女は何を欲望するか? (角川oneテーマ21 A 79)

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  • Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047100909

作品紹介・あらすじ

フェミニズムは正しい。でも間違っている。なぜフェミニズムは歴史歴役割を終えたのか。

感想・レビュー・書評

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  • 2023093000
     再読 カードに抄録

  • 7/10点。
    難しい部分があるので8点はあげられない。

    特にフェミニストの言説を引用するなら丁寧に翻訳して。

    傷つくという体験を共有し、その傷を被害者という特権的な地位を獲得した根拠にするということはよくわかった。
    でもその構図を採用し続ける限り、フェミの方々ひたすら男社会から傷つけられ続けないとフェミの立場を維持できないという構図になっているのは不幸と思う。
    俺は、女は、男性の性的な側面を適切にかつ暴力的に消費できるだけの能力を持っていると思う。男なんか、商品にしちまえばいいじゃんと思う。経済的な理由で女がそれをできないのならそうできるような社会を作るべきだと思う。
    他方で、誰も対象化され消費されない社会なんてありえないので、性の対象化や商品化そのものをネガティブに評価することに意味はないと思う。男女差を埋めるだけにしとけよ、と。

  • 読了。面白かった。タイトルは、図書館で予約して貸し出したときは少し恥ずかしかった。難しい話だった。私の理解は30%ぐらいかもしれない。映画エイリアンは機会あれば見直そうと思った。

  • 生態学的にも競争を避けるのが大切ということがわかりました。
    無反省な読み手にはなりたくない。いろんな意見を持つ先達に会って自分の答えを日々出し続けて行きたいね。
    エイリアンにこんな深い意味があったのか!商業的に成功しなければ行けないものって、世間の深層的なニーズをなぜかとらえているんだね。それは矛盾したメッセージをそのまま同時に伝えていて、超多様な読み筋を見いだせる物語なんですね。単一なスタート→ゴールのお話はつまんないったらないね。

  • フェミニズムはマルクシズムと同様、「理論の過剰適用」によって人びとの支持を失うことになったと著者は考えます。「フェミニズム言語論」と題された本書の第1部では、ショシャナ・フェルマンというフェミニズム文学批評の研究者の仕事などを参照しながら、フェミニズムの観点からテクストを裁く態度は、テクストという場において他者との出会いを待ち受ける姿勢からは程遠いものだということを論じています。

    「フェミニズム映画論」と題された第2部は、著者の十八番ともいうべき『エイリアン』分析が展開されています。『エイリアン』の中に込められた性的メタファーを読み解きつつ、ジェンダーにまつわる人びとの無意識の反映を「発見」していく著者の批評的実践は、「検閲」に終始する態度とは異なる、フェミニズム批評の豊穣性を受け継いでいくためのヒントを提供してくれているように思います。

  • 何だかいやらしいタイトルなので登録するのも気が引けますが、真面目なフェミニズム批評です。内田樹の著作の中でも読むのが難解な部類に入ると思いますが、それは内容も然ることながら、僕(あるいは僕の世代)が、フェミニズムという思想に対する実感があまりにもないせいだと思います(まあそれでも内容は大筋は理解できたかなと思う)。
    ”矛盾するメッセージを矛盾したまま、同時に伝え、読みの水準を換えるたびに、そのつど別の読み筋が見いだせるような物語は「質の高い物語」である。”(P182)という箇所が特に重要だと思いました。
    全能感(のような錯覚)をもたらすような(抑止のない暴走する)思想は廃りも早いと、フェミニズムに対して手厳しい評価を与える一方で、その一定の意義にも言及するあたりは、著者の深い優しさを感じました。

  • フェミニズムの議論は幅広い。本書では、フェミニズムの一部の議論を取り上げて、痛切な批判を展開している。とはいえ、読後感は悪くない。筆者が述べているように、フェミニズムへのシンパシーが通底にはあるから、なのだろう。当たり前の批判を、当たり前に言うことそのものが難しい場合がある。本書は、その意味で、当たり前の批判を正攻法で述べただけ、でもある。が、そんな態度は(決断主義的なキライはあるけれど)悪くない、と思った。

  • 俗っぽいタイトルとは裏腹に内容は学術的な雰囲気が漂っている。女として語ること、女として読むこと、特に日本語という言語の中ではこの二つ困難であることはフェミニズムだけでなく、日本人が日本人として生活してきた固有の眼差しが男性観と女性観に影響を及ぼしているのでないか、と思った。後半のフェミニズム映画論で紹介されているエイリアンの解説も面白く、自分の性を考えるのにもよい契機になった一冊。

  • 挑発的でキャッチーなタイトルに騙されてはいけない。
    これは超高度なフェミニズム論、哲学論である。

    哲学に馴染みがない人(=俺)には敷居が高いが、
    これほど哲学を噛み砕いて書ける学者はいないと思う。
    こういう人は哲学界では本当に貴重。

    あとがきから読み始めれば
    作者のイイタイコトがつかみやすいかも。

    ---

    「『女だから』という理由で、その社会的能力を軽んじてはならない」という主張に私は同意する。けれども、それを「社会的能力は性差に優先する」と読み替えることには同意しない。

    ---

    この作者の価値観が
    本書の根底に流れる思想であり、
    自分のもっとも共感した部分であります。

    フェミニズム以外にも、ヘーゲル、レヴィストロース、
    フロイト、バルト、マルクスetc..
    哲学のエッセンスをギュっと凝縮。

    第二章の『エイリアン・フェミニズム』、
    「エイリアンはフェミニズム映画だ!」という論考は
    真面目に読んでも穿って読んでも楽しいです。
    俺は爆笑しました。

    哲学の楽しさを教えてくれる本。
    哲学への取っ掛かりに、いかがですかい。

  • 14歳の子供を持つ親へのテンションで読んだら、難しくて、やっぱり学者さんなんだなと感じた。
    フェミニストに対して批判的な立場をとっている、内田さんのジェンダー論、フェミニズム論。
    とても面白かった。

    上野千鶴子などの強硬なフェミニストに対して、自分も女ながらになんとなくもやっとしたものを感じていたもやもや感を言い表してくれたような本。
    とまで言うとほめすぎかもしれない。
    だってこの本難しくて、内田さんの言いたいことの6割くらいしかわからなかったから…。

    しかし、彼のフェミニストに対する視線はなんだか温かい気がした。
    女性が女性というだけで虐げられ抑圧されている現実を、女子大の教授である内田さんは感じており、不憫に思っているのだろう。
    私がこの著作から学んだことは以下の視点である。
    「女性が自分らしく生きる権利を主張することはおかしくないし、どんどんやるべきである。
    しかし、自分が被害者という強い立場に立つことで、まるで水戸黄門の印籠をもって乱用しているような女性はそれゆえに女性の権利を狭めている。」
    そして、ここまでは言及していなかったが
    「女性ということにとらわれすぎずに、やりたいことやれば?」
    と言われたような感覚がした。
    だから、なんとなく温かいフェミニズム批判だなぁと感じた。

  • 内田先生のジェンダー論は、
    だいたい読書論に行き着く印象です。

    学術的な内容なので、
    エッセイを期待している方は残念でした。

    でも、
    こういった難しいもののほうが、
    彼のメンターっぷりが十二分に発揮されているため、
    とても貴重な読書体験ができると思います。
    読み終わった後の、
    少し見晴らしの良くなった自らの視座にびっくりすることでしょう。

  • 理解しきれないが、自分の男女の性差に対する強固な思い込みに気づけたのは大きい。
    分かつ部分があることを知ってるだけじゃないか。

  • 何故フェミニズムが衰退したのかについて、内田樹が冷静に論じた本。映画「エイリアン」からアメリカにおけるフェミニズム意識の変化を考察するなど、視点が面白い。

  • フェミニズムについて、真面目に語っている。ちょっと難しく馬鹿の私はゆっくり読んだ。前半のフェミニズム言語論は、納得できる部分は少ない(馬鹿なので)が、深く納得できる。面白かった。後半は極めて読みやすくテーマが手頃でよい。論題も全然ちがう。

  • 前半はフェミニズム言語論について、後半はフェミニズムの主張などについて。

  • フェミニズム批判。いまいちしっくりこない。理解できないのは理解したくないからなのだろうか。『エイリアン』評は面白かった。

  • 極端なフェミニズムには論理的な矛盾があることを、言語論、読者論といった視点から指摘。映画のところはわかりやすかったが、言語の部分は少々難しかった。

  • フェミニズムは正しい。でも間違っている。なぜフェミニズムは歴史歴役割を終えたのか。

  • 内田氏の屁理屈(!)は好きですねぇー。合気道の師範代の方ですので、身体と精神の関係を語るのがとてもうまいです。私はよく眼からウロコが落ちます。
    フェミニズムの話なので興味がなければとっつきにくいかもしれませんが、後半のそれを映画「エイリアン」と絡めた話は、かなり面白いです。私は「エイリアン」見れませんがこれ読んで、音声消してだったらちょっと見てもいいかな、と思ったくらいですから。
    (スプラッターホラー系は大っ嫌いなんです。絶対見れないっす。(T^T))
    氏のブログもかなり面白い。
    →「内田樹の研究室」http://blog.tatsuru.com/

  • グエ、って感じ。こ、濃いよ・・・。久々の新書で頭がショートしかけました。読書は、特に論説系は離れたらいけないわ・・・。

    「いかにして男性社会の中で女性の文化を作っていくか」、辺りで仮定法で進められていく理論に何度頭を悩ました事か・・・
    一部抜粋すると、

    「女性の文化を作るにしても、男性社会の教育を受けた女性は男性的なやり方でしか組み立てていく事が出来ない。
     最たる者が文字であり、今私達が使用している文字もまた、かつては男性しか使えなかった男性社会の産物だ。
     とすると、女性が新たに女性の文化を作るためには男性社会の文字から脱却しなければならないのではないか」

    ・・・という感じ。これを理解するのも一苦労でしたわ・・・ホントに鈍ってる。
    そんな感じで論理が進んでいって、最終的には比べようとする事自体が男性社会のモノサシで計ってる。ひとりひとり、男性も女性も比べる事無しに考えていこう・・・という感じ。私の解釈が間違ってなければ。

  • タイトル買い。自分が何を欲望するのか知りたくて。でもフェミニズムの本だった。結果的に悪くはなかったものの、もう少し内容を確かめて買わなくては・・・0805

  • 大学でフェミニズムを勉強しようと想って読んでみた。「これが新書か?」と疑うほど濃い内容だった。

  • フェミニズムに対し「歴史的役割を終えた」と一刀両断、その終えた理由について考察をめぐらす一書。とくに「女として読むこと」「女として語ること」の論理的困難について、非常に説得的な筆致をもって分析を加えている。

    「ある社会がラディカルな改革を必要とするほどに過度に抑圧的であるならば、社会改革の企てはなかなか成功しないはずである(あらゆる社会制度がことあるごとに改革の企てを妨害するからだ)。逆に、社会改革が順調に成功したなら、その社会は、言われていたほどに抑圧的でなかったということになる。…社会改革の理論家たちは、その主張がラディカルであればあるほど、あらゆる改革の試みが失敗することをこそむしろ切望するようになる」(p93)という一種の逆説に、非常な説得力を感じる。

    また「その起源が知られておらず、それを構築した主体を特定できない制度については、私たちはその制度を改廃したり、異議を申し立てたり、壊乱したりすることはできない。私たちにできるのは制度を増殖させることだけである」(p142)ってのも、うーむなるほどと思ってしまう。フェミニズムが男性優位に対し異議を唱えれば唱えるほど、実はその制度をより強化し、より巧妙なものにしてしまっている、という事なのだろう。

    じゃあ、女性差別に対してはどうすればいいのか。

    内田は「『女だから』という理由で、その社会的能力を軽んじてはならない」という主張に私は同意する。けれども、それを「社会的能力の差は性差に優先する」と読み替えることには同意しない」(p218)と記す。性差・性秩序の無化が不可能であることを知り、社会のひとつの人間的価値のものさしとして利用していこうということなのだろう。

    たとえば「女性だからわかる気遣い」みたいなものさしがあるとする。そのものさしに対して「女性を〈気遣いができる性別だという固定観念〉に押し込めている!」と糾弾せずに、それが社会にとって有用であるならば生かしていけばいいじゃない、っていうことなんだと思う。そしてそのものさしを常に吟味していくしかないっていう態度には、僕も同意したいと思っている。

  • 非常に刺激的なタイトル。

  • 内田樹の新刊、というだけで買った本。で、買って初めて分かったのは、これが「かなり学術的なアプローチによるフェニミズム批判(筆者)」の本であるということである。非常に困った。だって、そもそもフェミニズムって何?っていうことを、ほとんど知らないのだから。なんだろう、サッカーを知らない人がサッカーの戦術論の本を買ってしまったような感じだろうか。サッカーのルールを知らない人が戦術本を読んでも仕方がないのと同じで、フェミニズムの基本的な理解に欠けている人間が、それのやや学術的な論考を読むはめになってしまった、ということだ。従って、感想はない、というよりも、内田樹が何を議論しようとしていたのか、理解できなかった、というのが感想ということになってしまう。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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