太陽の子 (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
4.06
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感想 : 325
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  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043520107

作品紹介・あらすじ

ふうちゃんは、神戸生まれの女の子。おとうさんとおかあさんは沖縄出身で、神戸の下町で琉球料理の店「てだのふあ・おきなわ亭」を営んでいる。やさしい常連さんたちに囲まれて明るく育ったふうちゃんだが、六年生になった頃、おとうさんが心の病気で苦しむようになる。おとうさんの病気の原因は何なのか?ふうちゃんは、「沖縄と戦争」にその鍵があることに気づきはじめる…。戦争は本当に終わっているのだろうか。なぜおとうさんの心の中でだけ戦争は続くのか?今、日本人が本当に知らなくてはならないことがここにある。

感想・レビュー・書評

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  • 昔、若い時に読んだので、今子育てを経験してからまた読むと、きっと感想が違うだろう。


  • 神戸の沖縄料理店「太陽の子(てだのふあ)おきなわ亭」。
    そこに集まる沖縄出身の人々の過去の秘密や悲しみを、てだのふあを営む夫婦の娘、ふうちゃんの目を通して伝えた物語です。

    心の病に苦しむ父、片腕を失ったロクさん。この店に来る人はみんなかなしみを背負って生きています。
    つらいことを経験した分、他の人に同じ思いをさせまいと、周りに優しく接しているのです。

    現在、戦争は歴史の授業で年号や事がらだけを覚えて、受験が終わったらぜんぶ忘れてしまいます。
    しかしそこに人々のどんな思いがあったのかを知り、考え、そしてそれを忘れないでいることが、戦争の本当の学びなんだと思いました。

    過去の歴史もきちんと知った上で、またいつか今の美しい沖縄を見に行きたいなと思います。

  • 優しさとは何か、歴史を学ぶとはどういうことなのかが物語を通してじわじわ伝わってくる。沖縄で起きた惨劇は、その時も、その後も社会の中で形を変えて影響し続けた。

    ふうちゃんの幼さが人との出会いやお父さんの心の病気を通してどんどん成長していく。そんなふうちゃんの成長に合わせて読者も同じように喜んで、怒って、悲しんで、傷ついて、沖縄の歴史や本当の優しさを知っていく。

  • 沖縄出身の両親とともに神戸で生まれ育った「ふうちゃん」と家族が営む「てだのふあ・おきなわ亭」(沖縄の家庭料理の店)を舞台に、そこに集う沖縄出身の人々の物語。

    小学6年生のふうちゃんが主人公の物語ではあるが、本作は単なる物語と呼ぶべきではない。

    日本人とは、沖縄とは、生きるとは、死ぬとは...

    「とんび」(重松清)を読んだ時に感じた「考えさせられる」とはちょっと違いますが、本作もすごく考えさせられる作品でした。

    本作の中で少し触れられた先の大戦での沖縄の悲劇。

    「悲劇」なんて簡単な一言で済ませてはいけない。

    「太陽の子」というタイトルから想像していた内容よりもすごく深い作品でした。


    説明
    内容紹介
    ふうちゃんが六年生になった頃、お父さんが心の病気にかかった。お父さんの病気は、どうやら沖縄と戦争に原因があるらしい。なぜ、お父さんの心の中だけ戦争は続くのだろう? 著者渾身の長編小説!
    内容(「BOOK」データベースより)
    ふうちゃんは、神戸生まれの女の子。おとうさんとおかあさんは沖縄出身で、神戸の下町で琉球料理の店「てだのふあ・おきなわ亭」を営んでいる。やさしい常連さんたちに囲まれて明るく育ったふうちゃんだが、六年生になった頃、おとうさんが心の病気で苦しむようになる。おとうさんの病気の原因は何なのか?ふうちゃんは、「沖縄と戦争」にその鍵があることに気づきはじめる…。戦争は本当に終わっているのだろうか。なぜおとうさんの心の中でだけ戦争は続くのか?今、日本人が本当に知らなくてはならないことがここにある。

  • 【いまも戦争はおわっていない。】
    神戸にある沖縄料理屋『てだのふあ・おきなわ亭』に集う人たちの人生を小学生のふうちゃんの純粋な心を介して紐解いていく物語。沖縄とそれ以外の日本との間にある構造的な差別や不平等が登場人物の生と一緒にあぶりだされています。
    てだのふあ・おきなわ亭の人たちと触れ合うことで自分自身の生をみつめたキヨシ少年が言っています。「日本は沖縄の心にふれて、だんだんまともになっていくのとちがうやろか。そやなかったら日本は死ぬだけや。」
    太陽のような明るい未来への象徴ともいえる、こどもの生に、戦争という暗闇で散っていった命。沖縄戦や原爆で深い苦痛、悲しみを負った人たちの生を対比させていくことで、生と死、過去と未来を対極ではなく、連なり合う一つのものだと伝えてくれています。自分の生がどれほど沢山の人の悲しみの果てにあるのかを思うことで、本当の平和について考えたふうちゃんの心は、今を生きる私たちにも必要な心なのではないでしょうか。(菊地・PITOPE)

  • 「いい話」かどうかは、わからない。
    それでも、読んでいて、涙がこぼれてきた。
    ふうちゃんの、キラキラとした真っ直ぐな目が、眩しくて美しい。

    生まれる前から沖縄に基地はあった。
    そんな私達からすると、沖縄の問題はどこか他人事だったのかもしれない。
    沖縄の明るい人柄を思い浮かべて、あの人達なら乗り越えられる、なんて勝手に考えてたのかもしれない。
    沖縄の人たちは、琉球の時代からずっと、ずっと虐げられてきていた。
    平等って、なんなんだろう。

    『今、生きているぼくたちの方から歴史をたどる勉強を、はじめようやないか。』

  • 11歳の少女ふうちゃんの目線で語られていて、人間の喜びや悲しみ、優しさや醜さや愚かさ、戦争の悲惨さなどが、すごくわかりやすく多感に表現されている。
    ふうちゃんの感受性の強さ、人から学んでいく心の柔軟さ、そして可愛らしさに心打たれ感動します。
    ふうちゃんを取り巻く人々の強さから来る優しさも心に沁みる。そして彼らが告白する沖縄戦の惨状は壮絶を極めており、戦後沖縄の人に対する差別が酷かった事にも衝撃を受け沖縄に対する理解も深まった様に思う。
    10代とかもっと早く読んでおけば良かった。しかし歳を重ねないとわからない事もある。知るべき事、理解すべき事はまだまだたくさんあると痛感する。

  •  最後は切ないけど、とても心温まる素敵なお話だった。ふうちゃんのお父さんは、沖縄での戦争という一人ではとても背負いきれない経験のために、心を病んでしまった。主人公のふうちゃん自身はもちろん、ふうちゃんの周りの大人たちも同級生のときちゃんも真剣に物事に向き合っている人たちばかり。私も子ども時代、何かと物事を隠しがちな大人は嫌いだったが、時期を考えず何でもかんでも教えてしまってもいけなかったのかと気づいた。
     集団就職や沖縄差別があったことを初めて知った。特に沖縄の人への風当たりが強かったのはなぜだったんだろう。沖縄の人への差別というか、自分の属するコミュニティ以外を区別して排斥しようとする行動はどこにでもあるんだろうな。

  • 沖縄の歴史なんて、詳しいわけでも精通しているわけでもないけど、それでも、人は辛い時、苦しい時、悲しい時にこそ、絆というものが一番大切なのだと思う。
    それにしても、ふうちゃんのなんと愛らしいこと!
    その一途さに、心が震えるほどだ。彼女に愛される全ての人は幸せだ。

  • ブンガク
    かかった時間100分くらい

    再読。
    かつて必要に迫られて読んだとき、この作品は率直にいえば「良い作品なのかもしれないが、強い違和感がある」作品だった。

    再読してみて、「強烈な違和感をもたらす作品」になった。

    沖縄戦を背景に、神戸に暮らす沖縄出身者たちが、「日本人」がすでにそれを忘れてしまっているにもかかわらず、戦争が生んだ不平等や偏見、トラウマを抱えながらも、やさしく力強く生きていく、という物語だ。
    主人公の「ふうちゃん(小学6年生)」は、やさしくあたたかい周囲の人々のふるさととしての沖縄のみを知る少女だった。しかし、父親の精神病の発症や同年代の少年が受けた差別や、身近な沖縄出身者の抱える暗い過去を知り、それらを強く受け止めようと決意するとともに、そのようなつらさを経験したものーーつまり沖縄の人だけが、いろんな人のつらさをわが事のように受け止め、寄り添うことができるのだということに気づく。周囲の、決して金銭的な価値では語れない「すごい」人たちや、若くて熱心な担任の男の先生も、「ふうちゃん」とともに生きることを考え、いろいろな気づきをくれる。
    ラストで父親の自殺を目の当たりにした「ふうちゃん」は、同じように「沖縄」がもたらした死によって姉を亡くしたキヨシ少年とともにピクニックに出かけ、「大きくなったら子供を2人産む、ひとりはお父さん、もうひとりはキヨシのお姉さん」と話す。

    さて、この話の強烈な違和感はどこから来るのだろうか。

    …と格好をつけて書いて放置していたけど、ありがたいことにコメントをいただいたので、ざっくり書いてみる。

    作品の中には、「被差別や逆境を痛感している沖縄出身者は、そういうつらい体験を経てきたからこそ人間として尊い」という論理が繰り返し語られる。そして、これは同時に、「ふうちゃん」をはじめとした、バックグラウンドを沖縄にもつ登場人物が、それを克服するためのチカラとして位置づけられている。
    つまり、思いっきり単純化していえば、いじめられていた子は、いじめられていた「からこそ」、いじめに立ち向かう力を身につけることができた、ということである。問題を克服するためのファクターとして、当該の問題の存在が位置づけられているのだ。「あのときいじめられていたから、強い心が育ったね。あのときいじめられていたからこそ、私は前を向けるのだ」というように。

    もちろん、過去をそのような形で受け入れざるを得ない登場人物の立場はわかるけれども、語り手が手放しにそこを肯定してしまうことは、なんの解決にもつながらないんじゃないかなあと。

    まあ、そんな気持ち悪さを感じたのです。

    • tiraronさん
      続きがとても気になります!
      続きがとても気になります!
      2018/09/04
    • okayamaniaさん
      ありがとうございます!まさか読んでいただけたとは…。ひっぱっておいて雑な感じですみません。笑
      ありがとうございます!まさか読んでいただけたとは…。ひっぱっておいて雑な感じですみません。笑
      2018/09/05
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著者プロフィール

1974年に発表した『兎の眼』が大ベストセラーに。1979年、同作品で第一回路傍の石文学賞を受賞。生涯を通じて、子どもの可能性を信じた作品を生み出し続けた。代表作に『太陽の子』『天の瞳』シリーズなど。2006年没。

「2009年 『天の瞳 最終話』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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