アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫)

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制作 : 片岡 啓治 
  • 講談社 (1999年8月10日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (460ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061593909

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アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫)の感想・レビュー・書評

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  • ☆2(付箋8枚/P460→割合1.74%)

    訳は読みやすく、最後までスムーズに読めました。
    歴史的に、状況的に考えさせられる本です。この人もまた、よく手記を残しましたね。

    新潮社の「考える人」という雑誌の河野通和編集長発行のメールマガジンを思い出しました。
    アイヒマン裁判を受けて「悪の陳腐さ」について書いたハンナ・アーレントは、「あのアイヒマンをごく普通の、ありふれた人間だと主張して、アーレントは彼を擁護した」、「ユダヤ人指導者の責任を指弾し、ナチに協力しない別の選択肢があったはずだと言っている」、と批判を受けました。
    アイヒマンは、「私は手を下していないし、命令に従っただけだ」と言い、ヘスは「私には決定権が無かった」と言うのです。

    人も悪も、自分に自信を持って命令に従わないことはとても難しい。陳腐な悪でありたくないともし思ったとしても、難しいだろう。
    そうすると、民主主義、官僚、政治システムにおける決定事項は過つことを念頭に、自分が命を賭しても譲れない価値があるかどうか、考えておくことしかできないだろうと思います。

    ハンナ・アーレントは当時大批判されたと言いますが、それでもイスラエルの指導者は考え、教訓としたことと思います。決定方法、人生論などユダヤの方法が時折日本でも取り上げられますが、ナチスに対峙する事に失敗したわけですから。

    余談ですが、絶対的平和主義でユダヤ人と同じように強制収容された「聖書研究会員」が出てきます。
    彼らの決して曲がらない信仰をヒムラーとアイケは称賛したそうです。
    「…全SS隊員が、その世界観の熱狂的な信奉者となった暁には、アドルフ・ヒトラーの国家は永遠に安泰であるだろう。自らの自我を理念のために完全に放棄することを欲する熱狂者によってのみ、一つの世界観は支えられ、永遠に維持されるのである。」と言って。
    ヒトラーの狂気に対抗するには、別の狂気が必要だったのかと少し暗澹たる気持ちにもなりました。
    この聖書研究会は現在「エホバの証人」というよく冊子を配っている宗派のことです。

    私はこの宗派を信仰している両親の元で育ちました。今はまったく、なのですけれど、いつ自分がアウシュヴィッツのユダヤ人と同じような目に遭ってもおかしくないと思って成長しました。
    だから少し、一般的な感想とは異なるのかも知れませんね。

    ***以下抜き書き***

    ・私は、年長者、ことに老人には、どんな身分の出の人にも同じように、うやうやしく、丁寧に接するように、と両親から教えられた。必要とあれば、どんな時にも助けの手をさしのべること、私はそれを自分の最高の義務とした。
    ことに、両親や先生や司祭や、さらには、召使に至るまで、年長の人の頼みやいいつけは、すぐに実行し、あるいはそれに従い、どんなことがあっても、それをなおざりにしてはならない、と絶えず私はいましめられた。年長の人のいうことは、いつも正しいのだから、と。
    この教育原則は、私の血となり、肉となった。私は、父が―熱烈なカトリック信者として、帝国政府とその政策に断乎敵対していたのに―自分の友人たちには、どんなに反対であっても、国家の法と指示には無条件で従わなければならない、といつも説いていたのを今でもまだよく覚えている。

    ・これらは、要するに、囚人たちの全生活が、個々の看視者、監督者の態度や資質で、どれほど左右されるかを、ごく際立った形で示したものである。どんなに規則を定め、どんなに良い意図で出された指令があっても、なおかつそうなのである!
    囚人に、その生存を耐えがたくさせるのは、肉体的な出来事ではなく、主として、決定的に、看視または監督者の中の無関心もしくは悪意ある人間の気まぐれ、悪意、陋劣さに起因する消しがたい心理的印象なのである。仮借ない厳正なきびしさにたいしては、それがどれほどきびしくあろうとも、囚人は心の備えをする。
    しかし、気まぐれや、明らかに不当な扱いは、囚人の内面を、こん棒でなぐりつけるに等しい。それにたいして、彼は、なすすべもなく耐え忍ばねばならないのである。

    ・このSS隊長は、ある元共産党員を逮捕して、収容所に移送する任務を与えられた。ところが彼は、件の人物を、すでにずっと前、保護観察勤務のころから良くしっていた。そして、この人物は、いつも、遵法的な態度をとってきた。
    そこで、彼はつい善意から、この人物に、もう一度家に帰って、服を着替え、妻に別れをいうことを許可したのだった。ところが、部下をつれた彼が居間で、その人物の妻と会話している間に、本人は別の部屋をぬけて、逃亡してしまったのだ。彼と部下が、逃亡を発見したときは、手遅れだった。
    このSS隊長は、逃亡の報告をすると、その場でゲシュタポにより逮捕され、ヒムラーはただちに戦時法廷を命令した。一時間後には、すでに責任者にたいする死刑判決が下され、彼の部下は、重禁固の刑に処せられた。
    …彼は、従容として、静かに死んでいった。しかし、どうらって、私が、心を鎮め、射殺命令を下せたのか、今もって、私にはわからない。
    …「SSの死刑役人業を云々することは、その人間が永らくSSに所属しているにもかかわらず、自らの任務を未だに理解していないことを示す。しかしながら、SSのもっとも重大な任務は、ひたすら目的に役立つ手段のすべてをあげて、新国家を守護すること、これである。
    敵はすべて、その危険の程度がいかなるものであれ、確実に捕捉され、もしくは、抹殺されねばならず、そのいずれもが、ただSSによってのみ、実行されうるものである。国家と国民を現実に保護する新たな方が創設されぬかぎり、ただかくしてのみ、国家の安全は保障されうるであろう。

    ・それに、いわゆる変節者たちも、たとえその身は彼らの信仰共同体からはなれはしても、エホバには無条件に忠誠を保とうとした。聖書研究会員にその教義や聖書中の矛盾を指摘しても、彼らは、あっさりと、こう答えるだけだった。要するにそれは、人びとが人間の目で見ているからだけのことで、エホバには矛盾などというものはない、エホバとその教えは完全無欠である、と。
    いろいろな機会に、ヒムラーとアイケは、聖書研究会員のこうした信仰の熱狂性を、くり返し見習うべきものと称揚した。
    …全SS隊員が、その世界観の熱狂的な信奉者となった暁には、アドルフ・ヒトラーの国家は永遠に安泰であるだろう。自らの自我を理念のために完全に放棄することを欲する熱狂者によってのみ、一つの世界観は支えられ、永遠に維持されるのである、と。

    ・一度、二人の幼い子供が遊びに熱中してどうしても母親からはなれようとしなかったことがあった。特殊部隊のユダヤ人でさえも、その子たちをすぐに引きはなそうとしなかった。明らかに何が起こるかを知って、慈悲を訴えるその母の眼差しを、私は絶対に忘れることができない。室内にいる者たちは、すでに動揺しはじめていた。―私は行動しなければならない。全ての目が私に注がれていた。
    私は、居合わせる下級隊長の一人に目くばせした。彼ははげしくあばれる子供たちを腕にかかえ、心も裂けよと泣きじゃくる母親とともに、その子たちをガス室の中に連れていった。いたましさのあまり、私は、なろうことならその場から消えてしまいたかった。

    ・ミルドナーや、いつも「きびしく振舞った」アイヒマンでさえ、絶対に、私と変わろうなどという気持ちを見せたことはなかった。この任務について、私を羨む者は一人もいなかった。
    …一方、私は、アイヒマンから、この「最終的解決」に関する彼の内心の本当の信念を聞き出そうと、あらゆる手を尽くしてみた。しかし、滅茶苦茶に酔っぱらった時でも―もちろん、われわれ二人だけで―アイヒマンはまるで憑かれたように、手のとどくかぎりのユダヤ人を一人残らず抹殺せよ、とまくしたてるのだった。

    ・子供たちには、いつも抑留者がもってきた動物の仔が庭にいた。亀や貂の仔、猫やトカゲと、何か新しいもの、珍しいものが、庭には、いつもあった。
    また、夏になれば、子供たちは、庭に出した金だらいの中や、ソラ河のほとりで水浴びをしたものだった。けれども、子供たちがいちばん喜んだのは、パパが一緒に水浴びをしてくれるときだった。ただ、パパには、子供と遊ぶには、あまりにもわずかしか時間がなかったのだ。

    ・一人の爆撃隊長が、ある都市に、軍需工場も、守るべき施設も、重要な軍事施設もないことを正確に知りながらその町の爆撃を拒否したなら、彼はどうなるだろうか。もし彼が、自分の爆弾はもっぱら女子供を殺すだけなのだと知って拒んだら、どうなるか?必ずや、彼は軍法会議にかけられるだろう。
    にもかかわらず、今、人はその比較を認めようとはしない。しかし、私はその二つの状況は比較されうるとの見解に立つ。

  • 夏休みのとある場所訪問を契機に再読。
    うーん、この内容をどのように消化すれば良いのか皆目見当がつかない。気が狂っている人間どもの所業と簡単には済まされない奇妙な静寂が漂っていて、ただただ息を潜めて目を凝らすだけで精一杯です。でも酷過ぎる話であることは疑いもなく、、、
    ところで第二次大戦のドイツの所業の源泉の一つにアフリカ植民地戦争の凄惨な経験があると目されていること、知りませんでした。ほんと世界平和って幻想なのかいな?それでもその実現を想い続ける意味ってあると思ってます、特に最近は。

  • アウシュビッツの所長の手記。著者ルドルフ・ヘス?突然イギリスに飛んでったヘスと混同してWikipedia調べたらやはり別人なのね。同姓同名というか、ドイツ語だとスペルも違うのか。
    それはさておき、所長の手記やからしゃあないといえばしゃあないねんけど、アウシュビッツ作るまでに本が半分終わってる。タイトルに偽りあり、な気がしなくもない。で、終戦後に捕まってから書いてるのでかなり自己弁護と責任転嫁してるし、話半分に読まねばならんのやろな、ってところはあるんやけど、根っからの狂人ではなく、生真面目な元(本人の認識では現役の)軍人がいかにして悪名高い絶滅収容所を作り管理したのかってのはかなり読みでがある。

  • アウシュヴィッツ強制収容所所長を務めたルドルフ=ヘスが戦後に書き残した手記。編者のブローシャート氏が史料批判の必要性について「編者は、資料の出所、およびそれがどういう性格のものであるかということについて正確に情報を提供すること、さらにはなぜその資料が、一般の人々に近づきやすいような同時代的なドキュメントと見なされるのかを詳しく述べること、それを自分の責務と考えている」と語っている。

    ヘスは1900年生まれ。厳格なカトリックの商家の長男として育てられ、かつてSS上級突撃連隊長だったヘスは1940年から1945年1月まで存在していたアウシュヴィッツ強制収容所を三年半に渡って指揮していた。1946年3月11日、イギリス軍警察に逮捕され、ニュルンベルクなどで尋問を受けた後、1946年5月25日にポーランドへ引き渡され、戦争犯罪者のためのポーランド最高人民裁判所の国家弁護団により起訴されて、1947年4月2日死刑判決を言い渡された。同4月16日アウシュヴィッツで絞首刑が執行され、ヘスの人生は幕を閉じた。

    強制収容所の監督官であるヒムラーの理想は「ヘスのようなタイプの、つまり情け容赦なく自己を貫徹し、いかなる命令にもしり込みすることはないが、しかし個人としては「礼儀正しく、立派で、毅然とした」ままでいられるような、規律正しい収容所指揮官」であった。ヒムラーが1943年10月4日にSSの最高幹部の前で語ったユダヤ人虐殺に関する言葉の評価として、「この言葉の中にこめられているのは、ヘス文書の中にあるのと同じ、ロボットのように機械的な義務の遂行を崇高な徳の概念へと解釈し直そうとする態度である」とある。

    ヘスは普通の市民的な人物であり、まじめで権力に服従し、与えられた義務・職務の遂行者であった。ダッハウにいた頃、社会主義・共産主義への脅威は感じていたものの、この真の「危険な非国民」は一部の者であり、ダッハウにいた彼らの4分の3は釈放しても構わないとの考えをも持っていた。ただし、教育・訓練を通して「抑留者たちを決して容赦せず、きびしく、しばしば苛酷でさえあった」。しかし内心では自殺・射殺・事故・解剖・その他刑の執行時などには、「私は、収容所内のどんな「出来事」に直面しても内的な関心なしでいることはできなかった」と記述している。

    ザクセンハウゼン収容所副所長として赴任した後、1940年アウシュヴィッツ収容所長となる。保護拘禁所長の横暴・部下の無能・収容所建設の役に立たない部下たち・強制収容所統監府から何の支援もないせいで「部下がいかに無能で、収容所がひどい状態であっても、仕事に忙殺され、いかようにしようともどうしようもできなかった」、と不満をこぼしている。また古い戦友・部下・その他の人々の裏切りにあい、人間不信や自分の殻に閉じこもるようになり、「全く別人になってしまった」という。

    1941年になり、強制収容所は戦争遂行のため、軍事態勢に組み込まれることになった。全抑留者はできるだけ軍需労働者にならなければならなくなり、各所長は自分の収容所をこの目的に合うようにしなければならなくなった。アウシュヴィッツはヒムラーの意志により抑留者軍事態勢化の中核とされた。次々と出されるヒムラーの命令と押し寄せる抑留者。ヒムラーの「やり方と調子には、異様なものがうかがわれたのだ」としながらも「彼が、そこで与えた命令を大至急実行するよう要求するに当っての、その鋭さ、その仮借のなさは、私には耳新しいものだった」と評価している。ただし、ヒムラーの命令には一貫性がなく、矛盾、無責任なものだったとも述べている。

    1941年夏、ヒムラーはアウシュヴィッツにユダヤ人大量殺戮命令を出した。「私は、その規模と行く末について、片鱗も思い浮かべられなかった」「ー私は命令を受けたーだから、それを実行しなければならなかったのだ」「このユダヤ人大量虐殺が必要であったか否か、それについて、私はいかなる判断も許されなかった。その限りで、私は盲目だったのだ」と語るところに命令をいかに受け止め実行していったかというヘスの人間性がでているのであろう。ロシア兵に対するチクロンBの毒ガス実験があり、1942年春、ついに対象のユダヤ人が到着した。ヘスはあの悪名高い毒ガスによる大量虐殺の方法の開発、執行に関わった責任者であった。

    アウシュヴィッツが再編されることになり、ヘスは1944年5月1日付けで正式に経済行政本部DI局長(強制収容所統監府政治部)に任命される。「もう私はどうあっても、一つの収容所を受けもちたいとは思わなかった」「私はもう本当にこりごりだったのだ」と語っている。

    その後、強制収容所撤収命令が出され、逃避行を始めた頃、ヒトラーの死を知ることになった。そして先に述べたように1946年3月11日逮捕されることになる。

    「国家保安本部も、強制収容所も、要するに、ヒムラーの意志の、もしくは、アドルフ・ヒトラーの意図の実行機関にすぎなかったのだ」「私はそれと識らずして、第三帝国の巨大な虐殺機械の一つの歯車にさせられてしまっていた。その機械も打ち砕かれ、エンジンがとまった今、私はその運命を共にしなければならない。世界がそれを要求するから」、と回顧している。強制収容所の性格としては、最初は虐殺目的の施設ではなく、戦争により軍需産業の労働力の供給原となり、食糧調達、工業生産のための拠点という経済的側面があったと分析されている。

    この本を読んで、あまりにも淡々とこのおぞましい事実が語られていることに驚いた。普通の平凡な人間が組織の命令に盲目的に追従し、それが自分の仕事・使命であると思い込み、実行していく。極限状態であったせいもあるかもしれないが、極論すると官僚機構に通ずるところもあるのではないだろうか。また、史料の性格として、敗戦後に書かれたという部分も斟酌しなければならないだろう。

    「解説」の最後で、「ヘスのような人間の生成のメカニズム、あるいはこうした人間を生み出す社会的力の動力学ないし政治と犯罪とモラルのダイナミックスを解明するのはなまやさしい課題ではない」とされている。「訳者まえがき」では「ナチス・ドイツにおこったことはまた、全世界で、あらゆる国民におこりうるもの」「ナチス的なものは(略)それがいつか私たちの運命であるかもしれぬ危険はけっして終わってはいない」「本書はけっして過去の備忘録ではなく、現在と未来への暗い警告の書なのである」とされている。

  • 2014年8月17日読了。

  • この本のとる姿勢が良いなと思い。
    記録の歴史的内容とヘス自身についての確認のためというか。

    すべての記録を収録しているわけではなく、彼の意志も尊重され、家族に関する言葉や別れの手紙は収録していない。

    また、彼自身による記録であることは確かだが、その記述が事実に則しているのかどうかは、註も注意深く読みつつ考えねばならない。

  • 講談社学術文庫

  • ヒトラーに従い多くのユダヤ人のガス室殺害の指揮をとったアウシュヴィッツ収容所所長ルドルフ・ヘスの手記。

    アンネの日記を読んだあとに、向こう側の手記があるという情報を教えて頂き読んでみました。

    彼は敬虔なカトリック教徒の両親を持つ家庭で生まれ育ち、聖職者を目指していたことが触れられる。
    考え方もしっかりしていて秩序と冷静さを持ち合わせている。

    だがその一方で代々続く名門軍人家庭の血も引き継いている彼は戦争に想いを駆り立てられてしまう。
    そしてヒトラーと出会った彼は、手記終盤に近付くにつれ冒頭での彼の秩序や冷静さを重んじる箇所が薄れていく…
    というより徐々に洗脳されていく彼の行動と完全な思考停止を余儀されなくなる彼がドイツの人間兵器のように思える。

    最後までヒトラーに尊敬をしつつ、任務を遂行する真面目な人間である。
    だがそれと同時に自身で気付いている心の矛盾さや葛藤を代弁している文章に触れると「加害者」になってしまった彼がただ哀しい。
    誰にでも自分自身に起こりうる悲劇であり、もしかしたら彼もある意味で戦争が作り出した「被害者」なのかもしれないと読んでいて感じました。

  • 始めに、これは自分の人間観を揺さぶる作品だった。

    本書はアウシュヴィッツ収容所の館長、ルドルフ・ヘスが戦後裁判の際に書き記した手記であり、自身の生い立ちやな収容所館長になってからの働きぶりに加え、収容所の内部構造や実像、さらにはユダヤ人虐殺の『効率的な』手法など、様々なことが克明に示されている。

    しかし、本書で一番注目に値すべきなのは、彼の描く『自身の高潔な人間性』であろう。
    ヘス自身も示している通り、彼は異常者でも暴力主義者でもなく、むしろ家庭を愛し、職務に忠実で、教養も備えていた常識人であった。しかし、ここにあの残虐な収容所の館長を務められた素質を垣間見てしまう。

    陳腐で低俗な国粋主義に囚われ、暴力的で短絡的な発想をする人より、論理的に物事を考え、理路整然と思考を構築して粛々と仕事に励む真面目な人。そんな人の方が、ある意味極端な政治状態では、一番危険な存在なのではないだろうか。ルドルフ・ヘスのように。

    史実誤認や、当時の一方的な差別意識も描かれており、彼の主張を素直に受け止めるのは注意が必要だが、それでも歴史的価値が高い作品だと思う。僕はそう感じました。

  • ユダヤ人虐殺の象徴ともいうべき『アウシュビッツ収容所』
    初めてその事実を知った小学生の頃、人間がそんなことをできるはずがないと思った。

    あれから10年以上がたって社会人3年目の自分が毎日に追われ、時には退屈に感じ、時にやりがいを見出す『仕事』

    彼にとって『アウシュビッツ収容所所長』とは単なる『仕事』
    私と職種?は違うにせよ、単にそれだけでしかなかったのだと。

    ―人間がそんなことできるはずがない―

    そう思っていた小学校時代。
    人間は虐殺さえも仕事にできてしまうという事実。

    本当に恐ろしい。

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アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫)の作品紹介

祖国ドイツを愛する忠実な軍人であり、「心をもつ一人の人間」であったアウシュヴィッツ強制収容所所長ルドルフ・ヘスが、抑留者大量虐殺に至ったその全貌を淡々とした筆致で記述した驚くべき告白遺録。人間への尊厳を見失ったとき、人は人に対してどのようなこともできるのだろうか。

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