無の思想: 老荘思想の系譜 (講談社現代新書 207)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061156074

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  • 老荘の思想を直接説明するだけでなく、
    日本における解釈者として、本居宣長と松尾芭蕉を取り上げている。

  • 自然とはなにか?
    それを求めた一冊

  • 老荘思想の性格をたいへん分かりやすく解説している入門書。

    著者は本書で、「無為自然」と「有為自然」という区別を導入して、老荘思想の内容を説明している。老子は、この世界の退廃と混乱の原因は、知識や道徳という人為、あるいはその集積である人間の文化にあると考え、素朴な状態に帰れと説く。これが「無為自然」である。本書では、こうした発想のさまざまな側面が分かりやすく解説される。

    だが、人間の作為を去って自然に帰ろうとするとき、人は自然と作為を対立するものと考えている。こうした対立を超えて、作為をも包み込む自然のありようを、著者は「有為自然」と呼んでいる。

    また著者は、中国における仏教の受容に老荘思想の影響が強く働いていたと述べて、禅宗と浄土教を例に、中国仏教やわが国の親鸞の思想と老荘思想との共通点を探っている。

    さらに、本居宣長の国学や松尾芭蕉の俳諧にも、老荘思想との共通点があることを紹介している。宣長自身、みずからの立場と老荘思想とが共通点をもっていることに触れていた。だが彼は、老荘思想では人間の作為を「ことさらに」廃棄しようとしていることを批判する。つまり、人間の作為を廃棄して自然に帰ろうとすることも、また一つの人為だというのである。

    最後に芭蕉が強調する「造化」という言葉が、老荘思想に源泉を持つことが論じられる。ただし、老荘思想では「自然」という言葉で、山水の風景よりも人間の生死といった運命のことが考えられていた。これに対して俳諧の道を歩んだ芭蕉のいう「造毛」とは、花鳥風月に見られる自然の純粋の姿のことだった。とはいえ、芭蕉も具体的な花や月に尽きない、よりいっそう大きな「自然」に帰ることをめざしていたのだと著者は主張する。そのことは、晩年の芭蕉が俳諧へのこだわりからも離れた「かるみ」の境地に到達したことに見られると著者は考えている。

  • [ 内容 ]
    無とは何か、死とは何か。
    真理は言葉によってとらえうるのか。
    これらの根本命題を課せられた人間を思うとき、われわれは、無を拠点とする東洋思想から、あまりに遠く隔たりすぎたのではないか。
    本書は、言葉を超えた真理を追究し、自然に帰れと説く老荘の哲学を核に、東洋自然思想の系譜を、禅から親鸞、宣長、芭蕉へとあとづける。
    西洋合理思想になれ親しんだ現代人にとって、東洋的虚無の立場から存在の本質に迫る必読の書。

    [ 目次 ]


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    [ 参考となる書評 ]

  • 老荘思想を詳しく知りたい人には
    ぴったりの入門書だと思います。

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著者プロフィール

1909年京都府に生まれる。京都大学文学部哲学科卒業。大阪大学名誉教授。文学博士。著書に『中国古代神話』(清水弘文堂書房)、『上古より漢代に至る性命観の展開』(創文社)、『「無」の思想』『「名」と「恥」の文化』『神なき時代』『老子・荘子』(ともに講談社)、『老荘と仏教』(法藏館、後に講談社学術文庫)、『中国思想史』(第三文明社)など、訳書に『荘子』(中央公論新社)、『墨子』(筑摩書房)などがある。1986年、逝去。

「2021年 『梁の武帝 仏教王朝の悲劇』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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