カラヴァッジョへの旅 天才画家の光と闇 (角川選書 416)

著者 :
  • KADOKAWA/角川学芸出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (267ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047034167

作品紹介・あらすじ

レンブラント、ベラスケス、フェルメールら一七世紀のほとんどすべての芸術家に大きな影響を与えた巨匠、カラヴァッジョ。殺人を犯し、逃亡の末に果てた破滅の生涯と、革新的なバロック美術の傑作を読み解く。

〈目次〉
   はじめに

〈革新への道〉
  1 原風景
  2 ローマでの貧困
  3 公的デビュー

〈円熟と犯罪〉
  4 宗教画の革新
  5 ローマでの円熟期
  6 殺人

〈流謫の日々〉
  7 最初の逃亡
  8 マルタの騎士
  9 シチリア放浪
  10 流浪の果て
  終章 カラヴァッジョの生と芸術

  カラヴァッジョ文献案内

  あとがき

感想・レビュー・書評

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  • <マタイはどいつだ?!>

    画家の中でカラヴァッジョほど、革命的で波瀾万丈の人生を送り(殺人、傷害、逃亡生活)、逃亡する先々で歴史に残る名画を残した独特の画家はいない。
    いくつか美術館で彼の作品を見ているが、彼の傑作は逃亡先の教会や修道院に残されているので、実際にローマ、ナポリ、マルタ島、シチリア島を巡礼しなければ、目にすることは叶わない。
    だから、この書物は<カラヴァッジョへの旅>と題されている。
    読むも者を旅に誘なう書なのだ。

    カラヴァッジョは、本名ミケランジェロ!
    カラヴァッジョとは、ダビンチと同様出身地の地名なのだ。
    38年間の人生!(太宰治と一緒だ)を疾風怒濤の如く駆け抜けて、多くの革命的な名画を各地に残した。
    彼の名画<聖マタイの召命>が描かれたのは丁度1600年、日本で関ヶ原の戦いが戦国時代に終止符を打った年だ。

    彼の人生は犯罪に彩られている。
    殺人、暴力、賭博。
    そして、指名手配(当時の指名手配は、暗殺者に付け狙われることを意味する、つまり死刑だ)、逃亡。
    内側から湧き起こる憤怒と暴力と欲望を制御できない、<この男、凶暴につき>と言う札をぶら下げたとんでもない奴なのだ。
    一方で、不世出の超天才画家。
    天才と暴力の同居した、決してお近づきになりたくない男だ。

    彼の名画が各地に残されているのは、ダビンチのように各地から招聘されたい訳ではない。
    彼を殺害しようとする追っ手から逃れるために身を寄せた所で、生き延びるために絵を描いただけなのだ。
    しかも、その絵の悉くが傑作というとんでもない男なのだ。
    カラヴァッジョ無くして、レンブラントもフェルメールも登場していなかった、と言えるほどだ。
    それまでのキリスト教の聖画を、大地に根差した現実的な聖画としたのがカラヴァッジョの功績だ。
    一言で言えば、ルネサンス絵画を近代絵画に一人で転轍してしまった画家なのだ。

    先頃、真贋論争がありながらもアメリカの大富豪の購入したカラヴァッジョ(?)は、140億円で落札された。
    各地に残されたカラヴァッジョの壁画は、その意味で、まさしくプライスレスというしかない。

    この本を読んでから、カラヴァッジョの<聖マタイの召命>をじっくりと観た。当然、webで。
    Web写真だと、拡大して細部まで詳細に観察できるので、ありがたい。
    問題は、この絵の中の<誰がマタイなのか>、と言う謎だ。

    謎などあるのかと思うかもしれない。
    何故ならこの絵が描かれてから400年もの長い間、マタイが誰かは明白だったからだ。
    それは、画面中央、自分を指差す髭面の中年男だ。
    イエスに指さされて、男は戸惑いながら<え!私?>と呟いているように見える。
    実物を見た須賀敦子もその説に異論を唱えず、その男をマタイであると断定している。(<トリエステの坂道>)

    しかし、1985年、これに意を唱えた学者がドイツに現れた。
    マタイは、イエスの顔を見ようとせずに、俯いて金勘定を行なっている、一番端に座る若い男だと言うのだ。
    その根拠を三点挙げている。
    ひとつは、髭の中年男は帽子を被って裕福な身なりをしていること。これは税金を払いに来た男だというのだ。
    二つ目は、その中年男が指しているのは自分ではなく、隣りで金勘定している若い男だということ。
    三つ目は、この場面ではイエスはまだ何も言葉を発しておらず、指差すだけのイエスにマタイは気がついていないのだということ。その直後にイエスは<私に付いて来なさい>と言い、マタイは弾かれたように立ち上がると、イエスに付き従っていく。その直前の緊迫した場面がこの絵で描かれていると言う。
    しかし、この意見はいまだ主流意見ではない。
    論争になったが、いまだ決着はついていないのだ。
    この本の作者は、新説を支持している。

    さて、どちらが正しいのかを確かめるべく、写真でこの絵を長時間眺めてみた。
    そして、とうとう結論を得た。
    それは未だ定説になっていない、テーブルの端に坐る男がマタイだと確信したということだ。
    この確信は揺るぎないものと思われた。

    マタイは収税人であった。
    ユダヤ民族にとって、ローマ帝國の手先として重税を徴収する収税人は、忌み嫌われた職業だった。
    収税人は、ほぼ罪人と等値されていたのだ。
    イエスはその罪人たるマタイを自らの弟子にすべく、収税所を訪れた。
    その場面を描いたのが<マタイの召命>だ。
    <召命>が分かりにくければ、<マタイのリクルート>と呼んでも良いだろう。

    裕福な服を着て、屈託の全く無い表情をした髭の男は、両替商を訪れた客であるとみなすべきだ。
    金貨の勘定をしている若い男こそ、収税人に違いない。
    では、髭男が自分を指差して居るのは何故なのか?
    しかし、よく見ると髭男が指差して居るのは、自分ではなく、隣には座る若い男であるとみなすことが出来ることが納得できる。
    イエスが救おうとして、弟子に指名したのは、誰からも嫌われる両替商であったのだ。
    若い男の暗鬱な表情、陰で隠された顔は、虐げられた両替商の姿だ。
    同じようにイエスの顔も陰で隠れている。
    この絵画で、顔が陰で隠されて居るのは、イエスとこの若い男の二人だけだ。
    それが、この若い男を罪人=徴税人と見分けさせた理由だ。

    流石に鋭い須賀敦子は、この若い男に心惹かれたが、想像力が先走って、この男のことをユダであると断定して居る。
    金貨三十枚でイエスを売ったユダだと。そして、これはカラヴァッジョの自画像だと、結論付ける。
    マタイを指差すキリストの手はミケランジェロの天地創造から取られている。
    その対比で、醜く歪んだユダの手が対置されていると、須賀は見てとったのだ。
    金貨を数える男の手は捻れて、不具のように見える。
    それを含めて須賀敦子は、この男をユダであると確信したと語っている。
    Web写真も無い時代、暗い礼拝堂の中でこれだけのことを見てとった須賀は流石だと思う。

    さて問題は、マタイは<中年髭面男>か、<青年うつむき男>かと言うことだ。
    私の結論は<青年うつむき男>だ。
    何故なら、そう解釈した方が寄りドラマチックだからだ。

    イエスの指差す先は、まっすぐに青年うつむき男に向けられている。
    中年髭面男の指す指も、イエスの指先をなぞるかのように、青年をまっすぐに指差している。
    須賀敦子が、醜く捻れた手の呼ぶ手は、よく見ると、若い男のものではなく、髭男の手であると分かる。須賀は髭男を右手を、青年の左手と勘違いしていたのだ。
    誤解を招くのは、髭男の服の袖が、若い男の袖と見分けがつかないように描かれているからだ。
    これはカラヴァッジョの意図的な作為だ。
    誰がマタイが混乱するような描き方をして、世間を欺いたのだ。
    まさにカラヴァッジョらしい索引と言える。

    ドアの上から画面を対角線のように下る影は、若い男に真っ直ぐ向かっている。
    この絵画の力学は、全てこの青年うつむき男に向かっていると言える。
    その力学に従う限り、カラヴァッジョの作為に欺かれることは無い。

    イエスは、すぐに声を発する。
    すると、俯いていたマタイは弾かれたように飛び起きると、全てを放擲してイエスに付き従うのだ。
    そうした、ドラマチックな展開を迎える直前の緊張感に満ちた一瞬をカラヴァッジョは描き切ったのだ。

    カラヴァッジョは、見る者がいろいろな見方ができるような意図的な仕掛けをこの絵画に張り巡らせた。
    見るもの全てを欺くその仕掛けにまんまとハマって、400年間、誰もがマタイを見誤ってきたのだ。
    カラヴァッジョの<マタイの召命>絵画を見ることの難しさと面白さを分からせてくれる作品だ。

  • カラヴァッジョの生涯とその全作品並びにその当時に制作されたカラヴァッジョ以外の作品を紹介した、昨日から開催されているあべのハルカス美術館の「カラヴァッジョ展」を観に行く前のお供としても最高の1冊。

    恥ずかしながらカラヴァッジョの名前を知ったのはちょうど一年前に「カラヴァッジョ展」のチラシを見た時なんですが、そんな僕でも知ってるフェルメールさんやレンブラントさん、ルーベンスさんもカラヴァッジョがいなければ登場しなかったといわれているようで、まずはそれにビックリ!そして、殺人ほかいろいろな犯罪に手を染めた話は事前に友人から聞いていたのですが、ビックリするくらいくだらない理由で犯罪に手を染めていてその点にもビックリ(笑)。でも、どこか憎めない人間の弱さみたいなのも感じられて、とっても面白い本でした♪

    長すぎず短すぎず、マニアック過ぎない程度にほどよく丁寧で分かりやすい文章で説明されていて、西洋美術に詳しくない人でもスラスラ読める感じの本。カラヴァッジョの逃亡経路がちょうどイタリア北部から南部までを横断している感じなので、カラヴァッジョの作品を巡る旅のガイドブックとしても良い一冊だと思いました☆おススメ!!

  • カラヴァッジョ展に行く前の予習として。
    なんと破天荒な人生だったんでしょう。天才と狂人は紙一重。そして、38歳という短い人生で生き切ったんでしょうねぇ。
    行方不明になっている作品も多いようですが(盗難に遭うというのも彼の人生みたい?)、解説が緻密で、著者のカラヴァッジオ愛を感じる内容でした。

  • 絵画作品と作者の間には、どこまで関係があるのか。カラヴァッジョの場合、やはり作品と人となりや、その時の状況が大きいように思われた。読んでから、ちょうどカラヴァッジョ展で実際に観ることができたので一層面白く読めた。

  • カラヴァッジョの展覧会に行き、そこで彼の生涯が波瀾万丈だったことを知って読んでみた。
    イタリアの北から南へ移動して行ったカラヴァッジョの足跡を辿りつつ、それぞれの時代に描かれた絵を解説している。
    当時の時代背景や彼の人間性、起こした事件、絵のテーマや鑑賞のポイントなど、わかりやすく書かれていて面白かった。(イタリアの固有名詞は覚えにくくてちょっと辛かったけど)
    人生の得意の絶頂に自分でそれをぶち壊しては逃亡を余儀なくされる性格破綻者ではあるが、だからこそ見る者に劇的なインパクトを与える傑作が描けたのかもしれない。

  • 請求記号 723.37/Mi 83

  • イタリアの画家カラヴァッジョ(1571-1610)の短い生涯を追いながら、その時々で生み出された作品を紹介してくれる本。
    暴力的で破天荒な性格と、非凡な絵画の才能を併せ持つ画家の、犯罪まみれの波乱の生涯。人生の出来事と作品を照らし合わせてみると、画家の心情の変化と描き方の変化がリンクしていて、なぜその絵を描いたのかその背景がリアルに立ちあがってくる。
    どうしようもない低俗さと信仰の崇高さが、絵画の上に結実するというのはカラヴァッジョならでは、と感じました。

    明暗のコントラストが強く、人間のハッとする一瞬を捕らえたようなカラヴァッジョの作品。今までは色彩と構図がカッコイイ画家、という見方しか出来ていなかった。
    カラヴァッジョの大抵の作品は宗教画として描かれていて、その作品をより深く理解しようとすると、時代背景や、聖書のどの場面を/誰を描いているのかといった多少の知識が必要になる。それがわかってくると、聖書という脚本に基づき、画家がそこにどのような解釈を加えてその絵を描くに至ったのか、想像するのが楽しくなる。カラヴァッジョが行った宗教画に対する解釈と描き方がどれだけセンセーショナルだったか、当時の人の驚きと感動を追いかけることができる。

    著者はカラヴァッジョ研究家の宮下規久朗さん。カラヴァッジョに心底惚れ込んでいることが文章から伝わってくる。
    400年前の画家には会って話を聞くことは当然出来ないし、遺された作品や資料を研究し、実際に作品を見尽くし、画家のいた土地に出向いて、知識と想像力をフル回転しながら画家に思いを馳せるしかない。その探究はとてもクリエイティブだと思った。

  • バロックの画家カラヴァッジョの短い生涯.天才が故に偏屈で怒りやすく殺人事件までおこし、逃亡生活をおくる.しかし支援者に恵まれていたことも事実.マルタ島でみてきます.

  • カラヴァッジョの作品から人生から全てが分かりやすく書いてあり、絵もたくさん収められていて見やすかった。カラーだともっと良かったけどそれはしかたない。題名ではないがイタリアへ旅に出かけたくなった。

  • カラヴァッジョの名と絵を知る人で、「あぁ、あの殺人を犯した、放浪の、呪われた天才画家……」といったことを知らない人は少ない、と思われます。むしろそちらのイメージが強烈で、自身の絵画を本気で観賞した人は少ないかも。これは、近年日本で刊行された、彼の生涯を追って作品についても語られるモノグラフ。入手しやすいカラヴァッジョへの入門書として。地図、図版(白黒だけどしょうがない)多数。とても参考になります。私も実は、彼の展覧会、国内で1度しか観たことがありません。でもそれらの絵は、私の想像どおり、というよりは想像を遥に超えたものでした。バッカスとかメドゥーサの絵が有名かもしれませんが、宗教画はものすごい迫力です。生々しすぎる、とも言えるのでしょうか。しかし、カトリック絵画どの場面を考えても、それを描こうとして、画家によっては、生々しくならぬなどということは到底考えられません(ボッシュなどは「特別編」だとしても)。カラヴァッジョの絵は、どれも人物の表情(眼)が印象的です。安易に「殺人まで犯した異端の画家だから」という分析はやめましょう。さて、それでお前さんは好きなのか嫌いなのか、と尋ねられれば…そう、好きです、少なくとも「嫌い」とは言えません。でも、対峙するにはそれなりの覚悟が要ります、その時の体調も選びます(それでも知らぬうちに致命的な一撃を受けるかも)。カラヴァッジョ展を一緒に観て、そのあと東京一おいしい珈琲屋(と私は確信してる)で珈琲をご一緒した、ついでに夕食まで御馳走になったあの方、昨年亡くなりました。これからはカラヴァッジョを観るたびに、彼女のことを思い出すことでしょう。

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著者プロフィール

宮下 規久朗(みやした・きくろう):美術史家、神戸大学大学院人文学研究科教授。1963年名古屋市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒、同大学院修了。『カラヴァッジョーー聖性とヴィジョン』(名古屋大学出版会)でサントリー学芸賞など受賞。他の著書に、『バロック美術の成立』(山川出版社)、『食べる西洋美術史』、『ウォーホルの芸術』、『美術の力』(以上、光文社新書)、『カラヴァッジョへの旅』(角川選書)、『モチーフで読む美術史』『しぐさで読む美術史』(以上、ちくま文庫)、『ヴェネツィア』(岩波新書)、『闇の美術史』、『聖と俗 分断と架橋の美術史』(以上、岩波書店)、『そのとき、西洋では』(小学館)、『一枚の絵で学ぶ美術史 カラヴァッジョ《聖マタイの召命》』(ちくまプリマー新書)、『聖母の美術全史』(ちくま新書)、『バロック美術――西欧文化の爛熟』(中公新書)など多数。

「2024年 『日本の裸体芸術 刺青からヌードへ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

宮下規久朗の作品

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