- Amazon.co.jp ・本 (457ページ)
- / ISBN・EAN: 9784046533012
作品紹介・あらすじ
『遠野物語』が世に出てから二十余年の後――。出版後、柳田國男のもとには多くの説話が届けられ、増補版として『遠野物語拾遺』が刊行された。収められた二百九十九の物語を京極夏彦がその感性を生かして語り直す。
感想・レビュー・書評
-
拾遺の厚い世界も京極さんで
堪能できて大満足の遠野の時間。
山男、天狗、青入道、天女、河童。
昔の話には欠かせない怪異なる
生き物と人間が平地を共に生きていた時代。
大男は餅好きで、蛇を殺すと祟られ、
狐はなぜ人を化かすと謂われたんだろう。
たくさんの言い伝えられてきた怪異は
恐ろしい話もたくさんあるけれど、
今も昔もやっぱり一番怖く残酷なのは
人間をおいて他になく…。
自分は罪深く、業深い生物であることを肝に銘じて、
感謝の気持ちを大切に生きていきたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
“「遠野物語拾遺」は特殊な成立事情もあり、テキストとしての完成度は「遠野物語」に遠く及びません。(中略)また、「遠野物語拾遺」の中に柳田はいません。”
と、封入のインタビューで語られる通り、「Retold=語り直し」という形で京極さんの筆を通してもやはり柳田國男の存在はほとんど感じられない。
「遠野物語」「Remix」より、昔話と噂話が混合されたような雑多感だけど、読み物としては面白い。
火を消してくれたり田植えを手伝ってくれる神様や、お餅を食べ過ぎて大根を求める大黒様のお話がとても好き。
こどもたちが神様で遊んでいるのを注意した大人に罰を当てる神様……にはちょっぴり不条理を感じたりも。
だって私も絶対注意すると思うものーーっ! -
こういう地域の伝承をみると、犯罪を「人ではないもの」のしわざとして諦めるためのツール的な部分もあるように思う。
本当は地域の実力者やならず者のしわざであるが、それを直接とがめることができないので「人ではないもの」のせいにして、心の平穏を保つというか、あきらめるというか…。
あとは、悪いことをしてはいけないというモラルを保つためのツール的な意義。
見たくはない人間のイヤな部分から目をそらすためのツール的意義。
などなど…。
こういった「人ではないもの」「人智が及ばないもの」がだんだん近代社会では「科学」の名目のもとで消されていき、人の心も殺伐としてきたのかな。 -
柳田国男の遠野物語拾遺を、京極夏彦が現代語訳し、大まかなジャンルごとに並べ直したもの(のよう)。遠野の人々から聞いた不思議な話、伝承。遠野は今の岩手県。
聞いたことのあるような話から、教訓話、なんとも理不尽な話まで。遠野の人々が、いろいろな昔話と共に生きていたことがわかる。 -
とても興味深く面白かった、『遠野物語remix』の続編である。原著は柳田國男による『遠野物語拾遺』だが、これは『遠野物語』の復刊に当たり追加収録されたものであり、位置づけはあくまで『遠野物語』のおまけである。それなのに前作より随分長い。
今回も京極夏彦さんが現代語に書き改めているのだが、前作同様に面白い。また、前作では収録順が原著と異なることに疑問を抱いたが、本作では各章が似た話でまとまっており(狐狸に騙されるなど)、収録順の変更にも何となく意図は感じる。
遠野は実家から近く、知っている地名が多いのも前作同様。実家がある大槌の名もしばしば出てきて、前作より馴染み深く読めたかもしれない。大槌から遠野に抜ける最短ルートである笛吹峠に、そんな恐ろしい由来があるとは知らなかったぞ…。
でもねえ、ちょっと長すぎたかなあ。前作は250p程度だったが、450p超と倍近い。短いものは数行しかなく、次から次へと流し読みしていくのだが、全部読み終えてみると印象に残ったエピソードは前作より少なかったかもしれない。
大体、京極さん自ら、本作は『遠野物語』より出来が良くないと明言しているのである。そんな身も蓋もないこと言わないでくださいよ…。大正以降の比較的近代の話も多いためでもあるか。柳田國男としても、話の収集を依頼した手前、ボツにはしにくかったのだろう。
それにしても、最後の章はどうしてこんな俗な話ばかり集めたのだろう。怪異の「か」の字もなく、遠野じゃなくてもどこでもありそうな話ばかりで、苦笑させられる。結局、一番怖いのは人間であるということなのか。
本作の初版に挟んである遠野の地図は、京極さんが師と仰ぐ水木しげる先生が手がけている。遠野市では世界遺産ならぬ遠野遺産を制定しており、デンデラ野など本作中に出てくる場所もある。本作が遠野に興味を持つ一助になることを願いたい。
なお、前作は文庫化されたので、読み物としてはそちらをお薦めします。 -
京極夏彦による『遠野物語拾遺』の語り直し。
現代でも違和感のない口調に読みやすくされている他、狐、熊、天狗、座敷童子、オシラサマ…など統一感が出るように話数の順番も入れ替えられています。
また、月の満ち欠けに見立てた構成も特徴の一つ。
個人的に、田植えを手伝ってくれる神様たちの話が好きで何度も読み返してしまいます。子供の姿で現れるのも何だかいいなぁ…と思うし、子供と遊んでいるのを邪魔されると祟るのも(恐ろしいけど)好きです。 -
『遠野物語remix』は読んだのでこちらも興味が出て手に取った。
柳田國男の『遠野物語増補版』に付録として掲載されたものを京極夏彦がまとめたもの。なかなか見つけにくいものを現代文にしてまとめてあるので読みやすい。巻頭の遠野地方の地図は、地名をローマ字ではなく日本語にしてほしかった。
佐々木喜善はどうやってこんなにたくさん不思議な話を集めたのだろう?祖父の代よりまえから定住しているとは言え、岩手県の一地域でこんなにお話があるものなのか。
「旗屋の縫」という名狩人の話がいくつかあるので気になるキャラクターになった。
二百九十六の薄餅の話は、死んだ妻の肉を餅にして食べてる。二百九十九でも同人物の後日譚の妻の筋肉を食べる話を真似て素麺食べている。死体を食べる男って結構異常な話だけど、年中行事で取り入れるとはどういうこと?遠野の人たちはこの人に倣いたいのかな?
遠野の神さま、火事だと自ら飛び出してくるし、子供と遊ぶの好きみたいだし元気だな。
薄暗いところに安置されるばかりより、子供が乗ったりして遊ぶ方が楽しいのだなあ。
あんまり下世話な話や色っぽい話はないので子供向けなのだろうか。それとも採用しなかっただけなのだろうか。
-
遠野物語を京極夏彦が語りなおす(現代語訳?)怪奇の話として、江戸、明治の頃の風俗の話として。怪奇談としても、人間の生活が感じられる。山の中や夜の闇の中の話。