モモちゃんとアカネちゃんの本(6)アカネちゃんのなみだの海 (児童文学創作シリーズ)
- 講談社 (1992年4月7日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061335141
作品紹介・あらすじ
シリーズ最終巻。アカネちゃんはもうじき1年生
アカネちゃんの小さな胸は、ときどき、だれにもいえないさびしさや悲しさでいっぱいになるときがあります。そんなときは、なみだをいっぱい流しながら、つらいことをのりこえ、大きく成長していきます。
感想・レビュー・書評
-
モモちゃんとアカネちゃんの本の最終巻。
あとがきには、松谷みよ子さんがこのシリーズを書いた経緯などが書かれます。いまでこそ子供を保育園に預けて働く母、離婚している家庭というのは珍しくありませんが、お話のなかでモモちゃんがクラスの子に「お父さんのいない子」と言われたり、松谷さんも読者に赤ちゃんの家(保育園)預けられる子供の話が受け入れられるか不安だったとか、この話が作られた頃はまだまだ珍しかったのです。
そして松谷さんはまだ幼かった娘さん(物語の中では”アカネちゃん”にあたる)に、パパとさよならしたことを書いてほしいと言われたそうです。そして気がついたらこんな長いシリーズに。
実際の松谷みよ子さんご家族とこのシリーズを重ねすぎるのはよくありませんが、やはり松谷みよ子さんのこの世とあの世のこと、離れても家族は家族だったことなどが伺いしれます。
===
冒頭でアカネちゃんが生まれる前からの大好きなお友達、くつしたのタッタちゃんとタアタちゃんが帰ってきました!離れてしまってから何年も経ちアカネちゃんももう4歳ですが、タッタちゃんとタアタちゃんはまだまだずっとお友達です。この健気な靴下双子とのお別れは心が痛くなったのと、大事なものをわかってもらえずに別れてしまう子供の悲しさも、もういらないと思って軽く手放してしまう大人の事情も両方わかるのでなんとも悲しかったのですが、戻ってきて良かったよかった。
そしてアカネちゃんはタッタちゃんとタアタちゃんがついていれば一人で髪の毛だって洗えるし、悲しいときには涙も拭いてくれます。
モモちゃんとアカネちゃんは「パパがいない子」っていじめられることがあるんです。
そんなときにクロネコのプーがアカネちゃんに付き添って学校に行きます。
プーはモモちゃんとアカネちゃんが生まれたときからいるし、およめさんのジャムとの間には子猫がいるお父さんだし、疲れたママの話し相手になるし、とっても頼れるんです。…たまに困ったこともしますけどね。
そしてアカネちゃんから「パパとママがさよならした時のお話を書いて」と言われたママは、絵本を書こうとします。それはうまく行かなかったけれど…モモちゃんとアカネちゃんにはちゃんとママの気持ちが通じました。
でもモモちゃんとアカネちゃんが本当に泣いたら涙は抑えられません。
アカネちゃんはすぐに泣きます。カクジッケンのニュースを怖がり泣きます。すると涙の海ができて、その海にクジラが遊びに来て、それから地球さんも体を洗いに来ました。怪我をしてしまった地球さんは、地球さんを心配して流した涙の海で洗うと楽になるというのです。
この表現はとても素晴らしいなと思いました。傷ついた誰かを治すのはその相手を思う気持ちであり、そしてもうそんなことはしないという決意です。これをなみだの海と表現するこの本の凄さを感じます。
モモちゃんはいつも泣かずに我慢します。だから泣いたらもう止まりません。
モモちゃんとアカネちゃんのパパ、離れていてもパパはパパなのに、時々オオカミの姿でアカネちゃんに会いに来ていたパパなのに、そのパパが死んでしまったんです。
ママと、モモちゃんと、アカネちゃんと、そしてパパのパパとママ(おじいちゃんとおばあちゃん)は、お墓に行って大きな木の下を掘ってパパのお骨を埋めました。
ずいぶん長い年月が流れました。
ママは、パパとさよならを決めたときの森のおばあさんのところでゆっくり過ごすことができるようになりました。
あのとき森のおばあさんは「あんたは育つ木で、ご亭主は歩き回る木」だと言いました。
そしてパパは、あの世をまだてくてく歩いているんだそうです。まだどこかに行き着かないだなんてパパらしいです。ママはゆっくりと笑いました。
そしてモモちゃんとアカネちゃんもずいぶん大きくなりました。
だからこの話はこれでおしまいです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
あの小さかったアカネちゃんが、
もう5歳?!
もうすぐ1年生?!
と、まるで親戚のおばちゃんみたいな
目線で、読んでしまいます。
「ばんがれえ」も卒業し、
ちゃんと「がんばれえ」と言えていて、
とても感慨深いです。
6作目にして初めて
あとがきが載っており、
モモちゃんとアカネのちゃんの本が
書かれた理由や、
死に神のお話やパパとママのお話の背景が
わかります。
6作目まで読み終えたら、
ゆっくりとあとがきを読まれると
モモちゃんとアカネちゃん、ママとパパの
歩みが思いだされ、心がじんわりします。
子育てを終えたような気持ちって
こんな感じなのかな、と思いました。 -
先日松谷みよ子さんの「小説・捨てていく話」を読んで以来、この本は娘のためという以前に、自分自身が読まずにいられなくて、図書館で借りてきた。「モモちゃんとアカネちゃん」シリーズの最終巻であるこの本を読んだ感想を一言で言うと「圧倒された」。
作者の松谷みよ子さんが「虚構であればこそ真実に迫れた」と書いているその言葉のとおり、死による別れも、生きていくことの本質的な孤独や辛さも、核に脅かされる地球の不安も、すっかり描ききっていて、時に胸がきゅうっと締め付けられて泣きたくなる。だけどそれでも子どもはきっとその悲しさを内包したまま、乗り越えていく力をもっている、ってことをひしひしと感じさせてくれて、「小説・捨てていく話」よりもずっと力強く真実に迫って感動的だった。
「潜水艦は蝶の夢を見る」という映画のなかで、「自分のなかにある記憶と想像力にしがみつけば生きていける」という名台詞があったのだけど、それを思い出さずにはいられなかった。記憶は人間の大地に私たちをつなぎとめる錨。そして想像力は無限の大空に羽ばたかせる翼。大切なふたつのものが、ぎっしり詰まった珠玉の一冊です。 -
モモちゃんシリーズ最終巻。
硬くなった空気をぱりぱりかじるパパと、
小鳥を追い払うママの絵本と、
どうしてパパがいないの?と泣くアカネちゃんと
我慢してきたモモちゃんのなみだの海が忘れられない。 -
核実験の話、パパが死んでしまった話、こんなふうになるとは。あとがきで、これらのお話は作者松谷みよ子自身のお話でもあることがわかった。
-
ふたごのくつ下のタッタちゃんタアタちゃんが、アカネちゃんの家にもどってきた。やさしいと思った。
-
全巻読んでいないのはシリーズが終わっていなかったからなのだと知る。作者の経験を軸に物語を描いてだいぶ時間をかけて全巻に至ったと知り小さな子が読む本とは思えない話だったのは辛さからだったのか、しかも作者自身も辛辣と思ったのかどうかわからないが死神が怖さもなくかかれていたり、離婚をうやむやにするのではなくあかねちゃんは所々でパパを恋しく思っている話や離婚に向き合うママの話など今子どもたちに読んでほしい本となっている。
書かれた当初は先端の話だったのではないだろかと思う。 -
あかねちゃんとモモちゃんのパパがしんじゃってかなしかった。
※図書館で借りた本。ももちゃんとあかねちゃんシリーズ読破。