- Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061493223
作品紹介・あらすじ
始祖・鎌足から不比等、良房らをへて道長に至り、ついに満天に輝く望月となった藤原一族。権謀、栄華、零落、風雅、伝統…。今に伝わるその足跡をたどる。
兄弟の熾烈な争い――伊尹死去の天禄3年(972)、兼通の権中納言に対して兼家は大納言になっていた。このような同母兄弟間での官位の逆転は異例と言える。この状況からすれば、伊尹の後継者には上位の兼家が有力と、誰しも思ったであろうし、その可能性は大きかった。しかし、実際に関白の座についたのは兼通のほうであった。そのいきさつを『大鏡』に見ると……。兼通は、いずれ弟に追い抜かれることを見越してか、円融天皇の母である妹の安子皇后から生前に「関白をば、次第のままにせさせ給へ、ゆめゆめたがへさせ給ふな」(関白職は兄弟の順にご任じなさいますように、決して違えてはなりませぬ)と書いてもらい、これを御守りのように大切に首にかけて持ち歩いていた。そして、伊尹の死に際して円融天皇の御所に行って示した結果、これが実現したのだという。……このようにして弟に勝った兼通は、いとこの右大臣藤原頼忠を補佐役として政治をおし進めた。この体制で5年目が終わろうという時に兼通は重病に陥った。ここで『大鏡』は、またもや兄弟の熾烈な争いを伝えている。――本書より
感想・レビュー・書評
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鎌足から不比等、良房をへて道長へ。
藤原一族の権謀、栄華、零落、風雅、伝統を詳説しています。 -
学校に通っていた頃は歴史が嫌いで大した勉強をしていないこともあり、藤原氏の歴史を通じて平安~室町あたりの日本史を改めて学んだ。栄華を誇ったのは一時のもので、武家社会の到来と共に苦しい境遇に追いやられたことは知らなかった。
面白かった。 -
新書文庫
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このよをば わがよとぞおもふ もちづきの かけたることも なしとおもえば
藤原氏はどこから来てどこへ消えたのか。
平安の世へと思いを馳せる。 -
題名通り、藤原氏について学ぶ人の必読書。
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歴史の授業ではいつの間にか姿を消した藤原氏。その後も五摂家として家は続き、現在にまで受け継がれている。平安時代と近代については非常に興味深く読み進めることができたけれど、人が入れ替わり立ち替わりで中盤部分があまりついていけなかった。
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日本史、特に奈良~平安期に興味を持った人であれば、その存在を避けて通れない藤原氏。個人的には、もう少し鎌倉期以降の記述があると良かったかな? とも思います(当然かもしれませんが、道長の扱いが大きいです)が、鎌足に始まるその流れを短時間で掴むにはちょうど良い一冊と言えます。この本をきっかけにして、気になったり、興味を持った人物や時代を詳しく調べていくのも楽しいと思いますので、たまには戦国時代や幕末期だけではなく、この辺りにも目を向けてみてはいかがでしょうか?
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皇統に巣食うことで権勢を確立して1000年。
貴族と呼ばれた人々の権謀術数を紹介。
最終章が栄華を謳歌した貴族の没落を書いているのだが、もはや貴族とは名ばかりで、そのタフな生活力はレベルアップした「町人・改」とかそういうの。 -
中臣鎌足から始まる藤原氏。中学で習った日本史の最初のヤマ場は「大化の改新」と記憶するが、この事件の重要性をあらためて認識した。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
道長の頃に摂関政治のピークに達するも、世の中が武士のものなるつれ、その望月にも陰りが見え始る。それでも摂関の制度そのものは藤原氏により江戸末期まで脈々と続いたというのが驚きだ。(例外は、関白の秀吉と秀次だが、彼らですら藤原氏を名乗るために養子縁組の小細工を要した)
千年の系譜を語る本書には、当然ながら多くの人物が登場する。既知なのは鎌足、不比等、道長、頼長(大河ドラマで知った)ぐらいだし、千年を一冊に凝縮された内容なので、すべてを覚えきれない。それでも摂関制度という特異な政治様態を勉強できるし、歴史の大河を感じられる読み応えだ。