- Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
- / ISBN・EAN: 9784047915060
作品紹介・あらすじ
インターネット検索エンジンのグーグルが、何十億というウェブページから、探しているページをピンポイントで発見できるのも、精密な選挙結果の予測ができるのも、株式市場が機能するのも、はたまた午前二時に思い立ってコンビニで新鮮な牛乳が買えるのも、それはすべて「みんなの意見」、つまり「集団の知恵」のたまものである。一握りの権力者たちが牛耳るシステムの終焉を高らかに謳い、きたるべき社会を動かす多様性の底力を鮮やかに描き出す、全米ベストセラーがついに上陸。
感想・レビュー・書評
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体感的、経験的には「みんなの意見」が正しい事をある程度、私も知っている。関連する本でも読んだ。しかし、本著で述べられる潜水艦の位置や雄牛の重さを皆で当てるような「正しさ」には答えがあるから、答え合わせが可能だ。そうではない議論の場合、「正しさ」はどこにあるというのか。本著の盲点は二つ。一つは、答えがある問いに対し、大衆が答えに近付いていくメカニズムを解き明かしてはいない点。もう一つは、「正しさ」を定義していない点。
考えられるのは、議論に関与する人数が多く、より多くの人の意見が反映される議論の場が成立しているならば、気付きの数が増える分、全体利益に結びつきやすいという事。立場により利益が異なる場合でも、議論に参加する事で納得感が得られるならば、より「正しさ」に近づくのだろう。つまり、「正しさ」とは答え合わせが可能な範囲では、その経済合理的な最適解を。答え合わせが難しい場合は、大衆の納得感を指しておくのが良さそうだ。それなら数多く議論した方が、正しい方向に導かれるではないか。
経済学者ハーバートサイモンは、私たちは有限の合理性しか持ち得ない存在であると言う。限定合理性による判断を持ち寄って、全体利益っぽい決め事をする。個々のモチベーションは、自己利益の追求と最後通牒ゲームのようなフリーライダーを罰する心理的動機による。
経済合理性という言葉も範囲が不確かかも知れない。つまり、種の保存可能性を最大化する結論が正しさであり、後は、同種の範囲を自我の赴くままに規定していくのだろう。国、民族、ファミリー、会社、など。その国の正しさは、他国には不利益で大間違い、なんて日常茶飯事。それに対して、独裁でも民主主義的手続きであっても、答えなんて簡単に出ない。そこには、立場を選ばない限り、正しさが無いのだから。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
みんなの意見が専門家の意見よりも優れることを例を出しながら話す本
条件はあるが専門家よりも正しい意見を出せるというのは興味深い。一方で集団として賢い判断をするための条件の難しさもわかる。
賢い判断のためには
①意見の多様性:独自の私的情報
②独立性:他者の考えに左右されない
③分散性:身近な情報に特化し、利用する
④集約性:個々人の判断を集計し一つの判断に集約するメカニズムの存在
個人の回答の情報と間違いのうち間違いが相殺され情報が残る
できるだけ多くの選択肢を列挙し、そこから選択する
認知的多様性、調達先、アプローチ
大量の敗者を排出できる能力、敗者をはっきりさせ速やかに淘汰する能力
集団思考:異なる意見が合理的にありえないと思わせる
情報カスケード:情報不足の中で判断が積み重なる
賢い模倣①潤沢な選択肢②自分の意見を優先させる人の存在
個人が専門性を通してローカルな知識を入手、集約して集団全体に組み込む
認知の問題:個々が影響しない、調整の問題:個々の利益追求で解決可能、協力の問題:周りの人を信じる姿勢が肝要
信頼から手に入れられるメリットが非常に大きい
税金①周りの人の支払いの信頼②政府の使用法の信頼③悪を罰する信頼
議案が明確で、参加者全員が発言できるようリーダーが振る舞うと議論がいい方向に向かいやすい
権限の分散化により①関与度が高まり業績が高まる②調整がしやすくなる -
我々は有限の合理性しか持ち得ない存在である(ハーバート・サイモン)
家畜の重さ、スコーピオンの位置、チャレンジャー号の事故に関するエピソードからわかるように、適確な意思決定には意見の多様性が不可欠であると思います。
今は、基本的に一人で明細書を書いています。一人といっても、技術者に書いて頂いた原稿を基にしています(実施例などの実験は書けないので)。
現状の業務形態では、できるだけ他人に頼らずに一人で多様性を維持する必要があります。そのための工夫として「一度書いてから時間を空けて見直している」や「技術者の方とできるだけ口頭での議論をする」などを行っています。今のところ、自分にできそうなことはこのくらいでしょうか。
後は、経験だと思います。ただし、これから30年パテントエンジニアを続けるとして、1ヶ月に3件提出したとしても、たかだか3×12×30=1080件にしか対応できません。
時間の制約はありますが、1件1件魂こめて作成したいものです。でも、専門家にありがちな「ただ間違っているだけでなく、自分がどれだけ間違っているかすらわかっていない」には陥らないようにしたいと思います。 -
個々判断した「みんなの意見」は案外正しいと思う。
でも、「みんな」は多くの人に左右されやすい。
だからいじめも減らないし、バブルもおこる。
「そうそう!」と言えるなじみがあるやわらかい事例から企業、市場、民主主義などビジネス的な話題まであって、マーケティングや組織作りの参考になりました。 -
1~6章
序盤は、集団の知恵が個人の専門家の知恵を上回るのはどのような時なのかを、ギャンブル、株式市場といった現実社会の事例や、実験上で起きた仮想の事例から読み解く。それらの事象を通して、集団の意見が優秀な個人の意見を上回る時は、集団の「独立性」と「多様性」が保障されている時であると示す。一般的に、集団の行動とは理性からかけ離れたものだと考えられているが、それは上記の「独立性」と「多様性」が保障されていない場合だと著者は論じる。独立性が保障されていなければ、ある事象の判断の際にたまたま先頭に立った人の意見が重んじられることになり、多様性がなければたとえある一人が誤った判断をしても、集団で見れば正しい判断ができるという集団のメリットが失われてしまう。集団において独立した個々人は、他者が持っていない情報を持っており、また個人が犯した間違いが他者に伝搬しないので、集団として間違いを犯すことはない。
また、一元管理的に権力者や専門家だけが意思決定をするのではなく、「分散性」をもったコミュニティのもつ力についても触れている。ただし、あくまで各人の意見を集約するメカニズムが必要だと注意する。
話は「調整」、「協調」へと移っていく。一人ひとりが市場のようなメカニズムに組み入れられると、自己の利益を追求することで他社とのうまい調整は行われると筆者は述べる。ただし、合理的ではない社会的な慣習があるなど、「こうあるべき」という目標に対して障害がある場合は、正しい調整が行われないこともある。「協調」の事象の場合は単純ではなく、一人ひとりが自分の利益を追求すると、集団が協調的である場合よりも全体的な利益は劣ることを、公共財などを例にして示す。
7~12章
後半は、実社会における事例を、1~6章で解説してきた「みんなの意見は大体正しい」という主張に照らして分析していく。章ごとに別の話を取り上げているので、ここでは特に面白いと思ったスペースシャトル「コロンビア号」の事故の話と、なぜバブルが起きるのかという話についてまとめておこうと思う。
2003年、コロンビアの飛行管理班、MMTとコロンビアの搭乗員は断熱材の破損の事実を軽視して悲惨な事故を引き起こしてしまった。筆者は、宇宙飛行に関する専門家たちが正しい判断を下せなかった理由を、視点の多様性の欠如にあると述べている。現在のNASAは、大学を卒業してすぐに入社した人が多い。MMTメンバー内に多様性がないために、「集団極性化」という現象を起こした。これは、集団に偏りがあるときに話し合いをすると、話し合いの後では集団の意見はその偏りのほうに極端に移動するという現象である。この現象は、人々の価値基準は「社会的比較」にあるから起きるのだとする。最初は意見が中立にあった人も、集団全体の意見が偏っている場合、自分の意見をその偏りのほうに移動させることで自分の中立の立場を確保する。このため、話し合いをすると段々偏りの側に意見が動いていくのである。
バブルはなぜ起きるのか。バブルが起こる原因は、株式が転売可能であるからだ。普通、リンゴやテレビを買う時には、転売することを考えない。なので、リンゴやテレビの価値を判断するときには、相対的に独立した状態で判断する。しかし、株式は、企業の収益の配当を得る権利を持っているのと同時に、転売して売りぬくことで差額の収益を得るという性質も持っている。このため、株価は相互依存した判断に基づいて決まっている。人々が高く買うことが予想できれば株価は上がるし、そうでなければ株価は下がる。投資家は個人個人で考えて投資するので、普段は相互依存と独立性が共存している。しかし、何かのきっかけで相互依存の方向へ大きく傾くと、バブルが発生する。他者が高く買ってくれると予想するから高い価値をつける、といったように。ここでわかるのは、集団がお互いに模倣し合うようになると、集団は賢くなくなってしまうということである。
注目点
本書を読んで一番納得させられたのは、「集団が賢くなれるか賢くなれないかは、多様性と独立性にある」という部分です。一般的に集団は賢くないと思われていますが(自分も集団は賢くないと思っていました)、いずれの場合をみても集団が狂気に狂うのは、自分の意見を持たないで集団に依存してしまったり、反乱分子を抑圧してしまったりする場合であり、多様性と独立性に欠ける場合がほとんどだとわかりました。バブルや暴動は前者の例、談合や貴族政治は後者の例でしょう。
現実にどれだけの集団が多様性と独立性を持っているかというとかなり疑問です。人間は人に流されやすく、また声高な人の意見を採用してしまうきらいがある気がする。本書中でも、意見が賢くなる好例として賭けのときを挙げているように、社会で役に立つレベルで集団の意見を採用している場合というのはあまりないような気がします。集団の意見をより活用するためには、集団の独立性を確保できる状況と、その意見を公平に集約する機関が必要だと思います。
そう考えると、近年話題の裁判員制度などは、制度の是非はともかく、集団の意見を活用する場としては面白いのかもしれないですね。
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訳者のあとがきで著者の職業が一切書いていないので、論文の参考文献としてきちんとしたものかそうではないかわからなかった。アマゾンで見るとビジネスコラムニストということで、後半でビジネスのことが多様されているので納得がいった。
参考文献が訳では明記していないので論文をこれから書こうと思う場合は結構大変かもしれない。話としては面白い。
悪名高いゴールトンが市場で牛の優劣を専門家だけが見分けると考えていたがそうではなかったという説明は初めて知った。 -
面白かったけど、納得感は薄かった。実例はあれど結果が示されてなかったからかも?私に合っていないだけだと思うけど、こういう本は共通して、話があちこちする印象でいまいち読みにくい。でも案外正しいのは、今後生きていく上でちょっと参考にできそうだなと思う。