鎌倉新仏教の誕生: 勧進・穢れ・破戒の中世 (講談社現代新書 1273)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (201ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061492738

作品紹介・あらすじ

法然、親鸞、道元、叡尊ら続々登場した祖師は何を救済しようとしたのか。"官僧・遁世僧"という独自の視点から解く。

感想・レビュー・書評

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  • 黒田俊雄の顕密体制論の提唱以来、いわゆる鎌倉新仏教の理解に大きな進展がもたらされましたが、現在でも一般には旧来の理解が定着しています。本書は、著者自身のこれまでの研究成果を踏まえながら、鎌倉新仏教の革新性についての一般の読者に向けたわかりやすい解説がなされています。

    著者は、法然、親鸞、道元、日蓮といったいわゆる鎌倉新仏教の祖師とされる僧とともに、明恵や叡尊、忍性といったいわゆる旧仏教内の改革派とされる僧たちが、官僧の身分を離脱した「遁世僧」であったことに着目します。当時の仏教界において、官僧は鎮護国家のための祈祷をおこない、「穢れ」を忌避する意識が彼らのあいだに強く存在していました。これに対して、こうした世紀の仏教から自由になった遁世僧たちは、官僧たちがおこなうことのなかった非人や死者、女人の救済に手を差し伸べていたと著者は論じています。

    さらに著者は、中世都市の成立によって「個」の意識の高まり、そうした都市に暮らす民衆たちによって遁世僧が支持されていたという社会的な背景があったことを指摘しています。

  •  先日読んだ『破戒と男色の仏教史』が面白かったので、同じ著者の旧著を読んでみた。

     鎌倉仏教の概説書というと、私は戸頃重基(ところ・しげもと)の『鎌倉佛教』(中公新書)を読んだことがある。が、本書とはまったくアプローチが異なるので、内容の重複はない。むしろ2冊を併読してこそ面白い。

     本書は、鎌倉新仏教の「新しさ」を、官僧(東大寺・延暦寺などに属する国家公務員的僧侶)と遁世僧(官僧の世界から離脱した僧侶)の違いから浮き彫りにしていく。
     というのも、鎌倉新仏教の担い手となった祖師たちの多くが遁世僧であり、彼らは「官僧の世界の在り方に不満を持ち、官僧の特権と制約から離脱して、新しい教えをひらいた」存在だからである。

     現代の私たちにとっては遠すぎて理解しにくい鎌倉時代の仏教界のありようを、本書はいきいきと描き出していく。目からウロコの知見満載だ。

     たとえば、僧侶が葬儀に従事するのはあたりまえだと我々は考えがちだが、中世において、官僧たちは葬儀にたずさわらなかったのだという。

    《この時代、葬式にしろ、非人救済、女人救済にしろ、組織として取り組んだのは遁世僧の方であり、他方の官僧の方は、組織として取り組まなかったのである。その背景には、実は官僧が天皇に仕える僧として穢れを忌避せざるをえなかった、ということがある。》

     官僧たちがどれくらい「死穢」を恐れたかというと……。

    《死穢を恐れるあまりに、死にかけた貧しく孤独な僧侶や非血縁の使用人は、寺外あるいは邸外に連れ出され、ひどい場合には道端や河原などに遺棄されたのである。》

     ひどいものだ。「む、行き倒れか。拙僧が読経してしんぜよう」という、時代劇に登場する慈悲深い僧侶とはえらい違いである。

     むしろ、官僧や神主、貴族たちからは、遁世僧たちもまた「穢れた存在とみなされ」たという。「死穢」などの穢れを恐れず民衆救済を行なったからである。
     現代では「葬式仏教」は仏教の衰退を揶揄する言葉となっているが、鎌倉新仏教の祖師たちが民衆の葬儀に手を差し伸べたことは、じつは画期的・革命的だったのである。
     中世どころか、「東大寺、延暦寺といった官僧の伝統を引く寺院が葬送に従事しはじめたのは、実に第二次世界大戦後のこと」なのだという。

     著者は、官僧たちが「穢れた存在」と見なした非人、女人の救済に遁世僧たちが大きな役割を果たしたことを、それぞれ一章を割いて検証していく(非人とは、ここではハンセン氏病患者や身体障害者を核とした被差別者のことを指す)。

    《ようするに遁世僧たちは、悩める「個人」に直接救済の手を差し伸べていたのに対して、官僧は、鎮護国家の祈祷を主任務としていた。(中略)
     彼等(遁世僧)は、官僧たちが救済活動を行なうとすれば、たえず問題となり制約となった穢れのタブーから「自由」となりえた。》

     官僧たちにとって仏教がまず「国家のため」にあったのに対し、鎌倉新仏教の担い手たちは、自らも虐げられた民衆の側に立ち、民衆の海に飛び込んで救済活動に取り組んだのである。
     釈尊の生涯に照らせば、どちらが仏教本来のありようであるかはおのずと明らかだろう。

     もっとも、「鎌倉幕府も、独自の祈祷集団を編成する必要もあって、戒律を重視する遁世僧たちを大いに保護した」ため、「鎌倉後期には禅僧・律僧の上層部は幕府の『官僧』化」していき、しだいに民衆から遊離していくのだが……。

     「官僧」対「遁世僧」という独自の視座から鎌倉新仏教の特長を読み解き、示唆に富む一冊。

  • 法然の理解に役立った。

  • [ 内容 ]
    法然、親鸞、道元、叡尊ら続々登場した祖師は何を救済しようとしたのか。
    “官僧・遁世僧”という独自の視点から解く。

    [ 目次 ]
    第1章 官僧と遁世僧
    第2章 白衣と黒衣―袈裟の色のシンボリズム
    第3章 勧進の世紀
    第4章 非人救済
    第5章 葬送の論理―死者の救済
    第6章 女人救済
    第7章 鎌倉新仏教の思想―新鸞と叡尊
    第8章 中世都市の成立と「個」の自覚

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著者プロフィール

松尾 剛次:1954年長崎県生まれ。日本中世史、宗教社会学専攻。山形大学名誉教授。東京大学大学院博士課程を経て、山形大学人文学部教授、東京大学特任教授(2004年度)、日本仏教綜合研究学会会長を歴任。1994年に東京大学文学博士号を取得。『勧進と破戒の中世史』『中世律宗と死の文化』『新版 鎌倉新仏教の成立』(いずれも吉川弘文館)、『仏教入門』(岩波ジュニア新書)、『破戒と男色の仏教史』『葬式仏教の誕生』 『知られざる親鸞』(いずれも平凡社新書)など、著書・論文多数。

「2022年 『日本仏教史入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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