息身佛 そくしんぶつ ただ、息をする。ただ、生きる。 角川SSC新書 (角川SSC新書 136)
- 角川マガジンズ(角川グループパブリッシング) (2011年11月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
- / ISBN・EAN: 9784047315594
作品紹介・あらすじ
曹洞宗の大本山・總持寺貫首を務めた高僧、板橋興宗禅師が、「本当のいのちの生かし方」と「息をすることの大切さ」を説きます。海軍兵学校での生活、戦後、肋膜炎を患い長期入院、4年遅れての大学進学、自尊心が傷つきノイローゼになった大学時代、生き返った禅寺での共同生活、曹洞宗に得度、師匠を裏切り8年間放浪修行、禅師となってからの夢など、自身の経験を通して、足るを知ること、グチグチ考えないこと、呼吸の大切さを紹介しました。がんを患って20年、「生きる意味」について悩み続けた禅師からの魂のメッセージ。
感想・レビュー・書評
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板橋老師は井上義衍老師とも関わりがあるようですね。禅初心者にも気軽に読める本です。
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人柄が伝わってくる。
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2015年1月読了
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インタビュー形式で読みやすかった
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読みやすい。著者の人生が面白い。万年床のぐうたら生活を正すために禅寺へ。それからも紆余曲折、猫好きで、猫に教えられると言う。同感です。動物は本当に生き方死に方を、教えてくれる。
*「じぶんは今のままで十分足りているんだ」ということを身体でわかることが大切。頭の中で「自分は足りている」と理解するのは、所詮、屁理屈の世界なのです。
*今、見えている。感じている。そのすべてが事実であり、「今ここ」に反応していることが、命そのものです。痛いは痛いまま。シャクにさわったならばシャクにさわったまま。悲しいは悲しいままでいいのです。それなのに言葉で考えることを覚えた人間は、言葉で作り上げた世界と、身体の実感の世界が分離してしまう。これが悩みのもと。
*例えばお茶を飲んだ時「渋みがあって、おいしい」とか言います。これは頭でお茶を飲んでいるのです。「渋みがあって」と頭で判断する前に、お茶を一口飲んだときにからだが感じた「おいしさ」があるはずなのです。その出会いの事実こそが命なのです。
*私たちが見たり感じたりしているものは、その時、その場の出合い(縁)によって生じ、そして消えているだけ。この世には、絶えず新しい「今」が生まれ、生まれた途端に消えていく。それなのに、変化するものに執着するから悩みが出る。言葉で考えた世界と現実の差が悩みとなる。
*風鈴は東西南北の風を問わず、その時その場の風邪の流れに従ってチリーンチリーンと反応します。この、何事にも囚われず変化する様子を「空去来(くうこらい)」と言います。ちょうど空気のように、自由自在に変化し、痕跡を残さず、さらりと形が変わる様子を、仏教では「空(くう)」と表現するのです。
*言葉は「言霊」、言葉にしてしまうと、思いが増幅されて、それが自分に還ってくる。「言刃(ことば)」だと思います。グチグチいい続けることで、今、この瞬間をいきている大切な命を、言葉の刃で傷つけてしまうのです。そうしなためには「愚痴をグチらない」ことです。
*「無心 無心 大無心 息身仏 からだがわかってる ありがとさん」
息身仏とは今この瞬間の呼吸している身体がすでに仏さんだということ。頭で考えるなということです。「即身仏」は仏教用語にありますが、私はもっと具体的に「息身仏」としたのです。 -
リラックスして読める、坊様のお話。