本はどう読むか (講談社現代新書)

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  • 講談社
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感想 : 52
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  • Amazon.co.jp ・本 (182ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061156975

感想・レビュー・書評

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  • 本はどう読むか。本をある程度読んだ人なら突き当たる疑問であろう。
    著者のような大読書家も例外ではないらしい。
    本書は体系的な読書論といったものではない。著者が「本とどのようにつきあってきたか」についての試行錯誤の過程であり、その経験から得られた「本とつきあう術」について書かれたものである。

    本書を読んでいて思ったことは、これといった本の読み方はないということである。
    友達にもいろんな友達がいるように、本にもいろんな本がある。さらに、本の場合には友達と違って本が自分に合わせてくれるということもない。なので、本を読む場合には柔軟な姿勢、つまり本によって異なったつきあい方が求められるのだろう。
    そして、本を理解するにあたっては、本に主導権を握られるのではなく、こちらが主体的に本と付き合うことが求められる。すなわち、「深い理解は、本から学んだ者を吐き出すことではなく、それに、読書以前の、読書以外の自分の経験、その書物に対する自分の反応……そういう主体的なものが溶け込むところに生れる」(p94)のであろう。

    なぜ本を読むのか。面白いからである。
    この大前提を忘れることなく、本との楽しいお付き合いをしたいものである。

  • 「立派に死に、立派に生きるための読書」
     なぜ、人は学ぶか表している言葉だと思う。生まれたから死ぬまで、少しでもマシな人間になってから死ぬ。生きる目的でもある。それを支えるのが読書だ。

    「読まれる段階から読む段階へ」
     本気で読んでいくと、筆者に対しての自分の考えが出てくる。要は、鵜呑みにしないということだろうか。書かれていることに対して、どう反応し、どう解釈するか。

  • とある本のしおりにこの本の引用があり、読んでみようと思った。
    本の読み方のハウツー本をたまに読むが、共通して言えることはアウトプットをなんかしらの形で出すってことだと思った。そうすれば、自分が印象に残ったところは記憶に留まりやすく、生活に役立つかもしれない。

    以下、印象的なシーン
    ・大人でも子どもでも、面白くない本は読まない方が良い
    →とはいうものの、面白くない本は自分に足りないものが書いてあるから分からなくて面白くないのでは?面白くない本でも読んでればなんとなく面白くなるかもしれない、、、と思って一応最後まで読む
    ・本気で読む本は借りない
    →本気で読む本、、、私の場合専門書とかかなぁ
    ・難しさは、ただある書物を読むことの難しさではなく、読んだ本について書くことの難しさ、すなわち、書けるように読むことの難しさなのである
    →なぜか読書感想文が嫌いだったのを思い出した。今思えば小学生の頃からかなりハードルの高い宿題をやってたんだなぁ
    ・本は早く買わねばいけない
    →最近は思い立ったらすぐ行動をモットーに気になった本はすぐにブクログの読みたいリストに入れてます。アマゾンで結構品切れが多いのが残念。
    ・洋書をまずは買って知ってる単語をフル活用して左から右へ読み、後を振り返らない。
    →この方法で一回洋書を読んでみよっと

  • 「立派に死に、立派に生きる」ために読書をする というのは 、今後の指針になる言葉だった

    この本を買わずに、図書館で借りて読んだことを後悔している。本との付き合い方の章は面白すぎる

  • 本はどう読むか。余計なお世話だと思ひますか。
    本の読み方なんて他人から教はることなんかないぜ、俺の好きなやうに読む、そんな方々から反発を喰らひさうですが、心配要りません。本書は読書指南といふよりも、今年で生誕110年を迎へた清水幾太郎氏が「わたくしはこれまでにどのやうに本と付き合つてきたか」を語る愉快な一冊であります。

    デハ、以下各章を見てみませう。
    〈1〉筆者の読書体験は「立川文庫」から始まるといひます。講談の世界に浸り、次から次へと夢中になつて読破したと。それが、ある時期からつまらなくなつた。パターンが全部読めてしまひ、結局はどれもこれも同じではないかと気づいたからです。これは、かつて夢中になつた身としては寂しい事ですが、これが「成長」といふものなのでせう。

    〈2〉書物には、実用書・娯楽書・教養書の三種類があると著者は述べます。無論これは図書館的分類とは違ひ、同じ本でも読者によつて実用書だつたり教養書だつたりします。著者の定義では、実用書=生活が強制する本、娯楽書=生活から連れ出す本、教養書=生活を高める本で、まあ教養書を自ら読む人を、本書の読者として想定してゐるやうです。

    〈3〉哀しいことに、人間は忘れる動物であります。折角読んだ本の内容を身に付けるために、情報処理のツールとして著者は「ノート」⇒「ルーズリーフ」⇒「カード」を経て、結局「ノート」に戻るといふ体験をしました。ここは現在なら、PCやタブレット端末を駆使するところでせうか。

    〈4〉本とどう付き合ふか。著者は「ケチはいけない」と説きます。読みたい本は買ふべきといふ話の他に、読み始めた本は最後まで読まねばならぬ、と考へるのも「ケチ」の一種なのださうです。あと、書物に有意義なことを求めすぎるケチ、それから名著と呼ばれる書物に対し、一字一句をゆつくり噛み締めながら読まねばならぬと考へるケチに警鐘を鳴らします。

    〈5〉読書論を書く人は、かなりの確率で「外国語」の修得の必要性を述べてゐます。ここでも、洋書とどう付き合ふかの要諦を論じてゐます。

    〈6〉新しいマスメディア時代の読書とは何か。未来の「焚書坑儒」を描いた『華氏四五一度』を紹介し、その世界は決して夢物語ではないと教養書の行方を危ぶみます。なぜなら、昔も今も、生活を高めるための教養書を求めるのは少数派だからであると。

    例へば電子書籍の出現などは想定されてゐれば、電子メディア×活字メディアといふ対立軸にはならなかつたでせう。しかし本書の発表は1972(昭和47)年。無理もないですね。
    内容の古さはあるものの、本好きの考へる事は今も変らぬことが分かり、愉しい一冊と申せませう。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-731.html

  • 面白くて、すぐ読み終えてしまった。
    読み方として、深浅ということを話していて、読書は、人付き合いみたいなもので、すごく深く付き合いが長い事もあれば、段々疎遠になっていくこともある。故に本というのは、後から分かってくることもある。
    自分の年齢によって付き合い方が変わってくる本も出てくる。
    というのは面白い話だった。

    あと、洋書の読み方、なんてのも書いてあってチャレンジしたい!と思った。

    著者が、腹を立てながら読むシーンを想像して笑ってしまいました。

  • 多くの読書論の中でも人気のある一冊。

    教養書と呼ばれる合理的に考えると直接は役に立たない本を読むことの進め。
    というよりも、そういう本を読むという贅沢を他の人に教えるといった趣旨の本。

    もちろん、本を読むというそのことの楽しさも見逃してはおらず、バランスの良い読書論。

    本以外にも様々なマスコミが誕生し、大衆の間に普及している現代にとって「本を読む」という労力を多大に消費する行動の優位性を説く。
    結果的には、全てのメディアの立体的協力を必要とするという所に落ち着くが、それでも大衆がテレビなどの楽なメディアに傾倒していき本が消滅してしまいはしないかという危惧を捨て去ることはできない。

    電子書籍もあるし、少数の人が好きで読むだけでも良いというならそれも可能なのかもしれないが、個人的には色々な人が本を通して豊富な知識を持っている社会の方が楽しいだろうと思う。

  • 20120510ブックオフ

  • まず全体として、書き方が自伝的なので、帯に昭和を代表する知識人と書かれるような人物でも、このように数々の試行錯誤を泥臭くやってきたのだな、というのが分かって、とても面白かった。

    読書論の部分では、以下の二点が印象に残った。
    一つは読み方のスピードについての部分。
    「そばを食べるように」「相当なスピード」でと書いてあるが、決していわゆる速読を勧めているわけではない。
    本を書く人は「観念の急流」に突き動かされるままに相当なスピードで書いている人が多いので、同じ空気感を共有した方が、筆者の言わんとしていることの全体感がより理解しやすいということらしい。
    本を書く人には巨大な伝えたいことがまずあって、それを一種の「もどかしさ」を感じながら書いているので、そういう先へ先へという気持ちになるのだそうだ。
    勿論そういう文筆家ばかりではないだろうが、筆者がどういった気持ちでこれを書いているのかということを想像する一助になるような気がする。
    二つ目は外国語で書かれた本の読み方についての部分。
    読書論の本で外国書の読み方を見たのは初めてだったし、書いてある内容が初心者向けというと失礼だが、全然読んだことがないけど興味があるという、自分のような読者向けだったので、かなりはまった。
    まずは積ん読をしてみて、時が来たら(気力的な意味で)2、3冊読み通すところから始めたいと思った。

    最後のメディア論の部分は、こういった短い内容とはいえ、各メディアの特徴を整理した記述というのは初めて読んだので、今後更に理解を深めたいという気持ちになった。
    筆者によれば、電波メディア・・・テレビやラジオなどには、誰もが送り手になるのは難しく、送り手と受け手が固定しやすいことや、どうしても送り手の恣意が全てになりやすい(0か1かの話)などの欠点が書いてあるが、それを解決する方向に向かったのがインターネットなのかな、と考えた。
    それにより私達は、筆者の時代よりも更に高い精神生活を営める可能性を得たのだけれども、筆者の言う、それらを使いこなす「不断の努力」は逆に現代では高まっていている。
    この難しい時代を生き抜くため、本に読まれる段階を早く卒業し、主体的に考える読書ができるようになりたいと切に思った。

  • 教養書なんて読む必要があるものではないけれど、
    「立派に」生き、「立派に」死ぬために読むのだとする。
    この「立派に」というのが、どういうことなのか。
    というのは、それこそ読書を通して自分で定義づけることなのかな、と解釈した。

    それから本を読んだら、当たり前かもしれないが「考える」ことが大事。
    読んで、理解した、だけではなく、そこから何を感じ、考えたか。
    それがないと本の内容が自分の力にならないよなあと反省。
    読むことだけに重きを置いていたので、
    「考える」ことを意識したい。

    そこを意識すれば、それはたった一行でも考えるに値する部分があれば、
    その本は自分の役に立ったということだ。
    逆にそこしか役に立たなさそうだったら読むのをやめればよい。
    清水先生が言っているのは、たぶんそういうことかな、と。

著者プロフィール

清水幾太郎

一九〇七(明治四〇)年、東京生まれ。社会学者。東京帝国大学文学部社会学科卒業。文学博士。二十世紀研究所所長などを経て、学習院大学教授、清水研究室主宰。主な著書に『愛国心』『流言蜚語』などのほか、『清水幾太郎著作集』がある。訳書にヴェーバー『社会学の根本概念』、カー『歴史とは何か』などがある。八八(昭和六三)年没。

「2022年 『日本語の技術 私の文章作法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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