「複雑系」とは何か (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 48
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  • Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061493285

作品紹介・あらすじ

21世紀を解く最大のキーワード「複雑系」。生命、自然、物質、社会、経済。あらゆる事象を取りこみ展開していく新たな「知」のパラダイムとは。最先端科学の現場にあなたを誘う恰好の入門書。

感想・レビュー・書評

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  • ・「複雑系」という言葉、いつの間にか聞いたことのある単語になっていたのだが、実際はどういうものか、知らないままだった。

    ・「複雑系」、正確には複雑系の科学とは、一見まとまりのなさそうな事象の背後に存在する原理を抽象する、というものだ。例えば水族館なんかで見ることができるイワシの群れの動き。ミクロで見るとイワシが好き勝手に泳いでいるのだが、総体=群れのマクロとして見ると、一つのムーブメントとして映る。これをCGで描きたいと思った時、一匹一匹の動きを指定するのではいつまで経っても作業が終わらない。しかし、動きの基本ルールをインプットして、後は自動計算で動かせると効率がよい。映画Matrixでロボットの大群がザイオンを襲撃するシーンなんかや、ロード・オブ・ザ・リングでオークの軍勢の動きなんかがそうなのだが、そこで複雑系の理論を使ってプログラミングされているらしい。

    ・何となく、現実世界において、複雑に絡まりあってる現象を解明する分野、という印象を持っていた。これまでの科学的研究の前提は単純化され過ぎていて、実際にはもっと様々な要素が複雑に関連している現象を解明できない、そのため、複数の系の関連を前提に取り入れた学問の分野、という感じ。

    ・比較的歴史が若い学問分野であり、また、その出自から学際的な性格を内包している。一種、「現象学」とでも呼ぶべきものかも。もちろん、これは哲学の現象学とは違う意味でだけど。

    ・この本の著者はサイエンスライター。

  • 非常に難解だった。複雑系に関する本を何冊か読み、再読しよう。 近代自然科学が複雑なものを単純化し、そこから「真理(イデア)」を追求するといったものだった。 しかし複雑系は今までの複雑さを多くの部分を捨象して、単純に理解しようといった今までのスタンスを反省して、複雑なものをそのまま捉えようとするといったものだ。 つまり複雑系は私達に「世界の見方を学び直すこと」を求めているのではないのだろうか。

  • セルオートマトンのところの話を除くと、複雑系やカオスなどの中身の話よりも、それを取り巻く人や環境についての話がほとんど。タイトルから期待していた内容とはだいぶ離れていたけれど、読み終わってから思い返すと、確かにタイトル通りの本であるような気がした、通例に反して。
    セルオートマトンの考えは自分の知っている数学に近いところがあって、久しぶりに新しく勉強してみたいものが増えた。
    170901

  • 正直言うと、哲学志向のある文系諸氏のために書かれた書物と言える。なので、哲学志向がない人にとっては鼻にかかったように思われる表現が多々見られるとは思う。また、理系諸氏からとっては、理論にばかり偏っていて物足りない内容と言えるだろう。とはいえ、この著者への弁護をさせてもらうのならば、これはこれでいい。著者は確かに所々自己満足的な表現をしているところもあるけれど、哲学には科学哲学という分野があり、著者は自身のためにも、現代的な最先端を行く一種のモンスターである複雑系を、「哲学的に置き換える」という試みに駆られて本著を仕上げたものと思われる。哲学と科学を真っ二つに分けて考える人もいるようだが、発端的には一緒であり途中で枝別れてしていっただけなのである。哲学は技巧にも走っているものの、本質的なところでは理論にとどまり、科学は技巧へと走ったというだけのことであり、しかし、技巧へと走った科学を一度見直すべきなのではないか?という問いを著者は発しているのである。

    これは別段科学に限った話ではない。文系学問でも同じことが言える。近年は本質的な問題はやりつくしたとして、あるいは過去の偉大な人物と張り合えないとして、技巧的な問題に取り組む研究者が増えている。これは、20世紀が技巧に走る時代であったというのもその理由であろうが、しかし、それでは今ある本質的な理論は完璧なのか?というとそうじゃない。なぜなら、未だに説明のつかないことが多々あるからであり、それは現象であり、事象であり、状態であったりするわけだけれども、なぜ、それらが説明がつかないのかというと、結局のところ、技巧に走るために、一種の「仮定」を設けてしまっているからである。科学で言えば、実際には社会や自然は外部と、エネルギーや物質を交換しながら動いているものの、計算上では、エネルギーも物質も交換していないと仮定して計算を行っているのである。誤差が生じるならば、誤差に補正をかければいいというのが現代の科学なのである。しかし、そこにもまた限度がある。なぜ、天気予報があれだけあたらないのか?それは、仮定上の計算でしかないからである。しかし、それでも天気予報がそれなりにあたるのは何故なのか?そこには気象予報士の長年の経験から生まれる勘が考慮されているからである。といった具合に、科学で説明のつくのは仮定という条件が設けられているからにならず、科学万能主義などという考え方自体が幻想以外の何者でもないということが徐々に明らかになりつつあるが、本著が書かれたのが、今から十五年ほど前になるのに、一般大衆からしてみればその幻想は未だに打ち破られず根強く残っているというのが実情である。だからこそ、本著には価値があるし、一般的な文系人がこの概念を理解するためには、そこには哲学的な体系が役立つであろうとも言える。哲学はありとある学問の中枢を担う役割を兼ねているし、それゆえに文系にとっては哲学がありとある学問理解のキーとなりうるのだ、とうことに遅まきながら気付きつつある。


    また、哲学的な志向を取り入れて、科学を理解しようとすればそれは難しいものではない。確かに、実際に科学的な実験を数値的に理解することは困難でも、示唆していることは理論として置き換えられるのである。古典力学による決定論と、統計力学による確率論、現代科学ではこの二つの手法によって相互補完的に事象に説明をつけようとしているようだ。しかし、古典力学も、統計力学も同じように仮定の上に成り立っている。なぜなら、まずは古典力学によって捉える、しかし、説明がつかない事象が起こる、それを統計力学で捉えようとするが、しかし、統計力学は作用反作用を除いた仮定上に成り立っている、いわゆる、簡略化された学問なのである。ということは、古典力学はそれだけでは全ての事象を説明しきれないし、統計力学はそもそもが妥協の上に成り立っている学問である、という点で、「複雑系」が生じる原因が必然的に生じるのである。そして、著者はこの複雑系を、哲学で言う、「現象学」と類似した概念であるとしている。現象学は、つまり、客観世界が在るなどというのは幻想であり、我々が主観の相互的な妥協に生み出しているものに他ならないという考え方なのであるが、これが「複雑系」にも当てはまるというのだ。つまり、客観世界=絶対法則などがあると信じるほうがおかしくて、主観の相互承認=主観の相互認識?=現象の相互作用?などの妥協によって、世界が構成されているとするものなのではなかろうか?言うなれば、「複雑系」というやつの正体を掴むことは不可能かもしれないし、だからといって、無理だと捨て置くわけにも行かず、負けるかもしれないけれども立ち向かわなければならない、ある種の根源的な原理こそがその正体なのかもしれない。その点がむず痒く感じる読者もいるかもしれないが、哲学を齧っていれば、おいそれと簡単に出るような答えなど答えではなく、むしろ考え続けることにこそ、つまり「複雑系」に取り組み続けるその姿勢こそに価値があるのだと気付くのではなかろうか?

  • エピソードは面白いが、科学を扱う新書としてはあまり良い本ではない。いかんせん、哲学のタームが多すぎる。複雑系を語るのに現象学を持ちだすのは、良識あるサイエンスライターのやり方ではない。
    どうも哲学者は科学を哲学のサブセクションとして位置づけたがるが、その試みはたいてい失敗に終わる。その第一の理由は、総括を試みる哲学者が、科学の最前線に立ってもいなければ、科学を俯瞰する能力も持っていないからである。第二の理由は、哲学の静的な原理的思考が、科学という学問の現在進行性に対しあまりにも無頓着だからである。哲学に出来ることは、せいぜい科学の過去を位置づけることだけであろう。哲学的なパラダイム論からは科学の未来はうかがえないし、ましてや科学を語るのに哲学的思想をアナロジーとして援用するのなどは以ての外。科学はいまだ発展途上の学問であるし、哲学も然りである。両者の垣根を飛び越える際には、十分な思慮が必要である。
    吉永良正はもう少し良心的なサイエンスライターだと思っていたが、本書において彼は哲学に逃げ込んでしまったようである。確かに、現象学の衒学的なタームは著作に重厚な香りを与えるかもしれないが、その香りは偽りの香りでしかない。本書の末尾には、現代思想の無思慮なアナロジーを批判する一節があるが、ならば本書全体に散りばめられている現象学のアナロジーも、同様の批判を受けねばなるまい。☆2つ。

  • コンピューターの人工知能を作る歴史がよく分かる本。 とても面白い! マリーゲルマン… クォークの発見で、ノーベル物理学賞受賞した彼の人工知能への取り組みなど書かれてます。

  • 「複雑系」全般について記載されてある
    けど、タイトルで「複雑系とは何か」と銘打っているわりに、複雑系の定義そのものが曖昧

    科学分野というか哲学よりな表現が多い
    そもそも、もっとすっきりした論理構造と文章で説明できそうなものなのに
    わざと複雑な文章で書き記しているのかと疑ってしまう


    25年以上前の本
    確かに昔はカオス理論とか複雑系が摩訶不思議で、バタフライエフェクトのように中二病めいた魅力があった
    でも、今やコンピュータの処理速度も上がって、昔は計算できなかった事象も解析できる部分が増えてきたわけで
    まったく理解できない分野でもなくなってきてる

    世の中、複雑な動きに見えて実はシンプルなルールに従っているだけという事もありますよね

  • 30年前の本だが、複雑な事象を日本人は複雑なまま受け入れることが得意なんじゃないかと書かれていて、現在との違いを感じた。
    今の日本人は複雑なことは単純に、長い映画はショートで、政治的な思考は仲間内だけで。
    出来事をありのまま受け入れるのが得意な時代なんてあったかなあ?グローバル化したということなんだろうか

  • 105円購入2011-11-09

  • 1997年が初版とやや古い本ですが、内容はそれほど古くもなく、複雑系についてのおさらいとして読むには良かったです。
    ただ物理や数学の用語だけでなく哲学の用語も多々使われていて、普通に読むにはちょっと疲れました。また例も「ティコ・ブラーエとケプラーみたいな関係」って呼んだ瞬間に「わかる」例ではなく、えーと誰だっけ?で思い出すのがちょっと大変でした。(例としてはかなり良い例だと思いますが)

    「見えざる手」を例として、複雑系を説明しているところは、とても良い。

    とりあえず読んで、それぞれ気になったところを掘り下げたい気持ちが湧いてきて良かったです。あと『枝分かれ』を読む前の準備として呼んでおいて良かったかもと思いました。

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著者プロフィール

1953年生。京都大学理学部および同大学文学部哲学科を卒業。大東文化大学文学部准教授(哲学・論理学)。サイエンスライターとしても活動。『数学・まだこんなことがわからない』(91年度講談社出版文化賞科学出版賞)、『「複雑系」とは何か』(講談社現代新書)など多数。

「2011年 『神が愛した天才数学者たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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