ハイデガー=存在神秘の哲学 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061496002

作品紹介・あらすじ

この世に〈在る〉ことに何の意味があるのだろう。
難解なハイデガーの思索を解きほぐし、存在の深奥を見通す!

この世と出会い直すために――
この本を書くにあたり、なにより導きの糸になったのはハイデガーである。だが、それにしてもなぜことさら、ハイデガーなのか。理由はじつに簡単。存在の味(意味)について、まともに考え、ちゃんと応接してくれる哲学者は、かれひとりしかいないからだ。
ぼくもあなたも死ぬ。その死のとき、こうして生まれ、この世に存在し、そして死ぬことの意味を得心して死にたいとおもう。すくなくとも、ぼくはそうおもっている。
哲学。それはまさに、そんな得心のための思考のいとなみのはずである。だが、にもかかわらず、哲学の歴史をみるとき、ぼくたちのそんな質朴だが痛切な問題に、こたえてはこなかったようにおもわれる。
生きて在るって、どういうことだろう。この世はなぜ存在するのか。そんなこの世にぼくが存在しているのはなぜか。
この本は、そんな「存在への問い」をもういちど堀りおこしながら、それにこたえていこうというものだ。――(本書より)

感想・レビュー・書評

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  • ページを開いてまず驚くのは、
    読んでるこっちが恥ずかしくなるような、
    おかしな書き方をされた文章。
    「こりん星にでも住んでんのか?」って感じ。
    これはガマンするしかないですね。

    あと読み手に対する敬意がイマイチ感じないものの、
    ところどころで「おっ」と思わせるところもありましたので、
    この書き方さえ克服できれば、
    それなりに良い本なのかなと思いました。

    あと気になったのは一般化が激しい点。
    二分法思考を「健全で普通な自然な思考習慣」みたいなところ。
    二者択一とハイデガーの対比というのもいいのだけれど、
    結局は「それって二者択一かハイデガーかの二者択一じゃね?」と思えて気になった。
    よく読めば違うのかもしれないけど。

  • 古東さんの本は2冊目なのだけど、『現代思想としてのギリシア哲学』は大学時代にぼろぼろになるまで読んだので、思い入れのある筆者。本書の対象はハイデガーであるが、テーマとしては近しいように感じた。
    ぼくはハイデガーを全く読んだことはないので語る権利はほとんどないような気もするが、本書によるハイデガーはかなりわかりやすかった。たたし、ここで書かれてあるハイデガーの”意図”(と思われるもの)へ、実質的に至るために、ハイデガーは詩的な言語を用いたはずなので、逆説的に、ほんとうに理解するならハイデガーの著作を読まねばいけないのだろう。
    上記のことが第4章までに書かれているのだけど、個人的には「第5章 惑星帝国の歩き方」がいちばん興味深かった。というのは、上記を踏まえていかに生きるか、という倫理的な問いをしているからだ。

  • 個人経営の古本屋に入って何も買わないわけにいかないような雰囲気になったところで手に取った一冊。ハイデガーについて語る著者の文体がアツイのだが…。
    「なぜわ、何かが存在しているのか。むしろ、なんにもないのではなかったのは、なぜなのか」
    ちゃんと読もうとすると疲れる。頭が元気な時に改めて読み直したい。

  • 読みやすく書かれているけど、その内容は、かなり深い。

    「存在」がそもそも有り得ない稀有な出来事であること、むしろ「存在=無」であること、近代以降の我々人類がゲシュテルの中に生きていることなどなど、ハイデガー哲学のエッセンスを実に小気味よく論理的に、それでいて流れるような筆致で書いている。
    ナチズム参画の意味や放下というスタンスについても、大きなヒントを与えてくれる。

    皮相的な欲望充足で満たされた気になっている僕ら現代人が、見て見ぬふりをしている実存的な不安…そんな心のつっかえを少しだけ溶かす手立てになる一冊。

  • 全体的にくどいのだけれど、
    その分噛み砕いて説明してくれているのだとは思う。
    入門書として適切かどうかは判断がつかない。
    トータルとしては満足。

    ニヒリズムに対するハイデガーとニーチェとの違いを、
    "向き合う"と"超える"で対比してくれたのは
    分かりやすいと感じた。

  • ハイデガーは鬼門だ。本書もずっと読み続けられずかばんの底にとどまっていたのだが、ある日ある時すっと読み遂げられた。なるほど、そういうふうに「存在」と「時間」を認識するのか、とあっけなく納得。福岡伸一さんの生物論といっしょに考えるとより納得です。

  • ハイデガーの存在哲学へのまたとない手引き書。
    ハイデガーの哲学は内容ではなく「道」であること。

    存在は非在であること。
    だからこそこの世は「ニヒリズム」であること。
    そのことをみなが覚ることを期待したことがナチスに捕らわれた動因だった。
    乗り越えるヒントもハイデガーは示していたこと。

    印象としては非常に東洋的なものを感じました。

    ☆4.5ですね。なんで5じゃないかはいいにくい。5でもいいけど、途中、冗長な気がしたからかな。

  • <ハイデガーの示した道程は、浄土世界に向かう>

    ナチに加担したにも関わらず反省の弁を述べなかったとして、
    また、
    教え子の可憐な女子大生ハンナ•アーレント(後に政治哲学者として有名になる)に手を出して恥じなかったとして、
    猛烈な批判を受け、既に過去の遺物と化したかに見えるマルティン•ハイデガー。
    だが、全くそうではない。
    ハイデガーは毀誉褒貶を浴びながらも、実は今の今まで読まれていなかったのだと、著者は断言する。

    二十世紀の天才哲学者ウィトゲンシュタインの遺稿を徹底的に読み込んで、「ウィトゲンシュタインはこう考えた」を著し、決して出版された著作からだけでは読み取ることのできない、ウィトゲンシュタインの思想の本質を掴み出してみせた鬼界彰夫の優れた業績に匹敵する仕事を、著者古東哲明はハイデガーに対して行ってみせた。

    古東は、新資料を徹底的に読み込み、その上で、驚くべき結論を導き出してみせる。
    通常、ハイデガーは、ハイデガー哲学という孤高の巨塔を作り上げた、体系的、構築的な哲学者であると言われている。
    それに対して、著者は、ハイデガーには体系も構築も無い、と主張するのだ。
    それではハイデガーの長年の哲学的営為とは何であったのか?
    それは<存在神秘>へと向かう、厳しい道程を指し示すことにあったのだ、と結論付ける。

    「存在と時間」という難解な著作を<道程>として、ハイデガーと一緒に辿ること。
    その過程で見えてくる全く新しい景色。
    それは、存在の否定性を180°ひっくり返す、存在肯定の景色だった。
    哲学的言辞を弄することなく、著者自身の腹の底から絞り出した言葉で、且つユーモアを込めて語る著者のスタイルは信用するに足る。

    ハイデガーの見出した<存在神秘>の景色とは、森羅万象の全てに仏の存在を見出した鎌倉以降の日本仏教の世界に極めて近い。
    佛教の悟りを、西洋哲学で語ると<存在神秘>となるのだ。
    ハイデガーは何故こうした思想に到達したのか?
    それは彼がエトランジェ(異邦人=他界から来た者)だったからだ。
    ユダヤ人であるハンナ•アーレントがハイデガーに強烈に惹きつけられたのも、多くのユダヤ人が彼を信用したのも、彼が他界からの視線を持っていたからに他ならない。

    古東は、<存在神秘>と並んで、<存在驚愕>という概念を良く使う。
    存在すること自体に<驚愕>すること。
    存在すること自体が<驚愕>すべき事態なのだ。
    ハイデガーのいう<世人>=ダス•マンとは、驚愕すべき存在を当たり前のものと思って生きている、普通の人々のことだ。
    <存在驚愕>を覆い隠し、存在を当たり前のようにものとしてしまう日常を転換するための視点転換を、古東は<他界からの視点>と呼ぶ。
    我々は<他界>=アナザー•ワールドから一時、この世界を覗きに来ているに過ぎないのだ。
    直ぐに、アナザー•ワールドに戻らなければならない。
    帰る前に、この世界を眺め味わうに如(し)くはないない。
    アナザー•ワールドから来た異邦人にとって、この世の全ては驚きに満ちている筈だ。
    それこそが<存在驚愕>。

  • 近現代における存在忘却を克服する、というのが主題であるが、理性至上主義や意識中心主義を始めとした形而上の概念を留意すると、結論として「放下」の態度をとりながら存在神秘への眼差しをむけ続けることが「良き」生き方、本来的刻時制に沿った生き方になるとのことだった。しかし、死を引き寄せ「近き」生に目を向け続けながら放下して生きるということに対して個人的ではあるがいくつか疑問がある。ひとつは倫理。これは一般的な意味の倫理のことであるが、日常生活を送るにあたって必要不可欠のものである。がしかしこの倫理は「遠き」未来を前提としたものが多いはずであり、どう調整すればいいのだろうか。二つ目は、根源的だが、死の視点から生を見つめて生きることが存在神秘に目醒めるのに重要な生き様とのことだが、これは、この生き方は戦争を肯定してしまう可能性を孕んでしまっているものではないか。戦争という、常に死が隣にいる状況下においてこそ生を感じられるというのは真理の一端だが、しかしもはや我々は戦争を肯定するわけにはいかないはずである。それとも、かの謙信が理想としたような「常在戦場」概念に近しいエートスなのだろうか。分からないことがたくさんあるのでもう一度読み込んでみようと思う。

  • 『存在と時間』を通読してから、本書を読みました。難解な、というかちんぷんかんぷんな『存在と時間』に一歩近づくことができる、いい本だと思います。

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著者プロフィール

広島大学名誉教授、NHK文化センター教員/専門は、哲学、現代思想、比較思想史。
著書に『瞬間を生きる哲学: 〈今ここ〉に佇む技法』(筑摩書房 2011)、『沈黙を生きる哲学』(夕日書房 2022)他

「2024年 『談 no.129』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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