- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043496020
作品紹介・あらすじ
あなたはひとから嫌い!と言われたら動揺するでしょう?あなたは自分が嫌いなひとからもできれば嫌われたくないでしょう?日常的にふりかかる「嫌い」の現実とその対処法を、家族にとことん嫌われた哲学者が徹底的に考え抜いた。「嫌い」の要因8項を探りあて、自己嫌悪、嫉妬、軽蔑、復讐の本質をみきわめ、"サラッと嫌い合う"技術と効用を解き明かしていく-。豊かな人生を過ごすために、きちんとひとと嫌い合う、「嫌いのバイブル」誕生。
感想・レビュー・書評
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妻子にひどく嫌われてしまった経験があり、その状況がずっと続いている哲学者の著者。生い立ちもかなり大変だったよう。そういった経験をした著者だからこそ書けたのだろうと納得の一冊だった。どこかで聞いたことのある話、ではなく、著者の考えた完全オリジナルの話、と感じた。〔人を好きになる事と同様、人を嫌いになることの自然性にしっかり目を向けよう〕と呼びかけ、〈嫌い〉の段階や原因を考察している。
部分的に抜き出すと、とても誤解を受けやすい内容だと思うので、安易に紹介するのは怖い一冊だ。なので、気になったり引っかかったりした方は是非通読してみて欲しい。私も途中まで、人を嫌うことをこんなに肯定してどうするんだ?嫌いにまみれたら辛いではないか、と居心地が悪くなり、自分の中にある〈嫌い〉の感情を余計に情けなく思ったりしたが、終盤になると靄が晴れた。
〈嫌い〉の原因について八つ書かれている中で、(一)相手が自分の期待に応えてくれないこと(四)相手に対する軽蔑 が特に興味深かった。
(一)のカテゴリーより
○善人とは(他人と感情を共有したい人)のことです。(略)しかし、ここにとどまりません。彼ら(近い他人)も同じように自分を気にかけてもらいたい。期待してもらいたい。(略)ですから善人とは嫌いに向き合わない人といえます。
この人種には大きく二通りある。一つは自分はいつも善意の被害者であり、相手がいつも加害者であるという人。自分の加害性に全く盲目なのです。こういう善人は常に愚痴ばっかり言っている。(略)
もう一つのタイプは、全て他人は善人だとみなす人。すべての人を好きになるべきだと考えている人。(略)
両者とも、自分と相手との対立を正確に測定しない。
こうした善人たちは、この国では猛威を振っていて、それに抵抗する事はまずできない。(略)
私があえて本書で試みているのは、こうした日本人の体内に染み込んだ幻想をわずかでも打ち砕こうというささやかな抵抗です。79
そして、終わりに近づくと、著者が、自分が経験したように〈嫌い〉にがんじがらめになっている人を心から助けたい、自分が楽になった方法を教えてあげたいと思っていることが伝わってきます。ここがとても私にとって助けになりました。
○自分を含めて人間一般が嫌いというタイプが、難攻不落の城のように堅固な構造している。ここで嫌いの発展段階は行き止まりであって、死ぬまでこの城の中で暮らすほかはない。「それでいい」と言う人に何も言う事はありませんが、老婆心ながら付言しますと、こうした城の中に住んでおりますと、本人でも気づかないうちに、肉体的にも精神的にもやせ細ってきて、抵抗力がなくなり、干からびてくる。そのまま仙人のように死ねば良いのですが、どうも凡人にとっては少し無理があり、あまりお勧めできません。私は、こうした城を築いた人に、あえてもう一度娑婆に、、ただし「半分だけ」引き戻してはどうかと提案したい。こうした城を改築して、適当に敵がなだれ込み、戦闘状態を繰り返すような安手の城に生きる方が、凡人にとってはハリのある豊かな人生だと思うのです。177
○リルケは人生を(重く取る)ことを提唱しています。重く取るというのは、真の重さに従って受け取ること以外に他意はありません。物事を疑いや運や、偶然で測るのではなく、心の重量で測ろうとする試みです。この世に存在することに対するどんなに無限の同意であり、賛同であることでしょう。 196
この方の考え方、よくよく読むと結構好きでした。「嘘がない」ということが、私のような人間嫌いな人が、人に対しても自分に対しても欲している特に重要なことで、著者の言い分も、勧めていることも、嘘がないからだと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自分でもそうだと思い込んでいたものを全て剥ぎ取って、綺麗事で守っていた嫌な感情を丸裸にしてくる。人生を豊かにする本というよりは「嫌い」という感情について考え抜かれた本。
「嫌い」という感情が湧き上がる原因を様々上げて、容赦なく切り込んでいる。自分の本音に気がついて心が痛くなったが、読んでよかった。 -
ひとを嫌う理由は
嫉妬、軽蔑、期待したことに応えてもらえなかったときなど
ひとを好きになるのと同様に
ひとを嫌うことも自然なことなのだから
それを受け入れる方が、
嫌いを排除しようとする人生より豊かになるということ。
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嫌いになるということは好きになるのと同等に自然なことである,という立場自体は,自分がおぼろげながら抱いていた見方と共通していたが,嫌いという心の作用について本書にあるような水準で洞察をしたことはなかった.総じて,自分が何か精神的な苦労や手間を被ったと感じる場合に,それを相手へと転嫁するというのが,多くの「嫌い」に共通する特徴となっている.他人は自己を映す鏡とも言うが,「嫌い」に直面したときに,その中身をつぶさに分析できる冷静さを保てるようになりたい.
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嫌いな相手をただただ悪者にするのではなく、自分を映す鏡として、冷静に考えるというのは、無益な言い争いをするよりも発展性があって素晴らしいです...嫌いな相手をただただ悪者にするのではなく、自分を映す鏡として、冷静に考えるというのは、無益な言い争いをするよりも発展性があって素晴らしいですね。この本を読んでみたくなりました。2017/07/08
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今の私にぴったりな本だったので、著者の言う「1割」の人間だったということなのでしょう。
まず全く説教臭くないところが良い。こうした方がいいああした方がいいというようなことは全く言わない。似たようなことを言っている本は他にもあるような気がしますが、この語り口であるから入ってくる、という感じがしました。
人を嫌うということについてじっくり考えさせられる本。そして嫌うことや嫌われることに対する無意識の忌避感を疑わせてくれる良本。
感じたくないだけで、既にそこにある嫌悪感をどう捉えるか。
次の日からの世界を少し味わい深くさせてくれる1冊だと感じました。 -
この書物を読んで。
脳内揺さぶられましたが、究極のエゴイストには、私はなれないかな。
ただ、興味深すぎる内容
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中島義道2冊目。一冊目挫折、この本も途中でやめてしまった。
難しくもないのに挫折してしまうのには訳があるはず。本質を見抜かれてるのが怖いのかな。 -
最近いろいろあって、複数の人に嫌われてしまいました。
私の姿を見つけてUターンする人あり。
立ち話しているところに私が現れて、立ち去る人あり。
まるでドラマの中にいるようです。
それでこういう問題の大先輩である中島先生のこの本を。
先生の本を読んだのはこれが13冊目です。
相変わらず中島先生の本はおもしろく、笑いながら読みました。
中島先生だから、敵をたくさん作ってもやっていけると思うのです。
ていうか、先生はそういうキャラです。
言われることは納得ですが、やはり私は先生のような生き方はできません。
どちらかっていうと渡辺和子さんみたいなほうが楽に生きられる気がします。
感情的にならずに、誠実に、やるべきことをこなす。
時々すごく落ち込みました。でも…
まわりの忠告どおり、王様にイジメられることはありますが、
王様の取り巻きに、わずかですが変化が見られるようになりました。
さて、ヒルティのこの文に、同意。
「交際相手としてはけっして愉快ではないが、しかし最も役に立つのは敵であろう。それは、彼らが将来友となる場合もママあるからというだけではない。とりわけ、敵から最も多く自分の欠陥を率直に明示され、それを改めるべく強い刺激を受けるからであり、また敵は大体において人の弱点について最も正しい判断をもつからである。結局、われわれは敵の鋭い監視のもとに生活するときにのみ、克己、厳しい正義愛、自分自身に対する不断の注意といった大切な諸徳を、知りかつおこなうことを学ぶのである。」
それと、中島先生の個人的嫉妬のところが面白かった。
中島先生が嫉妬する、その相手に興味あります。 -
「ひとを好きになることについては、うんざりするほどたくさんの書物が刊行されて」いるなか、ひとを「嫌う」ことの自然さや、「正確に」嫌い、嫌われることが豊かな人生につながるとの考え方を語る本書。
「嫌い」の諸段階から「嫌い」の原因、「嫌い」の一形態である自己嫌悪、そして「嫌い」とともに豊かな人生を送ることについて、深く掘り下げて論じられています。
本書においてもしばしば指摘されているとおり、この世の中、人を嫌うことそのものが悪であり、嫌い・嫌われている状態や感情を抑圧すべきものとして捉えられがちな風潮にあると思います。
私もその風潮を真に受けている張本人。
「嫌い」という感情がふつふつと湧き上がってくるなか、「人を嫌い、人から嫌われてはいけない」「嫌いは悪である」とばかりに自らを欺いたり。どうしても嫌ってしまう、嫌われてしまう場合には、自らの意思に反して仕方がなく嫌い・嫌われてしまうと思い込むための「自己正当化」を行う。
そんな心理的な苦労を重ねてきたように思います。
本書は教えてくれます。
「他人を正確に嫌い、自分が他人に嫌われることを正確に受け止め」ること。
「嫌い」と真摯に向き合いつつも、日常的にさらっと「嫌い」と付き合うこと。
嫌い、嫌われることを、なにか居心地の悪い、汚いものだと受け止めることなく、ごくごく日常的に存在しているものとしてカラッと扱い、付き合っていくこと。
「嫌い」をしっかり受け止めることによって、自己反省ができるとともに、より深い、豊かな人生を過ごせること。
これらを意識し、変化した心持ちによって、とても楽に過ごせている自分がいます。
私の考え方・感じ方を大きく変えてくれた本書。
また一冊。私にとって、貴重な書物と出逢えたように思います。