陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず) (講談社ノベルス)

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著者 : 京極夏彦
  • 講談社 (2003年8月9日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (752ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061822931

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陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず) (講談社ノベルス)の感想・レビュー・書評

  • 随分前に読んだ本ですが再読しました。結果的に、ですが。屋敷に着いたあたりで思い出しました。でもそのままフラーっと読んでしまいました。このシリーズは何とも言えない雰囲気が漂うのですが、榎木津さんが出てくるとほっとします。そして彼の発言でまた混乱します。どんな人物か知っているし犯人も分かっているのに。

  • この世には知識だけでは理解できない事柄がある。
    特にその知識に偏りがあると、大きく道を誤る可能性がある。
    百聞は一見に如かず。

  • 鬱の関口視点は読んでいると滅入る上に、結末が最初からほぼ想像できてしまった。
    そうなると読むのに掛かった時間が空しい・・・
    http://blogs.yahoo.co.jp/rrqnn187/14347659.html

  • 勘の良い人なら序盤で犯人と動機を看破できます。あの関口くんでさえ看破できた事件なので。これは京極堂シリーズの中では一番シンプルな話ではないかと.....この事からやや期待はずれと思う方もいますが、これはこれでなかなかの読み応えのある一冊でした。楽しみ方としては、読者=関口くんとして楽しむが一番かと。最後にスッキリと憑き物も落とされますので。

  • 京極堂節炸裂でした。
    殺害方法も動機もシンプルではあるのですが、登場人物が複雑な人々なために難しくなるという。
    それにしても、殺害された花嫁たちがとても不憫。相手はよく吟味せねばならないねぇ。

  • 鳥祭り。
    シリーズの中で犯人は一番分かりやすい。が、氏の作品の醍醐味は犯人探しでなく薀蓄にある。

    林羅山とハイデッガーの共通性や、儒教的要素を多分に取り込むに至った日本仏教の経緯。
    鶴の恩返しやしっぺい太郎に隠された意味。
    常識とは。

  • 2014.11.17 再読。

    京極堂シリーズで初めて、
    おぼろげながらも真相が分かった作品。

    どんな洋館なのか、
    想像が膨らむ…!

    再読してみると、悲しい。
    探偵も辛かったのかもな。
    関口くんはけっこうしっかりしているし、
    邪魅の登場人物のらしくなしさの伏線だったのかなー

    ウブメの考察が非常に面白かったです!!

  • 伯爵家で5度目の結婚式が。全4回は皆初夜に亡くなっている。しかし、犯人は分からず。迷宮入り。五度目はあるのか。探偵も来たが、結局殺人は起きてしまった。しかし、京極堂が解決する。犯人は伯爵でも、人には理解できない。途中からまぁ分かってたけど。やっぱり無理があるなぁ。出てくる人がみんな理屈っぽくて嫌。分厚いけど中身はないなぁ。

  • 犯人とある程度の動機は、早い段階で予想がついた。
    展開もそれほど意外性のあるものではないが、関口以外はそれほど暗くないので読みやすかった。
    仏教、儒教と哲学についての論議は興味深く、ストーリーよりそちらのほうが印象に残った。

  • ストーリーとしては面白いが、前ふりが長く疲れた・・・
    常識を振りかざすことは恥ずかしいようにも思え、広いものの見方をしていきたく感じた。白樺湖って人工ため池だったんだ。

  • 結末はよめた。ただそこまでの過程が楽しみで読んで実際もおもしろかった。

  • 信州白樺湖畔に建つ豪華な洋館。そこに住む伯爵のもとに嫁いだ花嫁は、新婚初夜の晩に必ず殺害されるという。過去4度の殺人事件はいずれも未解決のままであり、そして5度目の結婚が行われようとしていた。いったい誰が花嫁を殺害したのか?そして、今度の花嫁は無事に朝を迎えることができるのか・・・。


    シリーズもののようです。探偵や古書堂の主人などの解決に絡む人物達はいつもの・・という感じのようです。他の作品を読んでいないので私には分かりませんが。


    とにかく無駄に長いです。2段組700ページ超。
    なぜ長いかというと、登場人物達がうだうだといろんな思考を巡らすのです。
    で、その意味が良く分かりません。


    儒教的考え方、というのが事件の核心に深く関わっている・・ということで100ページ近く割いて儒教の歴史みたいなコトを延々登場人物が語る辺りなど、この本を読むのをやめようかと・・^^;。


    真犯人も最初のほうでたいていの読者ならアタリがついてしまう感じで、大まかにはそこから外れないし。


    読み方が浅いからこんな感想しか持てないのかもしれませんが、それなら読み方が浅くて結構、という感じです^o^;。

  • ようやく読了。以前簡単なネタバレを見てしまったのもあってか犯人がすぐわかってしまいましたが、その犯行理由等が思ってた理由と違ったので楽しめました、ただ理解力が高い人はすぐ動機もわかると思う作品でした。

  • 今まで多少難しくもスラスラと読めていたのですが。
    今回は、、途中で飛ばし飛ばし読んでしまいました。。
    大体犯人も分かってしまっていたし

    他の読みやすいミステリーを読んだ直後だったからかなぁ

    ミステリーってよりか、知識を深めたい人に向いているのかも

  • うーん。こねくり回した結果がこれか。。。。まあでも周囲にとって毒になる勘違い・思い込みってあるんだよね(しみじみ)

  • 京極さんの本の中で一番好き。読みやすいし、他の百鬼夜行シリーズに比べて理解しやすいと思う。
    何より関口がほぼメインですごく嬉しかった。この本の語り部は関口、伊庭、伯爵と三人だけで、しかも風景描写よりも人物の精神内面を書いているから、百鬼夜行シリーズにしてはするする読めた。3日かけて読んだけど、続きが気になるし面白いし久しぶりにわくわくする本に出会えたと思う。
    『塗仏の宴』後の関口の描写もあり、前作での不満はやや解消された。廃人関口……。妻と主治医以外に口を利かないとか、もう本当に大丈夫か関口は。もっと関口の鬱に関しての描写が欲しい。
    最後の後日談で木場に心配されまくってて笑った。木場はいい人である。
    というか今回の関口は色んな人に心配されまくってて、よっぽどヤバい状態が続いたのかと会得。榎さんもお前にここは危険だとか、京極堂も榎さんは放っておいても構わないとか言ってるし。雪絵さんもすごく心配してたんだろうなぁ。
    伯爵から見た関口の貧相だという描写が、他人から見た関口として面白かった。いや、伯爵と関口は友人か。友人という他人。多分二人は友人なんだと思う。少なくとも伯爵側は関口を友として扱っていた。伯爵がいい人でよかった。救われないというか、犯人の見当はうっすらついてたから、寂しい話だった。でも、百鬼夜行シリーズで唯一欲しいと思った冊子である。
    榎さんが「面白くねぇ」と暴言を吐いたのが似合わなすぎてビビった。
    榎さんは今回も傍若無人だったけど、ちょくちょく関口を心配している素振りを見せていて、榎さんは榎さんの常識の中でまともなのだと感じた。
    帰りの電車の中で伊庭、京極堂、関口、榎さんの4人が、どんな会話をしていたのか考えると楽しい。かなりの珍道中になったんじゃないかなぁ。伊庭が関口に理解を示していて嬉しかった。まぁ関口は、相手が関口を理解してないと関係が続かなそうである。伊庭はこれからも時々出てくるといいなぁ。望み薄だけど…。
    益田は、帰ってきた榎さんに何であんな奴を寄越したんだと怒られ、京極堂には電話ごしに文句を言われてそうである。
    伊庭が関口が取り調べを受けてた件で、訴えられてもおかしくなかったと言っていたから、増岡が警察に向かって脅しというか威嚇をしていたり、取り調べた奴が降格させられてたりしていたのかも、と考えるとちょっと溜飲が下がる。増岡はいい人である。

  • 読み終わったら始球式をしたくなりました。

  • 刊行時以来の再読。発売当時、ずいぶんシンプルな展開になったと感じたように思う。

    シリーズ刊行ペースが少し落ちてからの待望の新作だったせいだろうか。
    それまでの大人数が入り乱れての喧騒がすっかり鳴りをひそめ、犯人とされる人物もほぼ作中で示されていた為に「どんでんがえしの驚き」が弱く、少々物足りなかったのは致し方あるまい。
    …―もしかすると、蜘蛛あたりまでの惨劇が刺激的過ぎたせいかもしれない(たぶんわりと血が少ない!)…まあ殺人に至るこの事件の性質を考えると、残虐にはなり難いわけだが。
    更に云えば事件として被害者が同じヴァリエーションで殺されている「だけ」というのはこのシリーズらしくない気がしたのだ。いつもなら「繰り返す」ことに更なる意味を持たせていたのではないかと思うので、この点でも非常にシンプルな印象を受ける。

    事件解決そのものは単体ミステリーとしてみれば素っ頓狂な展開だが、しかし。
    如何なる奇っ怪な事象をも、「言葉」を以って「解体」し、納得させられるように見事に「再構築」してしまうのが京極堂シリーズの醍醐味だが、シリーズを重ねてきて読者としての自分が「京極堂の作法」に慣れていたということに加え、それを踏まえてもやや納得がいきにくい帰結だったことが、初読の印象を裏付けている。

    ただ、憑き物落としとしてつまびらかにするには「犯人」はかくもか弱く痛ましい存在で、作中で事件の舞台に榎木津礼二郎と関口巽が乗り込んだり、浮世離れした人物に関口が深く同調(シンクロ)するくだりを読むに辺り、どことなく既視感を覚え…―あぁ「姑獲鳥の夏」だ、と感じた。作者本人の意図は分からないが、テーマが第一作目に回帰した、もしくは再構築なんじゃないかと。読んだ当時はそれ以上深く考えもしなかったが、改めて読んでみると益々その印象は強まった気がする。

    …中学生のときだったか、初めて京極堂のシリーズを読んだ時のことを覚えている。
    冒頭から登場人物が滔々と存在論をまくし立てるという唐突な展開に唖然とし、推理・ミステリというジャンルに全く興味を示さなかった私が、物語に一気に惹きこまれていった。

    誰しも自己の存在についての不思議を感じたことがあると思う。幼い頃、ある時鏡に映った自分をまじまじと眺め、”私はこれを「ワタシ」と認識しているが、他人も同じように鏡に映った「ワタシ」を認識しているのだ”、と思い至った瞬間、世界が足元から崩れていくような不思議な感覚に包まれた事がある。コドモにとっては世界を認識している存在は自分以外に無かったのだ。おそらくあれが客観視というものを覚えた始まりだった。

    「この世には不思議なことなど何もないのだよ」といくら京極堂に諭されても、存在すること、というのは考えるだに不思議で仕方がない。
    私たちがみな等しく存在することを認識しているのなら、なぜ私は「彼」でないのだろう。なぜ「彼女」ではないのだろう。なぜ私が「ワタシ」なのだろうと。似て非なる、しかしこの身体は同じ性質の原子から成り立っているではないのか。ましてや自分の身体ですら昨日と同じものでは無い、連続しながらも生まれた時の細胞とはそっくり入れ替わっている筈だ。この身体を構成している細胞は原子レヴェルで考えれば、数日前までは太平洋を泳いでいる魚であったり、牧場を闊歩していたり、天空を覆う雲だったりした筈なのだ。大昔は砂漠の砂粒だったり神殿の柱だったりしたかもしれない。「ワタシ」が昨日も今日も連続したように錯覚する「仕組み」がそこに「在る」だけなのだ。認識とは神経活動によって生み出される知覚なのか。それが魂魄だというのならばなぜそれは他者と分断されているのか。
    考えても詮ないことである。関口巽のような境界線上の人間ではないが、ファンタジー小説を読む時のように、思考を飛躍させることに面白さを感じている... 続きを読む

  • とてもかなしい話だった。犯人の予想は早くからついていたけども、どうしてこんなことをやってしまったのか、彼の言動からはまったく予想がつかなくて、読み進めるうちにその理由を知って、とてもやるせない気持ちになった。彼がやったことはたしかに悪いことであって、でもそれをわからないということは、だれに問うことができるのだろう。はっきりとこのひとが悪いんだという登場人物が百鬼夜行シリーズにはあんまりいないけど、彼はその中でもとても曖昧なライン上にいるひとじゃないかなあと思う。
    関口君が京極堂に対して「救い」というものを求めていたけども、京極堂は人間は人間を救うことなどできないと一刀両断する。この展開だと、わたしも「救い」というものが欲しくなるわけで、でも京極堂のいうとおり人間は人間を救うことなどできないという無力さをはっきりとこの物語の外側から感じ取ってしまった。そのぶんつらかった。

    (752P)

  • 読者には誰が犯人がハナっからわかります。
    「この人ですよ」とは書いてないんですが、それしかないんです。
    それをノラクラと最後までひっぱられる。
    最後は京極堂が出てきて解決するんですけど。
    めんどくさいから、もっと早く出せばよかったのにさー

    主眼はわかりますが、それを主張するために御託が多く全体的にだれた印象だと思います。
    謎解きとしては成立してない。
    伝奇的な色合いもそんなに感じられない。
    なにかな、世界の相違云々が主眼だと思ったんですけど。

  • ハイデッガーは、存在作用の場となっているという意味で、人間のことを<現存在>と呼んでいる。人間という呼び方は、生物学的にも文化的な意味でも使われる曖昧な言葉だから存在一般の意味を究明するためにのみ人間を問題にするならそれに相応しい言葉がいると考えたわけだ。事程左様に、言葉とそれが意味するものを合致させることは難しい。ひとつの言葉が特定の概念なり事物なりを意味しているといえるのは、その言葉を使う者同士が、同じ共同体に属している場合に限られる。住んでいる世界を異にすれば、同じ事物も別の言葉で語られ、同じ言葉が別の概念を指すのである。

    江戸川乱歩が『心理試験』を書いたのは、確かドストエフスキーの『罪と罰』の主人公、ラスコーリニコフの犯罪後の心理に影響されてのことではなかったか。ドストエフスキー自身は探偵小説を書いたつもりはなかったろうが、探偵小説作家から見れば、ドストエフスキーの作品は探偵小説的興味を掻き立ててくれる人物に事欠かない。京極夏彦は、純粋培養された「本当に美しい人間」である由良伯爵を描くにあたって『白痴』のムイシュキン公爵を借りてきたのだろう。

    人物の二類型として、ドン・キホーテ型とハムレット型がある。自分の信ずるところにしたがって真っ直ぐ進む姿が周囲から見れば喜劇的にもまた悲劇的にも見えるのが前者である。それに比べ、躊躇逡巡を繰り返す優柔不断な人物を典型化したのが後者である。クィーンの国名シリーズの顰みに倣っていうなら京極夏彦の長編妖怪シリーズで狂言回しを務める小説家の関口と探偵榎木津は、カリカチュアライズされたハムレットとドン・キホーテであるのはいうまでもないが、由良伯爵こそはムイシュキン公爵同様正統的なドン・キホーテの末裔である。

    白樺湖のほとりに立つ城館めいた由良家の館「鳥の城」で起きる惨劇は、数知れぬ鳥の剥製の硝子玉細工の眼こそ不気味だが、それまでの同シリーズに比べれば、登場人物も舞台もシンプルに構成されている。公家出身の華族由良家は儒学者の家系として知られる。当主昂允の父は鳥類学者で、妻を早くに亡くし、嫡男昂允は病弱であったため成人するまで館の外に一歩も出ることなく、娑婆苦から隔離された悉達多のように育てられた。昂允はバベルの図書館とも称される館内の膨大な蔵書を頼りに独学で物事を知ることになった。子どもがそのまま大きくなったように純粋な伯爵は皆に愛されているが、婚礼の翌朝、新婦が殺害されるという悲劇が三度繰り返され、四度目の悲劇を防ぐため探偵が呼ばれることになる。

    拝み屋、中禅寺秋彦の憑き物落としの手際は相変わらず鮮やか。妖怪談義はいつものこととして、今回の趣向はハイデッガーの哲学と儒教、それに鳥類学である。横溝正史をカメオ出演させ、木場修や伊庭刑事と馴染みの顔を配しながらも、どこか人生の哀感を漂わせるのは人物造型の手柄だろうか。グロテスクの中に美しさと哀しみが潜む佳編としておこう。

  • 犯人この人かな?と思いつつも、読み進めて行くうちに不安になってくる。惑わされたなぁ、という感じ。
    そこは面白かったけど、全体的にもやもやして、なかなか読み進める気力がわかなかった。
    常識って何だと思った話だった。

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陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず) (講談社ノベルス)の作品紹介

白樺湖畔に聳える洋館「鳥の城」は、主の五度目の婚礼を控えていた。過去の花嫁は何者かの手によって悉く初夜に命を奪われているという。花嫁を守るように依頼された探偵・榎木津礼二郎は、小説家・関口巽と館を訪れる。ただ困惑する小説家をよそに、館の住人達の前で探偵は叫んだ。-おお、そこに人殺しがいる。

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