影の現象学 (講談社学術文庫)

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著者 : 河合隼雄
  • 講談社 (1987年12月10日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (316ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061588110

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影の現象学 (講談社学術文庫)の感想・レビュー・書評

  • 心理療法家の河合隼雄はかつて「とても気持のいい笑顔」と「むちゃくちゃに迫力のある」顔面をあわせ持つ、と言われた。それに対して本人は、エビス顔とヤクザ顔をブレンドするとカウンセラーの顔になるのだ、と切り返す。さすがだ。
     二つの顔を持つ人。そして、あらゆる物事に二つの面を見る。外面と内面、意識と無意識、自我と自己、身体と心、文系と理系、欧米と日本、生と死、自分と他者、そして、光と影。このはてしない二項対立は西洋文明の科学・学問を支えてきたものかもしれない。しかし、その見方自体がいまや限界に達してもいる。環境問題や家庭崩壊などは、人間と環境を切り離し、心と物質的豊かさを分けてしまったことのツケともいえるだろう。光に憧れるあまり、それが投げかけている影に気づかず、かえって支配されている。そうした危機を豊富な文学テキストに即して論じた本が、今回紹介する『影の現象学』である。遠藤周作はこれを「名著」と評した。
     河合はここで、影を自己の中に統合することの大切さを説いている。特にこれからの日本人に対しては、冒頭の引用にもあるように、国際化の中で自分の「影」を見つめる必要性があると訴えている。
    「影の問題は自分自身についてのみならず、人間関係の問題を考える上においても、必ずとりあげねばならないことである。国際交流がはげしくなってきた今日においては、(中略)われわれにとって、ますますその深い影の部分の自覚が必要となることは明らかなことである」。
    表面的な現象を絶対視したり、西洋コンプレックスからすぐに国粋的になったりするのではなく、他者を自分の「影」と見て、それと対話することの大切さを説いているのである。
    心理学に興味があるひとのみならず広く、一読を勧めたい。
    (yori)

    蔵書なし

  • 「現象学」というタイトルがついているけれど、河合さんの専門であるユング等の世界の話を「影」という観点から考える論考集で、やはり心理学にカテゴライズされるでしょうか。「現象学」というタイトルはあとがきで河合さんが触れてますが、出版社の要請でやむなくつけたのだとか。

    そんな事情もある本ですが、心理学というよりは、文学論としても読めます。中に例えとして引かれる本は、シャミッソーとかホフマンというような岩波の赤帯に入っていそうな本たちで、そのことも個人的には好みでした。『影の現象学』の中で例として引かれる小説は、それらに通低するメッセージをしっかりとご自分の観点でとらえた河合さんによるまじりけのない印象が入っている、と感じられ、自説を強調するために、その例として(小説からしたら)いやいや引っ張ってこられた、というような仕上がりになっているような雰囲気はありません。そのため、これらもまた内容を確認してみたくなります。特に自身興味深かったのはマーク・トウェインの『不思議な少年』の読み解き。『不思議な少年』というのは、明るい作風と思われがちなトウェインからすると、確かに「不思議な」位置づけの作品だなあ、とは思っていたので、人間の影の部分で説明しようとする流れは、素直に腑に落ちます。

    4章、5章が特に興味深く、個人的には、人間は「影の部分」と上手く折り合いをつけていくことが大事なのではないか、というメッセージを読み取りました。「日本人とは…」という言い方はあまり好きではないのですが、光の部分と影の部分、というような人間の多面性、という観点から「日本人」というイメージが浮き彫りになることがあるのかもしれない、と、かすかにですが、思ったこともとどめておきたいと思います。

    確かに「影」をめぐる物語には魅力的なものが多い!

  • 人間なら誰もが持っている「影」について述べられた本です。他の著作との重複箇所はありますが、興味深い内容でした。

  • ホフマン。「白い影」の投影問題。イブホワイトの統合について。ユングの幼児の頃の夢、元型的な恐怖、皮と裸の肉とでできたおそろしい高さの「人食い」。永遠の少年の元型、急速な上昇と下降の反復。中世のヨーロッパでの「愚者の祭り」、道化の重要性、それ自身自己充足的であるため両性具有的である、完璧な統一へのカウンターバランス効果。道化の分類、ドライ、スライ、ビターフール、愚鈍、悪賢さ、辛辣、順に風刺の度合いが濃くなっていき笑いを失っていく。単層構造においては笑いの余地がなくなり、王に対して道化は悪としてしか機能できない。呪的逃走。

  • 近所の市民図書館で放出されていたのでお持ち帰りした。

    「影」とは何か。
    それは、「私」の生きられなかった半面である。

    ユングとか精神分析とか小難しいことや、神話やら古典やら文学的素養についてはちんぷんかんぷんだったが、自分の精神状態と照らし合わせた時、この本は気付きの宝庫となった。



    創作を志す方は一読されたし。
    あー、『ゲド戦記』読みたくなってきた。

  • 2014年37冊目。

    「影」の存在の恐ろしい面ばかりに囚われている人は必読だと思う。

    世界的・歴史的に「影」はどのように扱われてきたのか、というそもそも論から丁寧に始まり、
    心理学的に「自我」に対して「無意識」に潜む「影」の正確をもの凄く分かりやすく解説する。
    病的な症例から見られる「影」、そして神話や文学作品の中に見られる「影」の具体例が豊富かつ的確に示されてゆき、
    「影」に潜む創造性を手にする可能性を示してくれる。
    (もちろん、「影」との接触の危険性も十分に論じながら)

    この本のおかげで、自分の中でいくつかの扉が開いたのを感じた。
    何度も戻ってきたい素晴らしい名著。

  • 2005.4~7 4章 影の逆説 5章 影との対決 が面白かった記憶があってぱらぱらとめくっていたら、マークトウェインの話をこの章でしている。

    …『デミアン』が出てきたのはこの本ではなかったのかな?
    河合さんの『デミアン』の話はすごく印象に残っていて本を買ったんだけれども。

  • 白い影という言葉が興味深かった。周りへの過剰な期待も自分の影の一面だと捉えることもできるんだなぁ。自分にもそういう時がある。こういう状態に陥っちゃったときはしんどいよね。

    飛行機でトリックスターのくだりを読んでいるとき、ちょうど目の前のテレビで外国版どっきりみたいな番組をやってて面白かった。そこで思いついたけど、こういう社会にちょっとしたイタズラをして笑いを起こすことや、アートの働きっていうのは、トリックスターの働きもかなりあるんじゃないかと思った。

  • 心理学は、それを利用する者の思考・視野を拡大させる武器である。我々は、絶え間ない現象の総体としての世界を受け止め、物・心両方の認識と行為による経験を重ねて、老いていく。ユング派の著者がフロイトのエロス主義を乗り越える形で展開された、ユングの心の哲学を紹介したのが本書である。影というモチーフを使い、幽冥・顕在の二元的対立、心が含みうる葛藤・闘争の解釈を加えていく。まず、私としては漠然とした靄として想像した心のイメージが、視覚的に理解しやすい構造を明示した説明のおかげで、ハッキリした形となって掴めるようになった。ユングにしても、その思想は一つの仮説であり、読者にとっては、知覚の冒険のとっかかりを与えられているに過ぎず、本書は、完全なる証明は出来ない「心」に対する興味を掻き立てると云う意味で、心理学の啓蒙の書だと思われる。心は、信念や倫理観、人格などに跨がる領域である。この書によって、思う・考える私という存在を、見つめ直す機会を与えられるだろう。認識の力の冒険は、肉体的な暴力よりも、広く深くおそろしい。心理学の理解には、ある程度の忍耐性が必要であると明記しておく。

  • ユング分析心理学の中核である〈影〉概念について日本人はこの本で学べることをよろこばねばならない。
    いままでグダグダと考え続けてきたこと、ポスト・モダンの相対性の問題とか、組織を動かす個人を超えた力だとか、創造性にかかわる意識と無意識などなど、ユング&河合先生にはすべて説明されてしまう。
    それが面白くないという贅沢に倒錯した読書だ。
    影との対話、そして西洋と東洋を考えるために引かれたヴァン・デル・ポストの物語(『戦場のメリークリスマス』の原作)は感動ものである。

  • 文学作品を読み解く上で、参考になるところも多い。卒論書く前に読めばよかったな~と後悔しました。

    あと、第四章、特にトリックスターの箇所にどうしようもないインスピレーションを得た。笑
    どうしても、ちょっぴり厨二心が疼いちゃいます。

  • 夢や文学、神話などから人間の心の中にある影を読み解いていく。
    読みやすいけどとてもスリリングで内容の詰まった一冊。
    この「影」という概念は、色々なことを考える指針になりそう。

  • 読み易かった
    買ってもう一度ちゃんと読みたい

  • 光あるところに影は必ずあらわれる。影は自分と正反対の自分であり、道化でありトリックスターである。それは時に人を成長させ、またある時に人を死に至らしめる。科学が発展し、客観的なパースペクティブがより重要視される現代において、「影」という主観的側面に“スポットライトを当てて”その重要性を説いた良書である。

  • 引き続き影=シャドウに関する本。多角的に見ることができる。ヘッセの「デミアン」懐かしい。これも影に関連していたのか!そしてユングってやっぱりすごいな。

  • 忘備録。あとで読み直して体系的に考える。
    Twitterで一番印象に残ったとこはフランクに書きました。そういえば、何年か前のセンターか入試かで題材になったようですね。



    私が私として意識し得ること、私の過去の経験のうちで記憶に残っていること、現在の私の感じている感情、思考していること、それに知覚していること、などのすべてはある程度の統合性を有し、ひとつの人格としてのまとまりをもって存在している。

    実際、自分の無意識に動かされて行動し、後になってから後悔しても、自らの破滅を防ぎきれないようなことが起こり得るのである。その無意識の心の動きを把握するものとしてイメージがあると考えられる。

    夢ではなく、外界の知覚に際してもイメージの働きが認められるときがある。たとえば、他人に秘した悪事をもっていると、他人が話し合っているのを見るとすぐ自分のことを言っているのではないかと感じたりする。これは、無意識的な怖れの感情が、そのようなイメージを提供するため、外界の知覚を歪曲させるのである。

    人はそれぞれその人なりの生き方や、人生観をもっている。各人の自我はまとまりをもった統一体として自分を把握している。しかし、ひとつのまとまりをもつということは、それと相容れない傾向は抑圧されたか、取り上げられなかったか、ともかく、その人にのって生きられることなく無意識外に存在しているはずである。その人によって生きられなかった半面、それがその人の影であるとユングは考える。 この夢に出てきたAは、本人の生きなかった半面をあらわしている。

    自分の生き方と相反する傾向をもつ影の存在と、それを通じてこそ人生の意味を深めることができることを示している

    普遍的な影は人類に共通に受け容れがたいものとして拒否されている心的内容であるので、それは「悪」そのものに近接してゆくか、個人的な影は、ある個人にとって受け容れがたいことであっても、必ずしも「悪」とは限らないのである。

    自我 意識の統合の中心
    自己 意識、無意識を含めた心の中心

    真の自己へと近似しつづける過程を、ユングは自己実現の過程と名づけたのである。

    (投影に関して)このとき大切なことは、Xに対して強い悪感情を抱いたとき、自分の個人的影を越えて、普遍的な影まで投影しがちになるということである。

    その人物に対して投げかけていた影を、自分のものとしてはっきりと自覚しなければならない。投影のひきもどしは勇気のいる仕事である。

    白い影の投影もある

    すべてはユダヤ人の悪のせいであることにすることによって、自分たちの終段の凝縮性を高め、集団内の攻撃を少なくしてしまう。(中略)それは多数のものが、誰かの犠牲の上にたって安易に幸福を手に入れる方法であるからである。

    (永遠の少年)彼等は慣習にとらわれず、直線的に真実に迫り、理想を追い求める姿勢をもっている。(しかし)理想を追いつつそれを現実化する力に欠ける。(中略)彼等は自分が社会に適応できないのは、自分の特別な才能が理解されないためであるとか、こんな誤った社会には適応する必要がないのだとか自分に言いきかせて、その無為の状態を合理化している。

    影が個人に体験されることとしては、「まず無意識の全体として体験される」と述べたように、相当未分化な影の体験として考えることが妥当であろう。その影のどのような面に強調点がおかれているかによって、コンプレックス、超自我、魂などの言葉によって、より適切に表現されることになるのであろう。

    それまで自我によって極端に抑えられていた影の部分が、自我の弱くなったときに一挙に行動化される

    ある個人が自立してゆこうとするとき、父親や母親の死(ときには父親殺しや母親殺し)の夢を見ることは多い。

    人々は自分の考え及... 続きを読む

  • 様々な事例と、豊富な文学作品と、ユング心理学を手がかりに、人間の「影の部分」に迫っていく。人間の心って奥が深いなぁとしみじみ思った。
    現代人の抱える心の病、離人症、二重人格、トリックスター…様々な問題を抱えながら、それでも生きていくとはどういうことなのか。
    自我と影との対話という苦しい道を突き進みながら、新たな「第三の道」を模索することが、これからの私たちの課題だと思う。

    多重人格者イヴ・ホワイトの症例が印象に残った。彼女が、正反対の性格をした第二人格イヴ・ブラックに豹変し、新たに記憶を持たない第三人格ジェーンが誕生し、自殺事件を起こした後、死と再生の試練を乗り越え、全ての人格を統合した第四人格エヴェリンが誕生する過程は壮絶だった。

  • 影について、夢とか中世のピエロとかの例を出しつつ解説してあった本のはず。永遠の少年は誰かに影を押し付ける、みたいな文があって、確かになぁと納得した記憶がある。

  • インターネット時代の心理学についての本を読んでみたい.

  • ものごとには二面性(多面性)があり、そのバランスで成り立っているんだと改めて気づかされた。今までは漠然とは思ってたけど。とはいえ、この本はとにかく難しい。何回か読まないと、本当の意味で理解できないかも。

  • 多少難解ではありましたが、非常に興味深かったです
    河合さんのお話は心の奥底から納得できます

  • 大学時代、目からウロコが落ちまくった本。
    今でもよく読み返します。
    私の人間観の基礎を作った、生涯の書。

  • 河合先生は文章が上手なので引き込まれます。
    ユング派云々とか、そういうのは置いておいて、読み物として面白かった。

  • 課題のついでで購入したものの大当たり。
    ペルソナ4について考えるのにとてもお世話になりました。
    『影(シャドウ)』『道化』『愚者の祭典』『トリックスター』他いろいろ。
    ティンときたら是非。

  • 私が手元にあるのは1976年に思索社から出版されたものだが、今では講談社学術文庫で手に入る。数多い河合の著書の中でも代表的なものの一つだろう。ユングの 「影」の概念を中心にしてユング心理学の世界が語られ、「影」という視点からのユング心理学へのよき案内ともなっている。

    自我は、まとまりのある統一体として自らを把握している。しかし、まとまりをもつためには、それと相容れない傾向は抑圧される。その生きられなかった半面が、その人の影である。ただ、影の概念は多義的であり、狭義には、夢に現れてくる人物像で、夢を見た人と同性のものを影、異性のものをアニマ(男性の夢の中の女性像)、アニムス(女性の夢の中の男性像)と区別することもある。

    影は、もちろんすべての人間が背負い、その大きさや濃淡、影響力を変化されながら人生の歩みに付き添ってくる。それは、しばしば意識を裏切り、自我の意図とは逆の方向に作用する。自分の影につき動かされて行動し、自らの破滅を防ぎきれないことすらありうる。

    ときに影は、個人だけではなく、人間関係や集団の動向にとってもきわめて大きな力をもつ。 個人に影が存在するように、人々が集団をなし、共通の理想や共通の感情によってまとまるとき、そのような自覚的な共同幻想からはみ出す部分は影となるのである。 集団の影を背負う人は、予言者、詩人、神経症、犯罪者になるか、あるいは一挙に影の反逆に成功して独裁者になるか、何らかの異常性を強いられるという。誰が選ばれるにせよ、そこには運命としか呼びようのない抗しがたい力が働く。

    集団の影が、その集団自身に反逆するだけならまだしも、その巨大な影を外部に投影して破壊的な行動をとるとき、どんな悲劇が生まれるか。しかし、現実には、そのような集団の抑圧された破壊的なエネルギーが、悲惨な結果を積み重ねてきたのが、現実の歴史だろう。ユングは、たとえばナチスの動きをキリスト文明の影の顕現と見ていたという。私は最近、集団にとっての影というテーマにとくに強い関心 をもっている。

    影は、自我に受け入れられなかったものであり、元来は悪と同義ではない。しかし、 創造性の次元が深くなるにつれて、それに相応して影も深くなり、普遍的な影に接近すると、悪の様相をおびることもある。自己実現の要請は必然的に影の介入をもたらし、それは社会的な一般通念や規範と反するという意味で、悪といわれるものに近接するのである。その時に、社会的通念に従って片方を抑圧しきるのでもなく、 また、影の力を一方的に噴出せしめるのでもない。あくまでも両者を否定することなく、そこに調和が到るのを「待つ」ことが大切だという。

    影の得体の知れない奥深さ、不思議さと豊かさ、そして恐ろしさ。この本からは影のそうした多様な姿が伝わってくる。ただ単に抑圧されたものを解放すれば覚りにいたるというほど、ことは生易しくはないのだろう。 神話や説話、文学作品、河合が接した事例や、報告された夢などの具体例に触れながら、ユングの元型論をベースに「影」をめぐる考察が豊かに展開される。影の創造性、善と悪の関係、影の存在の無限の広がりが示唆されて、私たちの心の深層の不思議さを強く印象づける本である。

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影の現象学 (講談社学術文庫)の作品紹介

影はすべての人間にあり、ときに大きく、ときに小さく濃淡の度合を変化させながら付き従ってくる。それは、「もう1人の私」ともいうべき意識下の自分と見ることができる。影である無意識は、しばしば意識を裏切る。自我の意図する方向とは逆に作用し、自我との厳しい対決をせまる。心の影の自覚は、自分自身にとってのみならず、人間関係の上でもきわめて重要であり、国際交流の激しくなってきた今日においてはますます必要である。

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