ソクラテスの弁明・クリトン (講談社学術文庫)

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著者 : プラトン
制作 : 三嶋 輝夫  田中 享英 
  • 講談社 (1998年2月10日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061593169

ソクラテスの弁明・クリトン (講談社学術文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 表題作2編はプラトンが2400年ほど前に、ソクラテス裁判やその後行なわれたソクラテスとその弟子クリトンとの対話の様子を書いたもの。
    本書には、プラトンと同じくソクラテスの弟子だったクセノポンによる「ソクラテスの弁明」も所収。

    私は最初、ソクラテスは自分が助かりたいからクドクドと言い訳をいっているのではないかという予断を持ったが全くそのようなことはなかった。
    真実を大衆に訴えるために丁寧に告発者の主張に対して反駁を重ねていくその姿勢はすばらしかった。
    また、「死を経験した者が死を語ったことはないのだから死は分からないものであり、害悪ではなくてむしろ良いものかもしれないので恐れるに足りない」という主張はシンプルではあるが、知を信頼するものとしての力強さのようなものが感じられる。
    そしてクセノポン版「弁明」やその解題において、ソクラテスがこの先老いて苦しむよりも今死んだ方がラクだという現実的な判断をしていたことが指摘されていて、そこには軽い驚きを覚えた。
    ほかにも、高校の倫理の教科書などでは分からないソクラテス独特の高言(自慢話)があったりして面白かった。

    講談社学術文庫版の本書は2人の訳者による。
    「弁明」2編は三嶋輝夫氏が、「クリトン」は田中享英氏がそれぞれ担当している。
    それぞれの作品の解題では、三嶋氏が比較的新しい他の解釈者の文献・解釈を多数引用して論じているのに対して、田中氏はテキストを読み込むことによってソクラテスその人と向き合い、やや主観的に論じているのが対照的だ。
    しかしいずれにせよ訳注・解題とも非常に充実しており、文庫本としては良書の部類に入るだろう。

  • 文体が古いし、遠回しな言い回しが多く、読んでいて眠くなる。
    が、一通り理解した。

  •  哲学と呼ばれるものはソクラテス以前にもあったが、西洋哲学はソクラテスから始まったと言われる。
     もっとも、ソクラテスの書いた書物はなく、プラトンの書いたものの中に登場するのみである。
     そして、プラトンがソクラテスについて書いたものとして、有名なのがソクラテスの弁明とクリトンであろう。
     昔の哲学者は、演説や話し言葉調で書かれているため、読みやすくはあるが、冗長になりがちで逆に分かりづらくなることがある。
     これも、書いてある文章の意味はとりやすいが、書き言葉に直せばもっと端的に分かりやすくなったのだろうと思う。
     なお、原典が裁判上の弁明を書いたものだからそうなっているのであって、訳者の責任ではない。

     この本には原文の全訳の後に訳注がついているだけでなく、解題という部分がついている。現代の人の書いた解説である。これはとても分かりやすく書かれていると思う。

     書いてあることが本当に真理であるかどうかはともかく、西洋哲学の礎として読む価値のある本だ。

  • 数学における定理の証明のように、1から論理を積み上げ、自明の理に思える自らの主張を展開していく。丁寧で論理的な語りが印象に残った。

  • バーネット版と1995年の新版を底本とした新訳。訳注と解題が非常に詳細で、作品としての弁明、クリトンのほか、そこに見出せるソクラテスの生と死、政治との関わり、知る、知らないとは何についてなのかなど、哲学的内容に踏み込んでいます。まさに、「書物を探求する」一書。読んでよかった。

  • 2015.10.28
    ソクラテスの弁明を読了。有名な無知の知が書かれている。魂(真善美)を売るくらいなら死をも辞さない哲人ソクラテスが訴えられ、自らの正当性を裁判所で主張しているシーン。問答のところは論理的と思いきや神のお告げ的な話もあり、屁理屈に聞こえなくもない部分もあったけど、それでも彼の生きる姿勢に単純に感動してしまった。解題に、ヴラストスの引くパイドンから引用し「われわれがその人となりを識ることを得た当時の人々の中で、最も優れ、とりわけ思慮に富むとともに最も正義にかなった人物」と書かれていたが頷ける。政治と正義の両立の困難の説明など、ただ頭でっかちに理想を述べるのでなく、できないことにはできないと一線を引く現実感覚もあるように思える。正しく生きることを貫くためには仕事も選ばなければならないということか。貧乏の慈善家とも言うように、世俗的な価値観や社会的地位に一切振り回されず、自分の思う真理、善、美をとことん追求し、そこから一切ブレない。それはどこか感覚的なものもある。論理的に理屈が通る前に、ダイモニオンというわけわからんもの(良心や理性のアンテナと解釈している)により正しさの指針を見出したりしているあたり、正義をとことん身体化していたのだろう。よりよく生きるとはという同じ問いを持つ者として、初めてと言っていいくらい、尊敬せずにはいられない歴史的人物に出会った気がする。きっと正しいを頭の中で理屈を立てるだけでなく、そのように実践行動し、生きたこと、そのことに対しての尊敬だろう。しかしまた現代においても、真善美を貫く魂の人ほど馬鹿を見る気がしないでもない。彼が恨みを買って死刑になったのと同様、人間の本来的な在り方を追求した生き方は社会と衝突し虐げられざるを得ないのかもしれない。そんな時、この魂に誓って真(嘘をついてない)で、善(正しい)で、美(美しい)であることがすべてで、それを貫くためなら非難も解雇も死も辞さない、魂を売るくらいならいかなる喪失、不当、迫害も甘んじて受けようという姿勢を、私は持てるか。厳しい。しかし、目指したい。

    2015.10.28
    同書掲載のクリトンを読了。「いちばん大事にしなければならないのは生きることではなくて、よく生きることだ」という彼の姿勢を、死刑判決後に脱獄を友人クリトンから提案されたことに対し逆に説得し返すという形で表現している。私はクリトンの提案に概ね賛成だった、故にソクラテスがどのようにクリトンに、そして私に納得させるようなことを述べるかと思いながら読んだ。果たして、ぐうの音もでない。国家と個人との関係まで考えてはいなかった。言わば彼は、親としての自分や個人としての自分より、アテナイという国家の中で生きた自分としての正しさから物を考えている。なぜなら国家がなければ親としての私も個人としての私も、生活に満足できなかったからのはずである。国家と契約し、個人的幸福と安定を享受できた以上、この国家にいることに満足していた以上、都合が悪くなった途端に国法を破るのは不正だと。彼のこの話を聞くまでは、国法を破るという不正と、親として子を養わないことの不正、言わば市民としての正義と親としての正義がぶつかってるのではないかと思った。しかし逆に彼の言う通り、仮に脱獄して子を養うと言っても、それで正しく養えるか、また正しく生きていけるかという問題になるのだ。彼にとっては、よく生きる、つまり幸福に生きることは正しく生きることと同義だった。故に、不正の元で生きることは不幸であり、不幸を決定されながら生き永らえることを選ばなかったわけである。これは無論、彼の幸福論、彼の価値観、彼にとってのよく生きることであり、我々は幸福=正しさとは、ならない場合もある。この違いはなんなのだろうか。この価値観形成に至る違いは何なのか。よく生きるということの中に、嘘を付かず、正しく、美しく生きるということがある。彼にとって最も大事だったのは正しさであり、それは正しくあるべし、ではなく、彼にとって、正しくある=幸福であり、不正=不幸だったわけである。だからこそ、彼にとって正しいか否かは、人生の意義や自己の肯定にも関わる重大な問題であって、少なくとも私のようにTPOにて不正オッケーな人にとっては不正は幸福をそんなに傷つけない。ニーチェやハイデガーは、永遠回帰や良心の思想から、死ぬまでに自分の本来的な生、在り方を見つけることで、生まれ変わってもまた同じ人生を繰り返したいと思えるような生き方を見つけることで、死=無を克服できる、とした。死は終点ではなく制限時間であり、この時間内に自分の人生を肯定できる、自分の真善美に即した在り方、またはこれだけ一生懸命生きたんだから文句ないという肯定的な諦念を、見出せるかが人生の目標、生きる目的だという。ソクラテスはまさにその境地にいたのだろう。彼が現代に生き無神論者だったとしても、彼は死を克服していただろう。そして私の真善美とは何だろうか、よく生きるとは何か、それを考えさせられる。何か1つの決定的な喜びを得るのでなく、己の真善美を育て突き詰め、それを体現できる在り方、生き方(ソクラテスでいう対話により正義を語り合う生き方)を見出せた時、私も死を克服できるのではないか、人生を肯定できるのではないか。永遠回帰に必要なのは瞬間的喜びでなく、真善美を体現し生きる"状態"ではないか。この生き方を捨てるくらいなら死を選ぶ、と言えるほどの生き方の探求へ、真善美という価値観を育てながら、かつそれを直視し深め体現していく、そのためには、頭の中でかくあるべし、ではなく、そうあるのが当たり前の状態まで、真善美を身体化しなければならない。ソクラテスは正しい、しかしそれを理想論として実行はできない、彼のように正義=幸福となるまで、善を身体化しなければ。これはどうすればできるのかが今後の私の問いである。

    2015.10.28
    クセノポンによる、ソクラテスの弁明を読了。プラトンのそれとは一味違った魅力があった。ソクラテスがアポロドロスの頭を撫でながら、「親愛なるアポロドロスよ、きみはぼくが不当な裁きの結果死ぬのを見るよりも、正当な裁きの結果死ぬのを見るほうがよいのかね」と言いながら微笑したというのは、なんともグッとくるものがある。人生の後半ではエロス獲得から死への準備へと関心が変わるというが、老いを間近に、不幸なる生よりは幸福な死を、という心情は、私も歳を取らねばわからないだろう。よりソクラテスを身近に感じることができる作品だった。

  • 割とサクッと読める内容ながら、注釈も多く、中身も深い、良書である。
    話だけ知っていた学生の頃は、ソクラテスの事を変人のように思っていたが
    実際に本書を読んでみたら、生への執着よりも、名誉や正義を尊ぶ人なのだと共感できた。

  • 不敬神の罪に問われた法廷で死刑を恐れず所信を 貫き、老友クリトンを説得して脱獄計画を思い止 まらせるソクラテス。「よく生きる」ことを基底 に、宗教性と哲学的懐疑、不知の自覚と知、個人 と国家と国法等の普遍的問題を提起した表題2作 に加え、クセノポンの「ソクラテスの弁明」も併 載。各々に懇切な訳註と解題を付し、多角的な視 点からソクラテスの実像に迫る。新訳を得ていま 甦る古典中の古典。

  • 古典ですが、ちゃんと現代語訳されてるので非常に読みやすい。巻末の訳注・解説も便利かつ詳しく、サクサク読めます。活字に慣れてる人なら、恐らく数時間あれば読了できるでしょう。

    構成としては、理不尽な言いがかりで裁判にかけられたソクラテスが自身を弁護する『ソクラテスの弁明』、それを受けたソクラテスと友人クリトンとのやり取りを記した『クリトン』、さらにソクラテスの弟子のクセノポンという人の視点から書かれた『ソクラテスの弁明』が収録されてます。素直に最初から読むのが正解です。

    ソクラテスといえば有名な「無知の知」ですが、これがこの本に収められている『ソクラテスの弁明』に出てくるというのは知りませんでした。前後の文脈が分かると、この言葉の意味がより深く理解できるかなと感じます。
    また、同様に有名な「人はただ生きるのではなく、よく生きることが大事である」というのは『クリトン』で述べられています。これも、哲学らしく実はかなり深い意味を持っていたんだということに改めて気づかされました。

    うろ覚えのソクラテスによる哲学を、できればラクしてサクッと振り返っておきたいという方には最適の本の一つでしょう。

  • 無知の知ソクラテスの社会契約論。また、自らの善に従うことの追求。前提として、完璧な自律心がない人間には通じない論理だろう。クリトンとのやりとりは、非常に分かりやすく、相手に物事を説明したり説得したりする上で重要な技術がこの問答に詰められている。ツッコミどころはたくさんあり、そりゃ屁理屈だろうと斜めに見なければ、哲学の興味深さや清哲な論理の深さに陶酔できる。

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ソクラテスの弁明・クリトン (講談社学術文庫)の作品紹介

不敬神の罪に問われた法廷で死刑を恐れず所信を貫き、老友クリトンを説得して脱獄計画を思い止まらせるソクラテス。「よく生きる」ことを基底に、宗教性と哲学的懐疑、不知の自覚と知、個人と国家と国法等の普遍的問題を提起した表題二作に加え、クセノポンの『ソクラテスの弁明』も併載。各々に懇切な訳註と解題を付し、多角的な視点からソクラテスの実像に迫る。新訳を得ていま甦る古典中の古典。

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