戦うハプスブルク家 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061492820

作品紹介・あらすじ

中世的秩序をゆるがし、新たな国家間システムを生み出す契機となった、ハプスブルク家(旧教)・新教諸勢力間の悲惨な長期抗争の推移をたどる。

感想・レビュー・書評

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  • 三十年戦争が起こる背景から終戦までの流れが描かれていて興味深かった。
    戦争を終わらせる事がいかに難しいかがわかる戦争だった。

  • 30年戦争メインだけど、グスタフ・アドルフとヴァレンシュタインがいなくなると、読んでる方も熱が入らなくなるし、頭に入ってこなくなる…

  • 30年戦争にいたるまでがちょっと長い。そしてその後が短い。

    まず本書は「物語」ではないので、興味がないと読んでておもしろくないかも。あと「ウェストファリア体制にいたるまでの30年」みたいな感じではなくて、マックス・ヴェーバーやカール・シュミットとかがでてくる感じ。そういうの好きなひとはたのしめるかも。

  • 30年戦争と聞くとずっと30年戦争が
    続いたような響きがありますね。
    でも違います。

    30年の間に何個か戦いがあって
    その戦いの始まりから終わりまでが
    30年ということ。
    断続的なのです。

    タイトルではハプスブルク家とは出ていますが
    メインは特定の人物なので
    ちょっとタイトルとは異なるかな…
    だけれども本当に戦争というものが
    ふとしたきっかけで起きることが
    よくわかるかと思います。
    (カトリックとプロテスタント間の戦争ね)

    で、興味深かったのは
    戦争ビジネスがこの時代からあったということ。
    そう、それはお金がものすごく動くからね。

  •   「国民」っていうのは納税の義務があるんだが、好きで「国民」に生まれたわけじゃないしなというのは、あり得る反論である。最近、神聖ローマ帝国の歴史に興味があって、菊池良生『戦うハウスブルク家』講談社現代新書1995年を読んだ。
      基本的に中世は君主といっても、自分の土地を領民に耕させて、そのあがりで暮らしていたし、君主の特権といっても塩税とかそんなもんだった。フランスはイギリスと百年戦争(ジャンヌ・ダルクがでてくる戦争)をやっていたから「三部会」(1302年〜)をひらいて、戦費を割り当てて徴収し、財務官も派遣していた。フランスはこの点では「先進的」だったんである。
      ドイツでは、30年戦争(1618〜48)のとき、ヴァレンシュタインという傭兵隊長がいて、軍税制度を作っている。ちなみに1625年ごろの神聖ローマ皇帝はゴリゴリのカトリックのフェルデナント二世、「神の兵役についている」と公言しているイエズス会に教育された君主である。大して戦争はうまくなかったが、帝国をカトリックに染め上げようとして、プロテスタントを大弾圧した。
      30年戦争のはじまりの「ボヘミア反乱」(1618年)は、プロテスタントが前皇帝ルドルフ四世がだした「信教の自由」の勅令をボヘミア貴族が勘違いし、王領に教会をたてちゃったのがはじまりで、これをとがめられると、プラハ城に押しかけて抗議し、ハプスブルク家の代官と書記官を窓から17メートル下に放り投げたのが始まりだった(プラハ城窓外放擲事件:放り投げられた三人は助かっている)。オランダのエグモントもそうだが、このころの「等族」(封建領主の手下)というのは、自分の要求が通らないと「じゃ腕づくで勝負だ」と、すぐに反乱を起こす。それで負けたら、「ごめんなさい」(王の寛恕を請う)で王に従っていた。君主も勝ったら水に流すのが普通だったんである。ところが、フェルデナント二世はボヘミヤ貴族を許さない。反乱の指導者27名を処刑、658家と50都市の領地を没収し、再カトリック化をして、15万人が亡命した。
     ヴァレンシュタインは、プロテスタント小貴族の子に生まれたらしい。両親の死後、カトリックに改宗し、パドヴァで一時期学んでいる。パドヴァといえばコペルニクスやガリレイやヴェサリウスが学んだ名門大学があるが、この時代は傭兵隊長からミラノ大公になったフランチェスコ・スフォルツァが語り草になっており、「下克上」の機運がみなぎっている都市だった。ヴァレンシュタインは金持ちの娘と結婚し、遺産をうけつぐと、これを元手に兵を募って、博打にのりだす。ボヘミア反乱のときにメーレンという土地の金庫を襲い、軍資金を補充すると、フランドル(オランダ)あたりで兵を補充した。分捕った金をフェルデナント二世に献上し、1623年までに50万グルテンを皇帝に貸していた。それで、フリースラント侯になった。
     ヴァレンシュタインは、プロテスタントの同盟軍を押しまくり、一時期15万もの子分がいた。そして、軍事力を背景にメックレンブルク侯までなりあがった。かれが略奪のかわりにやったのが、「軍税制度」である。要するに、ヤクザのみかじめ料みたいなもんだが、とにかく行く先々でこの「軍税」をかけまくって、恒常的納税制度の基礎を築いてしまったのである。
     「軍税制度」は味方にさえ不評で、彼の傲慢な態度もあいまって、フェルディナント二世は、味方である選帝侯たちから「ヴァレンシュタインをやめさせないなら、あんたの息子のローマ王即位を認めない」と書面をつきつけられる。神聖ローマ帝国皇帝になるには、まず「ローマ王」にならにゃいかんかったのである。というわけで、1630年、ヴァレンシュタインは罷免、かれの私兵は縮小され、「甲冑をきた修道士」といわれたティリーのもとに編入された。でも、「軍税制度」は「いいもんできちゃった」ということで、フェルデナント二世がそのまま使ったんである。
     ところが、1630年、古ゴート主義(「すべての言語はゴート語が祖先である」というような考え)に染まったスウェーデン王、グスタフ・アドルフが「プロテスタントの解放者」を旗印にしてバルト海から上陸してくる。1631年9月18日、「ブライテンフェルト会戦」でティリーの皇帝軍とグスタフ・アドルフ軍が激突した。両軍総勢8万であった。ティリーは主君バイエルン公の同盟者の同盟者であるスウェーデン王と戦うことになる。ティリーは歩兵三万の密集隊形、騎兵一万、長槍・マスケット銃の装備であった。マスケット銃は先籠式の銃で当時は火縄式だった。グスタフ・アドルフ軍はなんといっても大砲を活用し、1000人に12門の4ポンド砲を用意した。3人で運べる小型大砲を人間相手にぶっ放したんである。皇帝軍の戦死は1万4千、捕虜7千で大敗した。ティリーも首と胸に傷を負い、右腕は砕かれた。
     1632年、皇帝軍の大敗をうけて、ヴァレンシュタインが総司令官に復帰、同年11月16日、グスタフ・アドルフ軍と激突、「リュッツェンの会戦」である。この会戦でもスウェーデン軍が勝つが、戦闘中、グスタフ・アドルフが戦死した。右耳と目の間に銃創があったという。
     ヴァレンシュタインはその後、スウェーデンやザクセン公と和平を試みるが、第一次司令官時代とちがって気弱になったといわれる。1633年、スウェーデン軍の傭兵隊長ベルンハルトがバイエルンに進攻、皇帝はヴァレンシュタインに反撃を命じたが、動かなかった。領地を荒らされたバイエルン公が罷免を進言、1634年1月24日、ヴァレンシュタインが罷免される。勅書には逮捕もしくは殺すようにあるという。2月25日に皇帝の刺客に暗殺されたそうだ。最後の言葉は「兵舎!」だったという。
     30年戦争は1640年から終戦の交渉に入るが、終結に8年もかかった。最後まで戦っていたのである。末期は戦争のための戦争になり、兵士・妻子・酒屋・売春婦などをつれた集団が食うために各地を襲っていたのである。1648年のウエストファリア条約では、1555年のアウグスブルク宗教和議以来の教派属地権(君主の宗教が領民の宗教となる)が緩和され、君主と領民の宗教がちがう場合も黙認された。「信教の自由」への第一歩である。カルヴァン派が「宗教」の仲間に入ったのもウェストファリア条約である。これによって中世以来の神権政治はトドメをさされた。また、オランダとスイスが神聖ローマ帝国から離脱し、「国民」が形成されていくのである。
     納税制度というのはナチスの「源泉徴収」もそうだが、戦争と関係がある。日本の「郵貯」も戦費調達がもとになった。中国の場合は唐代の「租」が人頭税だが、土地にはなかなか税がかけられなかった。飢饉になると土地を放って逃げ出すからである。土地に住む人間に税を割り当てられるようになったのは清朝が安定してからだとされる。

    1583年の「ケルン司教区戦争」も興味深かった。七選帝侯のひとりケルン大司教ゲープハルトがプロテスタントに改宗して結婚をするといいだし、カトリック側が勝利して、ゲープハルトが追放された。1583年といえば、イエズス会のクリストフ・クラヴィウスによるグレゴリオ改暦(1582)や、マテオ・リッチのマカオ到着(同年)など、イエズス会の活躍がめざましかった時代である。ケルンには1591年、アダム・シャル・フォン・ベル(1611年入会、漢名:湯若望)が生まれている。のちに中国の明朝・清朝のもとで改暦を行う宣教師である。シャルは明末に大砲の製造も行っている。

  • ただの領土争いの繰り返しと見るか、個々の物語の集合と見るか。
    『戦争は他国に任せよ。幸いなるオーストリアよ、汝は結婚せよ』が家訓のハプスブルク家にしては珍しい戦いの歴史、30年戦争。一言でまとめるならば、カトリックとプロテスタント間の宗教対立に端を発する、ハプスブルクとそれ以外の国々の領土争い。ハプスブルクが戦いでプロテスタントに圧勝し、カトリックの領地さえも抑えようとするとかえって反ハプスブルク連合の結束は固まり、スウェーデンが筆頭となって台頭すれば今度はハプスブルク側に人が集まり、またしてもハプスブルクが一方的な条約を押し付けようとすると今度はフランスが表にでてきて、スウェーデンとともにドイツ国内を荒らしつくす。こうして国を視点にして見ると、ただ各国が領土を争う繰り返しの歴史でしかないが、人に視点を移すと、そこには物語がある。

    厳格なカトリック教育の結果により、新教を絶対に許せなくなる皇帝フェルディナント2世、一介の傭兵隊長から軍の総司令にまで登りつめるも、疎まれ惑い、自らの君主に殺されるヴァレンシュタイン。新しい戦術で圧倒的な戦火を上げながら、混乱した戦場であっけなく倒れる北方の獅子グスタフ・アドルフ。文官ながら敵地で国王を失った窮地の自軍を立て直す、獅子の右腕ウクセンシェルナ。カトリックだろうがプロテスタントだろうが、自国のために裏から介入するフランス枢機卿リシュリー。筆頭戦勝国でありながら、臣下の反対を押しのけ多くの権利を放棄したスウェーデン女王クリスチナ。

    恥ずかしながら全く馴染みがなかったが、1618年という西洋の戦国時代とも言うべき政治・経済・宗教・思想が大きく変動する時代だからこそ、多くの英傑が誕生したのだろう。どのような過程があってこの歴史に到着したのか。また、ここから如何な時代へ発展するのか。激動の時代は続く。

  • 宗教戦争といわれる三十年戦争が一体どんな戦争だったのか、国家間の戦争でも、宗教間の戦争でもなく、封建領主たちの死闘であったことを痛感します。そしてそれを機会に絶対主義により国家の成立が進んでいく。ファルツ、ザクセン、ブランデンブルク選帝侯ら、今では国ではないわけですが、ドイツ成立前夜の動きが面白いです。ハプスブルグ家フェルディナンド2世そして3世がその中心にありつつも、デンマーク、フランスの参戦。そして、スウェーデンのグスタフ・アドルフという英雄の登場、そしてグスタフの死去に伴い、スウェーデンの新女王についたクリスチナの平和への切なる願いから、彼女の大幅譲歩が戦争を終わらせた・・・。しかし、彼女は戦争終結後、プロテスタントからカソリックに改宗したという不思議。全く知らなかった新しい歴史に今更ながら、これまでの無知を感じました。

  • 近代の国家併存システムはいかに生まれたか17世紀前半、最大にして最後の宗教戦争“三十年戦争”は新たな国家間システムを生みだした。世界帝国を目ざすハプスブルク家はこの時代の流れにどう対応したか

  • 出版された順番から行くと逆なのだが、この本の前に菊池先生の「傭兵の二千年史」と「神聖ローマ帝国」を読んでおいたほうがいい。あと、読みながらそれらの本を参照するとよりわかりやすい。

    人物やものごとの「意味」は、作られるものだから、ほんとうはまず「年号」と「場所」と「人物名」を押さえるべきで、教科書というのは極めてその点で(いろいろ意見はあるだろうが)「公平」に作られている。
    でも、つまらないし頭に残らない。

    この本は、物語ではないが、「30年戦争」という、結果として近代の条件を整えた出来事を、ハプスブルグ家という「神聖ローマ帝国」の皇帝と、それを取り巻く人々に焦点を当てて読み解いたもので、読みやすく、印象に残りやすい。

    とはいえ、やはり名前だけの人や事件、背景がわかっていないとすっきりしない部分もあるから、この本の後で菊池先生が書かれた上述の2冊の本から読むのが良いと思う。

    今までベルサイユのばらですら読んだことがなかったが、その150年前に起きた「自由選択の主体が現れるには、特定の生活から引き剥がされるという極めて暴力的な過程を経なければならない。リベラリズムがヨーロッパで出現したのはカトリックとプロテスタントとの30年戦争あとである。(ジジェク「暴力」)」と言われた特別な事件であるこの事件について、包括的に知ることが出来て本当に良かった。

    この本だけでは☆4だが、上記の2冊とマリアージュして☆5です。

  • 様々な要素が混在する三十年戦争を、やや物語調で描いていて、非常に楽しく読むことができました。
    ベルンハルトやヴァレンシュタインなどの傭兵隊長がいかにして三十年戦争に関与したか。特にヴァレンシュタインに関する記述は興味深かったですね。
    また神聖ローマ皇帝フェルディナントの理想も面白い。皇帝軍は最初こそ快進撃だったものの徐々に勢いを失っていく・・・。ハプスブルク家の、この戦争を通しての栄枯盛衰がよくわかります。
    そしてなんといってもグスタフ・アドルフのスウェーデン軍です。彼の登場が三十年戦争にとってどれほどの衝撃だったかを活き活きと描いていて、読んでいてわくわくしました。教科書などではグスタフ・アドルフの戦死後は詳しく書かれていませんが、オクセンシェルナやトルステンソンの活躍もしっかりと記述されています。

    新書ということもあり、気軽に三十年戦争を学ぶのはもってこいの本だと思います。また読みやすい文体で、飽きることなく一気に読めてしまうのもいいですね。

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著者プロフィール

1948年生まれ。早稲田大学大学院博士課程に学ぶ。明治大学名誉教授。専攻はドイツ・オーストリア文化史。著書に『ハプスブルク家の人々』(新人物往来社)、『ハプスブルク家の光芒』(作品社)、『神聖ローマ帝国』(講談社現代新書)、『ハプスブルク帝国の情報メディア革命─近代郵便制度の誕生』(集英社新書)、『超説ハプスブルク家 貴賤百態大公戯』(H&I)、『ウィーン包囲 オスマン・トルコと神聖ローマ帝国の激闘』(河出書房新社)、訳書に『ドイツ傭兵の文化史』(新評論)などがある。

「2022年 『ドイツ誕生 神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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