- Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
- / ISBN・EAN: 9784047914117
作品紹介・あらすじ
老人は語る。朗々と歌い上げる民謡に想いを込めて、時には笑い、時には涙を流しながら、自らの過去を語る。地主の放蕩息子はバクチに身を滅ぼし、親を亡くし、国民党軍に徴用される。飢えと戦闘の中で命を取り留めながら、解放軍の捕虜となり、ようやく家に戻れば降りかかる数々の病苦と災難…。その苦しみは想像をはるかに超えて苛刻だった。しかし、その人生を語る老人の姿は魅了されるほどに潔い。四十数年の時を経た今、老人が口ずさむ歌には、生き続けることの意味が重く響いている-。中国で二十万部を超えるベストセラーとなり、香港、台湾に続いて欧州各国で翻訳出版。世界的名匠、張芸謀監督により見事に映画化された。今もっとも高い評価を得ている現代中国の作家、余華の傑作、待望の本邦初訳。
感想・レビュー・書評
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著者、余華さん、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。
---引用開始
余華(ユイ・ホア、Yu Hua、漢字日本語読み:よか、1960年4月3日- )は中華人民共和国の作家である。
---引用終了
で、本作の内容は、次のとおり。
---引用開始
老人は語る。朗々と歌い上げる民謡に想いを込めて、時には笑い、時には涙を流しながら、自らの過去を語る。地主の放蕩息子はバクチに身を滅ぼし、親を亡くし、国民党軍に徴用される。飢えと戦闘の中で命を取り留めながら、解放軍の捕虜となり、ようやく家に戻れば降りかかる数々の病苦と災難…。その苦しみは想像をはるかに超えて苛刻だった。しかし、その人生を語る老人の姿は魅了されるほどに潔い。四十数年の時を経た今、老人が口ずさむ歌には、生き続けることの意味が重く響いている-。中国で二十万部を超えるベストセラーとなり、香港、台湾に続いて欧州各国で翻訳出版。世界的名匠、張芸謀監督により見事に映画化された。今もっとも高い評価を得ている現代中国の作家、余華の傑作、待望の本邦初訳。
---引用終了
本作は、1940~60年代を生きた人物が主人公となっており、なかなか興味深いものがあります。
当時の中国は、国共内戦、大躍進、文化大革命がありました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
淡々と活きるしか
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地主の息子である主人公は、博打で土地、家などの財産の全てを失った。残されたのは両親と妻と娘。働きもせず、妻に酷い仕打ちをし続けた主人公もついには心を入れ替え真面目に働き、家族を愛するようになった。飢饉や社会情勢の変化により、度々食うに困る事も。家族が増える喜びもあれば失う絶望も繰り返される。もう立ち直れないのではないかと思う別れを重ねても、それでも主人公は、静かに生き続ける。その姿にただただ圧倒された。
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裕福だった徐家の一人息子・福貴。彼は彼の父親と同じく若いときに無茶をしたおかげで無一文となり、そのせいで母親にも、妻の家珍にも、はたまた子ども鳳霞と有慶にも、貧乏による苦労を味わせてしまうことになる。突然の兵隊狩り、食べ物が全く無い状況での生活、文革。息子・有慶は県知事の嫁の命を助けるため大量の献血をして命を落とし、また幼いときに高熱を出し耳と口が不自由になった娘・鳳霞も、やっとのことで婿である二喜と幸せになれたと思ったところ、自身の出産で命を落としてしまう。妻の家珍も婿の二喜も孫の苦根も、みんな自分より早く亡くしてしまい、一人残された福貴。彼が歩んできたこれまでの茨の道を、民間歌謡の採集にやって来た一人の男に聞かせる。
"生きる"、"生きている"という実感が湧きにくい現代とは真逆。そこにはただ"活きる"ことを目的とした人々がいる。なんのために生きるのか、ではなく、生きるために生きる、ただそれだけだ。その考え方は、背景の全く異なる現代社会に投げかけられた、人間とはそうあるべきだという一つの真実なのではないか。 -
寝るのも忘れて泣きながら朝まで読んでしまった。世の中には、必死で活きている人がいる。生きたくても生きられない人もいる。日本で豊かな暮らしをしていると忘れてしまいがちな大切なことを思い出させてくれる本です。
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原題が「活着(活き続ける)」である意義が、小説を読んでより分かった。
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上の本の日本語翻訳。オリジナルの臨場感を邪魔しない翻訳は絶品です。中国語、中国の根深さを知らないわが母でも一気に読み終えたということはやはり話しが面白いということでしょう。これでもかこれでもかと起こる不幸の中で、何とか生きていく家族(と言っても家族も減っていくのですが)の姿を描いた小説。ありえない!と思ってもやめられず読んでしまいます。