共産主義批判の常識 (講談社学術文庫 44)

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  • Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061580442

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  • 再建と共産主義◆東欧と西欧◆エルフルト綱領の教訓◆社会主義批判◆マルクシズム概観◆階級と民族◆搾取論◆共産党宣言の今昔

    著者:小泉信三(1888-1966、港区、経済学)
    解説:気賀健三(1908-2002、東京、経済学)

  • まず思ったのは「彼はよくわかっているし、マルクス主義者としても遜色ないであろうし、そもそもそうでなければ批判ができない」というごく当たり前の感想を抱いた。彼はマルクスの理論をよく学んでいるし、マルクスとエンゲルスのみならず、カウツキー、レーニン、トロツキーやスターリンなどもよく読み込んだ上でこの本をしたためたのであろうと推察した。とりあえずマルクスを批判したいだけなら、この本を読めばよいであろう。革新政党の矛盾性や、マルクスの価値学説に関しては、よく承知している。
    しかし、この本に対する批判も、マルクスを奉ずる側からも当然出ているであろうし、出ていなくとも可能であろうと考える。特にレーニンやスターリンの著作は厖大で、小泉信三氏がどこまでそれを読み込んだのであろうか、それは私は知りえない。
    結論としては、マルクスとエンゲルスの理論とその影響力は極めて大きいということに尽きる。保守・革新問わず、読まれるべきであると考える。

  • 自由主義の立場から、共産主義ないしマルクス主義の問題点を指摘しています。

    著者はまず、マルクス主義では労働者の窮乏が進むことで資本主義から共産主義への移行が必然的に起こるとされていることに触れています。問題となるのは、社会政策による労働者の経済状況の改善に対してマルクス主義者はどのような態度を採るのかという問題です。この問題は、エルフルト綱領を批判する中でも再度論じられることになりますます。

    次に、労働価値説に基づく計画経済が成り立たないことを指摘したミーゼスの議論が紹介されています。これに対しては共産主義者の側から「競争的社会主義」という解答が提出されましたが、市場によって達成されるはずの需給の均衡を、あらためて煩瑣な官僚的手続きを経て公定するというのは、弥縫策以外の何ものでもないと著者は批判します。また、政府官僚による専制政治をもたらすというハイエクの指摘にも言及されています。

    「階級と民族」と題された論考では、マルクス=エンゲルスの民族観にメスが入れられます。汎スラヴ主義の立場に立つバクーニンとの論争の中でマルクスたちが示した態度や、北欧やイタリアに対する彼らの発言を通して見えてくるのは、無国籍で民族性に左右されないはずの階級闘争史観が、現実にはヨーロッパにおける民族間の軋轢を再生産するものに成り下がってしまっているという事実でした。これは、現在もっともアクチュアルな問いになっているように思います。

    このほか「搾取論」と題された論考では、新古典派経済学の立場から、マルクスの労働価値説の問題点が指摘されています。

    著者自身が「本書は社会主義共産主義に対する批判の常識程度のことを記したものである」と述べているように、問題点を深く掘り下げるという性格の本ではありませんが、明解な言葉でマルクス主義に向けられなければならない問題が語られており、興味深く読むことができました。

  • 本書のタイトルどおり共産主義に対する一般的な(本書が売れたから一般的になったのかもしれないが)批判を行っている。いわゆる新自由主義(市場万能主義)への対抗勢力として、マルクス主義的な考え方は残っており、反グローバリズムの運動などは国際協力と繋がる部分もあるので、こうした考え方も知っておいてよいと思う。

    タイトル通りなので、この本が悪いわけではないが、批判に終始してしまっていたことと、同じ内容の批判が繰り返しでてくるので、揚げ足取りのようにも感じられてしまったことが残念。

    共産主義に共感する人も、批判する人も読んでおいたほうがよいだろう。

  • マルクシズムの方法論、後期マルクス批判は今日でもこの一冊で充分である。それほど小泉のマルクス論批判は根本的で簡潔である。

    興味深いのは、小泉がマルクス自身の根本的な思想については批判を加えていないことである。この著がマルクス・エンゲルスの学説批判であり、マルクス思想批判ではないからかもしれないし、彼は経済学者だったからということかもしれない。
    しかし、彼の弟子に若きマルクス主義者が居たことや、非マルクス主義政党の理念政策なきことをも批判していることを勘案すれば、僕はこういう仮定ができるのではないかと思う。すなわち、正しく共産主義批判をすることによって、マルクスの理念を今日的方法で実現することができると彼は考えて居たのではないか。そのためには、旧来の、既に乗り越えられている共産主義に拘泥してはいけない。

    「もしも共産党の存在そのものが他の諸政党に対する反省発奮の刺戟となるならば、それは同党としてわが国民に為し得る何よりの貢献であろう」という序の言葉は、小泉の政党政治に対する希望が読み取れるし、それが打ち砕かれて久しい今日、我々は過去を学んで新しい道を開拓しなければならない。

  • 昭和24年の第五版(古本)で読んだ。小泉氏の6本の論文を収めている。「再建と共産主義」では労組による賃金引上闘争が賃金基金の争奪戦であることを説き、最も弱いものにしわ寄せがいくことを指摘する。貧困は分配の問題ではなく、生産が足らぬためであるとし、「よく働く」ことを提唱し、長い努力が必要だとする。「東欧と西欧」では、マルクスは西欧において過剰生産と過剰労働力によって、資本主義が「耐え難き」状態で自壊すると予言していたが、戦争で「耐え難い」状態になった国で革命が起こったとする。「社会主義批判」ではミーゼスの計画経済の不可能論をもとに社会主義を批判する。つまり、労働力以外がすべて公有ならば、価格がつけられず、交換が難しくなる。これに対して、社会主義の側から公定価格で交換が行われるとの議論がでたが、それでは資本主義の価格調整システムの方が効率的だし、公定価格は官僚への賄賂や闇価格の温床になることを指摘している。「マルクシズム概観」では主に余剰価値の批判する。生産物の価格は投入された労働のみで計られるのではなく、まず生産物そのもの価値があることを述べる。つまり生産物の価格と労働賃金との差は、支払われない賃金、つまり資本家の搾取ではなく、生産物が労働そのものより価値があることを起因するという。また、唯物史観の批判では、人間が歴史を自由につくるのではなく、物質的基礎があること、これは重要な観点だとするが、歴史の発展は必ずしも資本主義の後に社会主義がくるとはかぎらない。唯物弁証法が共産主義の実現によって停止するということも根拠が薄弱であるとし、そこにマルクスが脱却したはずのヘーゲル哲学の影響をみている。「階級と民族」では、革命と民族主義の関係を示し、1848年の二月革命を中心に、マルクスとバクーニンの民族問題に関する態度を歴史的に述べている。マルクスやエンゲルスがスラブ民族を蔑視し、中小企業と同じように、没落すべきだとしていたと指摘し、バクーニンこそ民族問題の先覚者だという。第三編の「エルフルト綱領の教訓」では、職業革命家のジレンマを指摘している。つまり、共産主義革命を成就するには資本主義を崩壊させねばならず、そのためには民衆の福祉を犠牲にし、資本主義が「耐え難い」ものになるがままにする必要があるが、それは反民衆的な態度であるというジレンマである。革命家が自分たちこそが民衆の幸福を代表するという態度には、職業軍人に似ていると指摘している。

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著者プロフィール

経済学者、教育家。明治21(1888)年、東京三田に生まれる。普通部より慶應義塾に学び、体育会庭球部の選手として活躍。明治43年、慶應義塾大学部政治科を卒業し、慶應義塾の教員となる。大正元(1912)年9月より大正5年3月まで、イギリス・ドイツへ留学。帰国後、大学部教授として経済学、社会思想を講ずる。大正11年より昭和7(1932)年まで庭球部長。昭和8年より昭和22年まで慶應義塾長を務める。昭和24年より東宮御教育参与として皇太子殿下(今上天皇)の御教育にあたる。昭和34年、文化勲章受章。昭和41(1966)年、逝去。著書に『共産主義批判の常識』、『読書論』、『福沢諭吉』など多数あり、歿後には戦死した長男を追悼した『海軍主計大尉小泉信吉』が刊行された。また、『小泉信三全集』(全26巻・別巻1)、『小泉信三伝』等が編纂されている。平成20(2008)年には「生誕120年記念小泉信三展」が慶應義塾大学三田キャンパスで開かれ、多くの来場者を集めた。平成28年に歿後50年を迎えた。

「2017年 『小泉信三エッセイ選 2 私と福澤諭吉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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