今こそマルクスを読み返す (講談社現代新書)

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著者 : 廣松渉
  • 講談社 (1990年6月12日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061490017

今こそマルクスを読み返す (講談社現代新書)の感想・レビュー・書評

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  • 最近衰退の一歩をたどる「マルクス経」をもう一度考え直す一冊。

  • 2017年にマルクスを読み直ししてみた。
    色々な意味で「わかりやすい」。

    とはいえ「歌ってみた」「踊ってみた」みたいなネタのノリでしかない気がした。

  • 名著

  •  270頁の新書でコンパクトな内容だが、難易度が高く濃密。これほど難しい新書、他に知らない。
     終章、国家の止揚(国家の死滅廃絶)まで言及する著者、廣松先生。バリバリの左派ぶりに苦笑。

  • 1989年以降の東欧民主化を経て、1991年にはついに社会主義陣営の盟主たるソ連が崩壊し、事茲に至って社会主義の教祖と崇め奉られたマルクスの権威は地に堕ちた。こうした激動の渦中にあった1990年、著者は『マルクスと歴史の現実』および『今こそマルクスを読み返す』を上梓し、マルクス軽視の風潮に警鐘を鳴らしている。関係主義的世界観と物象化論に定位するマルクスは、物象化によって隠蔽された資本主義経済体制における賃金奴隷制を告発する。それこそが『資本論』の要諦だ。もちろんマルクスも『資本論』執筆過程でいわゆる「修正資本主義」への変容に気付いており、資本主義から共産主義への移行過程、延いては資本主義のアンチテーゼとしての共産主義イメージについても素描の域を出ない。しかし、資本主義が資本主義である限りマルクスによる原理的批判は妥当し、社会主義陣営が自壊した現代世界においても、いかなる未来社会を目指すかは我々自身の課題であろう。

  • アーレントの解説本を3冊読んだ上で『人間の条件』に取り掛かったけれど「どうしてもマルクスが前提知識として必要らしい」と悟り、本書を頼ることにした。

    本書はソ連・東欧が資本主義経済に舵を切った直後の1990年に出版された。20世紀を通して“主流派”であったレーニン主義的解釈を削ぎ落とし、より純粋な形でマルクス思想の“核”を見てみよう、というのが本書のねらいだ。ちなみに、著者によれば、社会主義国家の失敗とマルクス思想の破綻はイコールでは結ばれない。

    第1章では、マルクスが打ち出した新しい「人間観」「社会観」「歴史観」について説明される。

    マルクスは、理性的側面を重視する伝統的な人間観を顛倒させ、「生存のために生産活動を行う動物」としての、より本来的な人間観を基礎に据えた。そして「生活手段の生産=労働」こそ、人間を他の動物から弁別する特徴であるとした。

    またマルクスは、社会が実体的に存在するとする「社会実在論」も、アトム的個人の実在だけを認める「社会唯名論」も斥け、社会を「諸個人が相互に関わり合っている諸関連、諸関係の総体」と定義する。
    そのように定義された社会は、経済の論理に基づく“支配と隷属”に特徴づけられる「市民社会」と、市民社会の階級的利害対立を“調停する”「政治国家」という層をなしている。政治国家は、“市民社会の秩序を維持する”という建前のもとに、市民社会の階級間対立を固定化する傾向をもつ。
    こうした現状を追認しようとする人間一般の傾向もまた社会の特徴の一つとされる。

    マルクスが提示した歴史観は、自然史と人間史を切り離さないというものである。これは人間の生産活動が、自然の制約を受けているということに関係している。
    しかし、人間の歴史を作るのは、やはり自由意志をもった人間である。が、人間の歴史にも一定の法則性がある(ように見える)のはなぜか?それはすべての人間を動かす究極の起動因(=生存のための生産)が存在するから、というのがマルクスの回答だ。

    第2章では『資本論』のエッセンスを概観する。

    マルクスは、商品の価値がその商品の生産に要した労働量の価値(=労働者の生活費)によって決定されるとする「労働価値説」を採った。

    資本家は、賃金を支払って手に入れた生産手段(=労働力)を“所有権”に基づいてフル活用しようとする。結果、労働者は契約以上に酷使されることとなる。ここでは、労働者は自らの「労働」を売るが、資本家は労働者の「労働力」を買う、という不一致が生じている。

    さらに、労働力売買の場においては、買い手である資本家のほうが有利であり、また他方で、労働者は他の労働者との雇用競争にさらされている(のみならず、資本家も他の資本家との競争にさらされているので容易に賃金を上げられない)。結果として労働者は、生きていくために不可避的に資本家にからめとられることとなる(実質的包摂)。

    これらのことから、マルクスは労資関係を「賃金奴隷制」と呼んだ。

    第3章では資本主義から共産主義にどのように移行できるとマルクスが考えていたかが説明される。

    「各人は能力に応じて(労働し)、必要に応じて(給付される)」という新しい消費手段の給付方法の理念型が示されるが、具体的なことはマルクスは述べていないという。
    ただマルクスは、生産手段を国有化しただけでは資本家が国家という法人になっただけで賃金奴隷制は解消されないと考えていた。
    「プロレタリアート独裁」という“過渡期”の必要性を措定せざるを得なかったが、具体的にどのような体制をとるべきかについてもまた、マルクスは何も述べていないという。マルクスはむしろ、貨幣制度の廃止など急進的な制度改革を戒めていたのだそうだ。
    20世紀の社会主義国家の失敗は、1世代ないし2世代で共産主義革命を成し遂げようとしたところと、マルクス自身の理論が貧弱であった(恣意的な解釈を挟む余地が大きい)ところに原因があったのではないか?

    本書を読む前はマルクスに関する知識はほぼゼロだったが、マルクスが展開した思想の概略はつかめたと思う。
    『人間の条件』でつまづいた箇所を再読すると、初回よりも理解できるようになったので一応の目的は果たせたことになる。

    マルクスの思想が現代の資本主義を批判する道具となるのではないかと、密かに期待してもいたのだが、いかんせん本書は古い。現代の資本主義経済をマルクス思想のもとにどのように理解が可能か、という問題については、もっと最近の研究を俟たねばならないのだろう。

    著者には申し訳ないが、著者が共産主義の将来を語れば語るほど空しい気持ちになってしまった。
    むしろ現代の資本主義は、依然として多くの問題を抱えてはいるが、労働法規の発達や福祉制度の充実によって、今さら共産主義を志向するまでもない程度には、一応健全に機能している(マルクスの時代の資本主義の問題をある程度克服している)といえるのだろう、という考えに至った。

  • 一章 マルクスの開いた新しい世界観
    二章 『資本論』で言いたかったこと
    三章 資本主義の命運と共産主義革命

  • 著者のマルクス論を簡潔に提示した入門書。

    著者は、西洋の実体論的発想と対置される、関係の第一次性の立場から、マルクスの思想を理解する。著者は『資本論』の内容の紹介に先立って、みずからの物象化論の概要に触れている。「物象化」とは、人と人との社会的な関係が、日常的な意識において自立的な物象の相で現象する事態を意味する。ただしこの物象化を、心的ないし精神的なものが物的ないし客体的なものへと転化するという仕方で理解してはならないと著者は言う。そうした理解は、近代哲学の二元論的対立を前提としている。だがマルクスは、そうした二元論的な枠組みを解体し、関係の第一次性の立場に至ったというのが著者の理解である。それゆえ「物象化」も、そうした関係が物象の相で現われることと理解しなければならない。

    こうした物象化理解に基づいて、『資本論』の内容が検討されてゆく。まず、投下された必要労働量に応じた「価値」が物象化され、その価値に応じた交換が「等価交換」として思念されることになる。マルクスは、こうした等価交換の考えに基づいて、雇用労働に対する対価が労働能力の生産・再生産費とみなされるようになることを指摘し、さらにそうした資本主義の進展が剰余労働の搾取、領有法則の転回に至ることを論じた。

    他方で、資本主義において労働力は他の商品と同様に扱われることになることに注意しなければならない。それは、労働力の購入者である資本家が、購入した商品である労働力を、みずからの権限で使用できるということを意味している。ここからマルクスは、資本主義において労働者の形式的包摂にとどまらず実質的包摂が生まれ、「賃金奴隷制」が成立することを説いた。

    著者はこうしたマルクスの思想を紹介した上で、資本主義の克服は単なる法的レヴェルにおける生産手段の私的所有制度の廃止だけでは不十分だと述べている。私有財産制を廃して全生産手段を国有化したところで、国家という報人資本家が国民を雇用して賃労働をさせる「国家資本主義」が生まれるにすぎないのであれば、賃労働制度の止揚は実現されない。マルクスは私有財産制の廃止は必要条件の一つにすぎず、労働力の商品化・物象化を止揚した自律者社会を理想的未来像として思い描いていたのだと、著者は主張している。

  • エピステーメーとして、マルクスの時代でつかわれ畸形化しちゃった、手垢べったちの術語が、僕には、どうもこうも、どうしても、うるさくてうるさくて。で、俺、その時代の人間じゃない。ゆえに辛い。ホントそう思う。
    だからつまり、えーと、まずちょっと読みにくいかな?ってな本っていうのがベースにあって、新書なのに真面目系、真面目系なのに飛躍する。そんな感じ。そんな本。うん。ヘーゲル的な流れと現代の問題意識との間にはやはり断層があるんだねって、そうかんじられたたことが、それはそれで収穫で、でもそこから何も感じ取れないのかっていうと、割り切って読めば、愛すべき、いやでも飛んでもごめんなマルクス本。つまり嫌いじゃないねって。
    でもさ、ヘーゲルと現代との間には断層があるって、今いっちゃったけど、間には断層があるって、コトバの使いようによっちゃあ単なるトートロジーだよね。術語とか、その語法とか、そういう畸形化してるとこはいったん置いといて、いわゆる、サルトルとレヴィストロースとか、ファイヤアーベントとか、いろいろ、そういうわかりやすい時代の流れとかその交代って、むしろ、弁証法ってかたちでは、ある意味予言されてるんだよね。期せざる形で達成しちまったわけでこっちから見れば、もう、快哉!いや面白いんだけどさ、むしろ、そういう意味で、いえば、人文には、起源なんてあるのかね。
    そんなこと考えて読んでたよ。
    つまり、あまり集中して読めなかった。
    作者さんごめん。

  • 他の2冊とともに一旦積ん読。理由はサクサク読めないので、時間の無駄感が出てきているので、質も低下している。

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マルクスは人間や社会や歴史をどうとらえ、『資本論』で何を語り、近代資本主義社会の未来をどのように予見したのか?今やマルクス主義は本当にもう無効になってしまったのだろうか?20世紀世界の根幹的思想を、独自の視点と平明な言葉で掘り返し、脱近代への発展的継承を試みる。

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