- Amazon.co.jp ・本 (199ページ)
- / ISBN・EAN: 9784046532572
作品紹介・あらすじ
悲願の祖国復帰を果たした沖縄を反日基地闘争へ追い込んだのは、誰か?復帰闘争を担った市民と教職員の闘い。普天間飛行場移設を受け入れた名護市長(当時)の決断。米軍基地と県、住民の深い繋がり。莫大な補助金を支払い続ける日本政府…。復帰40年を迎えた沖縄の「声なき声」に迫る。
感想・レビュー・書評
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沖縄に押し付けてきた日本と、すべて基地のせいにしてきた沖縄。ほとんどはなんとなく知ってる事実だけど、これが本土からしたら「知らない沖縄」なんだと思う。当たり前だけど一枚岩の”民意”なんてものは存在しなくて、一緒に生きてる人、嫌いな人、感情は抜きに共存する人、その全てが共生してる。
沖縄が今の沖縄になったのは「誰かのせいに」でもきっとあって、矢印を全て自分たちに向けるのは難しいけれど、少し違う視点を持ちたいと思えた。
けど沖縄の「チュウサチ ムヌイウナ」も嫌いじゃないよ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
産経新聞那覇支局長が、沖縄の実態について書いた本。新聞記者らしく、住民の聞き取りを中心とした取材と戦後の歴史、基地関連予算などから問題を浮彫りにしている。調査が粗いが報道されていない沖縄の影の部分がよくわかる良書だと思う。沖縄県民を含め多くの国民が読むべき本であろう。
「(復帰式典佐藤首相式辞)沖縄は本日、祖国に復帰した。私はまず、このことを過ぐる大戦で尊い犠牲となられた幾百万の霊につつしんでご報告いたしたい。祖国愛に燃えて身命を捧げた人々を思い、現代に生きるわれわれとして、ここに重ねて自由を守り平和に徹する誓いを新たにするものである」p29
「(元保守系議員)復帰から40年、沖縄は県内外の活動家が闘争を継続するための場所と化してしまった。その闘争は、反米軍基地、反自衛隊など、反米、反日闘争に明け暮れ、復帰後の沖縄を経済的に自立、成長させるための経済闘争はほとんど展開されてこなかった。それが、沖縄経済を疲弊させ、いまだに自立できない要因の一つではないか」p33
「戦前の日本政府は、沖縄を飛び越えて、台湾の復興に力を入れていた。だから、それまでの沖縄は貧しく、裸足で、食べるものといえば芋。米軍が駐留して基地建設が始まると、基地特需で一挙に人口が増えた。米軍が統治している間は、戦前では全く想像できなかった経済復興が展開された。やっと飯を食べられるようになったと思った人も多かったはずで、経済的にはよかったという年配者も多い」p38
「米軍のお陰で生活にゆとりができ、こどもを高校や大学に行かせることができた。これがきっかけで農協を強化し、道路も農道として整備した。米軍が農業用の給水所を造ったので農業用水が枯渇することもなく、島全体が活気づいた」p43
「沖縄県民の多くはアメリカが好きでしたよ。米軍統治時代は、食料品が配給されただけでなく、米軍基地から横流しされたスコッチやブランデーが安く手に入った。誰でも飲めた。だから一時、泡盛の人気がなくなったぐらいだ。戦前の沖縄からは想像もできないことだった」p44
「復帰運動で燃える沖縄が、本土で展開していた革命闘争の影響を強く受けていった。日の丸は太平洋戦争に突入したシンボルだとして、反日闘争が展開されることになると、反態勢派の活動家や学者、マスコミが沖縄に押し寄せた。本土でできなかった闘争を沖縄でやろうとしたのだ」p56
「基地周辺整備費と基地交付金など:271億円(21年度)、軍用地代:784億円(20年度)、その他を含めると沖縄県の基地関係収入総額:2084億円」p134
「米軍は基地を地元自治体に返還したいが、地元が返還されると困るといって、返還に反対している。その典型的なものが、米海兵隊基地「キャンプ・ハンセン」だ。日米合同委員会が返還を了承、平成7年に、3年後の返還を決めた。しかし市(名護市)は返還時期が来るたびに、賃貸借の継続を国に要求、これまで三度、返還が延期された」p163
「返還が決まっている普天間飛行場を抱える宜野湾市では銀行の貸しはがしが始まっている。基地が返還されると、跡地利用がはっきりしない以上、地下が暴落するのは目に見えている。だから、銀行は貸さないし、地主も返還されたらローンを返せない」p171 -
「報道されない沖縄」の実情に驚きの連続でした。声なき声が伝わらない基地問題の複雑さを、今更ながら痛感します。筆者が言うように「日本人(日本国家)は、沖縄からの問いかけに応えなければならない。」復帰40年を経過しましたが、日本人が今一度心に刻まなければならないと思います。OGAWA
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本の名前が示すとおり、「報道されない沖縄」に関し、産経新聞社那覇支局長という立場で沖縄が抱える問題を深く抉り出した著作である。
歴史的に中国と日本との間に立った外交戦略、戦中の惨禍、そしてアメリカの支配、また、多くの基地を担わされた立場。
沖縄県となった後の、反米、半日闘争の裏に潜む諸問題。
基地との引き換えに多額に落ちる基地マネーの奥深さ。
自立する沖縄を模索沖縄人の困難さは本土にいる我々が軽々に語れるべきものではない。
それにしてもワンパターンのマスゴミ報道には辟易しているが、著者のような報道人もいることで、日本のジャーナリズムの将来も・・・・・・ -
昨年(2011)の夏に家族で沖縄旅行に行ったのですが、丁度台風上陸と重なりホテル内も停電するなど、予定していた場所を半分も回ることができませんでした。時間があれば沖縄戦に関連する場所にも行きたかったのですが、単なる観光旅行になってしまったのが少し残念です。
民主党政権の初代総理となった鳩山氏による数々の発言で、沖縄も米国も振り回されたようですが、政治家としては沖縄の地政学上の意味を把握したうえで、沖縄に必要な支援や措置を考えるべきだと思います。
この本には、米軍基地の撤退の是非を巡っては、市民の中に数十年と共存している状況の中で、複雑な問題であることが書かれてあり、沖縄問題をよく理解していない私には参考になりました。
以下は気になったポイントです。
・沖縄復帰当時は、米軍よりも自衛隊への反発が強く、自衛隊員が成人式に出席するのを反対したり、運動会にも参加させなかったりで、自衛隊反対運動が厳しかった(p20)
・米軍占領にはじった27年間にわたる米国の沖縄統治に終止符がうたれ、沖縄100万人が27年ぶりに日本国民として主権を回復したのが、昭和47年5月15日である(p28)
・昭和20年4月1日に沖縄本島に上陸した米軍は、5日にはニミッツ海軍元帥の名前で、読谷村に琉球列島米国軍政府を設立した、日本政府のすべての行政権の停止、軍政府が統治するもの(p34)
・昭和21年度から6年間にうけた援助総額は18億ドルで、13億ドルは無償(贈与)であった、現在価値で12兆円にのぼる、日本の年間ODA総額が1.5兆円としても多額(p36)
・当時、米軍基地ではフィリピン人や地元民が雇用されていたが、フィリピン人のタイピスト月給が500ドルに対して、沖縄人は70ドル程度であった(p45)
・辺野古は那覇市内から沖縄自動車道で1時間程度、宣野座インターでおりて山間部を抜けていくと、立派なドームや建物(沖縄工業高校、辺野古交流プラザ等)が見える、普天間飛行場の移設に伴う経済振興策の成果(p105)
・辺野古には多くの新聞社やテレビ局がくるが、行くのは反対派が集まっているテント村のみ、商店街等へは行かない(p106)
・辺野古は10の班に分かれているが、キャンプ・シュワブはその11班、海兵隊員は街で主宰する運動会等にも参加する、辺野古の住民は米軍基地と共存している、飛行場の移設も条件はつけても住民の8割程度は賛成、地元記者も知っているのに記事にしない(p108,112)
・米軍のお蔭でサンゴが守られてきた、民間企業が造成していたら、赤土が流れてサンゴや海藻類は絶滅していただろう、私有地がゴルフ場に造成され、流出した赤土によりサンゴ礁が絶滅したところはある(p111)
・県内世論が反対に染まったかに伝えられるが、これは教育現場の偏った教育と、メディアや活動家によるある種の演出によってつくられてきている(p129)
・沖縄で反対運動をしているのは、生活を保障されている人のみ、沖教組や連合など、反対運動をしても痛くもかゆくもない(p130)
・在日米軍専用施設の74%が沖縄という数字は、自衛隊との共用米軍施設を含まない米軍専用施設、供用施設で考慮すると22%(p133)
・普天間は今のままが良い、毎年、軍用地料が入ってくるので、返還された場合、再利用・再開発するのに20年以上はかかる(p137)
・沖縄には国の予算による補助、予算支出を伴わない減税措置も多くあるが経済状態は悪い(p143)
・沖縄電力は総需要の9.4%が、米軍基地に対する供給であり、撤退した場合大きな痛手を受ける(p159)
・軍用地は、資産家のみならず、公務員や教員が老後のための資産運用のために買われる、反対運動をしていた教職員のなかにも、軍用地を買う人が結構いる(p170)
・知事が陳情する場合、普通は局長に会えればベスト、平成7年までは沖縄知事も外務省北米局長までであったが、村山・橋本総理が甘やかして、今では総理が対応する、独立国並み(p191)
2012年8月13日作成