対人恐怖 (講談社現代新書)

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著者 : 内沼幸雄
  • 講談社 (1990年1月17日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061489813

対人恐怖 (講談社現代新書)の感想・レビュー・書評

  • 一年弱の留学生活を経て、生来の人見知りに拍車がかかってしまい苦しい時に、偶然書店で手に取った本だ。
    ここでちょっと私の性格について断りを入れておくと、私は幼少期から酷く恥ずかしがり屋だった。そして、非常に不思議なことに、目立ちたがり屋でもあった。この相反する性質を抱えながら、高校時代にそれなりに頑張って人見知りを克服した。
    ……した、つもりになっていたのだが。
    非英語圏に留学した結果、「英語が話せない」というやや理不尽な理由で留学先の学校に馴染めず、かと言ってその国の言葉も思うように話せず、日本人はほとんどおらず、日に日に他人とコミュニケーションを取るのが億劫になっていった(もっとも、今振り返れば、もっと対処のしようはあったのだが、ここでは割愛する)。そして、その傾向は帰国後も続いた。「英語が話せない」というコンプレックスが、自分自身に対する自信のなさを容赦なく侵食していき、それが毒のように回り巡って「人と話すのが怖い」「他人が怖い」というところへと行きついたのだ。当然、帰国後すぐに始まった就職活動は散々たるものだった。
    さて、話を本書に戻そう。
    書店で手に取った新装版の帯には、「対人関係の葛藤を解消する法!」と書かれていた。私は藁にも縋る思いで購入し、その足でちょっと離れた場所にある、暗めのカフェに入ってむさぼるように読んだ。あんなに必死になって本を読んだのは、初めてかもしれない。とにかく、「人と話すのが怖い」「他人が怖い」という精神状態から脱したかったのだ。
    先に結論を言ってしまえば、本書を読んでも「対人関係の葛藤を解消」することはできない。少なくとも、私はそう判断した。なぜなら、本文にもあったように、「対人恐怖」とは、症状もその背景も、人によって千差万別、その道のプロと雑談を通して治療していく事柄だからだ。つまり、この帯の文言は不適当とは言わないまでも、誇大広告に通じるものを感じる。編集者は何を思ってこの文言にしたんだろう……。
    帯の文言はともかく、内容はまさに私が必要としていたものだった。本書を読むことで、自分の中のもやもやとした悩みに言葉で輪郭を与えることができた。
    その中でも、特に印象に残った文章を引く。
    「一般に患者は、いったん対人恐怖におちいると、人と会うのが怖くなり、些細な対人的困惑に動揺する自分のふがいなさだけに意識がとらわれて、自分はよわいところばかりの人間だと思い込む。そのためにますます対人関係から逃げ腰になる者もいる……」
    まさに私のことだ。著者は私の心を観察していたのではないかと思うくらい、どんぴしゃ。
    この文章には、続きがある。
    「……けれど、たいていの患者は自分の弱さを克服するためになんらかの自己鍛錬法を試みる」
    これはどうだろう。私の場合、自己鍛錬なんて大層なことはしていないが、確かに試みたことはあった。二次創作、だ。二次創作といっても、キャラクターを借りて好き勝手に話を作ったものをウェブ上にこっそり発表した、よく分からない代物だ。いくつか作品らしき代物を書いているうちに、あることに気付いた。テーマが「承認欲求」「他者との距離感への困惑」と、私が苦しんでいることそのものだったのだ。もしかしたら、私は物語を創ることで、自分を癒そうとしていたのかもしれない。鍛錬が足りなくて物語はちっとも面白くならないが。
    ところで、自分の性格、「恥ずかしがり屋」「目立ちたがり屋」という一見相反する性質の深層について、ちょっとだけ分かったように思う。「自意識過剰」なのだ。私は、本質的に「自意識過剰」な人間なのだ。自分に自信が無い時、あるいは他人に良く見られたいと思った時には「恥ずかしがり屋」になり、自分の自信がある時には「目立ちたがり屋」になる。そして、他者との「間」を捉え損ねた時、「対人恐怖」に陥るの... 続きを読む

  • 河合隼雄の「母性社会日本の病理」を読んでいて、対人恐怖の三つの理念型―赤面恐怖、表情恐怖、視線恐怖―の中でも視線恐怖のほうが重症という記述を見て気になった。
    赤面・表情恐怖はどちらも他者の視線による被害者意識であるが、視線恐怖は見ることによる加害者意識であるそうな。でもって多くは赤面→表情→視線という順で至るからというのが、重症ということの理由であるらしい。

    ・カール・ヤスパースの説によれば神経症と精神病を分かつものは「了解可能・感情移入可能」、つまり「まあ、君の言うことはわかるよ」と言えるか言えないかであり、納得できる場合を神経症とした。

    ・赤面恐怖とは赤面することのできない病。
    赤面しないよう努力すればするほど、「赤面は恥辱の烙印という意味あいをふかめていく。」

    ・〈対人恐怖は、恥ずかしがる事を以って、自らふがいないことと考え、恥ずかしがらないようにと苦心する「負けおしみ」の意地張り根性である。〉
    〈対人恐怖の患者は、自ら小胆ではいけない、恥ずかしがってはならないと、頑張り虚勢を付けようとするために、恥をも恥とせず、却ってますます恥知らずとなる。〉
    どちらも森田の言葉だが、「『負けおしみ』の意地張り根性」とはまさに江戸っ子の「いきとはり」の精神ではないのだろうか……とちょっと気になった。

    ・「破戒的視野拡大現象」という言葉が気に入った。
    視線が破壊力を持つことは、むしろ当たり前のことである。視ることは「あばきだす」こと……それは翻って視られること、すなわち「あばきだされること」を怖れる心とはおそらく不可分ではないだろう。
    加害者意識のあることは倫理観の高さをあらわしているという言葉に慰められる。

    ・〈ようするに患者は、折れそうで折れない、あるいは折れながら折れる気持ちをわかってほしい、といった中間形態、いうならば羞恥の姿を示せないのだ。そこには「間」の困惑の回避があるといってよい。裏をかえせば、「間」への著しい困惑表情がひそんでいるという意味になる。〉

    対人恐怖の中核群のことや恥辱の構造についてもっと知りたかったのだが、他の拙著に誘導されるという……まあよくある商売法で、結論もうまくごまかされた感じがするし、対人恐怖概論という半端さは否めない。

  • 対人恐怖という症状に対し、遠くから眺め分析する研究者の視点で書かれているみたいな文章で、お医者さんか、対人恐怖というものがどんなものか深く知りたい人向けのようです。
    当事者としては、その苦しみに立って理解してくれるわけでなく、観察されているような気分になり、あまりいい印象を持ちませんでした。

    患者のことよりも、症状の考察に夢中になっている様子が思い浮かぶような本でした。

  • 症例とその解説、そして治療法がまんべんなく平易に書かれています。
    普通の精神病理や神経症の解説書とちょっと違うのは、文学的・哲学的な背景について論じている点でしょうか。
    僕自身も対人恐怖的な傾向というのはありますが、あまり意識していませんでした。
    でもこの本を読んで、ああ自分もそのうちのひとつなんだなという自覚を得ました。
    ただ、そこで「ああやっぱり自分は病気なんだ」と感じるか、「なんだ他の人も似たようなものなのか」と安心できるかは、人それぞれかも知れません。

  • 対人恐怖はみな罹患しかねないほどの人気者。ちょっとした歪みなんだよね。人間関係っていうのが、みなさん、煩わしいですか?

  • ちょっと自分に当てはまるけど何か違うなーと思いながら読んでみた。
    日本と諸外国の違いという自分の好きなテーマがちょっと取り上げられてて嬉しかった。

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