- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061596948
作品紹介・あらすじ
非人や芸能民、商工民など多くの職能民が神人、寄人等の称号を与えられ、天皇や神仏の直属民として特権を保証された中世。彼らの多くは関所料を免除されて遍歴し、生業を営んだ。各地を遊行し活動した遊女、白拍子の生命力あふれる実態も明らかにし、南北朝の動乱を境に非人や遊女がなぜ賎視されるに至ったかを解明する。網野史学「職人論」の代表作。
感想・レビュー・書評
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やはり専門書なだけあって、きちんと勉強していない身には少々ハードルが高かった。
南北朝時代に、というか建武の新政に時代の断絶というか、価値観の一変があったという指摘は興味深い。文観の手の者が、非人に通じる者だったり、鎌倉時代における農民以外の職能民への蔑視の進行など、新知見も多い。
また、女性を扱った2章は、女性は家に居て、男性を支えるという価値観が、如何に江戸、明治を通じて作られたものかということがわかった。
こうした価値観が、一般庶民に広がったのは、かれこれ100年ほどのことなのかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タイトルのごとく、網野本の中では非人扱いされる前の犬神人や遊女に少し考察がなされている
ただ、他の著作とかなり被る部分は多く、散漫になったのは残念
なんとなく、中世の人々は自由闊達な人々であったという結論から最初にきて逆算してるように感じるのは邪推なのでしょうかね -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/19059 -
解説:山本幸司
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網野善彦さんの本は面白くて好きだが、これはちょっと難しめだった。収められた論文はほとんど専門誌に投稿されたもので、つまり本職の歴史学研究者を対象としており、歴史上の用語はどんどん出てくるし、いちいちそれの解説なんて付いてない。
私はこれまで非人に関する本も、網野さんの本も、中世あたりに関する歴史の本も数冊読んできたので、かろうじてまあまあ理解できた。漢文は読めなかったけれど。もしそれらの本を読んでいなかったら、この書物にはお手上げだったかもしれない。
しかし内容はなかなか面白く、死体処理などを任され、年貢を免除されていた「非人」は中世(鎌倉時代)初期にはその「穢」が、穢を清める装置として機能し、世の「聖」にも結びついていたという。遊女も同様だ。
網野さんによると、非人や遊女が社会的蔑視の対象となり、どんどん迫害されていくのは南北朝の動乱期以降だという。そのへんの経緯については、この本ではあまり追求されていないが、古代型の「王権=聖なるもの」が失墜していく過程で「穢」も「聖」との連携を絶たれてしまったのだろう、と推測できる。
よく考えたら、源頼朝の幕府も奇妙なものではあるが、当時はまだ京都の王朝の聖性は守られていたようだし、南北朝時代を経て戦国時代へと推移するなかで、天皇の「王権」は喪われ、「聖」をわかちあう共同体としての日本社会は解体し、個人の能力、軍事的権勢の競争の中から時の支配者が生まれてくるという時代に至ったのではないだろうか。
国家における統合的なものとしての「聖」の消滅という、共同体社会にとっては重大きわまりないターニングポイントとして、南北朝を捉えるという考え方は、たいへん興味深い。 -
非人・遊女は中世前期において、天皇、神仏の直属民であった。また非人は、その職能が「穢」の清目という呪術的色彩を濃厚に持っていたため、供御人、犬神人、寄人とともに、いわば「聖別」された存在として畏れられてもいたのである。この畏れの意識は人々の差別の意識に容易に転化されることになる。中世後期、天皇・神仏の権威は著しく低下したため、同時に彼ら彼女らの職能民としての社会的地位も同時に低下することになったのである。こうした転換が文明の流れの中で大きく作用していったが、聖から賤へと転落しながらも文化形成の重要な一要素の役割を担ってきたのである。
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2011/01/12 読了
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ずいぶん前に読んで感銘を受けた一冊。やっと見つけました。
非人、神人、乞食法師、遊女、傀儡、白拍子。これらの人々の本来の姿が浮かび上がります。
もちろんこれは日本史に対する一説でしかない、ということを念頭においた上で、参考にしたい一冊。 -
『吉原御免状』からここまで到達いたしました。(笑) 本日図書館にて借りた物。
一番賤しいものが一番聖でもあるっていうのが、私が芸能民に惹かれる所以なのだと思われる。頑張って読む。