健全な肉体に狂気は宿る: 生きづらさの正体 (角川oneテーマ21 A 41)

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  • Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047100060

作品紹介・あらすじ

生きづらさを、晴れやかに解き放つヒント。「閉じられた心の世界」を打ち破る精神科医と、「身体からの信号」に耳を澄ます仏文学者の説教ライブ。

感想・レビュー・書評

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  • 「人間が精神的に健康である条件」
     ・自分を客観的に眺められる能力
     ・物事を保留(ペンディング)しておける能力
     ・秘密を持てる能力
     ・物事には別解があり得ると考える柔軟性

  • だいたいおんなじいつものあの話。
    まーでも飽きない。

    賢いリスクヘッジをしたと思っている人は、
    無意識的にリスクの多い選択をしてしまうという例えに、
    中古車の話をしている。

    「ぶつけても大丈夫なように中古車を買ったら必ずぶつける、
    だってそうしないと中古車を買った意味がないんだもの。」
    これ至言。

    また、
    人間が「個人」になるプロセスの話が面白い。

    これはラカンの鏡像段階とか、
    先ごろ読んだ「ミラーニューロン」にも近いものがあって、
    産まれた時、
    人は世界全体と溶け合っていて、
    自分とそれ以外という分節をしていない状態にある。

    だから、
    「個人」としての「自分」がまずあるのではなく、
    「全体」としての「自分」が先立ってあるのである。

    それを家族という共同体に置き換えると、
    「私」という個人がまずあるのではなく、
    「○○家の次男(例えばです)」という役割がまずあって、
    そこから徐々に「自己」を立ち上げていくというプロセスを経ているのである。

    釈迦牟尼の「縁起」と「空」という考えも、
    こういった自己生成過程に沿った考えのような気がするなぁ。

    また、
    核家族の閉塞性という話も興味深かった。

    「父」「母」「子」の三項だと、
    関係性や価値観が膠着してしてよくないから、
    「おじさん」乃至は「おばさん」(子と対になる性)を入れて、
    四項にしておくと開放性が保たれて上手くいくらしい。
    これは、あきらかにレヴィ・ストロースだった。

    わたしもよいおじさんとしての地位をなんとか気付きたいものです。

    それにしても内田先生は相変わらずおしゃべりな「男おばさん」である(褒めてます)。

  • 内田樹は好きですが、たまに難しい言い回しで分からないところがありますw 
    自己実現っていう言葉を私語にしてほしいというのは同感。(よく使っちゃうけど☆)もう自己責任とか、自己実現とか、その言葉が一人歩きしてるような気がして。

    キャリアは自分で形成するものではなく、向こうから扉が開かれないと、積んでいけないんだよっていうのはメモしとこ。資格をとってとか、こういうキャリアを積んでとか、そういうのは大事だけど、何より求められているのは、経験やその場で何ができるか、把握する力だから。

    こういう対談って、その空間で観客として聞いてるような感覚が、とても好きで、やはり専門家同士の知識と考え方の交換というのは、大変楽しいものだと再確認どす。

  • 『健全な身体に狂気は宿る』

    日系大企業から外資系企業に転職し、まず聞かれたことが「あなたのDifferentiatorは何か?」ということだった。そして、海外から来た上司や英語話者によって、Differentiatorと強みは同義ということにも衝撃を受けた。差異がそのまま強みになる。あなたにとって何が人と違うところなのかという問いを突き付けられ、あなたにしかできないことはなんですかと聴かれることは初めてであり、爽快だった。本書でも、自分のミッションを考えるときは、自分が他の人とどう違うかということを考えると言う点があり、先述の考えに非常に近いなと感じた。さらに、もう一歩踏み込んで、自分自身の謎があるからこそ、生きる意味があり、何かを創造する源泉があるということは面白かった。常に自分自身への謎を持つことが良い。

    私自身、性別を問わず、好きなタイプの人は一見物静かだが、話始めると熱いという人物だが、そういう人々は、絶えず疑問を持っているケースが多い。あまり疑問を持たないようなところに疑問を持ち、悶々としている。悶々とはしているが、なぜなんだろうと常に謙虚な姿勢で日々過ごしている。だからこそ、物静かに見える。しかし、一見話始めるのは熱いなと感じるのは、彼らにとってその疑問を解消しなければ、動けない、生きていけないような根源的な疑問だからだろう。薄っぺらな仮説とか、ビジネスアイデアとはレベルの違う、この問題を解かなければどうにもこうにも生きていけないという重さで、疑問に立ち向かっている。そう言う人間の熱量が低いわけもないのは当たり前だろう。

    時折、仕事のモチベーションについて考えるときがあるが、やはりそれは疑問なのだと思う。人と話せば話すほど謎が深まり、なぜそうなのかと考えるからこそ表現しようとする。わかり切った仕事はいくら稼げてもおもしろくない。自分自身に置き換えれば、自分はリスク認知度が異常に低いように思う。保険の営業をかけられても常に疑ってしまう。人々が保険に入らない理由を常に考えている。未来はよくわからないし、リスクなんで考えたくもない。リスクシェアをする共同体にわざわざ身銭を切ってい入る価値があるのかわからない。だから、この仕事をしているのだと思う。営業には2つのタイプがあって、自社商品やソリューションを盲信して、その熱量で押し切る人もいるが、一方で、常に自社商品に入る必要があるのかと考え続ける人がいる。前者も後者も強い。前者で上手く行っている人は、自分の熱量で押し切れる人を探すのが上手い。当たりはずれが激しいので、数を打ちまくり、感覚を磨いている。一方で、後者は数を打つことはできない。ただ、長期的に多くの人が納得するような解決策を出せると思う。なぜなら、その商品の要否を誰よりも考えた経験や引き出しがあるから、いかなる質問にも答えられるし、いらないときはいらいないと言うので信頼はされる。(営業としては失敗だが)。しかし、頼られる存在になることで、長期的な関係性は築くことができる。
    とりとめのない話になってしまったが、いつもそうなのだが、内田老師の本は、脳にドライブをかけ、何かを書きたいと思わせる伝染力がある。


    <以下、引用(一部)>
    信仰というのは、自分と言うのは自己決定・自己実現によって主体的に構築したものではなくて、超越者によってこの世界に送り出された被造物であると言う意識のことですから。ぼくが生まれてここにいることも、いつか死ぬことも、僕には選ぶことができない。そのことには何かの意味があるはずだ。自分がこの世に送り出されてきたのはどのようなミッションを果たすためなのだろうと発想するのが信仰ですからね。

    では、私の使命は何かという風に考える人は、自分が他の人とどう同じかじゃなくてどう違うかということを考えますでしょう。これは私以外の誰にもできないことなんじゃないかとか、ここは私以外には誰も行きそうもないところではないか。

    自分自身に対する無知というものがあって、その欠落こそが、いわば創造の泉みたいなものなんですから。
    (中略)人間は自分について「知らない」からこそ生きていける。自分自身の核に無知がない人は、ものを作ることができないんですよ。

    コミュニケーションとは分かり合うこととは次元が違うことなんですよ。コミュニケーションというのは、深まれば深まるほどわからなくなっていく。わからないから「もっと知りたい」と思う。わからない人だからこそ、経緯やイフの気持ちが深まっていく。自分自身についてだってそうなんだから。自分自身と五十何年つきあってきて、ますますわからなくなってきた。(中略)自分が何を考えているかわからないから、本を書いたり、こうやって人と話したりして、自分の考えを知ろうとしているわけでしょ。自分の考えていることを知っていたら、本なんか書きませんよ。退屈で書けません。

  • コントロール願望の強い人というのは、相手と自分の区別がつかないから、自分が思う幸せを相手に強要する。自他の基準が違うということがわからない。

    結婚生活のトラブルというのは、その八割ぐらいは双方の親族が原因で起こるんです。パートナー同士の間で起こるトラブルというのは、ほとんどがごく簡単な話し合いで調停可能だけれども、第三者、特に自分の配偶者の親族が関わっているトラブルというのは調停が難しい。

    #

    上記、本文内より抜粋。

    久しぶりに内田樹さんの本を一つ読んでみようかな。

    と、いう軽い気持ちで読みました。

    精神科医で、色々文筆活動もされている、春日武彦さんとの対談本。
    対談本ですし、読みやすことこの上なく、するすると読了。

    ただ、一冊の本としてはけっこう、不満。

    なんだけど、部分部分面白い。

    話題としては、今はやり?の毒親とか、家族関係、自分探し、などなどについて…だったのかなあ。

    以下、続いて面白かった「部分」の、抜き書き。

    ちなみにタイトルは、すごく雑に言うと、健康がどこか悪い人っていうのは、精神を病むことが少なくて。元気な人のほうが、多いんです、という、春日さんの言葉でした。

    #

    「あなたになんか、私の気持ちがわかるわけない!」なんて絶対に言ってはいけません。そんなこと当たり前なんだから。「私の気持ち」がわかるひとなんか世界に1人もいない。自分だって自分が何を考えているのかわからないのに、他人にわかるわけがない。

     関係を壊すのはほんとうに簡単なんです。50年かけて育んだ愛や信頼だって、壊すのは1秒で足りますから。

    人間が精神的に健康でいられる条件を考えてみると、秘密を持てるということが大きいんじゃないかなと思うんですね。「それは秘密です」とか「それについてはお答えできません」でいいじゃないですか。

    結局、ペンディングに耐えられるかどうかという話なんです。どんどん物事が解決して、答えがすぐに出てくれれば、こんなに楽なことはないんです。「時間」というファクターは想像以上に重いんです。決断できない状況でも、それをある程度時間的に維持することさえできたら、とても解決できそうもないように見えた問題がイッキに決定し強引が成るということは間々あるんです。
    育児を経験すると、即断即決なんてできないことのほうが世の中は多いということがよくわかります。

    「あなたにとって人生の重大事件は?」ということを訊くと、「第1子誕生」というのはかなり上位に来るんです。ところが、第二子誕生っていうのは、四十七位くらいなもので(笑)、ほとんど親に何の感動ももたらさない。

    常識人は決して狂信的にならない。それが常識の手柄なんです。常識に基づいて人を批判しても、徹底的に傷つけることはできないんです。唯一常識だけが、原理主義にならないということが常識の強みなんです。マルクス主義、フェミニズム、キリスト教、間違えると原理主義になってしまう。でも、常識だけはならない。「常識の名において断罪する」ということができないんです。「何かの名において人を断罪する」というのは、常識で考えていかがなものか…と。

    人は愛されなくても生きていけるけど、敬われなければ生きていけないんだ。

    人間が精神的に健康である条件を4つ。
    ●自分を客観的に眺められる能力。
    ●物事を保留しておける能力。
    ●秘密をもてる能力。
    ●物事には別の答があり得ると考える柔軟性。

    #

    一冊の本として言うと、なんていうか、「で、いったいなんだったの?」という散漫な作りが目立ちますね。
    これは編集サイドの杜撰なのか、どうかわかりませんが。

    どうも、曖昧すぎる感じの議論で。

    ほとんど、テレビの時間つぶしのワイドショーの「ご意見番」さんのお話みたい(笑)。

    おふたりのお話が、どんどん、上から目線。
    「俺はこうやってうまくやってきた」「俺はこういう人間だからさ、そういう問題ないのよ」「僕ってほら、ちょっと変わってますからねえ。ふふふ」「俺達みたいに若い人はなればいいのになあ」みたいな、醜悪この上ない自慢話になってきたり…。

    面白い部分は面白いんですけど、あまりに作りが雑。

    対談本なんだから、テーマの設定の仕方とか、持って生き方とか、編集の仕方で、「ここまで酷い本にならなくできるんちゃうか?」と思ってしまいました…。角川ONEテーマ21っていう新書シリーズなのかな…チョット今後、気をつけようっと…。

    内田さんも、春日さんも(春日さんの本って読んだことないですが)、初めて読む人がこの本に当たらないことを祈ります(笑)。

  • この二人って本当に気が合っているのかなあ、という疑問が。
    まあ終始穏やかで大人の対談なんだけど。

    内田樹はあくまでフィジカルで、
    且つ文学者、しかもフランス文学だから、
    感覚的なものを信じている。
    一方で春日武彦は闇を抱え、
    冷静にロジカルに物事を捉えている、
    といった印象。
    全体的に推す内田樹に対し、
    春日武彦は少し引いている。
    職業柄そういう話の仕方が癖なのかもしれないけど。

    『健全な肉体に狂気は宿る』というタイトルは実にアイキャッチで
    私もタイトル買いをしたクチなのだが、
    これには私が感じたような文学的意図はなく、
    本当に読んだ字のままでした。
    なので期待が裏切られたがっかり感も。
    でも、体が弱っていくと精神は健常になっていく、というのは面白い。
    狂気というのはある種動物的には余剰の現象という事実。
    若干タイトル負けしている感はなくはないが、
    引用するのも理解できる行(くだり)。

    でもね、内田樹は嫌いではないけれど、
    フランス文学を読んでいるのでそれなりの機微はわかるんだろうけれど、
    基本太陽の下で肉体を鍛えている人には、
    現代に生きづらさを感じている人たちの病みはわからないんじゃないかなあ。
    まあ昨今はただの甘えも多いようなので、
    そういう時には内田樹論のような考え方も必要なのは絶対だけど。
    春日武彦は、まあ自身が病んでいる(た)人なので。
    やっぱりそういう人が精神科とか神経科医を目指すのかも。

  • 感想
    「カテゴライズはやめましょう」と言っていながらたびたび「若者は」とか「明治時代の人の方は」とか言っているのが非常に気にはなったが、全体としては「確かに」と思うことが多かった。
    病の状態の人を「優先順位が明らかに異常な人」と定義していたのには納得できたし、著者の言葉の使い方がさすがに文学部教授というだけはあるなと思った。

  • 2022/05/12
    個人的にモヤモヤしてたことがそうか…って腑に落ちたりした。対談だから読みやすい。
    読んでよかったー。

    ・「常識は原理にならない」っていう文章が特にそうかぁと思ったしすごくよかった

    p.138 『規制力はあるけど攻撃力は小さいし、権力的になれない。これは人間を動かすときに非常に
    有効な手段なんですね。言いたいことは言えるけれど、相手の立場もちゃんと確保してある。
    常識的な人間というのは、だからすごくいいんですよ。人を徹底批判することがないし、罵倒したり愚弄したりすることもない。だって、そんなの「常識的じゃない」から。「そんなに人を責めるなんて、非常識じゃないか」と言えば常識人は絶対黙りますから。
    春日 たしかに、わたしが思者と話していても、結局のところ、常識なんだからうまくやりなよ、という話にいくわけですもんね。ただ、常識というのを「思考停止」だとか、「長い物には巻かれろ」的ないい加減な発想だというふうに取りたがりますから、そうじゃないんだということをいかに伝えるかという問題なんですね。
    内田 あらゆるものが原理主義になる可能性がある中で、唯一常識だけが原理主義にならないということが常識の強みなんです。マルクス主義にしても、フェミニズムにしても、キリスト教にしても、間違えると原理主義になってしまう。でも、常識だけはならない。「常識の名において断罪する」ということができないんですから。「何かの名において人を断罪する」というのは常識的に考えていかがなものか……というふうに考えちゃうのが常識人なんですから。』
     

  • それぞれの著書を読み漁った後出会ったのでとても興味深く、スラスラ読めた。対談ならではのテンポのよさ、会話から思考が生まれる様子がよくわかる。生きづらさについて、心と身体の関係性、日頃から思考することの多い話題に触れており、最後まで興味深く読めたし心に残る部分も多かった。価値観のアップデートに役立った。

  • これもオーディブルで聴いてみました。my心のメンター、内田先生と、結構興味深い本を書くなあ、と注目している精神科医春日武彦さんの対談本。
    どちらもそれぞれ面白い方なので、どんなに話が広がっていくのか?興味があったんですが、あまり盛り上がってはいないかな?という感じ。
    だけどいくつか印象的だった話もあって「十字架のペンダントの効用」という話はなかなか興味深い。
    ペンダントを首からぶら下げるという事は、常に大地に対して垂直に向かっているものを身体に身につけている、という事なんですね。つまり、自分が大地に対して(地球の重力に対して)まっすぐ立っているのか?またはずれているのか?それを測るための基準になるというんですね。やはり姿勢は出来れば良いに限りますしね。なるほどなるほど、と思いました。基準がないと自分がどんな姿勢で立っているのか?わかりませんからね。
    それは精神的なものに置き換えても考えられるだろうなあ、と僕は考えました。心の基準となるもの、それはある人によれば今週のテーマである習慣とかルーティンかもしれないし、ある人にとっては宗教的信念であったり、または哲学であるのかもしれない。
    まあ、完全なる基準というものはあるのかはわかりませんが、心の中の十字架のようなものを持っているのか?暫定的であっても、そのような基準を持っているのか?いないのか?結構違ってきますよね、生きてる実感みたいなものが。
    というような発想が生まれたりするので、前述した通りイマイチですが、ところどころ役立つ一冊でもありました。
    2017/04/08 15:12

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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