平清盛と後白河院 (角川選書 504)

著者 :
  • KADOKAWA/角川学芸出版
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047035041

作品紹介・あらすじ

帝王・後白河院と、保元・平治の乱を経てその最大の補佐役となった平清盛。しかし両者は、やがて激しく対立する。清盛暗殺の謀議・鹿ケ谷事件、治承三年政変と後白河幽閉。そして平氏政権の樹立-。後白河近臣の藤原信頼・成親と清盛の対立や、父・清盛と後白河の仲裁者であり、優れた軍事指揮官であった重盛の死など、清盛・後白河対立の看過されてきた背景を詳細に検証。武者の世へと至る平安末期の権力闘争を描きだす。

感想・レビュー・書評

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  • 後白河天皇という人は、
    歴代120人以上いる(伝説の域を出ない人を除いても100人以上)天皇の中で、
    非常に個性が強い人の一人じゃないでしょうか。
    ベスト3に入ると思うんですよ。
    (一人は後醍醐天皇、もう一人は白河天皇か光格天皇か…。)
    で、同時代に生きたこれまた個性が光る平清盛。
    二人がある意味では引き立てあってたにかもしれません。

    二人を軸にそこに関わる重要人物、
    平重盛や藤原信頼、藤原成親などを描いていく。
    当時の武士と貴族の関係も含め、
    定説とはやや異なる新しい平安時代末期の姿が、
    この本を読むと浮かび上がってきます。
    決して二人を英雄視するのでもなく、卑下するのでもなく、
    淡々と書かれている印象ですね。
    そういう意味ではもう少し盛り上がるところがあってもよかったですが(笑)

    大河ドラマで少し脚光を浴びたこの時代。
    いわゆる源平の合戦(治承・寿永年間)以前の時代は、
    今までほとんど取り上げられることがなかっただけに、
    ドラマを見て興味を持った、もう少し深く知りたい人へはオススメの一冊です。

  • 腑に落ちた。後白河院は胡散臭かった、コイツは場当たり的な対応でシバシバ悪手を打つクセに頼朝の評が独り歩きする。1155タナボタ即位。1156保元の乱で標的に。信西の権勢に二条親政派と院政派が呉越同舟した1159平治の乱、何故か清盛独り勝ち・・・信西・信頼等偏愛した寵臣が亡くなり二条派の嫌がらせに後白河はほゞ二条派の清盛に助けを乞い、経宗・惟方(信西を殺した首謀者)を清盛は排除し、信西の息子たちを復権させる。1161二条天皇憲仁親王立太子疑惑で後白河は近臣全て失い院政停止。1165天皇崩御で後白河復権、六条天皇即位。1166摂政薨去し後白河は摂政領を遺児(盛子後見=清盛後見)へ渡す裁量をして清盛を取り込みにかかる。(東宮大夫も清盛)ところが1168清盛危篤(臨終出家したけど生き延びる)に後白河は他の平氏のご機嫌窺いで高倉天皇即位(平滋子は皇太后)姉の時子の子宗盛が相対的に浮上。1169嘉応の強訴で後白河近臣成親配流要求を叡山と争いを避ける清盛の意向を無視してごまかす。1170成親の復権。検非違使別当を5年間…院も軍事・警察力を有した。成親=武勇の若殿上人。1171清盛の子徳子入内。1174厳島へ後白河参詣(前代未聞)平氏とのパイプ役建春門院(滋子)崩御し、後白河寵臣への贔屓昇進。翌月清盛の子左右近衛大将。(やり返し?)1177白山騒動に又も成親配流要求され、清盛は比叡山要望を全て叶える=世に言う鹿ケ谷の陰謀は表面的な発表。西光・成親を断罪。後白河は盛子・重盛死去の際に所領を奪うが清盛の怒りを買う。1179治承三年のクーデター。福原から兵を率いての入京に後白河は「今後一切政務口出ししない」と院政停止。1180以仁王令旨で全国に反乱がおきる。以仁王こそ倒したものの清盛は太郎・次郎焼亡で都は荒廃し、園城寺や藤原氏寺興福寺も敵に回したため福原遷都をする。(長くなったのでここまで)何が言いたいか・・・鎌倉幕府への道筋がかなり理解できた気がするので嬉しい。

  • 文章がたまにわかりにくいところがあるが、歴史の捉え方を学べて面白かった。一つの書の解釈は1解釈であるという姿勢に共感。
    後白河、清盛、重盛あたりの複雑な心境、人間関係の現実が見えて面白かった。
    が、いずれにせよ、私がまだまだ不勉強。まだまだここらの人たちの思惑を理解し切れていないと感じる。

  • すみません。大河待機用です。ミーハーです。ごめんなさい。

  • メモ

    鳥羽院と崇徳院の仲はそこまで悪くなかったという説。重仁は必ずしも後継者から除外されていない。二条天皇とともに、美福門院の養子。

    近衛天皇の死後、重仁と守仁が後継者候補だが雅仁が中継ぎで即位。
    今様に染まり帝王教育を受けていないので未熟
    平氏も正室の子頼盛が清盛の存在を脅かした。

    待賢門院と閑院流(三条・西園寺・徳大寺氏)
    池禅尼は重仁の乳母
    後白河院と信西、藤原信頼(清盛は両方と縁戚)
    二条親政派の藤原経宗(忠実いとこ)、惟方の討伐
    信頼、源氏壊滅で平氏が軍事警察権を独占
    平治の乱後、急激に昇進するが、まだ権力を持てず上皇、天皇両属
    法住寺殿と蓮華王院
    関白藤原基実と清盛の連携、六条天皇即位も後白河は院政をできず
    基実死後、弟基房を抑えて妻盛子の父清盛が摂関家掌握
    白河院の子、摂関家大殿の立場から太政大臣、内大臣
    後白河と近い重盛。時子の妹滋子が憲仁を生むと立場は微妙に。
    頼盛、時忠ら清盛と違う路線をとる平氏一門も
    高倉天皇即位と清盛(出家)、滋子を通した後白河との協調、院政
    清盛の子徳子を後白河・重盛の養女として高倉に入内=新王朝

    時子の長男宗盛は時子・滋子の妹と結婚、清宗を生む。重盛に対抗
    殿下乗合事件は重盛の焦り?
    清盛・時子・宗盛・高倉・滋子VS重盛・藤原成親(・後白河)? 
    清盛は分裂を回避
    滋子の死と後白河との溝、鹿ケ谷事件
    平氏政権下で後白河の独裁が難しく、藤原成親ら近臣の活動が制限
    高倉退位工作、人事分裂、右左近衛大将
    後白河の権力失墜、言仁誕生、重盛の死、宗盛の台頭と平氏家人分断
    治承3年の政変、摂関交代、院近臣解官、後白河幽閉、知行国独占
    高倉院政、安徳即位、厳島詣、以仁王挙兵、福原遷都による新王朝樹立
    源頼朝挙兵、平安京還都、高倉の死と後白河院政復活,清盛娘との結婚
    清盛の死、後白河に甘い宗盛の父の否定と政権の返上
    平家の都落ちと後白河の脱出
    一の谷の戦いの鵯越逆落としは多田行綱
    平氏の滅亡と平氏王朝の壊滅、後白河復権


    血族であってもライバルとなり、彼らの生涯で何度も変わる人間関係がややこしい。清盛と後白河は終生のライバルだなと感じる。ただ、著者の後白河への評価は低い。平氏滅亡時に三種の神器と安徳を道連れにした時子の対応が、後白河王朝の権威を失墜させ、承久の乱の遠因になったという指摘や、性的に徳子を愛していた後白河への徳子の言葉など、妄想的だが考えさせられる部分がある。「平家にあらずんば」と言った時忠の生き残り術は、しぶとくて素晴らしい!

  • 平清盛と後白河法皇の権力闘争を描いた歴史本。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」予習のつもりが、読みそびれていて、2人ともとっくに大河では亡くなってしまった。

    私の中で、院政といえば後白河か後鳥羽か、というくらいにメジャーな上皇である後白河院の生涯を詳しく読んだのははじめて。
    後白河が天皇になったのは偶然であり、帝としての教育は全く受けておらず、政策も人事もかなり行き当たりばったりだったと知り、驚いている。大河ドラマの西田敏行はめちゃくちゃ悪いラスボス感があったのに、そうか、わりと単純な激情型の人物だったのかと感慨深い。

    吾妻鏡をはじめとする、どこまで虚構が混じっているかわからない資料から丁寧に類推される人物像がおもしろい。歴史にたらればがないとはいえ、あの人が死ななかったら、というターニングポイントのなんと多いこと。
    大河ドラマをきっかけに、平安から鎌倉にかけての歴史が、俄然おもしろくなった。

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著者プロフィール

1954年、兵庫県に生まれる。1978年、京都大学文学部史学科国史学専攻卒業。1983年、京都大学大学院文学研究科博士課程指導認定退学。現在、京都大学名誉教授、京都大学博士 ※2022年1月現在
【主要編著書】『平清盛と後白河院』(角川書店、2012年)。『治承・寿永の内乱と平氏』(吉川弘文館、2013年)。『源頼義』(吉川弘文館、2017年)。『源頼朝』(中央公論新社、2019年)

「2022年 『平氏政権と源平争乱』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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