- Amazon.co.jp ・本 (333ページ)
- / ISBN・EAN: 9784047912243
作品紹介・あらすじ
西暦2005年、大地震に見舞われたサンフランシスコのベイ・ブリッジは無数のホームレスたちに占拠され、人々はエイズ治療の秘儀を肉体に秘めた救世主を崇拝していた。VLを盗み追い回される女情報配達人シェヴェット、それを追う元警官ライデル、倒壊した橋で赤瀬川原平の「超芸術トマソン」を研究する人類学者・山崎…。近未来の都市風景を透視し、最新テクノロジーの行く末を予言しつつ、そこにうごめく人間達のドラマを見事に描ききった、待望の最新長編。
感想・レビュー・書評
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サイバーパンクの旗手、『ニューロマンサー』の著者の長編。しかし、そのような神話はとりあえず外したほうがいいと思う。この作品の主人公は橋であり、サンフランシスコである。
「境界的な空間である橋に周縁的な人口が流入し、勝手に増設や補強工事を行うことで、橋が半恒久的な定住性を帯びてしまう」この橋はサンフランシスコ・ベイブリッジ。作中ではフルトン・ストリート(P.104)やヘイト・ストリート(P.142)などという名前も出てきて、考えてみるとSFのなかではあまりお目にかかれない名前なのでニヤついてしまう。
橋はこのように形容される。
「橋の鉄骨と、撚りあわされた腱を被覆しているのは、さまざまな夢の付着成長物だ──刺青パーラー、ゲームセンター、ぼろぼろの古雑誌が並ぶ薄暗い陳列台、花火売り、釣り餌屋、賭け屋、立ち食い寿司、無免許の質屋、漢方医、理髪店、酒場、こうした商業の夢は、むかし車両交通にあてられていたデッキに集中している。その上にはもっとこみいった街区が、無数の住民と、もっと私的な幻想ゾーンを宿して、ケーブル塔のてっぺんまで伸びている。」
「夜になると、橋はクリスマスの飾り電球や、再利用のネオンサインや、たいまつの光に照らし出され、奇妙な中世的エネルギーがそこに乗り移る」(P.70)
「なにかの計画に合わせて作られたものはひとつもないように見える。ショッピング・モールとはそこがちがう。モールでは、それぞれの区画に店を割りふって、ようすをながめる。ここではどの店も勝手気ままに生えてきたようだ。ひとつのものの上にべつのものがつぎたされていくうちに、ひとつの径間(スパン)が出たとこ勝負の物体の塊に包みこまれてしまう。おなじものはどこにもない。どれを見てもちがう材料が使われ、どの材料も本来の目的とはちがった使われかたをしている。」(P.180)
橋がこのような構造物になったそもそもの契機は地震によって封鎖されたベイブリッジを老スキナーをはじめとするホームレスたちが占拠したことだった。スクワットとしては最大規模のものだろう。
日本から来た大阪大学の研究者、山崎は「近代的なものが、橋の上では終わった」と考える。中世的と表現しているのと同じことを表現していると見ていいだろう。阿呆舟、聖月曜日、このようなものがあればますます素晴らしいが、無いものねだりはやめよう。
いっぽう、ゴールデンゲートパークはわびしい反対運動ののちに民営化されてしまっている。小説の舞台は2005年だが、宮下公園のナイキ化ということが先行して起こっていたわけ。公的サービスをひたすら破壊するアメリカの状況から「外挿」すれば、必然的な帰結とも思われるものだろう。
ギブスンは謝辞の中で、「公共スペースの私有化」について関心を寄せている。本書を書く際に参考にしたという『クォーツの都』City of Quartz(1990.未訳)の著者マイク・デイヴィスは、ウィキペディアによるとネオリベラリズムに反対する都市論を展開する社会学者。訳書には『要塞都市LA』『自動車爆弾の歴史』など。ちょっと面白そうではないか。
山崎は「橋」を巨大なトマソンにたとえるが、その際「トマソン」という用語の歴史的起源として、元ジャイアンツの助っ人トマソンから始めたのはさすがにギブスンだなぁ。「彼は一九八二年に、高給で迎えられて、読売ジャイアンツに入団しました。やがて、彼のバットがボールに当たらないことが判明しました」。
もはや「トマソン」と聞いても赤瀬川原平の超芸術の方しか思い浮かべないんだが、そういえば昔はオレもあいつのことを「扇風機」と呼んでいたな、懐かしい。
物語そのものは、わりと単純な追っかけっこなんだけど、そっちの方でギブスンにあまり凝ったものを期待しても仕方ない。僕にとっては「橋上文化」を味わうことが最大の目的だったし、それには十分こたえてくれた。
最後にはサンフランシスコのバイク便で働く橋の上で暮らす少女やハッカー集団が、サンフランシスコを再開発から守るため一発仕掛けることになる。意味ありげに手渡された武器が未使用のままに終わるのだけれど、ここは『ニューロマンサー』っぽい。こういうギブスンは好きだ。
橋はギブスン原作の映画『JM』で、背景の一つとして用いられているようで、ちょっと再見してみようかな。初見ではバーチャルグローブを使ったハッキングのかっこよさにやられて、そこしか覚えてなかったりするので。
この橋上文化からギブスンを読み込んだ評論はないかと思って検索してみたら、巽孝之の「橋からサンフランシスコが見える――ウィリアム・ギブスン「バーチャル・ライト」またはポスト情報都市の文学」というのがビンゴっぽいんだが、これ収録されてるのが月刊『地域開発』という雑誌のバックナンバーで、財団法人日本地域開発センターから出とるらしい。
こんなもん近くの図書館にあるのかなぁ。
とりあえず、ちょっとした橋ブームが来て、橋SFアンソロジーとか無いものかと考える。この作品の原型となったギブスンの「スキナーの部屋」と伊井直行の連作短編集『濁った激流にかかる橋』から一篇というのは確定。 -
089.初、並、カバスレ汚れ、帯付。