日本近代文学の起源 (講談社文芸文庫 かB 1)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061960183

作品紹介・あらすじ

"歴史主義的普遍性"の基盤を鋭くくつがえし、新たな思考の視座を布置・構築して行く、最も現代的な"知の震源"・柄谷行人の鮮やかにして果敢な知的力業。名著『マルクスその可能性の中心』に続く快著。

感想・レビュー・書評

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  •  考える枠組み、というものに自明性が認められるのは当然のことで、それがなければどこに足場を確保すればいいのかわからないじゃないの、ということになるのだけど、自明性の検討を無視して進められた思考はひょっとするととんでもない誤謬を抱えたまま突き進むかもしれないじゃん、っていうのは昔からいろんな哲学者が口すっぱく言ってるけど、なんだかんだで歴史の重みの上で築かれ、みんなが自然とそう信じていることは、それだけで機能してしまいがちだし、誤謬も隠蔽しちゃうよね、じゃあその歴史性の捏造暴いてやるよ、「日本近代文学」なるものが成立した仕組みを曝け出して、「文学」あるいは「文学的」なる言葉を突き崩してやろうじゃん、という本。
     例えば明治期、「日本近代文学」なるものの成立する頃、文化的に大きな運動として「言文一致」というものがあったわけですが、それを言と文の一致とみなしたところに、大きな誤謬がある。言でもない、文でもない、まったく異形な怪物がそこに誕生し、その怪物によって視点は一変してしまった。言としてあったこと、あるいは言になろうとして頭に浮かんできた言以前の何物か、それがこの言文一致によって、自然な形で、透明な形で、文として現れてきた、なんてことはまったくないのであって、そう思わせたところにこの仕組みの罠があったわけです。
     議論は概ねこのような感じ。つまり、「近代的な普遍性」というものを、次々に解体していく作業です。わけのわからない普遍性らしきものに依存したままでは、さまざまな誤謬を野放しにしてしまうし、そしてまた「文学」なるものにイデアを見出し、そこへの漸近線を価値判断の基準として設定するなんて、そんなわけのわからないことにもなりかねない。
     大どんでん返し大会を行うに当たって、依拠するのは徹底した論理性、歴史性が捏造したものを暴き立てるのだから、必然的にそうなりますが、ゆえにこの本は「文学史」には一切関わりがなく、また、同時にだからこそ文学史の本足りえた、といったところでしょうか。

  • 1 風景の発見
    2 内面の発見
    3 告白という制度
    4 病という意味
    5 児童の発見
    6 構成力について

    著者:柄谷行人(1941-、尼崎市、哲学)

  • 20180330
    柄谷行人の著作で、とても難解であった。
    趣旨としては、日本近代文学の起源は何であったかの考察。西洋文学から遠近法的手法を導入して、近代文学は広がって行った。
    中と外を両方見た上で、両面の比較をしている。元々あった物の構図を描くことで、意識のフォーカスを当てたことが、中世と近代の大きな相違点であろう。
    風景を発見した柳田独歩や、志賀直哉、田山花袋など、「近代」を意識しながら日本文学を読み進めたい。

    柄谷行人で初読み。
    夏目漱石の行人に関連したペンネームだろうか。
    読むに至ったタグは、夏目漱石の行人と、坊主バー店主が民主主義を語る上で引き合いに出していたこと。

    近代文学の起源を問う

    ・文学の風景とは何か?

    言文一致

  • 「日本近代文学」が、歴史上に「起源」を有しており、それによって私たちの「文学」をめぐる認識が可能になっている一つの「制度」であることを明らかにする試み。

    著者は「文学」という制度を考察するに当たって、ヨーロッパにおける「風景」についての認識の成立を参照している。風景画によって描かれる「外的自然」は、内面を持つ「自己」(self)が発見されることで初めて認識されるようになった。著者は「文学」においてもこれと同様の出来事があったと主張する。近代文学におけるロマン主義とリアリズムは、内的自己の発見と外的自然の発見が同時であったのと同様、表裏一体をなしている。

    私たちは「風景」の発見以前の風景を語るとき、「風景」が歴史的な起源を持つことを忘れている。「文学」においても同様である。私たちは「文学史」という枠組みを用いて「文学」の形成以前の文学を論じることを当たり前のように考えている。「文学」という人間の普遍性に関わる営みは、みずからが歴史の中に「起源」を有することを隠蔽することによって、初めて成立する。著者は、日本における「文学」の成立とその隠蔽とを白日のもとにさらそうと試みている。

    本書が取り上げるテーマの一つに、明治における言文一致運動がある。明治以前の文人たちにとっては、実際の風景よりも「詩歌美文の排列」こそが重要だった。言文一致の確立によって、自己の意識にとって透明な言葉を作り出されることで、「風景」をあるがままに「写生」することが初めて可能になったのである。だが容易に見て取られるように、ここで起こっているのは、言文一致体という新しいエクリチュールの確立によって、「内面の声を聞く」という音声中心主義的な自己意識が形成されるという出来事にほかならない。

    このほか、「告白」という制度と自然主義文学の関係を論じた論考や、坪内逍遥と森鷗外の間で交わされた「没理想論争」、芥川龍之介と谷崎潤一郎の間で交わされた「小説の筋論争」を手がかりに、非西洋の日本に「文学」という制度が確立されるプロセスを解明する論考が収められている。

  • 内面の獲得、うむむ。。。

  • 柄谷行人の本ははじめて読みます。
    国家と内面。国と個人。実はそもそも掘り下げようとしていた内面も、それからたぶん私達が描こうとする理想の個人も、こうなって欲しいと思いたい「子ども」も、近代国家ができるときに、政府によって政治的に方向付けられたもので、そういった覆い隠された起源をちゃんと自覚しておこうという本だと思います。
    「答え」に向かって、そこまでの「課程」をどうするか、マルクスによるのかどうなのか議論しているが、そのまえに、「答え」そのものが疑うべき、国家によって作られたものだぞというやり方で、論争を巻き起こしていこうとするような、刺激的な批評でした。

  • 非常にためになった一冊。
    内容が充実していて、一度や二度読んだくらいではまだまだ理解し切れていないところがある。

    それにしても、蓮實の語り方と柄谷のそれを比べると、著しく違っているなといつも思います。

  • 学生の時に読んで「こんな視点があるのか」と興奮させられた本。

  • 2009/12/21購入

  • 8/4
    「日本」「近代」「文学」の拠り所を見つめ直し、その「起源」を探る。
    これまで安住していた価値基盤の危うさに、思わず後ろを振り返りつつ。

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著者プロフィール

1941年兵庫県生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学大学院英文学修士課程修了。法政大学教授、近畿大学教授、コロンビア大学客員教授を歴任。1991年から2002年まで季刊誌『批評空間』を編集。著書に『ニュー・アソシエーショニスト宣言』(作品社 2021)、『世界史の構造』(岩波現代文庫 2015)、『トランスクリティーク』(岩波現代文庫 2010)他多数。

「2022年 『談 no.123』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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