「時間」を哲学する (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 30
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  • Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061492936

作品紹介・あらすじ

過去は消え去り、未来は到来する。過去-現在-未来という時間の常識的理解からは見えてこない「過去と未来の正体」を考究する。

感想・レビュー・書評

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  • 通常殆どの人が想定する過去ー現在ー未来が一直線上にあるという見方がぐらつき、色々な場面で語られる時間に違和感を持つようになった。

  • 中島は、心身二元論の根本にあるのは、現在と過去との対立だと言う。これは、客観世界とは過去の集積であり、現在とは主観というところから理解できるように思われる。そしてこの二元論からすれば、自然とたどり着くのは、過去の否定であろう。還元すれば、現在中心主義である。自分は主観によって世界を認識している、それは現在である。だが、この認識ということすらも過去となりうる。そこにはタイムラグがある。だとすれば、純粋視覚やもっと簡潔な言い方をすれば直感至上主義となる。これは西田にも当てはまるだろうし、個人的には自分もここに含まれると思われる。この考え方の過去への姿勢として、過去はそのものとして思い出せないというところが挙げられる。過去を思い出すときは、文章的に想起される。なぜならば、そこにはそのとき感じた感情や感覚は伴わないからである。それは文章を読んでいるときのある種の淡々とした気持ちが伴うのである。だが、そこにも感慨や感傷と言った者は伴いうる。三木清は、過去とはすなわち感傷であると述べて過去を攻撃していたように思われるが、個人的にはそれに賛同したくもある。つまりここでいう過去とは感傷用に都合よく美化されたものとなってしまっている。そして都合の悪い部分は取り除かれる。取り除かれなければトラウマなどとして異常状態として定義される。ちなみに中島は時間の空間化をベルクソン同様に批判している。この空間化は、時間軸を連続性で捉えようとする在り方であり、とはいえ時間は実際にはこのように連続をしてなければ空間的でもない。むしろ、我々は生きていくために空間的な時間を無理やり取り入れている。それゆえに、「あっという間に終わってしまった」などといった感慨をもらすこととなる。とはいえ、中島はベルクソンのように「純粋持続」といった言葉でぼかすことも嫌がれば、過去を亡き者として現在中心主義へと進んでいくことに対しても、違うと考えている。中島はむしろ、過去こそが基軸となっているのではないか?と考えを進める。この取り掛かりとして、この心身二元論を用いる。つまり我々は過去=客観世界=不在の可能性が無ければ認識なんてものもできなければ見ることもできないのではないか?そして過去を語る場合には必ず現在が含まれる。そうしなければ過去は成立しえない。だとすると、無理に心身二元論へと分割すること自体がそもそもおかしいのではないか?現在と過去は不可分であり、我々が過去を語るには現在が含まれ、現在を語るにも過去が含まれる。それでは現在と過去との境界はどこに存在しているのか?それは我々が過去を想起するときであり、還元すれば文章化するときと言えると中島は考える。我々にとって認識することは文章化することであり、想起もイメージは浮かぶものの、そのイメージは文章を読む際のそれに似ていると中島は言う。実際はこれでは零れ落ちるものがあると思われる。イメージが浮かぶ際には、文章的なものと認識など無い視覚先行のものがあるわけで、それは夢に近しい。とはいえ、大森は過去を夢のようなものであり存在しないのだと述べている。大森からすれば夢とは文章なのであろう。その哲学観はかなり強烈な現在中心主義によって支えられており、それは更に言えば強烈な自我によって裏打ちされている。そういえば大森はヴィトゲンシュタインに影響を強く受けた独我論者だったそうなので納得がいく話である。さて、中島に戻るが、中島は結論としては上述したが、現在と過去しかなくて、それらは不可分の関係にあると述べている。我々は強烈な現在中心主義に陥りやすいが、しかし冷静に考えれば我々が捉える「今なるもの」は実は過去との区別においてしか生じないと中島は言う。このあたりは正直賛同しきれない。つまり、中島は直観を捨て去ろうとしているのだろうと思われる。直観によってぼかされるのが嫌なのだろう。それゆえに現在は過去によって認識される、と説明をつけているのだ。だが、これは説明に思われてならない。ちなみに未来について言えば、中島は未来なんてないとすっぱりと言ってしまう。我々が未来というものは、現在あれこれ先のことを考えているので現在に含まれる。レヴィナスやらハイデガーは未来に重きを置き、とりわけレヴィナスにいたっては絶対的他者、無として未来を表現しているが、彼らが言うところの未来は現在であり、彼らは無と言いながらも無以上の厚みをこめている。つまり現在をやせ衰えさえ、その分未来に可能性を託している。その内実は彼らが現在を分断させているだけなのである。また過去のA地点から過去のB地点を指して、「A地点から見てB地点は未来だった」と言うことはできるが、この文章自体が既に過去形となってしまっており、過去から延長された未来でしかなくこれはトリックであり実情はただの過去である、と中島は未来を跳ね除ける。この論調から言えば、中島は心身二元論に対しても実はそれらは不可分であり片方があるから片方が認識されるのだと考えているのではないかと類推される。ちなみに、中島の以上の時間論は、心理学的に言う大脳への蓄積とはいかなることか?といった問いであり、ある種の科学史観よりも更に一歩突き詰めようとする試みと言える。個人的には時間は二つあり、一つ目がカレンダー的な空間化された時間。もう一つは、主観的な時間。とはいえ、カレンダー的な空間化された時間も、人類という種によって構築された主観的な時間と言える。そのような意味で我々は人為的に時間といった概念を作り出している。我々が必要なのは結局のところ現在だけである。現在があれば生きていけるし、現在しか生きれない。その現在は無限の現在であり厳密には特定されえない現在でもある。現在がある以上、そこには過去が含まれる。未来は可能性として推測されうるものとしてしか存在せず、それは現在に推測されるという点で現在となる。さて、ここで時間は主観か?主観でないのか?このあたりは相対正論や量子力学を交えた上でのかなり高度な議論になりそうで今は手が出せそうもない。

  • p.2023/3/2

  • 第1回アワヒニビブリオバトル「時」で紹介された本です。
    2015.06.10

  • ふむ

  • 某所読書会課題図書.過去が重要だという主張は理解できないわけではないが、次々と関連引用が飛び出して、さっきまで何を議論していたのか分からなく場面が続出.読書会のメンバーも解読に苦慮していたようでしたが、哲学者がこのような思考をすること自体、並みの人にとっては理解できないことも含めて、その存在を認識する必要があるとの指摘もあった.

  • ■メインテーマ
    過去と未来の正体とは?

    ■筆者が最も伝えたかったメッセージ
    過去とは、過去の出来事を現在想起することで、
    未来とは、現在の心の状態。

    ■感想
    過去を知っている、過去が自分の中に生きているから、現在は支えられている。

  • 現象学系の「現在中心主義」を否定し、「過去中心主義」を唱えているが、結局のところ著者自身が「現在中心主義」から脱しきれていない印象を受けた。「未来本物論者」への否定として、「未来は無であり、未来は現在である」という論理にはそれなりの説得力があるとは思えるが、これは未来を現在化しているにすぎない。他方、「過去からスタートせよ」と主張したところで、過去からスタートするのは結局現在でしかないのでは?と思えるのだが。しかも、最後の最後に「剥き出しの<今>」に触れてしまったにも関わらず、これを回収せずに終わってしまっている。本人曰く、「大逆転劇」との事だが、これは過去中心主義者として蛇足だったのではないだろうか?

  • 解った気になれるよ

  • 2016/9/11読了。

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著者プロフィール

1946年生まれ. 東京大学法学部卒. 同大学院人文科学研究科修士課程修了. ウィーン大学基礎総合学部修了(哲学博士). 電気通信大学教授を経て, 現在は哲学塾主宰. 著書に, 『時間を哲学する──過去はどこへ行ったのか』(講談社現代新書),『哲学の教科書』(講談社学術文庫), 『時間論』(ちくま学芸文庫), 『死を哲学する』(岩波書店), 『過酷なるニーチェ』(河出文庫), 『生き生きした過去──大森荘蔵の時間論, その批判的解説』(河出書房新社), 『不在の哲学』(ちくま学芸文庫)『時間と死──不在と無のあいだで』(ぷねうま舎), 『明るく死ぬための哲学』(文藝春秋), 『晩年のカント』(講談社), 『てってい的にキルケゴール その一 絶望ってなんだ』, 『てってい的にキルケゴール その二 私が私であることの深淵に絶望』(ぷねうま舎)など.

「2023年 『その3 本気で、つまずくということ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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