よかたい先生 水俣から世界を見続けた医師 原田正純 (ヒューマン・ノンフィクション)

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  • 学研プラス
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  • Amazon.co.jp ・本 (133ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784052038266

作品紹介・あらすじ

「公害の原点」と呼ばれる水俣病事件から50年もの間、患者の側に立ち続けた医師、原田正純。世界のあちこちで公害病の人たちを診察し、水俣から社会のひずみを訴え続けた。原発事故後の今、過去を知り、未来に活かすことの大切さを伝える。

感想・レビュー・書評

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  • 2014年度青少年全国読書感想文コンクール中学年課題図書。

    他の方も書いているとおり、なぜこれが中学年?
    公害について学ぶ5年からが適切だと思うのに。
    『カブトムシ、山にかえる』と交換すれば良かったと思う。
    選書者のうちだれも気づかなかったのか?
    本当にこの課題図書の選定をする人たちって
    一体誰なんだろう?
    こういう本を高学年に読むチャンスを与えるのが
    この課題図書の大きな責任の1つなのでは?
    仕事の怠慢を感じる。

    対象学年はともかく、重たい話だった。
    見てしまった者の責任。
    よくわかる。
    軽重のちがいこそあれ、人はなにかしらそういった責任を負っている部分ってある。

    貧困をなくさないと公害を無くせないというのもわかる。
    弱者に決して優しくないのが国や企業なのだから。

    いろいろ考えさせられる。
    『みなまたの木』も読んでみたい。

  • 子供たちにとって、「教科書の中だけの話」になりつつある、水俣病をはじめとした公害病。
    でも、今現在も、その病気に苦しんでいる人、取り組んでいる人はいます。
    戦争の話もそうですし、昨今では放射能汚染の問題もそうですが、目を背けたくなるような現実について書かれた本は、なかなか読まれません。
    学校で勉強している、という理由でもない限り、子供たちはなかなか手に取らない。
    私たち司書がお勧めの本を紹介するときにも、やはり、楽しみのための読書として提供しようと思うと、楽しい気持ちだけでは読めないこの本なんかは、どうしても進めにくいのが現実です。
    でも、こうやって、本を通してでもそれを読み、それを知ることはとても大事なことだと思うのです。
    もちろんみんな、受けた体験も違えば立場も違う、なるべく数多くの本を読み、色んな事例を知ることが、それを「教科書の中だけの出来事」に留めない手段の一つだと思うのです。
    もちろん、修学旅行や社会科見学なんかで、その現場を実際に見ることも大切だと思います。
    でも、その前、その後に、またこうして本を読むことによって、その理解はより深まり、それが現実として認識しやすくなるのではないかと思います。

    それを忘れないために、繰り返さないために。

  • 中学年向けの課題図書になっていますが、3年生では難しい気がします。4年生以上かな。ホントは5年生で環境問題を扱うからその時にブックトークできるといいのでしょうね。グループワークに適した題材を扱っているのかな今年の課題図書は?しかしこれらの問題はやはり誰かから伝えられないと気づかない問題でもあると思うので、課題図書とされたことは良かったかも。

  • 小学校中学年の課題図書。ちょっと難しいんでは?と思いました(^-^;
    でも、水俣病、公害問題の現状を学べる良い本です。
    本の中に出てきた絵本も読んでみたい。

  •  熊本大学にいた原田医師は、1961年水俣に現地調査にいくことになった。原因も不明、症状もいろいろ。医者が来れば、その家に患者がいると分かり差別される…そういった理由から診察に訪ねても「来てくれるな」と言われることも。当時は、お母さんが食べたものがおなかの中の赤ちゃんに影響するとは考えられていなかった。病気で亡くなった子を解剖した結果、メチル水銀が見つかり、「胎児性水俣病」が証明される。
     1969年、水俣病の患者たちが正当な補償を求め裁判にふみきる。原田医師は患者側の弁護団から診断書を出すようたのまれ、ふたたび水俣病と深くつきあうことに。
     原田正純さんは、2012年6月に亡くなられている。2012年3月に語られたことが「福島に思いをはせて」の章に書かれている。まさに今、ニュースで伝えられている問題だ。思いやりと想像力が必要!

  • くろいあかちゃんをうむことにっても、おかあさんたちはあきらめずにうんですごい。

  • すごい人だよね、原田正純先生。
    よく伝わってきた、その人となり。
    こんなふうに生きれたら素敵。

  • (2016.11.16読了)(2016.11.13借入)(2014.04.26・第3刷)
    副題「水俣から世界を見続けた医師 原田正純」
    水俣病と関わり続けた医師、原田正純さんの伝記です。神経精神科医となっています。有機水銀中毒は、脳神経に作用するので、かかわることになったのでしょう。
    医者は、病気を治すのが仕事なのでしょうけど、有機水銀中毒は治せません。患者さんにとっては、治してくれるわけでもない医者の所に、お金と時間をかけて見せに来ていたのですが、そういう事情を知った原田さんは、患者さんの家に訪ねてゆくようになります。
    そうすると、同じ症状の人たちが、同じ家や近所の家にも見つかります。
    水俣病は、チッソ水俣工場が流した廃水に含まれていた水銀が魚貝類に蓄積し、その魚貝類を大量に摂取した人や動物が中毒症状を起こして体が不自由になったり死亡したりするものです。
    従って、同じ魚貝類を食べている家族や近所の人たちが同じように中毒症状を起こしてしまうのは当然だったのです。
    魚貝類は、動き回りますので不知火海沿岸の人びと全体に影響があったはずなのですが、なるべく補償金、賠償金、等を多くしたくない、企業・日本政府・自治体などは、広範囲の影響調査はしたがらず、実態把握行われなかったようです。
    子供向けに書かれた本ですが、大人が読んでも、水俣病や原田医師についてよくわかる内容になっていると思います。

    【目次】
    プロローグ 原田先生との出会い
    第1章 医者になんかなりたくなかった
    第2章 見てしまった責任
    第3章 人よりもお金が大事なのか?―三つの公害・事件を追って
    第4章 患者さんとともに生きる
    第5章 世界のあちこちで起こる公害・事件
    第6章 これからを生きるための水俣学
    第7章 原田先生からのバトン
    エピローグ たくさんの人に支えられて
    解説 人間理解と生き方  柳田邦男
    原田正純先生 略年譜

    ●患者さんたち(31頁)
    患者さんたちがこれまでどんな思いで苦労して電車や車を乗りついで来ていたかということに、あたりまえのように駅まで車でむかえに来てもらったぼくたちは、気がつかんかった。
    ●貧しさ(35頁)
    何より心が痛んだのは、ひどい症状で苦しむ患者さんの家ほど、目をおおいたくなるような貧しさだったことだ。家具なんかもちゃぶ台が一つあるだけで、どうやってくらしているのかと、思うほどだったんだ。
    ●胎児性水俣病(36頁)
    「わたしは、下ん子がおなかにおるときに、魚ば、いっぱい食べとりました。こん子の毒はわたしのおなかのなかで入ったとでしょ? だけん、こぎゃん状態で生まれてきよったとです。えらかお医者さんも、そぎゃんあたりまえのことば、なんでわからんとですか?」
    ●胎盤が通さない(37頁)
    ぼくが水俣に通っていたときの医学の世界では、「命を危なくするするような毒は、お母さんの体(胎盤)が通さないで、赤ちゃんを守っている」という考えが、あたりまえだった。
    ●水俣病申請四万人(41頁)
    水俣病問題の最終解決を目指して制定された水俣病救済特別措置法に、水俣湾を囲む地域から四万人以上の人が2012年7月末日までにかけこみ申請をしたのです。こんなにも多くの人々が五十年以上も声を出せずに病に苦しんでおられたのかと衝撃を受けました。
    ●一酸化炭素中毒(47頁)
    「一酸化炭素中毒は一時的なもので、あとまで残るような症状や影響はない」という定説があり、ぼくもそれを信じていた
    ●後遺症(49頁)
    一酸化炭素中毒には、長く残る症状があった。記憶障害によって、計算ができなくなったり、仕事に一番必要な集中力がまったくなくなってしまったりしていたんだ。事故前と事故後では性格がまるっきり変わってしまったという人もいた。
    ●体に残る毒(56頁)
    一度、体内に入ってしまったら、このカネミオイルを食べていない状態で何年すごしても胎児性油症の子どもたちは生まれてしまう。水俣のメチル水銀より、カネミ油症で吸収されたPCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン)はずっと体に残る。このようなダイコキシン系の毒を直接、食べてしまった被害は、世界でも初めてなんだ。
    ●公害病認定(61頁)
    ぼくは公害病認定の日、ちょうど診察で患者さんの家にいてね。その家のお母さんがラジオでニュースを聞いたとたんに、「これで、むすめを医者に連れていくのがはずかしくなくなった。肩身のせまい思いばせんでよくなった!」と喜んだのを見ていた。
    ●公害と差別(84頁)
    水俣では公害の起きたところに、差別が生れるのだと思っていたけれど、ちがうね。もともと差別のあるところに、公害が起きる、もしくは、起こされていると思った。権利を主張できない人、声の小さい者、教育にめぐまれず、社会的にも弱い人々は犠牲にしていいと思っているんだ。だから、平気で毒物を流し、彼らの存在を無視して、ひどいことができるんだ。

    ☆関連図書(既読)
    「水俣病」原田正純著、岩波新書、1972.11.22
    「水俣病は終っていない」原田正純著、岩波新書、1985.02.20
    「水俣の赤い海」原田正純著、フレーベル館、2006.10.
    「証言水俣病」栗原彬編、岩波新書、2000.02.18
    「水俣病の科学 増補版」西村肇・岡本達明著、日本評論社、2006.07.15
    「新装版苦海浄土」石牟礼道子著、講談社文庫、2004.07.15
    「天の魚 続・苦海浄土」石牟礼道子著、講談社文庫、1980.04.15
    「苦海浄土 池澤夏樹=個人編集世界文学全集」石牟礼道子著、河出書房新社、2011.01.30
    「石牟礼道子『苦海浄土』」若松英輔著、NHK出版、2016.09.01
    (2016年11月26日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    「公害の原点」と呼ばれる水俣病事件から50年もの間、患者の側に立ち続けた医師原田正純。原田先生は世界のあちこちで公害病の人たちを診察し、水俣から社会のひずみを訴え続けました。過去を知り、未来に生かすことの大切さを伝える原田先生からの最後のメッセージ。

  • 水俣病認定の活動に長年携わった医師原田正純氏の伝記。作者は,原田氏との交流によって絵本「みなまたの木」を著す。その交流での内容がこの本のベースになっている。小中学生向けかな。

  • 四大公害病については、小学生のころから教科書で学んだり、受験の知識として覚えたり、資料書籍の中で考えを深めたりしてきたが、現代においては特に大人の社会の中では風化してきてしまっているように感じる。
    改めて水俣病のことを考えることで、様々な社会問題に目を向けることの大切さを再確認した。

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著者プロフィール

絵本作家。著作に『じゃぶじゃぶパパ』(偕成社)など。水俣市立水俣病資料館を訪ねたことが契機で水俣病をテーマとする絵本の制作を決意。その後、取材を重ねて、『みなまたの木』(創英社)を刊行。

「2013年 『よかたい先生 水俣から世界を見続けた医師 原田正純』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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