- Amazon.co.jp ・本 (502ページ)
- / ISBN・EAN: 9784048734882
感想・レビュー・書評
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独特の耽美的な文でくりひろげられる、雰囲気のある小説。ダ・ヴィンチと、彼が後事を託した弟子メルツィとの関係を、主にメルツィーの下男からの視点で綴られている。最後の晩餐についての、イエスとユダの関係をレオナルドと自分に置き換えたジョヴァン二の述懐が印象的。メルツィーはヴァザーリに、ワザとモナリザの眉について言及する。ヴァザーリは、眉について書き残したことから、実際にモナリザを見ていないというのが現在の定説。でも、最新の調査では、昔は眉が描いてあったらしいんですよね。
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チェーザレ方面の興味がわき道に逸れてこっちへも飛び火しました(笑)
そしたら作品中に「ヴァレンティーノ公の外套」が出てきたからびっくりしちゃいました。
ま、在ってもしかるべしよね。
師を誰よりも愛しながら破滅へ導く弟子、ユダ。
ダヴィンチの『最期の晩餐』はユダを画面に配したという点で絵画史上でも画期的な作品だそうです。
ユダといえば太宰治の『駆け込み訴え』が浮かぶのですが、本作のユダは誰なんでしょう?
天才の名をほしいままにした万能人レオナルド・ダ・ヴィンチに魅せられた人々の回想で構成されており、唯一彼の魅力に歯向かおうとするパーオロの足掻きっぷりがこの作品の魅力のひとつとなっています。
実際彼が居なかったら物語りは収束しなかったし。
絶対者なんて居ない、万能人なんていない、自分が尊敬するあなたを超える人なんていない―――
否定したい気持ちと類まれなる才能は才能と認めなければという理性・知性のせめぎあいがなんとも文化人の懊悩を表わしているように思います。
後の登場人物はパーオロの為の引き立て役といってもいいのではなかろうか。
小さな嫉妬、いがみ合いはあるけれど師の前には等しく突出した弟子は一人も存在しなかったのだから。 -
片仮名の人物名が得意でないので非常に時間がかかったんですが、ぐいぐいひきこまれてしまって夢中で読んでしまった。すごくおもしろかった
周囲の人々の中の、まぼろしとも言えるようなレオナルドとレオナルド本人の差異ははたしていくらのものだったか、想像はつきませんね
しかし、美術史取ってて良かった…。 -
スーパースター、レオナルド・ダ・ヴィンチ。パーオロ・ジョーヴィオと同じく、わたしもサライの話を聞きたかった。