検疫官 ウイルスを水際で食い止める女医の物語 (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043943234

作品紹介・あらすじ

人や物が国境を絶え間なく行きかう国際社会では、感染症の伝播から安全と言える国はどこにも無い。
毎年発生する新感染症、新ウイルスの脅威……
ウイルスと闘い続ける最前線の攻防。その壮絶な闘いを描いた本格医学ノンフィクション!!

重要なことは、感染者を速やかに発見して適切な対応をし、感染症が蔓延するのを防ぐことだ。
日本人で初めてエボラ出血熱を間近に治療した医師、岩崎恵美子。
50歳を過ぎて熱帯医学を志し、安穏な医師生活を捨て去ってウガンダやインド、タイ、パラグアイなどで現場治療にあたる。
日本検疫史上初の女性検疫所長とまでなった彼女の、生物・化学テロ、感染症、ウイルスの脅威から日本を守ってきた活躍を大宅賞作家が描く。

【目次】
序章  新型インフルエンザ発生――注目された「仙台方式」
第一章 生物・化学テロ対策――ワールドカップ宮城大会の舞台裏
第二章 熱帯医学を極めた日々――崩れゆく顔
第三章 史上初の女性検疫所長の誕生――感染症を水際で防ぐ
第四章 アフリカ大陸――エボラ出血熱の現場へ
第五章 危機管理体制の構築――数々の脅威との戦い
第六章 SARS、新型インフルエンザの最前線に――「仙台方式」への模索
終章  新型インフルエンザ、日本上陸――「仙台方式」の確立
あとがき                       
文庫版あとがき
参考文献                       

感想・レビュー・書評

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  • 大宅賞作家が、日本の検疫史上初の女性検疫所所長となった医師・岩崎惠美子の半生を描くノンフィクション。

    時節柄、検疫官への世間の関心が高まっていることもあり、本書も旧作にも関わらずよく売れているようだ。

    惠美子がインド、タイ、パラグアイで感染症の臨床経験を積む過程や、ウガンダでエボラ出血熱流行の現場に臨むあたりの描写は、読ませる。

    とくに、日本人医師として初めてエボラの治療に当たった日々を描いた第4章は、非常にドラマティックでもあり、本書の圧巻となっている。

    それ以外の章も、感染症を水際で食い止めるために命がけで戦う検疫官たちの姿が感動的だ。
    岩崎惠美子は「検疫所改革」を推進した人でもあり、日本の検疫のあり方を考えさせる本でもある。

    ただ、本書の文章には日本語として不自然な箇所が散見される。
    いくつか例を挙げよう――。

    《意見が対立する背景には、連日の仕事による疲労の蓄積と無縁ではなかった。》

    《空港に到着して感じたアフリカは、アフリカという割には、日差しは強いが気温がさほど高く感じられない。》

    《学会などを通じて、アメリカの学者と懇談するとき、たびたびサリン事件への驚嘆が話題に上り、惠美子の中で事の重大性が芽生えてきた。》

    《五十歳から始まった惠美子の新しい出発は、本人が想像する以上の展開で、責任感を持たせるものとなっていた。》

    内容はよいのだが、粗雑な文章が玉に瑕。

  • ふむ

  • 日本人は平和ボケしているというけれど (実際多いけど)、こういう人もちゃんといるんだなぁ。

  • 内容(「BOOK」データベースより)
    新型インフルエンザ対策の第一人者、岩崎惠美子。その最前線の攻防を描いた本格医学ノンフィクション!日本人で初めてエボラ出血熱を間近で治療した惠美子。50歳を過ぎて熱帯医学を志し、安穏な医師生活を捨て去ってウガンダやインド、タイ、パラグアイなどで現場治療にあたる。日本検疫史上初の女性検疫所長とまでなった彼女の、生物・化学テロ、感染症、ウイルスの脅威から日本を守ってきた活躍を大宅賞作家が描く。

    著者について
    ●小林 照幸:昭和43(1968)年、長野市生まれ。ノンフィクション作家。明治薬科大学在学中の平成4(1992)年、『毒蛇』(TBSブリタニカ・文春文庫)で第1回開高健賞奨励賞を受賞。平成11(1999)年、『朱鷺の遺言』(中央公論社・中公文庫)で、第30回大宅壮一ノン

    著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
    小林照幸
    1968(昭和43)年、長野市生まれ。ノンフィクション作家。明治薬科大学在学中の1992(平成4)年、『毒蛇』(TBSブリタニカ・文春文庫)で第1回開高健賞奨励賞を受賞。1999(平成11)年、『朱鷺の遺言』(中央公論社・中公文庫)で、第30回大宅壮一ノンフィクション賞を、当時同賞史上最年少で受賞。信州大学経済学部卒。明治薬科大学非常勤講師(生薬学担当)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

  • 498-K
    文庫(文学以外)

  • 岩崎恵美子さん自身の生命力がすごいというか。
    やりたいことや使命感を前に、男性だから、女性だから、母親だから、というくくりは言い訳でしかないのかな、と励まされます。

  • 「私は自分の人生を二十五年周期に区切っている。生まれてから
    二十五年は自分のための二十五年だった。二十六歳からの二十五
    年間は、家族のために使う二十五年だと思って生きて来た。医師
    としての仕事は、自分のためでもあるけれど、家族を養っていく
    ためのものでもある。でも、五十歳からの二十五年間は、医師の
    仕事をそのまま社会に役立てることができると思っている。五十
    を過ぎてからの二十五年は、私は社会のために使っていきたいと
    思っているんだ」

    耳鼻科医となり、結婚後に伴侶の仕事の関係でアメリカに渡り、
    そこで出会ったポーランド系アメリカ人の男性医師は有言実行
    の人だった。

    言葉通りに50歳で職を辞し、医療体制が不十分な南米に旅立った。

    このポーランド系アメリカ人医師の言葉は、医師として自分はどう
    あるべきかを模索していた岩崎美恵子に強い印象として刻まれ、
    日本初の女性検疫所長であり、感染症予防医学の第一人者を
    誕生させるきっかけとなった。

    医師としての仕事しながら3人の子供を育て上げ、50歳を過ぎ
    てから専門外である感染症を学ぶ。本書は感染症予防に尽力
    する岩崎恵美子の活動を追ったノンフィクションである。

    既に耳鼻科医として確かな腕を持った医師が、向上心・研究心
    を失わずに挑戦し続ける岩崎氏の姿は、「これぞ医学者」なの
    だろうと感じた。

    研究書や論文を読んだだけで、感染症に対応することは出来ない。
    実際にどのような症状が出るかを理解していなければ、早期に
    適切な診断を下すことが難しい。

    それを実感した著者は自ら望んで感染症が多発している地域に
    赴き、実際に患者の治療にあたる。

    感染症は完全に予防することは出来ない。ならばどうするか。
    海外へ渡航する人に対しての啓発であり、予防接種の推進で
    あり、情報の発信である。

    岩崎氏が勤務した成田空港の検疫所でも、仙台検疫所でも、
    周囲では「そんなことは出来ません」の声が多かった。それを
    説得し、感染症予防のみならず検疫所がどんな機関であるのか
    の広報に力を入れて行く。

    感染症を最小限に留めたい。その思いが岩崎氏を突き動かして
    いる。非常にパワフルな人だと思う。

    幾重にも予防策を講じても、「絶対」ということはない。いくつ
    もの場面を想定し、準備を怠らないことなのだと思う。

    岩崎氏の活動を丹念に追い、感染症の怖さもじわじわと伝わって
    来る。若干、文章が読みにくい部分もあったが、概ね興味深く
    読めた。

    ただ、私は岩崎氏が感染症の専門家になるきっかけとなった
    ポーランド系アメリカ人の医師の「その後」の方が気になって
    しまったのだけれど。

  • 世界に勃発するHotな伝染症に目を向け、日本への伝染病流入を防ぐべく奮闘する女医の姿を描いたドキュメンタリー。

    もともと耳鼻科の医者だった主人公は高齢になってから熱帯病医学に目覚め、成田の検疫官を経てウガンダやインド、タイ、パラグアイなどで現場治療にあたる。 特に当時最もHotだといわれていたエボラ出血熱を日本人で始めて間近で見、後の診察判断および感染予防法の確立に役立たことは大きな功績である。 致死性のウイルスに感染することはなかったが、自身も熱帯性マラリアに感染し命の危険にさらされつつも使命を全うした意志の強さは感服する次第である。 最近世の中では私利にとらわれず使命感に駆り立てられて責務を全うするという気概が薄らいできているように思う。(自分も含めて) そんな中で主人公の岩崎女史の積極的な活動は学ぶべきものが沢山ある。

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著者プロフィール

昭和43(1968)年、長野市生まれ。ノンフィクション作家。明治薬科大学在学中の平成4(1992)年、『毒蛇』(TBSブリタニカ・文春文庫)で第1回開高健賞奨励賞を受賞。平成11(1999)年、『朱鷺の遺言』(中央公論社・中公文庫)で、第30回大宅壮一ノン

「2010年 『ひめゆり 沖縄からのメッセージ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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