これがニーチェだ (講談社現代新書)

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著者 : 永井均
  • 講談社 (1998年5月20日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061494015

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これがニーチェだ (講談社現代新書)の感想・レビュー・書評

  • タイトルが不遜だとして批判している評を頻く見かけるが、誤読するを語るに落ちていることに失笑せざるを得ない。もちろんこのタイトルは意図的に一種のギャグであり、ニーチェ流デュオニソス的明るいニヒリズムの正鵠を得た表現である。ニーチェキーワードを時系列に並べながら、むしろ非論理的に、古い言い方ならスキゾ的に論を進めた挙句の最終章での「全否定という肯定」との結論に開いた口がふさがらなかった。だがむしろそれは、難解で長ったらしい数式の解がゼロになるような快さがある。感動的だ。ほとんど引かれていないが、本当に必要な個所でのニーチェ本人の境遇の記述により、本稿がむしろニーチェの人間像をも明確に浮かびあげさせ、かつ章構造自体が、ニーチェ的あまりにニーチェ的な虚無的世界を表現する仕掛けとなっている。最終章の躁病ともいえる筆運びがニーチェ晩年の発狂を想起させるほど。永井均はニヤニヤしながら本作を書いていたに違いない。

  •  ニーチェはニヒリズムの人だ。ニヒリズムというのは一般的には全てのものごとには意味や価値なんてないという考えだろう。
     以前,哲学史の本でニーチェの考えに触れたとき,私の心はすごく動揺した記憶がある。もちろん,ニーチェの考えの表面的なことしかそこにかかれていなかったが,自分の心をひどく動揺させた。

     道徳的に正しいとか言われることは,ただ偶然に社会に好都合であるから,誰かが考えたその論理が「正しい」とされ残されてきたにすぎないのかもしれない。世の中で正しいと言われていることは偽りなのかもしれない。
     強者は優良であることを,弱者は善良であることを「よい」とする。しかし,どちらも自分の立場から見た視点から自分を正当化する論理でしかないのだ。

     これを見て,キリスト教において,キリストの言った言葉を思い出した。

     ”この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
     イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」”

     もし,これを金持ちが実践し,資産を投げ出し,貧しくなったときに前記の考えに至った場合,どうすればよいのか。正しいと思っていたことが,ただの虚偽でしかなかった場合,絶望するだろう。正しいとして行ったはずなのだが,宗教の教えや道徳は弱者が自分を正当化するための一つのツールであり偽りに過ぎないんだったら,どうすればいいのだろう。
     ニーチェの考えを知るためにこの本を手にとった。入門書というわりには,そのことについて説明される前に,その後の概念がちらほら出てくるため,思っていた以上に難しく感じられた。
     しかし,最後まで読んでみて,なんとなく少しわかったような気がする。もちろん哲学者が人生をかけて考えたことを一瞬で理解することはできないのだろうから,これからよく考えてみないといけないだろう。
     結びにニーチェの引用でこのようなものがあった。
    『私に「道」を尋ねた者に私はこう答えた。「これが――私の道だ,――きみたちの道はどこか?」と。万人向きの道など,存在しないからだ。』
     私の生きていく道についてこれからも考えていきたいと思う。

  • 昔読んだような気がするが、なんとなく気になって読むことに。結果、大正解。誤解を恐れずに言えば、たいしたことは言ってないんだが、当たり前のことを回りくどく言う、いや示すのは気持ちいいなと。

    もちろん完全に永井さんのことを理解はしてないが、この本から肉をそぎ落として骨だけにするとそうたいしたら、相対主義のパラドクスを道徳的な展開をしたということになるんではないかと。
    あと、ニーチェを読んでいて存在と時間の実存主義に近いよな、と感じたがそれは中途半端なニーチェ主義なんだろう。むしろ突き詰めていくと、ハイデッガーの嫌ったダスマンの方が超人に見えてくるのは気のせいか?

    導入の仕方が秀逸。なぜ人を殺してはいけないかという問いをもってきて、道徳的に答える大江健三郎をこき下ろす。誠実に、正直に考えるなら、人を殺してはいけない理由なんてあるわけないのだ。そもそも問い自体が道徳的で、その目的を達しようと思うなら答えを言うのではなく、この世界に生きることがどんなに素晴らしいのかを伝えたほうがいい。至極もっともな話で、思わず妻に読ませて2人で共感した。

  • ややこい、わからん。章扉のデザインかっこいい。歴史に残るような思想は、多分どれも、他になすすべがなかった人によって、苦しまぎれに、どうしようもなく作られてしまったものなのである。

  • 「続・18歳の読書論」和田 渡(著)よりニーチェの道案内にと

  •  序文。ニーチェは役に立たない。哲学を、世の中にとって有益な仕事とみなす傾向にあってはなおさらだ。ニーチェから答えを受け取ってはならない。ニーチェは誰一人として問うことのなかった問いを独力で抉り出した。それは答えることが不可能なほど巨大な問いであった。ニーチェは余計なことをしたのだ。われわれを魅了してやまないニーチェの余計な問いとは。

  • 2014年11月2日読了。

  •  
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1//4061494015
    ── 永井 均《これがニーチェだ 19980520 講談社学術新書》P20-21
     
    http://q.hatena.ne.jp/1409547408(No.7 20140902)
     
    (20140902)
     

  • 筆者の解釈ではあるが、ニーチェ哲学の危険な面も含め、純粋に学問的に、容赦なく解説している書。(筆者の言葉を借りると)反社会的な内容が多分に含まれる。
    社会人が読めば怒りを覚えるかもしれないが、学生が読めば一般にタブーとされる内容にまで踏み込んだ議論がされているのでスカッとするかもしれない。

    また、筆者はニーチェ哲学に世の中的な価値はないとの立場だが、一概にそうとは言えず、ニーチェの結論である「人生の無意味さを楽しむ」という思想は、社会人にとって極めて実用的な考え方だと思う。
    これを実践すると、些細な失敗や意見の相違が気にならなくなるので自然仏のような性格になってゆくだろう。ストレス耐性が高まるし、人当たりの良い性格は人を惹きつけるので、成功への道が開けやすくなるはずだ。

    私自身、大学受験浪人時代に読んで、強烈な影響を受けている一冊。

  • とても興味深く読めた。
    おそらく難解であろうニーチェをわかりやすく解説してくれている。とはいえそれでもじっくり読まないと途中で分からなくなってしまうけど。
    ニーチェの思想の変遷を、筋道に沿って追って行っている感があり、納得しやすい。
    いろいろと参考になることが書いてあるので、また読みたい。
    以下、印象に残った考え方。
    動物の最大の幸福は過去を忘れること。
    物には固有の価値基準があるが、人間にはそれがない。

  • これが永井さんのニーチェか。よくもまぁそこまで考えられますな〜(・・;)

  • ニーチェに関しては、客観的で一様な解釈ができないところにその難しさと面白さがあるといえよう。
    本書は永井均氏による「私の」ニーチェ論。
    氏はニーチェの危険性を十分に知った上で、ニーチェ観点からのニーチェ批判を展開している。
    ニーチェは、氏も指摘しているように全く役に立たない!哲学は主張ではなく、問いかけである。
    本書では、第一空間(ニヒリズムとその系譜学)、第二空間(力への意志とパースペクティブ主義)から第三空間(永遠回帰)までにニーチェを見てとり、解釈をしてゆく。
    少し内容が難しいため初学者にとってはニーチェ入門とはなりえない本であるが、テキストを読み解く上での思索のヒントを多く提示してくれるものと思いたい。
    私はさして「私のニーチェ」など追求しようなどとは意志しないが・・・。

  • ラクダ獅子子どもの変化に対応するように三つの空間からニーチェ思想を解説。ラクダから獅子に至る誠実さがそもそも持っていた子どもの無垢さで空間が繋がるって発想が面白い。あと聖なる肯定に至るまでに、誠実さを持って真理を追ったこと、聖なる肯定自体を意思するのでは達成されないこと、この指摘も説得力がある。言葉にするのではなく、それを示すことしか出来ないというのはえもいわれぬものを扱う哲学っぽい。原典やウィトゲンシュタインについても知りたいと思った。面白かった!

  •  もしも「ニーチェが愛読書です。」という人がいたら、ヤバいやつかもしれないと警戒すべきだ。ニーチェの思想自体は社会の中では、いかなる意味も持たない。どんな意味でも役に立たない。それだけではない。徹底的に反社会的な思想ですらある。にも関わらず、彼の仕事は偉大であったし、最も重要な哲学者のひとりであるということは永遠に変わらないだろう。

     彼の論理空間はどういったものであったのか。

     ニーチェの第一空間は、誠実さと嘘が対立する空間である。キリスト教道徳が誠実さというものを育て、やがて、その誠実さがキリスト教道徳の欺瞞を暴き破壊する。

    第二空間では、力への意志説、パースペクティブ主義が誠実さから生成される。

    第三空間では、運命愛と永遠回帰説が示される。


    「神は死んだ」とは有名な言葉であるが、どういうことであろうか。それは世の中の神性全体がもはや修復不可能なほどに破壊されてしまったのではないかという誰も立てたことがなかった問いを立てたのである。神なき世界ではニヒリズムが生まれることになる。
    三段階のニヒリズムが。

    第一は、人格神的なキリスト教の「神」が死んだということ。
    第二は、「神」が生きている。ゆえに<神>は死んでいるという根源的ニヒリズム
    第三は徹底的に「神」が死んだゆえに<神>が生きかえるという徹底的なニヒリズムだ。

  • 言い回しが難しい。その中でもいい言葉はあったと思う。何回も読めば、もっとわかってくると思う。

  • ニーチェの認識Vs永井さんの反論という形。誰も彼もが抱える弱者であると言う意識を的確についた本。もっとも、僕も彼のパースペクティブに侵されているのかもしれない。

  • 何年か前に読んだ時、全く意味不明でした。一応捨てないで、そのうち読もうと思います。

  • 読了日は判らないので古い日付で適当に。まず外連味たっぷりのタイトルがいかにもニーチェ的。全部で9箇所つけた折り目の最初のページを見ると(11P)、"ニーチェ"なる名称が17も出てくる(正確には16.75箇所)。ぼんやり眺めているだけでゲシュタルト崩壊しそうだ。序文に『ハイデガーやドゥルーズや……の解するニーチェは、私には何の意味ももたない』とあるが、本書もまた然り。本書はニーチェ読解を進めていく上で、ニーチェ的批判を回避するためのヒントを与えるだけであり、自分で考えない者には単なる閉じた書物でしかない。

  • ひとつの概念の意味を理解したつもりでも、全体としてつかめなかった。あとがきににやにやした。

  • 20111104喜久屋書店学園都市

  • 二ーチェが唱えた「力への意志説」と「パースペクティブ主義」は弱者のものの見方を一般化したものだ、という著者の主張が興味深かった。
    解釈への意志が自分の不満と欲望を世界に投影したものであることを、もっと意識しようと思う。

  • これで積んでいた永井はけっこう消化したかな、あと一冊くらいか。永井は好きなんだけれども、なんかいつも同じこと言っているような気がしてそのあたりが少々もういいかなと思ったりもするんだけれども読めばひきこまれる。ルサンチマンの哲学を既読しているのである意味で目新しさは感じなかったけれども、第一空間、第二空間、第三空間ということで永井なりのニーチェ観いや哲学観を表現したものが本著だと思われる。ある意味で永井の集大成といった具合か?

    この空間構造の把握が少々いまいち粗いとは思われるのだけれども、第一空間にいるのは駱駝だと描写される。これはツァラトゥストラのどこかに描かれていたはず。駱駝っていうのは、砂漠をひたすら歩き続けるわけで言うなればこれは僧侶とも言える。ひたすら修行をして、「汝なすべし」という教えに従うわけである。あるいはその教えに従わせるわけである。そこには意思はない。少なくとも力への意志はない。そこにあるのはルサンチマンである。怨恨である。本当は力をほしくて仕方ないのである。ここに一種の逆説がある。力への意志はないくせに力がほしくてならないという逆説。これは他律であり、その意味において非宗教的である。かくしてこの嘘つきの僧侶であり駱駝を乗り越えるために出現するのが第二空間である。ここでは力への意志こそが正しいと言え、それはパースペクティブ主義となる。つまり自らの意志なのである。それゆえに「我欲する」気高き虎となる。これは他律の駱駝に対して自律していると言えそうである。ここには高貴なる気高き意志がある。だがそれゆえに彼は自分の視点からしか物事を捉えられず、実は自分が僧侶と同じようなルサンチマンを繰り返していることに気づいてしまう。だが、これに気づくのは彼以外のパースペクティブから彼を観る者が、である。そこで繰り返されるルサンチマン。すなわち、ルサンチマンとは僧侶の卑怯さである。彼らは、勝負の枠組み自体を変えてしまうわけである。彼らは強者を同情することによって強者を弱者に貶める。それでいて自らは弱い振りをする、あるいは強さを求めていない振りをする。そもそも勝つために勝負の枠組みを変えた癖をしてである。この構図を見破ったという点において永井は非常にニーチェを評価しているようである。さて、だが、そもそも力への意志は僧侶を批判する形で生み出された概念である以上それはルサンチマンからは切り離せない。賭すればどうなるのか?ルサンチマンが永劫にめぐり続けるだけである。すなわち、ニーチェの恐ろしさは絶えず片方を批判することでもう片方の在り方をさもそれが答えであるかのように提示することであり、しかしそれがまたルサンチマンを繰り返しているということがニーチェの罠とも、あり地獄とも言えるものなのだろう。では第三空間には何があるのか?それは肯定である。だが、それは肯定を肯定として意識しない肯定である。つまり肯定を肯定として意識してしまえば、それは否定の反対の肯定という意味で肯定を意識してしまう。そこには否定に対するルサンチマンが含まれてしまっている。そこから逃れるためには肯定を肯定として意識しない皇帝が必要であり、それは神であり子供である。純真な子供である。だが、それは清らかな心と言う意味での純真さではなくて純真に生物を殺し純真に生物を虐げ純真に生を楽しみ純真に疑問を抱くという意味での純真さに他ならないだろう。だからそれは決して天使のような都合のよい存在ではないだろう。下手をすれば悪魔とも言えるものがそれである。とりあえず、永井を読んでいて思うことは、永井も決してこのルサンチマンの輪廻から逃れられないということであり、永井自身もそれを自覚しており自覚した上で、第三空間に達しそうして第一空間へと戻っていこうとしていく人々を見守ろうとしているのではないか?あるいは... 続きを読む

  • ニーチェにすがる弱者(ニーチェを僧侶とするニーチェ教徒)の復讐意志をこれでもかと暴いてしまう本。ニーチェに共感してしまう人間に対し、誠実な哲学的冷や水を浴びせかけてくれる。良書。

  • 論理的に位相の同じ話を「空間」という比喩で語る。初めに、三つの空間を設定し、空間相互の関係を随時紐解く。ニーチェその人を崇拝するような本ではなく、ニーチェが自身の思考において何をしようとしたのかを分析し、評価を加える本である。解釈と批評がまぜこぜにしてあるので、読みやすくもあり、詳細な理論はわかりにくくもある。第一空間ニヒリズム、第二空間パースペクティブ主義、第三空間永遠回帰という構成で組まれている。高度に論理的である反面、論理そのものに内在するジレンマを明確化したことに意味があると感じた。少なくともニーチェの世界観に共感することのできる人間は、感受性は高いのかもしれないが、ある面でとても鈍感で、また絶望的な人間だと思う。

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これがニーチェだ (講談社現代新書)の作品紹介

哲学は主張ではない。問いの空間の設定である。ニーチェが提起した三つの空間を読み解く、画期的考察-。

これがニーチェだ (講談社現代新書)のKindle版

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