スモール イズ ビューティフル (講談社学術文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784061587304

作品紹介・あらすじ

1973年、シューマッハーが本書で警告した石油危機はたちまち現実のものとなり、本書は一躍世界のベストセラーに、そして彼は"現代の予言者"となった。現代文明の根底にある物質至上主義と科学技術の巨大信仰を痛撃しながら、体制を越えた産業社会の病根を抉ったその内容から、いまや「スモール・イズ・ビューティフル」は真に新しい人間社会への道を探る人びとの合い言葉になっている。現代の知的革新の名著、待望の新訳成る!

感想・レビュー・書評

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  • 要約
    思考の流れとしては、思想→教育→科学・技術ですが、
    「現代世界を作ったのは形而上学であり、その形而上学が教育を作り、次に教育が科学・技術を作りだした。そこで、形而上学や教育を引き合いに出さなくても、現代世界を作っているのは技術であるといっていい」
    「技術が生み育て、今後も形作っているこの世界が調子を崩しているとするならば・・・技術がいちじるしく人間性に反してきたとすれば、もっといい技術、人間の顔をもった技術の可能性を探ってみるのが望ましい。」
    として、主として彼が中間技術と呼ぶもの(現在では適正技術と呼ぶことが多いかも知れない)を中心に論じています。しかし、彼の思想―具体的には述べられていませんが、「人生をいかに生きるべきかについての観念」、あるいは「世の中の意味を明らかにし、人生の意義を人に納得させてくれる観念・思想」―が技術の方向性を決めていることは重要な点だと思います。彼の思想については「混迷の時代を超えて」に詳しいそうです。
    とくに現代技術の方向性を根本的に批判し、
    「現代技術のこれまでとってきた方向―それは自然界の調和法則をいっさい無視して、際限なく大きな規模と高速度と暴力を指向している―は退歩であると信じる」
    と書いています。

    さらに進めて、現代世界は数多くの組織によって運営され労働に大きな影響を与えているという点を踏まえて、大規模組織の運営について考察をしています。また、
    「生産手段の私有権というものが、どうしても人を利益の追求に走らせ、ものごとをせまく利己的に眺める傾向をもっているため、自由に目標を選択することができなくなる」
    ということから、所有権の考察にまで及んでいます。とくに問題としていたのが
    「私的所有権が勤労から遊離していること」
    でした。どうしたら所有権の構造をうまく改造できるかに関して、実際に所有権を個人から「自治体」とよぶものに移して成功(経済的なというよりは人間的な)したスコット・バーダー社の例が示されています。


    各論と感想

     大規模組織についての考察では、
    「規模の大小とは関係なく、組織にはある程度の明快さと秩序が必要である。秩序が失われると、なにごともできない。だが、秩序だけでは静的で、生命力に欠けている。だから、今の秩序を打破するための余地をたっぷりとって、秩序の番人がしたことも考えたこともないような新しいこと、予想の枠を超えた人間の創造的な着想を実現できるようにしなければならないのである。
     したがって、どんな組織でも整然とした秩序と同時に雑然とした創造的自由をめざして絶えず努力しなくてはならない。」
    と論じていますが、ここに、物理学の複雑系において提唱されている「カオスの縁」という概念に似たものを感じます。この概念はまさに自由と秩序の適切なバランスを生命の本質として理解するもので、生命は全く構造の決まっている固体のようでもなく反対に流動的すぎる気体のようでもない絶妙なバランスのとれた領域でしか存在できません。ですから、ここで「生命力」と言っていることは非常に的を射たものという気がします。
     組織運営の具体的な方法としては
    「大きな組織の中に小さい単位を作りだすことである。」
    とされます。関連して、アルビン・トフラーによる「未来適応企業」で描かれたAT&Tの解体も確かに「大きい組織の中に小さい単位を作りだすこと」だったことが思い出されます。

     技術には適切な規模があるという観点から、先進国に良い技術であっても発展途上国で役に立つとは限らないとし、第三世界の開発問題も論じています。ここで取り上げられている手法や考え方は、首都圏への人口流入や地方の過疎化が続く2014年現在の日本でも、都市と地方の問題に適用できるものでしょう。最近では、帰農や「半農半X」といった地方への移住の流れがあると聞いていますが、なんらかの変化の表れでしょうか。
    「都市と農村の生活の間に適切な均衡を取り戻すのが、現代人のおそらく最大の課題である。」
    「農村生活を向上させない限り、大量失業と都市への大量移住という悪の解決は見込めない。」

    教育を受けることについて考えさせられる問いがあり、それは
    「教育とは「特権を手に入れるためのパスポート」なのか、それとも修道誓願のようにわが身に引き受ける義務、民衆に奉仕するという聖なる義務なのであろうか。」
    というものです。この義務というものを私が身にしみて感じたのは、小野不由美さんの「十二国記 風の万里 黎明の空」の祥瓊(ショウケイ)の話を読んだ時でした。立場によって果たすべき責任が確かにあります。

    最後に、実践家であった彼らしい意見をとりあげます。
    「利口になりすぎて、身動きが取れなくなってはいけない。世間には、物事をまだ始めてもいないのにその効果を最大限にする名案をあれこれ考える人がいる。私の考えでは「少しでも実行すればしないよりはましだ」とつぶやく愚かな人の方が、いちばん有効な方法がなければなにごとにも手をつけようとしないお利口さんより、ずっと賢い。」
    なかなか行動に移せない私には耳が痛いです。

  • 天然資源を浪費する経済成長には、限りがある。富を追い求める「唯物主義」に支配され、資源を食いつぶし続ける現代社会に警鐘を鳴らした35年以上前の書籍。

    科学技術の発達に夢中になった現代人は、資源を使い捨て、自然を壊す生産体制を作りあげた。そして生産を増やし、富を手に入れることを最高の目標に掲げた。こうした唯物主義の思想が、今日、様々な問題を生みだしている。

    現代人は、人間を自然の一部とは見なさず、化石燃料などの「自然という資本」を驚くべき勢いで使い捨てている。だが、この資本を使いつくせば、文明の存続が危うくなり、人間の生命そのものも危機に瀕する。

    今日、「繁栄を行きわたらせること」が平和を実現するという意見が大勢を占めている。この意見は、自己抑制や自己犠牲といった倫理上の問題をいっさい考慮していない。

    繁栄を行きわたらせることで、平和の礎を築くことはできない。繁栄を達成するためには、貪欲や嫉妬心といった衝動をかきたてざるを得ないからだ。それらが社会に蔓延すると、人々は挫折感、疎外感、不安感などに襲われるようになる。

    今日では「規模の経済」が重視され、産業や企業は巨大化する傾向がある。だが一方で、小企業の数も増えている。規模に関しては、目的によって、小規模なもの、大規模なものなど様々な組織、構造が必要になる。

    物事を建設的に成し遂げるためには、常にある種のバランスを取り戻すことが必要である。今日、ほとんどの人々は巨大信仰という病にかかっているため、必要に応じて、小さいことのすばらしさを強調しなければならない。

  • 1973年に出版されベストセラーとなった有名な本だが、初めて読んだ。
    やがては枯渇するエネルギーの問題や、経済的発展を主要な目的として繰り広げられる社会の活動は、人間の幸福と一致しないといった論旨に対し、最初私はこういったステレオタイプな理論には批判的なスタンスで読んでいったが、読んでいく内に共感を抱くようになっていった。
    確かに、経済の発展は決して人間たちの幸福に結びついているわけではなく、ごく一部の経済的「成功者」以外はむしろ不幸になっていくのではないかという点については、私もつねづね感じていた。
    自由主義・資本主義経済における利益の追求は、突き詰めていくと、経済現象に結びつかない個人のあらゆる心的現象を捨象してしまうし、老人・子ども・障害者・病人といった弱者は切り捨てざるを得なくなってしまう。
    だから、ふつう自由主義・資本主義をかかげるどの国においても、ある程度は社会主義的な思考を取り入れ、政府や行政は弱者を支援する手立てを講じている。問題はそうした社会主義と資本主義とのあいだのバランスだ。
    現在の安倍自民政権は完全に資本主義オンリーの、強者に利する政策しか進めようとしていない(選挙対策でいいことだけは言ったりもするが、かなりの頻度で嘘をつく)。
    つまり現在の日本政府はバランスを完全に失っており、国民の格差ははげしく増大していくことだろう。
    ピケティを持ち出すまでもなく、本書を読んでみても、すべての自由主義・資本主義国は、経済発展とテクノロジーの高度化があいまって、地方はすたれ、大都市ばかりが過密化していくという問題を抱えている。発展途上国も、先進国が援助しはじめたとたん、こうした都市と地方の格差が深まっていくという。
    シューマッハーは、だから途上国を援助する場合は都市の大企業ではなく、地方の貧しい人々をこそ支援しなければならない、と説く。
    対案として示されるシューマッハーの経済策が、どの程度ただしいのか私には判断できないが、文明の(死に至る)病を指摘し、考え方の根底からの転換をさそう本書は、アベノミクスとやらのまやかしにいつまでも踊らされている、いまの日本人にも、是非読ませたいと思った。

  • 1970年代の本とは思えない。現代に通じる凄い本だが、50年間何も変わっていないと思うと暗い気持ちにもなる。

    なぜ政治は経済のことしか語らないのか。金銭的に豊かであることしか幸福たりえないと考えているのはなぜだろう。こんなにお金以外の幸せを語る物語が多いのに。
    技術を使って効率化するのではなく、時間をかけて楽しんで創造的に物を作る。そういう技術の使い方、製造業のカタチがあってよい。中間技術か。
    経済の問題は形而上学的な問題、つまり人生の意味と目的についての基本的な考え方の上に立っている という指摘に唸らされる。貪欲と嫉妬心、そして退屈、こうしたものをどう解消するかが問われている。
    私的所有の対立概念が国有ではない、ということも書かれていた。コモンズ、社会共通資本。私有の必要性も問わないといけない。
    仏教経済学についてもっと知りたい。

    高い目標を掲げもしないで社会を良くすることができると考えるのは、自己矛盾であり、およそ非現実的である。良い言葉。

  • 『「人新世」の資本論』を思い出す記述が随所にあった。つまり1970年には現代の経済を予感し憂いていたということだが、シューマッハの忠告を社会は無視して今に至るということだろう。だが昨今「脱資本主義」の言説が増えてきているので、悲観しすぎず自分に何ができるかから考えていきたい。

  • 副題:人間中心の経済学

    経済学とはなにか、経済学者とはどういう立場でなければいけないか。
    テレビや雑誌にコメンテーターとしてよくでてくる経済学者。彼らは本当の意味での経済というものを理解しているのか。そんな疑問も吹き飛ばしてくれそうな一冊。

    70年代の高度成長期。この当時から、原発の最終的な問題、物資にあふれた世界での人間の行く末などを的確に評した内容であり、公害問題に悩んでいるあの時代の日本でもベストセラーになったらしいが、理解できる。
    日本の戦後、高度成長と共にもたらしたものは、日本人の物質の豊かさ=幸せという意識と共に、その豊かさの代償としてもたらしたものの一つに公害問題がある。その公害問題、そして日本人が再認識せざるを得ない状況になった原発問題に言及している内容で、今読んでも、ハッとする反面、教訓としてきちんと心に刻まねばならない内容となっている。

     さらっと読むのではなく、じっくり腰をすえ、自分の今の認識と照らし合わせながら読むと良いのではないのかと思う。

  • 今週おすすめする一冊は、E.F.シューマッハーによる『スモールイ
    ズビューティフル』です。シューマッハーという名前は聞いたこと
    がなくとも、「スモールイズビューティフル」という言葉は恐らく
    どこかで聞かれたことがあるのではないでしょうか。1973年に発売
    されるや世界中でベストセラーとなり、40年たった今でも開発や環
    境を学ぶ人々に影響を与え続けている現代の古典です。

    シューマッハーというのはなかなか興味深い人生を歩んだ人で、学
    生時代、シュンペーターやケインズといった大物経済学者のもとで
    経済学を学んだ後、色々な仕事を転々としますが、39歳で英国石炭
    公社にポストを得てからは、60歳で引退するまで勤め上げます。公
    社に勤めながらも、論文を寄稿したり講演をしたりはしていたよう
    ですが、学者ではなく、基本は実務の世界に生きた人です。本書を
    著したのも、公社引退後の62歳の時。遅咲きの花でした。

    公社職員と言うと生真面目な印象がありますが、実際は、神秘思想
    や仏教にどっぷりとはまり、有機農業もやるなど、かなりラディカ
    ルな側面もあったようです。63歳までに7人の子をもうけていると
    ころを見ても、端正な顔からは想像もできないようなエネルギーを
    内に秘めた人だったのでしょう。

    本書は、そんなシューマッハーの人生の総括とも言える書で、書き
    おろしというよりも、既に発表した論文や講演録を集めて編集した
    ものです。そのぶん、まとまりには欠けますが、同じテーマを手を
    かえ品をかえ繰り返す、まるで変奏曲のような仕上がりになってい
    るとも言えるでしょう。

    本書で繰り返されるテーマとは、結局、人間が幸福になるシステム
    とは何か、ということに尽きるのではないかと思います。それは、
    一人ひとりが人間らしく生きられるようなシステムのことで、それ
    を実現するために必要なのは、一人ひとりが生産手段を持つこと。
    つまり、仕事の奴隷となるのではなく、仕事の主として、何らかの
    ものをつくり続けること、となります。

    ガンジーの言葉を引きながら、大量生産(mass production)では
    なく、大衆による生産(production by the mass)をと説き、「人
    間は小さいものである。だからこそ、小さいことは素晴らしい」
    (Man is small, and therefore, small is beautiful)と訴えた
    彼の頭の中にあったものは、仕事の奴隷とならない働き方であり、
    そのための科学・技術の使い方だったのだと思います。

    そのためのキーワードの一つが「スモール」なのですが、本書を丁
    寧に読んでいくと、決して、「小さいことがベストだ」と言ってい
    るわけではないことがわかります。「大か小か」「秩序か自由か」
    というような二律背反の中で、両方のいいとこどりをするようなバ
    ランスの取り方こそが、シューマッハーの求めていたものです。

    決して読みやすい本ではありませんが、ものづくりや人を幸せにす
    る技術のあり方について考えている人にとっては、極めて示唆に富
    む一冊になるはずです。是非、読んでみてください。

    =====================================================

    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

    =====================================================

    資本の大部分は自然からもらうものであって、人間が造りだすので
    はない。(中略)われわれを取り巻く生きた自然という資本を無駄
    遣いすると、危険に瀕するのは生命そのものである。

    科学・技術の方法や道具は、
    ――安くてほとんどだれでも手に入れられ、
    ――小さな規模で応用でき、
    ――人間の創造力を発揮させるような、
    ものでなくてはならない。
    以上の三つの特徴から非暴力が生まれ、また永続性のある人間対自
    然の関係が生まれてくる。

    家族の次に社会の真の基礎を成すのは、仕事とそれを通じた人間関
    係である。その基礎が健全でなくて、どうして社会は健全でありえ
    よう。

    英知を求めるには、貪欲と嫉妬心という、今自分を支配しているも
    のを捨てなければならない。捨てたとたんに訪れる静けさが――長
    続きしなくても――他の方法では得られない英知に満ちた洞察を与
    えてくれるのである。

    仏教的な観点からすると、仕事の役割というものは少なくとも三つ
    ある。人間にその能力を発揮・向上させる場を与えること、一つの
    仕事を他の人たちとともにすることを通じて自己中心的な態度を捨
    てさせること、そして最後に、まっとうな生活に必要な財とサービ
    スを造り出すことである。

    ものごとを建設的に成しとげるためには、つねにある種のバランス
    を取り戻すことが何よりも必要である。今日、人びとはほとんど例
    外なく、巨大信仰という病いにかかっている。したがって、必要に
    応じて、小さいことのすばらしさを強調しなければならない(もし
    も、ことの性質や目的と無関係に、小さいことが盲目的に尊ばれる
    ようなことになったら、この逆のことをしなければならない)

    自己の潜在能力を花開かせ、「自然に」身についているよりも高い
    存在の次元、高い「意味の段階」にたどりつくのが、おそらく人間
    の課題であろう。あるいは、人間の幸福だといってもよい。

    ガンジーが語ったように、世界中の貧しい人たちを救うのは、大量
    生産ではなく、大衆による生産である。(中略)大衆による生産の
    技術は、現代の知識、経験の最良のものを活用し、分散化を促進し、
    エコロジーの法則にそむかず、稀少な資源を乱費せず、人間を機械
    に奉仕させるのではなく、人間に役立つように作られている。

    私は技術の発展に新しい方向を与え、技術を人間の真の必要物に立
    ち返らせることができると信じている。それは人間の背丈に合わせ
    る方向でもある。人間は小さいものである。だからこそ、小さいこ
    とは素晴らしいのである。

    人びとの第一の願いは、なんらかの仕事について小額なりとも収入
    を得ることである。自分の時間と労働とが社会に役立っているとい
    う実感をもてば、はじめてこの二つのものの価値をさらに高めよう
    という意欲が湧いてくる。だから、みんなが何かを作るほうが、一
    部少数の人がたくさんのものを作るよりだいじなのである。

    最良の援助は、知識の援助であり、役に立つ知識を贈ることである。
    知識を贈るのは、モノを与えるより数段まさっている。(中略)モ
    ノを贈ると、受け手に依頼心を起こさせるが、知識の贈り物は――
    もちろんそれが正しい知識だと仮定して――独立心を与える。

    一人の労働者にある生産用具を装備させるのに100ポンドかかる
    とすると、同じ100ポンドを使って100人の労働者に、その用
    具の作り方を教えることが十分できるだろう。

    樹木は人間の必要とするものをほとんど満たしてくれる。インドが
    生んだ賢者の一人である釈尊は、その教えの中で、よき仏教徒は例
    外なく、少なくとも五年に一本木を植え、これを育てるべきだと説
    かれた。この教えが守られていた間は、広いインドの国土は木で覆
    われ、汚れを知らず、水と緑陰と食料とそまざまの原料が豊かにあ
    った。

    この世に生を享けた人はだれでも、手を動かして生産的な仕事をす
    るのがごく自然の姿であり、またそれは知恵さえあればできること
    だという感覚を取り戻すならば、私は失業問題は消滅し、やがてや
    らなければならないすべてのことをするにはどうしたらよいかとい
    う、次の問題に取り組めるだろうと思っている。

    大規模な組織はたぶん消えてなくならない。であるから、それにつ
    いて考え、理論家することがなおのこと必要である。流れが早いほ
    ど、舵とりにはいい腕前がいる理である。
    いちばんだいじなことは、大きな組織の中に小さい単位を作り出す
    ことである。

    人間にとっての本当の問題は、すべて秩序と自由の二律背反から生
    まれてくる。二律背反とは、二つの原則の対立、権威の葛藤であり、
    いずれも根拠のある原則間の対立のことである。
    結構なことではないか。それがまさに人生である。人生は二律背反
    に満ちていて、論理では律しきれない。

    理論と実践の交流が必要なことをいちばんよく定式化したのは、私
    の知る限り毛沢東である。彼はいっている。「現場へ出かけて現場
    の人たちから学びとれ。次に彼らの経験を原則と理論にまとめよ。
    ふたたび現場に戻り、彼らによびかけてその原則、理論を実際に応
    用して問題を解決し、自由と幸福を実現するように努めよ」

    いたるところで「私には実際何ができるのでしょうか」という質問
    を受ける。答えは簡単であって簡単ではない。各自が自分の心をと
    とのえること、というのがその答えである。

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    ●[2]編集後記

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    昨日、ヨーロッパ出張から戻りました。ロンドンの後は、ベルリン、
    パリ、ストックホルムへ。移動し続けの1週間でした。

    最後に訪れたストックホルムは、初めて行くところだったのですが、
    港に囲まれた綺麗な街でした。気温は氷点下10度まで下がり、雪
    もかなり積もっていたので、街の様子はいまいちわからなかったの
    ですが、今回訪れた都市の中では、一番気に入りました。今度は、
    夏にでも訪れたいものです。

    この出張では、欧州の色々な企業の人達と話してきたのですが、欧
    州では想像以上に「グリーン」が企業戦略の中に組み込まれていま
    す。日本のようにしぶしぶ対応するのではなく、これから伸びるべ
    きビジネスのキーワードとして「グリーン」を挙げている。正直、
    ここまで進んでいるのかと彼我の違いを思い知りました。

    とまあ、充実した一週間だった一方で、家をこれだけ離れるのは実
    は娘が生まれてから初めて。留守中、娘はインフルエンザにかかっ
    て体調を崩していたせいもあるのですが、毎日、「パパがいない。
    パパに会いたい」と言って、最後には、大泣きしたそうです。

    帰宅後、久しぶりに娘と風呂に入ったのですが、彼女は確かめるよ
    うにずっと僕の顔をなで回していました。自分に会いたいと言って
    泣いてくれる人がいる。顔中を優しく触られながら、そのことの幸
    せを噛み締めていました。

  • 著者シューマッハ、ドイツ生まれイギリスに帰化。本書は1973年出版。
    思想の根底に宗教・哲学をおく経済理論家、実践家。
    エネルギーと経済の問題に関わり続ける一方、有機農業、神秘主義にも関わる。ビルマ経済顧問として仏教にも触れる。
    三十年以上も前の著作だが、現代に当てはまり、示唆に富む。
    キーワード:意識改革・教育・土地の保全利用・大量生産ではなく大衆による生産体制-中間技術など。

    ●富を求める生活態度は自己抑制の原理を欠いているので、有限な環境とはうまく折り合えない。
    ●経済の観点からすると英知の中心概念は永続性。精神や道徳上の真理の問題が出てくる。
    ●新たな技術革新の要点:安くて誰でも手に入れられる。小さな規模で応用できる。人間の想像力を発揮させる。
    ●様々な行為の善悪規準「経済的か不経済か」。そこには人間が自然界に依存している事実の無視がある。
    ●現代経済学と仏教経済学で、前提となっている価値の違い。
    現代経済学:適正規模の生産努力で消費を極大化。
    仏教経済学:適正規模の消費で人間としての満足を極大化。
    人間としての満足とは「仕事を通じた人間性の純化。人格の向上」など。
    ●自然界には均衡、調節、浄化の力が働く。技術はみずから制御する原理を認めない。
    ●どんな制度も機構も学説も必ず形而上学的な土台(人生の意味と目的についての考え方)の上に立っている。

  • ラミスさんの本で紹介されていたのでずっと読みたいなと思っていた本。
    これ読んで思ったんは…ラミスさんこの人にかなり影響受けてるなってこと。シューマッハーは経済学者でラミスさんは政治学者なので、より政治にフォーカスしたとこと、日本で教えていたことから日本について語ったことが違うかな。

    基本的な問題意識はラミスさんと一緒。
    現代社会の消費主義が環境を破壊していてこの先長くないだろうこと、もうひとつは現代人は唯物的快楽主義に走っていて、ものを消費することで幸せになっていると感じているけれども実はそれが貪欲と嫉妬心を生み出して人間が互いに争い合うことになっているということ。
    この意識をベースに各章で色々な問題を取り扱っている。
    例えば今は仕事は「生きる為」の手段であるが、本来は楽しむためのものでもあるということ。今は仕事を楽しむことができないから高い給料や余暇を得ようと必死になっているということ。
    近代学問が科学に傾倒しすぎているという点についても述べていて、確かに論理的科学的に様々なことを解明することも重要だけど、それだけではなくて形而上学、哲学もきちんと学ばなければいけない。例えば、物理を習うならば何故物理を学ぶのかということも考えることが必要ということ。こういう視点は文系科目でさえももはやあまり持っていない。
    それと、第三世界の問題。開発の際には農村部・最底辺の人々の発展を心がけなければ結局都市部の発展もないということ。(これは前に先進国の問題としても同じことが書かれていて、農村部、農業の発展に力を入れないと人は都市部に流れ込んできて安定がおかされる)
    最後の第四部では組織と所有権ということが書かれていて、会社内部の運営方法とかが書かれていた。組織でもなんでも効率化をはかって大きくすればいいというもんではない。これはとても納得する。



    ということで、とても面白い一冊でした。


    私がシューマッハー、シューマッハーから影響を受けたラミスさん、そしてラミスさんから影響を受けた私。
    共通するのは、3人ともガンジーを通ってきているということ。
    原点はガンジーなのか。

    後、この本が世界でベストセラーになったという話はかなりショックだった。
    ベストセラーになったのだ。
    たくさんの人がこの本を読んだのだ。
    それでも世界は変わらないのか。
    伝えるだけではやっぱりだめなのか。
    情報が錯綜する現代では、トマス・ペインの「コモン・センス」が世の中を変えたようにはいかないのか。
    それとも、私が知らないところで何か変わりはじめているのか?




    「…このグループの人たちは、人類が誤った技術進歩の道に踏み込んでしまったので、方向転換が必要だと確信している。いうまでもなく、「ふるさと派」という呼び名には宗教的な含みがある。というのは、時代の流行に「断固として反対し」、必ずや全世界を制すると見えた物質文明の前提そのものを疑うには、大きな勇気が要るわけで、その勇気は深い信念からしか生まれてこないからである。将来への不安だけで反対しているのであれば、それはいざというときには消えてしまうだろう。」

    私にとって深い信念。何やろうそれは。
    「常識」に疑問を呈すことは本当に難しい。くじけそうになる。だから信念を強くすると同時に、同じ想いを持っている人たちと合流したい。

  • 適正技術とは?
    1980年代に描かれた開発論。
    仏教経済についても言及。

    かなりの良書

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