村田エフェンディ滞土録 (角川文庫)

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著者 : 梨木香歩
  • 角川書店 (2007年5月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043853014

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村田エフェンディ滞土録 (角川文庫)の感想・レビュー・書評

  • あの鸚鵡に泣かされるとは…不覚。

    梨木香歩さんの作品の中でも、これは特に好き。
    民族独立のテーマは少し重いが、よろよろと頼りない足取りで近代への扉を開けてゆく真面目で融通のきかない日本人たちの描かれ方に、とても共感できる。漱石や鴎外もかくなむ。

    家守綺譚に繋がるストーリーだが、印象はまるっきり異なっていて、異文化同士の交わりの中から香り立つ面妖さが独特の空気を醸し出している。

    不思議なことに、この本を読み終えてからしばらく街歩きをしている間、鼻の奥で香辛料の混ざったような…アジアや中近東のイメージに近い香りがずっとしていた。デパートの書店でもホテルのトイレでも。

    人それぞれの神々への信仰のありようが交錯するところに最も興味を惹かれる。価値観の衝突と受容、融合は梨木香歩さんならではのもので、不穏な空気の漂う物語なのに、なぜか安らいだ。

    この作者の文化や文明、歴史や宗教への造詣の深さにはいつも驚かされるのだが、さらに、大きく腕を広げて全てを受け容れてしまう寛容さには、つい心解かされてしまうのだ。

    村田の亡くなった友人たちのために…神を持たない私も、何かに祈りたくなった。

    最後に問いたい。やはり人間は人間として生きる限り、人間に関わるすべてのものから切り離されはしないのだろうか。

    私は…切り離されることの方が幸せに感じるのだが。。

  • 裏表紙のあらすじを読んで想像する話とは…絶対に違う、と思うのはわたしだけではないはず。
    なぜこんなあらすじ紹介になっているのか。

    基本的には、国も文化も宗教も違う登場人物たちの日常がとても穏やかに描かれている。
    宗教の違いに関しては、もの言いたげにする人物や場面がちょこちょこ出てくるが、そぶりだけで言わない。
    それは「国が違う・文化が違うから当たり前」ですませているのではなく、登場人物みんながお互いを個人として尊重しているからこそだと思う。
    そしてその個人と個人の尊重や思いやりは同じ場所で同じ時間を共有して生まれるもの。

    神様たちの縄張りの張り合い(?)や、神様に説教する村田など、ユーモアもたっぷり。
    だが、物語の後半から徐々に革命の気配が漂う。

    帰国数年後にディクソン夫人が手紙で報せてくれた切ない顛末。
    鳴かないはずの鸚鵡の一声で、かつてのみんながいた穏やかな日々に心が飛ぶ。
    切ないけれど余韻のあるラスト。


    ファンサービスというわけではないのだろうけれど、綿貫や高堂の登場は「家守」好きには嬉しい。

  • 梨木果歩だってー?「西の魔女が死んだ」は読んだけどぴんとこなかったなー「オズの魔法使い」じゃね、「裏庭」だって「トムは真夜中の庭で」や「思い出のマーニー」なんじゃあ!? と、豊潤さ芳醇さを予感しつつも遠ざけていた著者。
    思いもかけぬ人からおすすめされて読み、単純にも、大いに感動した。
    語り手の恬淡さや、時代がかった物言いが功を奏して、面白味を齎し、きな臭さの仄かに舞う中、爽やかな味わいが作品を浸していたが、
    一転、終盤、死が充満する。
    だからこそ波状攻撃を仕掛けてくるノスタルジー、無力感。
    「主義主張を越えた友垣」、「楽しむことを学べ」、「人は過去なくしては存在することは出来ない」、そして「私は人間だ。およそ人間に関わることで、私に無縁なことは一つもない」。
    小説が骨組みや肉付けをしたからこそ、読み手の骨身に沁みる、これぞ小説。

    ちなみに解説の茂木健一郎、文庫裏表紙のあらすじは、的外れ。

  • 続いて「夏の100冊」。最近になって、梨木香歩さんの書かれるものをすごくしっくり感じるようになった。よく言われるように、本には「出会い時」っていうのがあるんだなあと思う。

    これも非常に良かった。心にしみた。淡々とした調子で始まるが、次第にお話は陰翳を帯び、深みを増し、読み終わったときにはずっしりと手に残るものがある。梨木さんの小説にいつも感じる、静かな怒りや悲しみが、ここにもある。

    人と人が互いに思いやったり心を通わせていく上で、国や人種や宗教や、そういうものって大して問題じゃない。でも悲しいことに、現実にはそうしたものに縛られて人は生きていて、それをどうすることもできない。哀切なディクソン夫人の手紙を何度も読み返しながら、人の運命ということをつくづくと考えさせられた。

  • 美しき人たちの美しき魂が私の心にも宿りました。「私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない」。国だとか宗教だとか超越した人間としての尊厳を保ち続けたいと強く思いました。ラストに押し寄せる世相の無情さとのコントラストがあまりに哀しく涙腺が決壊。ぽろぽろ泣きながらもキラメク清浄な光を感じるのはまさに梨木さんならではのマジック。大切な宝物の仲間入りです。

  • 眠気と戦いながら読み始めた本にこんな泣かされたのは初めてです。

    この作品には、言葉にしないことで、
    互いへの信頼感がよくわかる描写が端々にあってとっても心地よかった。
    書かないことで伝わる心地よい距離感があることを初めて知った。
    登場人物みんなを好きになる。のに、
    彼らをほんわり愛し始めたところでこの展開になって泣くしかできなかった。
    でも泣くしかできないことが戦争なのかな。分からないけど。悲しい。
    鸚鵡はムハンマドの肩から離れたくなかっただろうな。
    でも村田の元にきてくれてありがとう。友よ。

    歴史というのは物に籠る気配や思いの集積なのだよ、結局のところ。

  • しみじみと良い本だった…。梨木さんの文は、心が洗われるって表現がぴったりくる。急いで読んだらもったいない気がして、じっくり読んでしまう。
    トルコのゆったり流れる日常の空気感がたまらない。そして日本人特有の生真面目さを発揮する村田君が良い。国籍も宗教も違う人たちが、お互いを認め合って共同生活をしているのっていいもんだなぁ。家守綺譚の綿貫君と高堂も出てきて嬉しかった。そういえば家守の方にも村田君の名前が出てきてたなぁ。ラストには、彼らの間を引き裂いた戦争の非情さを感じ、切なくなった。鸚鵡が泣かせてくれます…友よ!

  • もう最高峰だと思います。色気といい(色っぽい話は1割もない)、情感といい、匂いまで感じるような文章。陰影の深さ、それでいてさらりと乾いている。これだけの作品にはそうそう出会えません。心から敬愛します。長編で読ませる本は沢山ありますが、中編でここまで泣ける本は無い。文句なしの傑作です。

  • 「そしていつか、目覚めた後の世で、その思い出を語り始めるのであろうか。」
    心に残る。
    そして、そうあってほしい。

    その時、真剣に過ごした人達との思い出はいつまでも色あせることがない。

    ディミィトリス「君には君の仕事がある。」……「忘れないでいてくれたまえ。」
    そして最後の「楽しむことを学べ。」
    鸚鵡はゆっくりと目を開け…
    一「友よ。」
    胸がつまりました。

    今後の人生に必要な本の1冊。
    生活場所が変わっても部屋に置いておきたい本。

    感謝です。

  • 2014.10.30 am2:10 読了。
    異文化理解とよく言うが、そもそも「異文化」という考え方が、性に合わない。「異」なんて使わずに、もっと柔らかい適当な語はないだろうか。境界線なんてはっきり引かない、境界線の太さをもっと広くした表現はないのか。いっそのこと境界線を幅広に拡大し続けて、内と外という区別をなくしたい。外国と日本。国という線を消してはじめて、個人として違う文化的背景や、風土を持った人(=外国人)に、もっと寛容になれるのではないか。けれども国の概念がなかったら、成立しないのが現代。「およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない」(84頁)この考え方は大切だと思う。ただずっとこの考えを持ち続けるのはきつい。情報量もやるべきことも膨大すぎてつぶされそう。妥協点をどこにするかが課題。

    「人の世は成熟し、退廃する、それを繰り返してゆくだけなのだろうか」ー「ええ、いつまでも繰り返すでしょう。でもその度に、新しい何かが生まれる。【略】繰り返すことで何度も学ばなければならない。人が繰り返さなくなったとき、それは全ての終焉です」(97頁)

    何かが生まれることは無駄ではない。確かに。変化の可能性は常に維持されるべき。善悪はともかく、その可能性が消えたときが、それの終わりなのだろう。

  • 読みごたえのある作品でした。

    テーマは重いのですが、下宿先の村田、ディクソン夫人、ムハンマド、オットー、ディミィトリス、鸚鵡の関係がとても素敵で、彼らのやり取りがほほえましかったりもします。
    村田は不思議な出来事にたくさん遭遇しますが、トルコがどこか混沌とした雰囲気があるからなのか、自然に受け入れられました。

    友人たちの行く末、ディクソン夫人の手紙、鸚鵡との再会、涙が溢れてきました・・・
    宗教、歴史の認識・・・すべてがバラバラの彼らの間に生まれた友情。
    確かに彼らはかけがえのない友だった。
    村田の最後の独白がとても切なかったです。

  • 鸚鵡は身じろぎし、首を私に寄せたかと思うと、突然夢から覚めたように、
    ーー友よ。
    と甲高く叫んだ。

    異文化にふれて、なおぶれない村田エフェンディの生き様が素晴らしい。出会う人の宗教や過去に謙虚に怯えずに踏み込み、しかし、「まあそんなこともあるだろう」と大らかに飲み込む様、自意識にとらわれない好奇心が大変羨ましくも思えます。文化を超えた友情を育み、それがわずかに色あせて思い出になって行くラストの筆致は、本当に奇麗で、しみじみと心に響きます。

  • 『西の魔女が死んだ』を読んで彼女のファンになったのなら、ぜひとも一読して欲しい一冊。

    宗教や思想とも絡め、人と人とが理解し合うことについて考えさせられる、文学小説である。
    『西の魔女』とあまりにも違う文体に初めは戸惑うが、ちりばめられた表現に梨木香歩であることを気づかされる小説である。

  • エフェンディとは、トルコ語で学問を修めた人のこと、という。
    1899年、トルコの歴史資料館に留学している村田という男性と、下宿を同じくする仲間たちの物語。

    時代設定から、悲劇的な結末もなんとなく予想できる。
    それでも、「ディスケ・ガウデーレ(楽しむことを学べ)」という言葉や、「私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない」という言葉が、人から人へ、場面から場面へ受け継がれていく物語の運びに、感動する。

    もっと心に残るのは、村田さんの夢に現れる神様の集会だ。
    巨大な牡牛、山犬(アヌビス神)、羊に稲荷狐、サラマンダーが車座になってくつろいでいる―という図。
    文明の十字路で、神々も交差する。
    それがこんなふうであったら、と思う。

  • トルコである。
    しかも1899年である。
    異国情緒にたっぷりとひたりながら、主人公村田を通して各国から集った人々や異文化と混じり合える。
    たまたまながら「家守綺譚」のあとに読んで、私としても正解だった。ストーリー的なこととは別に、あの現実の世界がふっと揺らぐような空気感をどこかに感じながら読み進められた。
    最後まで名前をつけられなかった(たぶん)、鸚鵡がいい。古き良き悪友のようでもあり、それこそあまたの神のひとりのようでもあり―。
    ずっと「ココ」にいそうである。

  • 家守奇譚と重なる時代。でも舞台はトルコ。相変わらず土地の空気を見事に表している文章、そして不思議もちらほら。ただ、最後一緒に暮らした仲間が戦争でほとんど亡くなってしまうのが切ない。トルコの革命ってどんな風になったんだか世界史で習ったのに忘れていて時代背景をきちんと掴みきれず残念。高堂の「元の神社にお帰り願え」が笑えた。サラマンドラがもしかして今後の伏線になっているのだろうか、とても楽しみ。

  • 【本の内容】
    時は1899年。

    トルコの首都スタンブールに留学中の村田君は、毎日下宿の仲間と議論したり、拾った鸚鵡に翻弄されたり、神様同士の喧嘩に巻き込まれたり…それは、かけがえのない時間だった。

    だがある日、村田君に突然の帰還命令が。

    そして緊迫する政情と続いて起きた第一次世界大戦に友たちの運命は引き裂かれてゆく…爽やかな笑いと真摯な祈りに満ちた、永遠の名作青春文学。

    [ 目次 ]


    [ POP ]
    生真面目な村田君、豪快なオットー、美男子ディミィトリス、3人が住む下宿の主ディクソン夫人、そして家事の一切を担当するムハンマドと五種類しか言葉をしゃべれないのに絶妙なタイミングで人間にツッコミを入れる鸚鵡……。

    『村田エフェンディ滞土録』は、国も宗教も異なる彼らが第一次世界大戦直前のトルコで過ごしたかけがえのない日々を描く。

    敷石に落ちた葱まで美しく感じる情景描写、幽霊や神様など不思議な存在が日常に何食わぬ顔して現れるところがいい。

    そして、激動の歴史の中で広い視野を持ち、他者を思いやる人々の姿に心を動かされる。

    品格という言葉は、本書の登場人物のような人にこそふさわしい。

    特にディミィトリスが村田君に教えた、

    私は人間である。

    およそ人間に関わることで私に無縁な事は一つもない。

    という言葉と、P229で鸚鵡が叫んだひとことが忘れがたい余韻を残す。

    静かで深い感動作だ。

    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 「外国の下宿先での異文化交流」
    「骨董品・古いもの」
    「宗教、神とは何か?」
    「異なる価値観・背景を、理解できなくても受け入れる姿勢」

    これらのパーツは、梨木先生の作品に出てくる常連ですね。でも、作品毎にアプローチが違うので、毎回新鮮に読み進むことが出来ます。今回の作品は、村田氏が実在したのではないかと錯覚してしまうようでした。

    ずっと淡々と(たまに停滞気味に?)進む話にじっくり付き合って行くと、最後の最後でいきなり大爆発!…という感覚でした。(ネタバレしないようすると、私にはこんな表現しか出来ないです。。)

  • いやあ、よかった。しみじみとそう思う。じんわりとしみ込んでゆくような種類の感動といえばいいだろうか。今回の文体は明治期の文豪風。あえて言うならば鷗外だろう。そして、小説構成のベースは『舞姫』。過ぎ去り失われた時間への追憶と憧憬だ。鸚鵡に始まり、年老いた鸚鵡に終わるのも見事。ディクスン婦人の手紙と、鸚鵡の「友よ」は泣ける。

  • 途中退屈だったが、こういう終わりになるとは…国とはなんなのか。あのうるさい鸚鵡が象徴になるなんて。劇的だった。

  • 急な帰国がきまって、いとまごいに訪れた村田エフェンディは、ここであなたの望む研究が十分にできましたか、ときかれてこう答える

    十分、と思えるときは多分、一生こないでしょう。しかしここで学べたことは私の一生の宝になるでしょう。

    あぁそうだった。なんだかほっとした。焦っても仕方ない。十分なんてありえないのだ。知らないこと、知りたいことはきりがない。きりがないから楽しい。明日のことはわからない。だから今が楽しい。

    この小説の最期は哀しい。時代というものが村田エフェンディをトルコに導き、ディクソン夫人の下宿でのかけがえのない人々との友情を育み、そしてまた、時代によって彼らは離ればなれになってしまう。

    それでも、だからこそ青春の日々はいつまでも輝きを失わないのだと思う。

  • 物語としてはつまらない笑
    特にないがあるわけでもなく、淡々と異国の友・暮らしが描かれるだけだから。
    ただ何かすがすがしく、瑞々しい。さわやかな本だ。
    これを読むと自分の若かった頃(青春時代)の瑞々しさがよみがえって、なんとも言えない気持ちのいい読後感。
    ラストはちょっとウルっとくる。

    ★ストーリー引用★
    タイトルの意味を後ろから追うと、「滞土録」の「土」は「土耳古(トルコ)」の頭文字、エフェンディ」はトルコで昔使われていた、学者に対する尊称、「村田」は主人公の名前。つまり「村田エフェンディ滞土録」は、「村田先生のトルコ滞在記」の意味。
     土耳古の国が村田に用意した下宿はイスタンブールにある、英国人ディクソン夫人の屋敷。下宿人の世話をする土耳古人のムハマンド、下宿人の若き研究者、独逸(ドイツ)人のオットーと希臘(ギリシア)人のディミトリス、そしてどこかの学者に飼われていたと思われるおしゃべりな鸚鵡と過ごす日々。それぞれの人種、国家、宗教は違えど、ささやかな反目も確かにあったが、お互いを認め合い、身分も立場も関係のない友情を育む。

    格別大きな事件もない。他国の研究者である下宿人に連れられ発掘現場に見学に行ったり、無邪気に雪合戦に興じたり。あるいは彼の国で出会った同じ日本人同士で交流したり。村田の何気ない日常を、梨木香歩独特の近代文学のそれに近い簡素な文体で淡々と描く。
    ときには、土耳古で出会った木下氏にもらった稲荷狐のお守りが、ディクソン夫人の屋敷の建材に取り込まれた彼の地の神と反目したり、あるいは埃及(エジプト)を回ってきた清水氏から預かったアヌビス神が、村田に叱られ失踪したり、小さな火の竜サラマンドが出てきたり.

    クライマックスには妖しげな女性霊媒師・美しい女革命家が登場し、そして今まで同じ下宿人と思っていたディミィトリスも密かに来るべきトルコ革命に一役買っていたという事実の判明。さらに、村田本人の日本への帰国……と、怒涛の急展開。戒律厳しいトルコ女性が実は急進的な革命分子であったり、世界は第一次大戦に突入していったり、そして戦後、トルコ革命の成功などなど。それまでのゆったりと流れるような日常から、真逆の事態の急変に目が離せず。
     
     そしていよいよラスト、スタンブールでの下宿先の女主人から送られた村田宛の手紙がココロ打ちます。
     共に生活し、青春時代の一時を分かち合った、それぞれ国籍の違うオットー・ディミィトリス・ムハンマド。その彼等は無残にも戦争の犠牲となってしまい、皆を偲ぶその手紙が涙を誘う劇的な内容です。


    皆で飼っていた鸚鵡が海を越え、船便で届いた。

    鸚鵡はトルコ時代の青春(友)の象徴。
    覚えている言葉はわずかなのに、女主人の料理のにおいが食堂に満ちてくると必ず「失敗だ。」とさけんだりして、
    笑わせてくれた。

    そんな鸚鵡が覚えるのが、「It’s enough!(もういいだろう!)」という言葉。
    うんざりしたときに使うせりふだが、これが物語の終盤、戦場で、鸚鵡のよきケンカ相手だった土耳古人ムハンマドの死体の肩の上で叫ぶ。。。。

    戦場で叫んでから言葉を失った鸚鵡。しかし村田の呼びかけに反応して叫ぶ「友よ」。
    その瞬間、村田の胸には懐かしい土耳古の友人たちと過ごしたディクソン夫人の居間が蘇った。友人とは国家を越え、連なる人々。


     最後に村田に届けられたその鸚鵡こそ、村田の青春時代の証であり、亡き友たちの魂の化身でもあるのだなと。
     「およそ人間に関わることで、私に無縁なことは一つもない」

    ★引用★
    文化というものは洋の東西を問わず、成熟し、また尖鋭化してゆくと、言葉にその直接的な意味以上のものが付加され、土着のものにはそれを読み解く教育が、幼... 続きを読む

  • 梨木香歩を読んだのはこれが初めて。読む前は旅行記+青春小説みたいな物を想像して期待してたけど、途中からスピリチュアル要素が入り込んできて正直読むのがつらかった…。そういうの興味ないのよ…。でもそれを乗り越えて読破して良かった。村田くんがイスタンブールを思い出すラストシーンに心を打たれます。

  • 村田が日本に帰る前の夢
    「その夜、変な夢を見た。
    •••私は•••気心が知れるまでの間なのだ、若しくは全く気心が知れぬと諦めるまでの間なのだ、殺戮には及ばぬのだ、亜細亜と希臘世界を繋げたいと思ったのだろうが、もう既に最初から繋がっているのだ、見ろ、と懸命に説いている。」
    多分、ここのアレキサンダー=(諸々の都合で動くという意味での)国、殺戮=WWⅠ、「最初から繋がっている」=イスタンブールで過ごした日々から出した村田の結論・感情
    なんじゃないかなと思いました。

    鸚鵡の口癖は未だに謎です。

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村田エフェンディ滞土録 (角川文庫)の作品紹介

時は1899年。トルコの首都スタンブールに留学中の村田君は、毎日下宿の仲間と議論したり、拾った鸚鵡に翻弄されたり、神様同士の喧嘩に巻き込まれたり…それは、かけがえのない時間だった。だがある日、村田君に突然の帰還命令が。そして緊迫する政情と続いて起きた第一次世界大戦に友たちの運命は引き裂かれてゆく…爽やかな笑いと真摯な祈りに満ちた、永遠の名作青春文学。

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