岩に立つ (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (287ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061833562

作品紹介・あらすじ

お袋の貧乏と苦労を見て育ちましたでしょう。女郎さんたちは叩き売られた可哀そうな女たちだ。とても遊ぶ気にはなれませんでしたよ。……一本気で、無法者にも膝を屈しない。信念と信仰にささえられた腕で建てる家は、誰もが褒める。人間らしく生きる1人の棟梁、その逞しい半生を、感動をこめてつづる長編。

感想・レビュー・書評

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  • 回想風に話は進む。まるで、浅田次郎だ。いや、浅田次郎の方が時代は新しいから間違った表現だけど。

    一本気の棟梁が子供の頃からおとなになり、戦場に行っても、自分の三年を曲げず生きたって話だ。著者の主題にいつもある許しというのは本書にはない。ただ、弱いものを助けるというのがあるのかな。

  • 塩狩峠記念館の受付の方にすすめられて読みました。同じ著者の作品で「母」という作品もあるのですが、この「岩に立つ」と同様に、主人公本人に語らせるような表現がとても読みやすく、作品に入り込めるような印象でした。

  • がりっと言う。

  • 2016.9.9
    痛快である。主人公鈴本は、自分の信じたことを決して曲げない。自分の信念を、どのような状況においても完全に貫く。その姿勢は軍にいるときに最も発揮される。上官だの昇進だのは関係ない。ただただ、自分が感じ、正しいと思ったことに従って生きていく。痛快である。
    なぜこのような生き方ができないのだろうか。なぜこのような生き方が難しいのだろうか。もちろん、自分の信じるところをそのまま声荒げて生きていくことがいいことだとは思えない。まして現代、注意しただけで袋叩きにあい殺される、なんてこともあり得るような抑圧社会である。この本は確かに痛快だが、その意思表示の内容までは肯定できても、その方法を肯定することはできない。しかし私は、そして日本人は、思っていることを秘める傾向があるし、特に間違っていたり他者が被害を被っていても、自分の保身が先に来る傾向にある。間違っていることは間違っていると、なぜ言えないのだろうか。
    一つには、自分の価値観を信じることができないからだろう。価値観相対主義の世の中である。かつて自分こそ、自分らこそが正しいと考えた国と国の間で戦争が起こった。その反省から我々は、独我論的な主張、信念に違和感を持つようになっている。人それぞれ、みんな違ってみんないい、という価値観なのだろうか。もう一つは、声を出すことが労力のいることだからである。出る杭は打たれる、長いものには巻かれるという生き方は、社会の中でより効率的に生きる術である。自分の意思を主張して人間関係に角が立つくらいなら、はいはいと妥協して余計なことを考えずに生きていく方が楽である。しかしそのような生き方には、自分の人生への主体性と責任感がないようにも思える。
    価値観相対主義が自らの信念への信頼を弱めているとする。果たしてそうだろうか。価値観が人それぞれ違う、これは真実である。しかしそこから、だからこそ自己主張すべきでない、という結論を出すのはどうなのだろうか。違うからこそ主張しないのではない、違うからこそ主張すべきなのである。私たちの価値観が皆同じならそれこそ主張する必要はない。同じだからである。しかし我々は違う人間であり、しかし言葉でもってその違いを理解し合おうと努力できる存在である。違うからこそ、主張しあう必要があるのだ。その上で間違っていれば修正すればいいし、正しければ貫けばいいのではないだろうか。それをしないのは、声を出すことが面倒である理由と同様である。自分の人生への主体性や責任感がないからである。
    我々は死ぬ。この問題を考えたとき、死ぬことが決まっているこの人生において、金持ちになろうが、名声を得ようが、最後には一切が無になる死というものが待っているというこの人生を考えるとき、初めて自分の人生いかに生きたいか、という問題と向き合うことができるように思う。私が死ぬという問題は、誰とも交換不可能な問題であり、私だけが責任を持つ問題である、私だけが、私の死に対しての方針を決め得る。誰かに私の死に方を決められたのではたまったものではない。生き方も同様である。そりゃ社会的に法やルールもある以上、従わなければならないものもある。私と同様、各々が自らの生と死に責任と主体性があるからである。しかし私はややこの責任と主体性を、自ら放棄しすぎなのでないだろうか。私は自ら、「私」を捨てているのではないだろうか。
    私はたとえ道端で何か間違いな光景を見たとしても、声をかけることもできないだろう。また困っている人を見ても、声をかけることもできないし、何なら友人の意見に異論があったり、イラついたときにも、何も言わないこともある。人見知りであり、言ったところで無駄で、自分が我慢すればいいという価値観が、染み付いている。それはよく言えば、「世界を変えることは難しいが、私なら変えられる」という生き方である。しかし最近、特に人間関係においてこの考え方は間違っていたのではないかという気がしている。そこのところを今後は考えたい。

  • 実在の大工の棟梁、鈴本新吉(本名鈴木新吉)の一代記。
    次々と訪れる不幸と貧困の中に育つ。ヤクザ相手にも引かず、軍隊に入っても自分が正しいと信じるならば上官にも引かず。
    決して強いばかりでなく、弱い者への慈悲の心を持つ。強い男が悲しんだのは、自分の誠心誠意が通じない相手がいることを知った時。
    過酷な生い立ちは、何かの罰が当たってるんじゃないかと自身も他者も疑うほど。キリスト教と出会い、キリスト教の神は罰を与えない神で、イエスの職業が同じ大工だったことを気に入り洗礼を受ける。
    本文前の「身を殺して 霊魂をころし得ぬ者どもを 懼るな」(新約聖書 マタイ伝 第10章 28節)が、新吉の生き様そのもの。

  • 久々の三浦綾子、いい意味で『らしい』作品。実在する一般の人物をモデルにしているので大きな出来事があるような筋書きではないのだけれど、彼女の文章の根底に一貫して通じる、人間の在り方・生き方というテーマがしっかりと盛り込まれていて、胸を打つ台詞もいくつかあった。三浦綾子の他の作品と比べるとどうしても地味ではあるけれど、読んでよかった。20140224

  • ここまで奔放で弱い者の味方で信念を持った人の話を読むのは感動的。
    人間の価値は金や生まれや強さだけじゃないんだと思う。

  • 著者が自身の家を建ててもらった大工の棟梁をモデルに書いた本。貧しさや誘惑に屈せずにまっすぐ生きた棟梁。「あっしは…」と人間味あふれる口調で半生を語る。

  • (メモ:高等部1年のときに読了。
     その後、購入し、数回読みました。)

  • 独特の語り口で綴られる一人の棟梁の生涯。
    まさに竹を割ったような主人公の破天荒な人生を見守っているうちに、笑いも涙も自然と出てきた。
    豊かな生活を送る現代の日本では、此処まで信念を持って強く真剣に生きる人は少ないだろうと思った。

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著者プロフィール

1922年4月、北海道旭川市生まれ。1959年、三浦光世と結婚。1964年、朝日新聞の1000万円懸賞小説に『氷点』で入選し作家活動に入る。その後も『塩狩峠』『道ありき』『泥流地帯』『母』『銃口』など数多くの小説、エッセイ等を発表した。1998年、旭川市に三浦綾子記念文学館が開館。1999年10月、逝去。

「2023年 『横書き・総ルビ 氷点(下)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

三浦綾子の作品

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