(略)
    もう一つのタイプは、全て他人は善人だとみなす人。すべての人を好きになるべきだと考えている人。(略)
    両者とも、自分と相手との対立を正確に測定しない。
    こうした善人たちは、この国では猛威を振っていて、それに抵抗する事はまずできない。(略)
    私があえて本書で試みているのは、こうした日本人の体内に染み込んだ幻想をわずかでも打ち砕こうというささやかな抵抗です。79

    そして、終わりに近づくと、著者が、自分が経験したように〈嫌い〉にがんじがらめになっている人を心から助けたい、自分が楽になった方法を教えてあげたいと思っていることが伝わってきます。ここがとても私にとって助けになりました。

    ○自分を含めて人間一般が嫌いというタイプが、難攻不落の城のように堅固な構造している。ここで嫌いの発展段階は行き止まりであって、死ぬまでこの城の中で暮らすほかはない。「それでいい」と言う人に何も言う事はありませんが、老婆心ながら付言しますと、こうした城の中に住んでおりますと、本人でも気づかないうちに、肉体的にも精神的にもやせ細ってきて、抵抗力がなくなり、干からびてくる。そのまま仙人のように死ねば良いのですが、どうも凡人にとっては少し無理があり、あまりお勧めできません。私は、こうした城を築いた人に、あえてもう一度娑婆に、、ただし「半分だけ」引き戻してはどうかと提案したい。こうした城を改築して、適当に敵がなだれ込み、戦闘状態を繰り返すような安手の城に生きる方が、凡人にとってはハリのある豊かな人生だと思うのです。177

    ○リルケは人生を(重く取る)ことを提唱しています。重く取るというのは、真の重さに従って受け取ること以外に他意はありません。物事を疑いや運や、偶然で測るのではなく、心の重量で測ろうとする試みです。この世に存在することに対するどんなに無限の同意であり、賛同であることでしょう。 196

    この方の考え方、よくよく読むと結構好きでした。「嘘がない」ということが、私のような人間嫌いな人が、人に対しても自分に対しても欲している特に重要なことで、著者の言い分も、勧めていることも、嘘がないからだと思う。

  • 自分でもそうだと思い込んでいたものを全て剥ぎ取って、綺麗事で守っていた嫌な感情を丸裸にしてくる。人生を豊かにする本というよりは「嫌い」という感情について考え抜かれた本。
    「嫌い」という感情が湧き上がる原因を様々上げて、容赦なく切り込んでいる。自分の本音に気がついて心が痛くなったが、読んでよかった。

  • ひとを嫌う理由は
    嫉妬、軽蔑、期待したことに応えてもらえなかったときなど

    ひとを好きになるのと同様に
    ひとを嫌うことも自然なことなのだから
    それを受け入れる方が、
    嫌いを排除しようとする人生より豊かになるということ。

  • 嫌いになるということは好きになるのと同等に自然なことである,という立場自体は,自分がおぼろげながら抱いていた見方と共通していたが,嫌いという心の作用について本書にあるような水準で洞察をしたことはなかった.総じて,自分が何か精神的な苦労や手間を被ったと感じる場合に,それを相手へと転嫁するというのが,多くの「嫌い」に共通する特徴となっている.他人は自己を映す鏡とも言うが,「嫌い」に直面したときに,その中身をつぶさに分析できる冷静さを保てるようになりたい.

    • akikosagiさん
      嫌いな相手をただただ悪者にするのではなく、自分を映す鏡として、冷静に考えるというのは、無益な言い争いをするよりも発展性があって素晴らしいです...
      嫌いな相手をただただ悪者にするのではなく、自分を映す鏡として、冷静に考えるというのは、無益な言い争いをするよりも発展性があって素晴らしいですね。この本を読んでみたくなりました。
      2017/07/08
  • 今の私にぴったりな本だったので、著者の言う「1割」の人間だったということなのでしょう。
    まず全く説教臭くないところが良い。こうした方がいいああした方がいいというようなことは全く言わない。似たようなことを言っている本は他にもあるような気がしますが、この語り口であるから入ってくる、という感じがしました。
    人を嫌うということについてじっくり考えさせられる本。そして嫌うことや嫌われることに対する無意識の忌避感を疑わせてくれる良本。
    感じたくないだけで、既にそこにある嫌悪感をどう捉えるか。
    次の日からの世界を少し味わい深くさせてくれる1冊だと感じました。

  • この書物を読んで。
    脳内揺さぶられましたが、究極のエゴイストには、私はなれないかな。
    ただ、興味深すぎる内容

  • 中島義道2冊目。一冊目挫折、この本も途中でやめてしまった。

    難しくもないのに挫折してしまうのには訳があるはず。本質を見抜かれてるのが怖いのかな。

  • 最近いろいろあって、複数の人に嫌われてしまいました。
    私の姿を見つけてUターンする人あり。
    立ち話しているところに私が現れて、立ち去る人あり。
    まるでドラマの中にいるようです。

    それでこういう問題の大先輩である中島先生のこの本を。
    先生の本を読んだのはこれが13冊目です。

    相変わらず中島先生の本はおもしろく、笑いながら読みました。
    中島先生だから、敵をたくさん作ってもやっていけると思うのです。
    ていうか、先生はそういうキャラです。

    言われることは納得ですが、やはり私は先生のような生き方はできません。
    どちらかっていうと渡辺和子さんみたいなほうが楽に生きられる気がします。

    感情的にならずに、誠実に、やるべきことをこなす。
    時々すごく落ち込みました。でも…

    まわりの忠告どおり、王様にイジメられることはありますが、
    王様の取り巻きに、わずかですが変化が見られるようになりました。

    さて、ヒルティのこの文に、同意。
    「交際相手としてはけっして愉快ではないが、しかし最も役に立つのは敵であろう。それは、彼らが将来友となる場合もママあるからというだけではない。とりわけ、敵から最も多く自分の欠陥を率直に明示され、それを改めるべく強い刺激を受けるからであり、また敵は大体において人の弱点について最も正しい判断をもつからである。結局、われわれは敵の鋭い監視のもとに生活するときにのみ、克己、厳しい正義愛、自分自身に対する不断の注意といった大切な諸徳を、知りかつおこなうことを学ぶのである。」

    それと、中島先生の個人的嫉妬のところが面白かった。
    中島先生が嫉妬する、その相手に興味あります。

  • 2016.11.3
    中島義道さんの本は、私にとって不思議な立ち位置を持つ本である。その言葉は、まるでバリウムを飲むかのように喉につっかえるというか、理解しようという努力に本能が反するかのようにうまく飲み込めない、入ってこない。それはおそらく私の、自尊感情によるものなのかもしれない。それだけの嫌悪を感じながら、受け入れがたく読むにも関わらず、私はここに一種の羨望をも感じてしまう。ここまで徹底して自己の人間としての本性に正確なメスを入れた上で得たこの知恵に、それを得られるだけの能力に羨望を感じているのだろうか。良薬は口に苦いというが、まさにである、それでいて、たまに飲みたくなるのだから不思議である。
    さて本著は「嫌い」という感情について。この日本社会において人を嫌う、人に嫌われるというのはなんとしてでも避けなければならないものとして、文化的な幻想として機能している。あらゆる人が、人を嫌わないように、人に嫌われないようにを当為として、故に当然として掲げている。だからこそ嫌ったり嫌われたりすることに罪悪感や嫌悪感、憎しみを感じてしまう。しかし著者は、「嫌い」という感情は「好き」という感情と同じく自然なものであり、それに蓋をせずその人間の自然性を直視し、受け入れ、その上でどうするかを考えるところから人生の豊かさを得られる、という。また人を嫌うことも人間の本性であり、その嫌いという感情はいかなる原因で発生するのかを8つに分け論じ、加えて嫌いの亜種である自己嫌悪についても述べている。
    嫌いの原因分析は納得できるものであり、特に筆者のいう、「人が自分の期待に答えてくれない」ところから、軽蔑や嫉妬による感情を経て、最終的に生理的嫌悪に至るという過程をつい最近、人生初経験した私にとっては、その通りだなーと思う他なかった。また自分に危害を加えうる他者に対しての嫌い、無関心による嫌いも、私が感じていた他者への嫌悪感を説明するものであって、おかげで自分がなぜあの人に対してこんな黒い感情を持っているのか、そしてこの黒い感情は「嫌い」ということだったのか、なぜそれがわからなかったのかといえば私は「嫌い」には理由があると思っていて、故に理由なく彼らを嫌うはずはないと思っていたから、しかし私は確かに身勝手な理由で彼らを嫌っており、不条理に彼らを嫌っていたのだということがわかった。
    正直、嫌いに向き合うことによる豊かな人生が、私にはピンとこない。幸福だけの人生がつまらないのはわかる。人生は振り幅大きく、深く、重く味わう方が面白いこともわかる、しかしそれと、嫌いと向き合うことがなぜ繋がるかが未だピンとこない。そして何より、私は人に嫌われることが怖くて仕方がない。でもそんな自分は嫌いである。私は人を嫌う自分も嫌いであり、故にできるだけ人を好きになるよう努力している。その努力は言い換えれば、「嫌い」という感情からできるだけ目を背ける努力である。それではダメだというのだろうか。いやでも確かに、ダメな気もする。
    自分の中に善と悪があるとする。この区別は社会的に定められたものであり、本来は善悪混じって一人の私である。このうち悪だけを潰すことは、自分の半分を黙殺することに他ならないのではないだろうか。それが豊かな人生と言えるか、何より、自分の半分を自分で殺すという凶行に、私は耐えきることができないだろうし、その抑制はおそらく私の最も信頼し愛する人に集中的に噴火し、破滅するような気もする。
    嫌いという感情と向き合うことと、お前は嫌いだということとは違う。必要なのは自分の心を直視することであり、社会的善悪などという型に自分をはめ切って切りさないことではないだろうか、それこそ豊かな人生になるのではないだろうか。だとすれば、俺はお前が嫌いだ、という感情も真実だし、またそれをいうことで自分が嫌われるのが怖いということもまた真実。お前の愚痴を聞くのは面倒で煩わしいというのも真実で、でもその人の力になりたいというのも真実である。つくづく人間は、私とは、矛盾して、葛藤して、分裂して、多元的な存在だなと思う。ある出来事の瞬間に私は種々色々の感情を同時に感じ、それらが矛盾し葛藤し混ざり合っている。それは論理などで説明しきれるものではないのだ。その混色の具合を、原色に還元することなく、そのまま直観すること。「向き合う」とはそういうことではないだろうか。
    そしてこの意味で最も向き合い難いのは、やはり黒の部分である。もう向き合うだけで自己嫌悪で身悶えがし、悪寒が走り、羞恥に顔が歪む、そういう感情を抱くことがある。自分で直視することすらキツイのに、いわんや人にバレるなど言語道断である。ここにどれだけ、これを直視したくないという自己保存の本能に抵抗して向き合えるか、そしてそれを認められるか、それも含め私は人間なのだと思えるか、そういう生き方をすることによるメリットを、つまりそういう生き方がしたいと思えるかどうか。ここにあるのは真実への欲求であり、それこそ中島さんが哲学者たる所以ではないだろうかとも思う。私にはとても届きそうにはない。が、自分のメンタルヘルスと相談しながら、実践していきたいなとは思った。

  • 「ひとを好きになることについては、うんざりするほどたくさんの書物が刊行されて」いるなか、ひとを「嫌う」ことの自然さや、「正確に」嫌い、嫌われることが豊かな人生につながるとの考え方を語る本書。
    「嫌い」の諸段階から「嫌い」の原因、「嫌い」の一形態である自己嫌悪、そして「嫌い」とともに豊かな人生を送ることについて、深く掘り下げて論じられています。

    本書においてもしばしば指摘されているとおり、この世の中、人を嫌うことそのものが悪であり、嫌い・嫌われている状態や感情を抑圧すべきものとして捉えられがちな風潮にあると思います。

    私もその風潮を真に受けている張本人。

    「嫌い」という感情がふつふつと湧き上がってくるなか、「人を嫌い、人から嫌われてはいけない」「嫌いは悪である」とばかりに自らを欺いたり。どうしても嫌ってしまう、嫌われてしまう場合には、自らの意思に反して仕方がなく嫌い・嫌われてしまうと思い込むための「自己正当化」を行う。
    そんな心理的な苦労を重ねてきたように思います。

    本書は教えてくれます。
    「他人を正確に嫌い、自分が他人に嫌われることを正確に受け止め」ること。
    「嫌い」と真摯に向き合いつつも、日常的にさらっと「嫌い」と付き合うこと。
    嫌い、嫌われることを、なにか居心地の悪い、汚いものだと受け止めることなく、ごくごく日常的に存在しているものとしてカラッと扱い、付き合っていくこと。
    「嫌い」をしっかり受け止めることによって、自己反省ができるとともに、より深い、豊かな人生を過ごせること。

    これらを意識し、変化した心持ちによって、とても楽に過ごせている自分がいます。

    私の考え方・感じ方を大きく変えてくれた本書。
    また一冊。私にとって、貴重な書物と出逢えたように思います。

全120件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1946年生まれ. 東京大学法学部卒. 同大学院人文科学研究科修士課程修了. ウィーン大学基礎総合学部修了(哲学博士). 電気通信大学教授を経て, 現在は哲学塾主宰. 著書に, 『時間を哲学する──過去はどこへ行ったのか』(講談社現代新書),『哲学の教科書』(講談社学術文庫), 『時間論』(ちくま学芸文庫), 『死を哲学する』(岩波書店), 『過酷なるニーチェ』(河出文庫), 『生き生きした過去──大森荘蔵の時間論, その批判的解説』(河出書房新社), 『不在の哲学』(ちくま学芸文庫)『時間と死──不在と無のあいだで』(ぷねうま舎), 『明るく死ぬための哲学』(文藝春秋), 『晩年のカント』(講談社), 『てってい的にキルケゴール その一 絶望ってなんだ』, 『てってい的にキルケゴール その二 私が私であることの深淵に絶望』(ぷねうま舎)など.

「2023年 『その3 本気で、つまずくということ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

中島義道の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
山形 浩生
フランツ・カフカ
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×