参禅入門 (講談社学術文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061587175

作品紹介・あらすじ

禅には理論や思想なども必要であるが、“体験の宗教”であるから実践的には直接正師につくことが第一であり、書物ならば体験にもとづく手びき書こそ最も重要であろう。本書は、ある禅界消息通の師家(しけ)が、私のすすめる禅の本を列挙した、その筆頭に掲げられたもので、著者自らの「修道の記録」が理路整然と体系化され、先達の書物に照らしながら、参禅の方法と心構えが懇切丁寧かつ具体的に記された最良の指南書といえる。(「解説」より)

感想・レビュー・書評

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  • 全なるものは自己の外にある神でも仏でもなく絶対者でもない。それは個そのものに即した全である。そこで個はもともと全に即した個であり全は個そのものに即した全であったことが知らされるのである。
    こうしてわずか五尺の糞袋に過ぎないと考えていたこの赤肉団そのものが、実は何ものにも限定されていない無限にして永遠のいのちであったと知るところに我々は限りある立場から解脱できる。
    人格の根源とか真実の自己とか言われるものはそのような永遠のいのちを言うのであって、しかもそれは、じつはこの生身の体のほかにあるものではない。
    こう知るのが禅定の本質であり、同時に臨済禅における人間自覚の仕方なのである。

    今の瞬間にいつでもの永遠性が輝き、ここの有限にどこでも無限性が現れ、我の生身にだれでもの普遍性がおどりだす所にはじめて禅の世界がある。

    坐禅そのものが成仏の姿である

  • 禅の奥深さを感じます。

  • 解説:寺山旦中

  • 読みやすく、分かりやすく、深く、しかもこの世界のよき手引きであるといえます。

  • 漱石の主人公も、禅の小難しいところには拘ることなく、なにかの処方箋を求めて参禅に向かった。臨済宗や曹洞宗や禅師のおっしゃることを読み解こうと思うと難しいのかもしれない。しかし、知識を頭から飲み込んで整理して開放感を味わおうというのは、禅の考えから言えば、邪で真反対であろう。頭で考えるのではなく、素直に、思い立ったら実践という、どちらかといえばプラグマティックで大衆的なものだ。・・・・というふうに、武家社会で指導者層の禅への系統が続く中で、日本では消化されてきたのではあるまいか。
    体、息、心の整え方は、禅うんぬんを別にして、役に立つ。

  • 禅の境地
    著者の広い見聞と柔軟性のある視野がわかる
    名著

  • アメリカなどで禅に関して読まれる鈴木大拙師の書物。
    本書は体験に基づく手引きとして、禅を指導する場合の教科書として、使われるという。

    ●欧米からの修禅の人たちも多く・・・それらの人たちが、自国の知的な学問や自我中心の文明に飽き足らず、日本に禅を学んで、それが持つ「中心がいたるところにあって周辺がないという実在感」に立脚して、今や無我の正覚に根ざした文明的転換をはかろうとしている。

  • 禅を実践されたいかたは一読をお勧めする。

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著者プロフィール

明治37(1904)年、山梨県生まれ。大正12(1923)年、日本大学修。大正14(1925)年以来、京都天龍寺関精拙に参学。昭和9(1934)年、直心道場を創立、昭和20(1945)年まで武道を教授す。昭和21(1946)年、天龍寺管長関牧翁に得度を受け僧籍に入る。昭和23(1948)年、山岡鉄舟ゆかりの高歩院(東京都中野区)住職となる。昭和53(1978)年、花園大学長となる。『山岡鉄舟』『剣と禅』『書と禅』などを著し、剣・禅・書の臨済禅的体現者として大いに禅ブームの立役者となる。平成6(1994)年、示寂。

「2022年 『山岡鉄舟』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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