江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書)

著者 :
  • 星海社
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061385559

作品紹介・あらすじ

「江戸しぐさ」とは、現実逃避から生まれた架空の伝統である
本書は、「江戸しぐさ」を徹底的に検証したものだ。「江戸しぐさ」は、そのネーミングとは裏腹に、一九八〇年代に芝三光という反骨の知識人によって生み出されたものである。そのため、そこで述べられるマナーは、実際の江戸時代の風俗からかけ離れたものとなっている。芝の没後に繰り広げられた越川禮子を中心とする普及活動、桐山勝の助力による「NPO法人設立」を経て、現在では教育現場で道徳教育の教材として用いられるまでになってしまった。しかし、「江戸しぐさ」は偽史であり、オカルトであり、現実逃避の産物として生み出されたものである。我々は、偽りを子供たちに教えないためにも、「江戸しぐさ」の正体を見極めねばならないのだ。

感想・レビュー・書評

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  • 「江戸しぐさ」と称されているものが、実際の江戸時代の風俗とは異なることを種々の史料から検証した労作。さらに「江戸しぐさ」の誤りのみならず、それを”創作”したり、広めたりした人たちの経歴に着目し、どのような背景で生まれたのか、そしてなぜ受け入れられているのかまで踏み込んで考察しており、今まで著者含めて断片的に語られていた「江戸しぐさ」批判の初めての体系的な著作と言える。

    著者も挙げているとおり、完全に虚偽の産物である「江戸しぐさ」が受け入れられる背景として「道徳教育の教材としてならいい」「モラルが低下・崩壊しているのだから必要だ」というものがある。しかしそのような認識もまた怪しい。社会や若い世代などが”劣化”しているのだから、ということで虚偽が黙認されてきたというのもあるが、まずは「道徳的にいい話」それ自体の虚偽を虚心坦懐に見つめるためにも、本書は広く読まれるべきである。

  • 「江戸っ子狩り」って、江戸しぐさを批判する側が言ってる冗談かと思っていたら、江戸しぐさ推進派が本気で主張していることを知り大笑いした。

  • 最近「江戸しぐさ」の名を冠した書物をよく見る。『江戸しぐさ事典』なるものまで出ている。なんでも文科省の新しい道徳教科書にもこの「江戸しぐさ」が紹介されているらしい。本屋でこうした本を見かけるたびに、気にはなってはいたが、なんとなくうさんくさい気がして手が出なかった。そんなとき、知人からすすめられたのがこの本。「江戸しぐさ」に対する全面的な批判書である。江戸しぐさのしかけ人は芝三光(みつあきら)、その信奉者で推進者は越川禮子という人らしい。芝さんは本来まじめな人で、世の道徳の衰退を嘆き「江戸しぐさ」の復活を説いて全国を遊説していたらしい。芝さんに言わせれば、「江戸しぐさ」は口伝で、書物には残っていないという。それは、江戸開城で江戸っ子は潜むか地方へ逃れ、書き残されたかもしれない書物も焼かれてしまったという。要するに、根拠となるものがなにもないのである。原田さんは、「江戸しぐさ」といわれるもののいくつかを当時そんなものはなく、どれも1980年以降のものであると一つ一つ例証する。たとえば、傘をさしている人どうしが道であったら傘を傾ける「傘かしげ」という動作があった。要するに譲り合いの精神だ。原田さんは、そんなときはすぼめて通り過ぎるのが普通だし、第一だれもが傘を持っていたわけではないという。また、狭い道ですれ違うときの「蟹歩き」も、無理に通ろうとせず、どちらかが止まればよかったわけだと言う。さらに、江戸時代は「時泥棒は10両の罪」という言い方もあったというが、時間を掌握する人は限られていて、人は時間に今よりはるかにルーズであった。また、人がタバコを吸っていなければ自分も吸わなかったと江戸時代に嫌煙権があったようなことも江戸しぐさに入っているらしいが、当時は客にタバコを出すのがいわばエチケットだった。等々。要するに、現代の道徳を立て直そうとする精神はいいとして、それを「江戸しぐさ」などと呼んで奨励するところがいやらしいのである。しかも、江戸文学専門家である田中優子さんもこの「江戸しぐさ」をオープンカレッジで述べるしまつ。まさに現代のオカルトである。

  •  江戸しぐさとは、現代の日本を嫌う老人の現実逃避の産物で、ユートピアのような思想であるという。で、それが別に小さなサークル内で持て囃されているならば、お好きにどうぞということなのだが、歴史的に間違っていることを、教育の現場にまで浸透させているのは問題だということを強く訴える本だ。

    【「江戸しぐさ」は盛んに江戸時代を称揚するが、それらはいずれも現代的な常識に彩られたものとしてである。しかし考えてみれば、今とは異なる論理で動いていた江戸時代の良さというものは、やはり現代の常識では計りきれないところにあると考えるべきである。つまり、現代人の常識を江戸時代に求めようとする人は結局、江戸時代の良さもわかっていないのである。】
     と、著者は言うが、この文章から、小林秀雄が、「○○を尊敬していますなんていう奴は、だいたい○○の本なんか全然読んでないんですよ。読んでないから、尊敬してますなんていうことなんか言えるんだ」と講演していたのを思い出す。
     また、上記の文は、「良さ」を「悪さ」に、または「江戸時代」を「戦前」や「戦後」という言葉で言い換えて、左の立場、右の立場から書き直すことをすれば、では、現代の常識にとらわれずに、計り知れないところを計れるのか、計らずにすませられるのか、計るとはそもそもなんなのか、どうするのかが、浮かび上がってくるようになっている。
     江戸しぐさが、あるフィクションとして、道徳の授業のたとえ話みたいなこととして教えられているならまだしも、史実としてならば大問題だな。

  • 文部科学省が道徳の教材に採用するまでになった「江戸しぐさ」。これがいかにトンデモであるかを訴えている本。「こやし」=「人糞尿」と決めつけてしまうのは、いささか性急な感じもするが(江戸時代に「芸の肥やし」とは言わなかったのだろうか?)。
    著者が指摘するように、確かに「江戸っ子虐殺」(そして江戸っ子を逃がした勝海舟)の話は荒唐無稽。そもそも、古典落語に「江戸しぐさ」なんてほとんど出てこなかったのではないか。家元・立川談志は「江戸しぐさ」について、何か書いていないかなとも思った。
    そして、専門家(歴史学者)がその出鱈目さをきちんと否定しないと、いつの間にか珍説が定着してしまうという警告は重い。いや、既に伝統化は始まっているのである。
    著者による続編も公開が始まっている。
    http://ji-sedai.jp/series/edoshigusa/

  • 文科省はじめ、企業研修などにも採用され、古き良き日本の慣習とされている「江戸しぐさ」が、歴史捏造であったことを論じている。

    「江戸しぐさ」推進者は、江戸っ子狩りなど、史実として存在しないものを、お上の圧力で、隠蔽されていた歴史だと主張するなど、調べてみると、すぐに虚偽であると露見する事例が多々、紹介されている。

    なぜ、テレビ、新聞などで、「江戸しぐさ」がもてはやされるのか疑問が湧いたが、ちょっといい話や、日本も、まだまだ捨てたものではないという小話は、大衆にウケがよい上、あまりに壮大な嘘は、真実であると誤認しやすいのかもしれない。

    「江戸しぐさ」とは、創作者が現実を憂い、想像上のユートピアを作り上げたと著者は主張するが、そのファンタジーに世間が、振り回されているなんて、馬鹿馬鹿しいことだと感じた。

  • 気分良く前向きになれれば、嘘偽りがあって良いのだろうか?
    小説や創作に心動かされるのなら理解できる。しかし江戸しぐさは歴史の改ざんとなってしまっている。創造と捏造ははっきりと分けなければいけない。
    人間の「モチベーションとは?」「心の拠り所とは何か?」を考えさせられる。

  • 巧妙に入り込む嘘歴史や誰かに都合の良い史実には注意しなければならない。江戸っ子狩りってなんだ(笑)
    自分たちが都合よく人にいうこと聞かせたいからってありもしないことを捻じ曲げたりでっち上げてさも本当のことのように語るのは完全に害悪だなということが良く理解できました。
    こういったうそっこをしたり顔で子供に話している大人がいるんだなと思うと読めば読むほど嫌になってきます。
    こっそり本棚においておこうと思います。

  • 「傘かしげ」「肩引き」「こぶし腰浮かせ」など、江戸時代の太平を支えた町人哲学として、道徳教育などでも取り上げられている「江戸しぐさ」。本書は、その「江戸しぐさ」を徹底的に検証し、それが偽史であり、オカルトであり、現実逃避の産物として生み出された架空の伝統であることを明らかにしている。具体的には、「江戸しぐさ」とされるマナーの多くが実際の江戸時代の風俗からはかけ離れたものであることを指摘し、それが1980年代に芝三明という人物により生み出され、越川禮子を中心とする普及活動により広まっていったことを解明している。
    ネット上で「江戸しぐさ」はインチキという指摘は見たことはあったが、詳しくはよくわかっていなかったので、本書を読んで、「江戸しぐさ」がトンデモであり、教育上むしろ有害であるということをよく理解することができた。
    「江戸しぐさ」のようなトンデモがはびこる背景として、世間に広まっている荒唐無稽な話に対して、その分野の専門家が概ね冷淡であり、社会的責任を果たしていないことがあるとの指摘には頷いた。(在野の研究者ではあるが)著者のように、トンデモに対しては専門家が実証的にコツコツ批判することが重要だと感じた。
    また、「江戸しぐさがフィクションだとしても、道徳を教えるのには有用だ」というような意見に対する「虚偽を根拠に道徳が説けるわけはない」という著者の主張は、まさにそのとおりだと思った。

  • 江戸しぐさがとんでもない捏造だということを解説してる。
    その事実には目からウロコなのだが、読み物としては正直面白くなかったのが残念。

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著者プロフィール

1961年生まれ。歴史研究家。と学会会員。龍谷大学卒業後、1984年から3年半、八幡書店(出版社)に勤務。その後、広島大学研究生、昭和薬科大学文化史・心理学研究室助手(1990?93年)を経て、歴史研究・執筆活動に入る。古代史・偽史・サブカルチャー関係の論考多数。著書に『日本霊能史講座』『日本化け物講座』(楽工社)など。

「2011年 『トンデモ本の世界 X』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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