日本文化の形成 (講談社学術文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061597174

作品紹介・あらすじ

日本列島を徹底踏査した民俗学の巨人が、『古事記』『日本書紀』『万葉集』『風土記』などの古代文献を読み返し、それらと格闘の末、生まれた日本文化論。稲作を伝えた人びと、倭人の源流、畑作の起源と発展、海洋民と床住居など、東アジア全体を視野に入れた興味深い持論を展開する。長年にわたって各地の民俗を調査した著者ならではの着想を含む遺稿。

感想・レビュー・書評

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  • 本書は、民俗学の巨人・宮本常一氏が生涯にわたる実地調査から得た着想を基に、日本文化の形成過程を探求した遺稿集です。

    著者は、単に古典文献の解釈にとどまらず、東アジア全域を視野に入れながら、稲作や畑作の伝来、海洋民と床住居の関係など、日本文化の源流を徹底的に掘り下げています。『古事記』『日本書紀』はもちろん、『万葉集』『風土記』といった貴重な文献にも新たな光を当てています。

    特に注目すべきは、長年各地の民俗を実地に調査してきた著者ならではの問題提起です。畑作の起源、床住居の由来など、従来の通説に一石を投じる鋭い指摘が随所に見られます。文献資料だけでは看過されがちな民俗実態から、日本文化の淵源を探ろうとする試みは斬新です。

    一方、膨大な文献と実地調査から得た知見を一つの体系的理論に昇華しきれていない面もあり、断片的な印象は拭えません。しかし、民俗学の権威による日本文化形成論としては重要な価値を持つ好著と評価できるでしょう。

    文化の形成過程に関心を持つ読者のみならず、民俗学を学ぶ者にとっても示唆に富む一冊といえます。

  • 2022.09―読了

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/19114

  • 稲作の伝播、海洋の民と床住居等々。さまざまな観点から日本の起源を知る試み。言葉、語感というものも大切だと改めて思った。

  • 81年の本をまとめ直して05年に出版。小さく読みやすい。
    稲作は東南アジア・南方から伝わってきた。
    日本に稲作が伝わってきた時代、朝鮮半島ではまだ行われていなかった。
    「旧唐書」日本は倭国を併した→倭国と邪馬台国は別。

  • 解説:網野善彦・渡部武

  • 民俗学の巨人の晩年期における、日本古代史に関する縦横無尽の論考を集積した書。ただ、畑作や稲作起源論、倭人の由来論、縄文→弥生への文化的変遷、古代の文献検討は、著者の元来のフィールドから些か外れている感。また、刊行年代から見て止むを得ないが、長江文明や中国古代に関しては種々の新奇の考古学的知見が蓄積する今、本書はやや古く感じる点もある。◆が、「海洋民と床住居」はさすが宮本常一。民具や家屋、船舶、習俗等から繰り出される博覧強記ぶりに驚嘆。◇なお年譜があるのは良。◆2005年(底本1981年、1994年)刊。

  • 日本書紀で神が出雲にやってきたときに、そこにいたとされるコトシロヌシ(事代主)を後世の人はエビス神としてまつった。古くから日本列島に住んでいた人々がエビスと呼ばれたと考える。

    中国の夏は東南アジア系の人々の王朝で、祖先神として蛇身の水神(竜)をまつった(岡田英弘「倭国」)。越人は夏の王の後裔であると言い、体に入れ墨をして米と魚を常食とする海洋民族だった。倭人は越人の一派に属するとも考えられる。揚子江や西江では、船を家にし、鵜を利用して魚をとる人々がいる。

    日本列島で国家を形成したのは、新たに海の彼方から強力な武器を持って渡来してきた人たちであり、東南アジアの海岸から北上してきた海洋民と考える。

    周防に勢力を張り、中世末まで続いた大内氏は、百済の聖明王の子である琳聖太子の子孫と言われた。秦氏は秦の始皇帝の後裔と言われ、秦滅亡後に朝鮮南部に移動して日本へも多数渡来した。秦氏は畑耕作や機技術を伝えたと考える。雄略天皇の時代に秦酒公が秦の民を管理下におき、太秦の姓を与えられた。秦氏は欽明天皇の頃から朝廷と関係を持つようになる。

    高床式家屋は稲作文化と深いかかわりがある。日本へ稲作を持ってきた人たちが高床式家屋に住んだ形跡は乏しいが、穀物を保存する高倉は設けた。貴族の家は古墳時代から、仏寺は鎌倉時代に高床になる。西日本では床のある家が多かったが、東日本では明治になってから。

  • 冒頭から話が面白い。引き込まれる。民俗学はから語りの面白さを奪ったらただの歴史くずれだ。
    民俗学の探求心は語りべによって構成されているようにさえ思える。

  • 古代史・考古学関連本をずっと読み漁って来て、何となく壁に突き当たっていたが、民俗学の権威の先生の本を読んで、また違った視点で古代史を見ることができるようになった気がした。
    一点どうしても以前から気になってたこと。朝鮮半島における倭人の拠点。古墳などの考古学遺物もあるし、中国、広開土王碑、日本書紀などの文献にも半島での倭人の活動が何度も書かれている。民俗学として見た場合にも列島との文化交流の掛け渡し役として、半島に植民地か居住地があったと見て良さそう。任那や百済が失われた時点で足掛かりをなくしたのだろう。

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著者プロフィール

1907年(明治40)~1981年(昭和56)。山口県周防大島に生まれる。柳田國男の「旅と伝説」を手にしたことがきっかけとなり、柳田國男、澁澤敬三という生涯の師に出会い、民俗学者への道を歩み始める。1939年(昭和14)、澁澤の主宰するアチック・ミューゼアムの所員となり、五七歳で武蔵野美術大学に奉職するまで、在野の民俗学者として日本の津々浦々を歩き、離島や地方の農山漁村の生活を記録に残すと共に村々の生活向上に尽力した。1953年(昭和28)、全国離島振興協議会結成とともに無給事務局長に就任して以降、1981年1月に73歳で没するまで、全国の離島振興運動の指導者として運動の先頭に立ちつづけた。また、1966年(昭和41)に日本観光文化研究所を設立、後進の育成にも努めた。「忘れられた日本人」(岩波文庫)、「宮本常一著作集」(未來社)、「宮本常一離島論集」(みずのわ出版)他、多数の著作を遺した。宮本の遺品、著作・蔵書、写真類は遺族から山口県東和町(現周防大島町)に寄贈され、宮本常一記念館(周防大島文化交流センター)が所蔵している。

「2022年 『ふるさとを憶う 宮本常一ふるさと選書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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