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この作品からのみんなの引用
みんなの感想・レビュー・書評
最近のアニメは時間ループものが多いなぁと思っていたら、この本で詳しくそのことが解説されていた。
ゲームだけでなく、n次創作の文化にすっかり馴染んでしまった私達にはその世界にリアリティーを見出すのもなるほどなー、と思いました。
ライトノベル→キャラクター小説 自然主義的リアリズム→透明 まんが・アニメ的リアリズム→不透明 ゲーム的リアリズム→半透明 自然主義的読解→物語的主題 環境分析的読解→構造的主題 >日本文学は、一〇〇年前に自然主義を輸入し、六〇年前にそれをマンガに輸出し、三〇年前にその理想をあらためてマンガから逆輸入することで、キャラクター小説を生み出したまんが・アニメ的リアリズムには、そ... 続きを読む »
取り上げられる作品は新しくなったがベースの理論は変わらないか。
ビジュアルノベル、清涼院までは買えるが、どうしても舞城をそこまで評価できない(単に、描写が不快だからなのだが)。
本作から4年たった今、筆者の目はもうこの分野には無いのかもしれない。
後半はまるで僕の精神の分析でもされているかの如くだった。この中だと『九十九十九』くらいしか読んでないが、たしかにこの時代精神に影響を受けているのだろう。
前作よりも刺戟的。
なるほどキャラクター小説の読み方とはこうか、とひざを打つことしばし。
もちろん作品の選定に偏りはあるとはいえ。
さすがあずまん。
先日の芥川賞選考における、石原都知事の「自分の人生を反映したリアリティーがない」との指摘に対する返答である。石原都知事の指摘はある意味でもっともであり、しかしある意味では的外れである。動物化するポストモダンと本著を通読し、その意味が理解できた。そしてそこから今まで考えられることのなかった「寓話的で幻想的でメタ物語的なポストモダンの実存文学」の系譜に目を向けることができる。
大きな物語の消尽のあと、もはや自分が動物=キャラクターでしかないことを知りながらも、それでも人間=プレイヤーでありたいと願ってしまう私たち自身(東浩紀)の、実存に関わる一読のみならず、人生において何度も読み返したい一冊。
第4週 2/1(水)~2/7/(火)
テーマ メディアとコミュニケーション
↓貸出状況確認はこちら↓
http://yamato.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/ctlsrh.do?bibid=BB00151914&maxcnt=1000&listcnt=50
読んでるけど読みかけで長い間放置してる(けど完読する気はある)のでとりあえず登録しておく。
こっちも読んだ
ラノベに関しては、受け入れがたい対象だったけど今どうだろうなあ
あと思ったのは、あんま著者のこと知らないけど趣味で美少女げーはスキなのかな
「物語」は不定形なものであり、書き方も、読み方も、それが姿を現す場所も、昨今においては、確率論でしかないように僕には思えていたのだけど。 その考えを大きく覆してくれた、『ゴーストの条件〜クラウドを巡礼する想像力〜』(村上裕一)から遡ることで、本書へと辿り着いた。 これはもう、東さんかっけー! という気持ちしかない。 美少女ゲームやキャラクター小説も、実際に自分で触れ、しかもかなり... 続きを読む »
普段受け身で享受している情報に対して客観的に分析されている。こういう見方があるんだと感心するばかり。二次元的なメディアがテーマの中心ではあるが,一般的なものの見方とか考え方を学ぶのにも最適ではなかろうか。
前著「動物化するポストモダン」の論旨を引き継いで主に美少女ゲームとライトノベル(キャラクター小説)について論じた内容。コンテンツ志向メディアとコミュニケーション志向メディアの対立・混ざり合いについては納得できた。ゲーム的リアリズムについてはよくわかっていないし、全体としてまだ未消化。文章量が多く付録的な文章もあるので要点を絞って読み直したい。
魔法少女まどか☆マギカとか見たので再読しました。
作品論にウエイトを置いた書籍で特にループ物についての解説が秀逸です。
先日、筆者がまどマギについて語ってましたがこの本に書いてることと一貫してて笑いました。
西尾維新や舞城王太郎などの講談社ノベルス作家、馴染み深いハルヒシリーズをとりあげ、それらの作風と絡めながらいわゆるポストモダンの現代社会を批評している。そういうことだったのかと思えるような面白い分析、前作の動物化するポストモダンよりもとっつきやすいかもしれない。
大きな物語の終焉と小さな物語の氾濫、増殖がポストモダンの特徴であると著者は指摘する。前近代においては、人々は神話や民話を通して現実を、近代では写実的現実を表現した自然主義的文学から現実を、知ろうとしたのに対して、ポストモダンではキャラクター小説にみられるデータベースを前提として成立した新しい現実を求めることになっている。理想の時代・虚構の時代が過ぎ去り、いまや、身体性を伴った快感原則の追求が希求... 続きを読む »
なにもかもが目新しい。もはや物語は、必ずしも現実を描く必要はない。想像の環境にストックされたデータベースを参照しつつ、キャラクターを通じて物語は産出される。しかも、その物語にリアリティを感じている人たちがいる。ラノベを1冊も読んだことがなく、びっくりしながら読んでいる。
批評のなんなるかを知るには最適。ゼロ年の作品をもとに批評が行われているため飲み込みやすい。
ポストモダン下では大きな物語は衰退し、データベース消費に基づいた小さな物語が多発し、また消費者はそれを受け入れている。ラノベや小説、ゲームの中に存在する一貫した部分を著者は見出しているし、実際説得力がある。作品を作る側はもちろんひとりひとり違うし、個性が出てくるのは当然なんだけど、実はそのひとつひとつも大きな枠組みの中で見ればどれも一貫してゲーム的リアリズム性を持っている。環境分析的な視点はなるほどなーと思いました。

筆者は、「まんが・アニメ的リアリズム」という大塚英史の概念と、「ゲーム的リアリズム」という著者自身の概念を用いて、ポストモダンにおける「オタク文化」を分析する。ただし、単なる「オタク文化」の分析に留ま...






