ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫)

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著者 : 内田樹
  • KADOKAWA/角川書店 (2003年8月3日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (372ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043707010

ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 今までの内田さんの著作の中で1番時間をかけて読んだ。「戦争論」についてに共感というか、ああだから私はこういうことに言及するのが嫌いだし言及してる人間をテレビやTwitterやらで見るのが大嫌いだったのかとすっきりした。まぁデビュー作から首尾一貫してるから最早感想書くのが難しいんだけど、嫌いな人の好みが合う人の著作は楽しいなあってのと、カミュについての考察に紙幅をかなり割いてくれていたのが嬉しかった。

  • 平岡諦氏のプロフェッショナル・オートノミーについての議論を読む。なんだかなあ、と思う。

    http://medg.jp/mt/2010/08/vol-266-15.html

    僕には日本医師会の真意は分からない(会員なのに、変ですよね)。そこに陰謀史観(患者の人権をないがしろにしておけ)があったかどうかも不明である。でも、平岡氏が主張するような

    日本医師会の国内向け情報操作
      ↓
    日本語という壁による「世界の常識」からの鎖国状態
      ↓
    日本の医療界の「ガラパゴス化」
      ↓
    日本の医療界の閉塞状況(医療不信、医療崩壊)

    は、明らかに「言いすぎ」である。ほとんどの医師は医師会が訳した倫理マニュアルなんて読んでないし(僕も読んでなかった)、医師会が百歩譲ってそのような陰謀史観をもっていたとしても、日本の医療界が「それがゆえ」に閉塞状況になったりはしないからである。それに、平岡氏は指摘していないが、WMAは各国の事情に合わせた価値の多様性を尊重している。世界の医療倫理がみな画一的に同じであるべきとは主張していない。スローガンはあくまでスローガンである。平岡氏の主張によれば、日本の医療がことさらに他国の医療に比べて非倫理的ということになるが、そうである根拠を僕は知らない(倫理的な問題が皆無とは言わない。他国に比べてとりわけ、、という意味である)。

    WMAはautonomyを以下のように説明している(マニュアルより)。そこでは医師の自律が尊重されているが、「患者の人権を擁護する」ために、とは書かれていない。また、患者のautonomyも大切にすることがうたわれているが、それは医師のautonomyの「目的」ではない。

    Autonomy, or self-determination, is the core value of medicine that
    has changed the most over the years. Individual physicians have
    traditionally enjoyed a high degree of clinical autonomy in deciding
    how to treat their patients. Physicians collectively (the medical
    profession) have been free to determine the standards of medical
    education and medical practice. As will be evident throughout this
    Manual, both of these ways of exercising physician autonomy
    have been moderated in many countries by governments and
    other authorities imposing controls on physicians. Despite these
    challenges, physicians still value their clinical and professional
    autonomy and try to preserve it as much as possible. At the same
    time, there has been a widespread acceptance by physicians
    worldwide of patient autonomy, which means that patients should
    be the ultimate decision-makers in matters that affect themselves.
    This Manual will deal with examples of potential conflicts between
    physician autonomy and respect for patient autonomy.

     平岡氏は患者の人権擁護が全てに優先する医療倫理の重要事項であるとする。そしてそのために医師のプロフェッショナル・オートノミーが存在するのだと。平岡氏がそのような倫理観を持つことに僕は反対する気はない。しかし、そのような見解が世界の基準なのだから、それを追随しない(と平岡氏には見える)医師会はけしからん、というのはおかしい。

    倫理は、どこどこにこう書いてあるから正しい、とか間違っているというものではない。他者に規定される倫理は、それこそ平岡氏の引用されるカントによれば、正しい倫理(あるいは道徳)とは呼べないのではないか。ジュネーブ宣言、ヘルシンキ宣言もそのような文脈で参照されるべきで、一意的に「ジュネーブにこう書いてある」と丸のみすることが世界標準というのではない。倫理もクリティカルに吟味しなければならないのだ。平岡氏の強硬な人権擁護絶対主義、医師会陰謀史観には「ためらい」がない。断言口調である。僕は倫理に関して、断言口調はそぐわないと思っている。倫理については首をかしげて、どうしよう、、、と悩み続けるのが現場のリアルな医療倫理である。

    というわけでやっと本に入る。

    「ためらいの倫理学」は内田さんの事実上のデビュー作である。久しぶりに読み直してみたが、ものすごく新しい。文体は今よりシャープでより攻撃的だが、本質的には当時も今も言わんとするところは変わっていない。

    それは、自分の「正しさ」に対する健全な不安である。それが「ためらい」である。

    したがって、自分は正しいに決まっており、相手は間違っているに決まっていると断言する上野千鶴子や宮台真司に内田さんは容赦がない。さらに興味深いのは、正しいに決まっている、と主張するような奴らは間違っているに決まっている、、、、あれ?俺も同じ話法使ってんじゃん、と自分に突っ込みを入れることも忘れない。

    予防接種は「効く」のか?、と「患者様」が医療を壊す、で僕はこれらの本の多くは内田樹さんのパクリである、、と書いている。でも、ためらいの倫理学を読み直して、その見解が誤りであることが分かった。ほとんど全部パクリでした。今書いている2冊の本も、たぶん延々とパクリを繰り返すと思います。

  • ためらいの倫理学―戦争・性・物語―

    内田樹21冊目
    初期の本ということもあり、やや難しい感じがした。特にレヴィナスについては、難しいと思うことが多かった。印象に残ったところは“私は知性というものを「自分が誤りうること」(そのレンジとリスク)についての査定能力に基づいて判断することにしている。平たく言えば、「自分のバカさ加減」についてどれくらいリアルでクールな自己評価が出来るかを基準にして、私は知性を判定している―p145”という文章。本の後半で表れる「とほほ主義」というもののこれに近い。誰かを断罪したり、自説の正しさを懸命に主張するのではなく、自分が犯しうる失敗や他人にかけるうる迷惑についてクリアに予想し、それをしないように努めるということをしようじゃないかという風に解釈した。物語についてという節の「徹底的に知的な人は徹底的に具体的な生活者になる」という言葉も、自己認識を突き詰めたところ、それは哲学書などではなく日常にその成果が表れるということを言ってるんじゃないかと思う。自分の邪悪さを認識している人は、自分の邪悪さを認識していない人よりも邪悪なことをなしえないというパラドキシカルな言葉はまさに名言だ。つまるところ「汝自身を知れ」ということなのかな。最近の自分のお気に入りの「脚下照顧」という言葉も、なんだか近いものを感じる。特に戦争や性について声高に相手の責任や社会システムを批判するひとは、内田的に言えば知性的ではないのである。まずは自分の周りを出来るだけ幸せにしてから、その輪を広げていこうという内田の経験則的教訓が本書にもにじみ出ている。
    他者論は正直よくわからなかったが、自分なりの解釈では、他者というものはよくわからないということが全体にある。最大公約数もなければ最小公倍数もない、同じパラダイムで語ることが出来ないものである。どうにも解釈できないものは、同時にどうにも解釈できる。トランプでいうジョーカーのような、まったくもって異質のものである。貨幣論でいえば、徹底的に価値のない紙切れが徹底的に価値を持つ紙幣となるように(ビットコインとかに至ってはもはや記号でありデータ、使用価値は全くない)、他者はどうにもこうにも分からない存在である。だから、他者を「愛する」必要がある。畏怖し、歓待し、聞き従い、慰める必要性がある。愛するという感情程複雑で、両義的な感情はない。それは言語におけるジョーカーである。他者というジョーカーに充てられるものは、やはり言語におけるジョーカー「愛」なのだろう。わからないものに対してわからないものを充てるということは、あんまりないようでよくある。明治時代の日本が外来語が、漢語に訳されて輸入されたように、よくわかんねえからよくわかんねえままとりあえず使ってみるかという具合に。他者はよくわからない。でもそのわからなさ具合がより人を引き付ける。こんな感じかな。
    本書にもある通り、物語ろうとすることは、知ろうとすることである。なんだかレビュー書いてるうちに、わからなかった本のわからない箇所について読んでる時よりも知ることができた(気がする)。

  • 初めての書籍化文書らしいのですが、基本的な態度は後年のものと変わらず。
    相変わらずの「そう、そうなのよ!」感。
    学術的な文章はそれなりに分かりにくいけど。

  • 著者のデビュー作です。「なぜ私は戦争について語らないか」「なぜ私は性について語らないか」「なぜ私は審問の語法で語らないか」「それではいかに物語るのか―ためらいの倫理学」という4つのテーマのもとに、著者が雑誌などに発表した論考が収録されています。

    「あとがき」で述べられている、「自分自身の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」ということばに、本書の中心的な思想は集約されているように思います。著者はこのようなスタンスに立って、愛国心、戦争責任、女性の解放、そして「他者」といった主題について審問の文法で語ることのパフォーマティヴな水準における問題を、鋭くえぐり出しています。

    著者の基本的な思考の構えが、すでにこの本で明瞭に示されていますが、あえていえば近年の著者の文章に見られる、武術など「身体の知」への傾倒はまだはっきりとは語られていません。そのぶんクリアカットな批評になっているような印象を受けました。

  • ためらいの倫理学の項は巻末の方に配置されている。

  • ネット右翼や教条主義的左翼の氾濫する今日に、どこまでもフェアに、ニュートラルに日常性からずれることのない場所に自身の知性を置く街場主義は注目に値する。「とほほ」主義、つまり自身のいかがわしさを十分理解したものがとり得る現実への態度はよく判るが、が、が、しかし、そこでどうして高橋源一郎なのか。後期資本主義、戦後民主主義の達成としての自己満悦があの馬面をつくったのではなかったか。

  • 著者はかなり風変わりだとは思うが大学の教授ではあるので、書いてることの半分ぐらいは良く分からないし、4分の一ぐらいはまったく分からない。のこり4分の一はまあ、納得できる話である。
    結論として「自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」ということを手を換え品を買え、執拗に繰り返し主張しているとのことなので、よく分からないところにも、まあ解ったところに書いてあることが書いてあるのでありましょう。

    正しい日本のおじさんの生き方をいかに綱領化するか、それが現在の思想的急務であるそうである。正しい日本のおじさんの生き方とはいかなるものか。

    とほほ主義というのがキータームか。『「とほほ」とは自分は「局外」にあるかのような発言はしないという強い覚悟であり、同時に「局内」というのが「檻の中」でしかないという寒々しい断念である』
    自分が正しいという前提で、審問者として議論するのではなく、自分が間違っているということも含めて吟味していくことであると思うと、やはり冒頭に書いた(本では最後に書いてある)結論に帰結するのである。

  • 980

  • 現代思想のセントバーナードという喩えで、著者を語る章がありますけれども、たしかに、本書は、現代思想に遭難した人に、元気になるブランデーを飲ませてくれるような本かもしれないです。そうやって、ブランデーだけ飲ませて、「あとはがんばりな」と去っていきます。

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ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫)の作品紹介

アメリカという病、戦後責任、愛国心、有事法制をどう考えるか。性の問題、フェミニズムや「男らしさ」という呪縛をどのように克服するか。激動の時代、私たちは何に賭け金をおくことができるのだろうか-。ためらい、逡巡するという叡智-原理主義や二元論と決別する「正しい」日本のおじさんの道を提案する。内田樹の原点が大幅加筆でついに文庫化。

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