- Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061963436
作品紹介・あらすじ
精神の危機を感じて外国滞在を決意した作家の父に、妻が同行する。残された3人の兄弟妹の日常。脳に障害を持った長男のイーヨーは、"ある性的事件"に巻き込まれるが、女子大生の妹の機転でピンチを脱出、心の平穏が甦る。家族の絆とはなんだろうか-。『妹』の視点で綴られた「家としての日記」の顛末に、静謐なユーモアが漂う。大江文学の深い祈り。
感想・レビュー・書評
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キルプの軍団の主人公や本作の主人公など、もちろん当人ではないにしろ、ある部分大江の子どもをモデルとしていると思われる細部は生き生きしていて素晴らしい一方、どこかお行儀が良過ぎるのではないかと思ってしまう。ただ、いつもにもまして小説家に対しては手厳しいところがあって笑える。
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オーケンの入門にとても適したソフトさを感じる。
内容は長男の光さんを題材にした必勝のフォーマット(?)、私小説的小説で自分の好みだがソフトなあまりハッとする箇所が少なかった様に感じた。
総じて楽しく読めたので、大衆にも適した素敵な作品。 -
冷静と情熱のあいだRosso に登場した作品なので気になって読んでみた。初めて読む文体で、少々読みにくい。イーヨーの冗談はほっとする。
イーヨーの妹マーちゃんの献身ぶりを読みながら、小学生の時、同級生である障害者の弟君が、全校集会で、障害者の姉についての作文を読み上げたときの何とも形容が難しい、けど、凛々しい表情を思い出した。 -
小学校のときに障害児と関わっていて兄弟のように仲が良かったからか、大江健三郎の実体験から書かれた作品は、読んでいて親密さを覚えることが多い。この作品もそのひとつである。イーヨーのことを何か不具合のあるように描くこともなければ、特別清い存在のように描くこともない、その距離感が心地よく感じる。
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大江健三郎が自分の家族をモチーフに描いた作品。叔父の伊丹十三も登場する。
大江夫妻がアメリカに移住したあと日本に残されたイーヨーを中心とした子供たちの生活を娘のマーちゃんの視点から描く。作風は中心がなくとはいえ、何かしらの精神性をめぐって、とくにイーヨーに向けられる世間の差別をめぐって、マーちゃんの思いに仮託されて描かれる。
いまこのような中心のない作品を作れるのは保坂和志ぐらいしか思いつかないが、このような作品をつくれるのが大江であり彼の才能なのだと思う。 -
2023/7/1
イーヨー、マーちゃん、オー。 -
日本を代表するノーベル賞作家でありながら、亡くなってから初めて本を手に取る。
独特の文体ながら、障害をもつ兄との生活の中で、ゆっくりでもしっかりと考えながら生きていくマーちゃんとその周囲の人たちの姿勢に強く共感を覚えた。
2023.03.23読了 -
1990年発行の単行本を読了。
この連作集、当時、最初の1作だけ読んで挫折した本(汗
今回、蔵書処分のための供養として読んだが、この頃から大江作品は「もういいや」と思ったのだった。けっこう大江作品を読んでいる自分(卒論だった)でもさすがに飽きたのだ。
いずれにせよ、ご子息がモデル(というかそのまんま)である言葉遣いが丁寧な「イーヨー」(かつての「ジン」)のキャラはどの作品を読んでも安らぐな。
そしてなるほど、渡航している父母に向けた「家のための日記」がこの「静かな生活」なわけか。入れ子構造。
それにしても講談社文庫1500円か……この単行本は1300円である。
老眼と成り果てた今、単行本とっといてよかった(処分するんだけどね)。
ダンボールから『新しい人よ眼ざめよ』『河馬に噛まれる』などが出てきた。供養のため読もうかどうしようか思案中。 -
静かな生活といふ表題作
以前ツイッターで、気分が滅入った時には短篇「静かな生活」を読むと恢復するといふ趣旨のツイートを見かけ、表題作だけは三度目くらゐの再読になるが読んでみて、本当にその通りだと思った。
今回映画で感動したのをきっかけに初めて通して読んだが、表題作は連作中で群を抜いておもしろいと思ふ。アクション的な描き方と伏線のために。むしろ「この惑星の棄て子」と「案内人」はキリスト教色が鼻につく感じ(前者は情景描写も長いと思った)。「自動人形の悪夢」と「小説の悲しみ」はイーヨーに対する思ひを吐露してゐるが、表題作に比べて幾分あっさりしてゐる。「家としての日記」は表題作同様にストーリーが中心で、締めくくりにふさはしい。
さて私は全体的にはどちらかと言ふと伊丹十三の映画の方が好きといふ気持がある。しかし小説としては表題作が好きだ(映画のその部分は単純すぎると思ふ)。解説は伊丹十三で、この映画をつくるきっかけなどが書いてあり、ネズミトリ機などのエピソードはいいが、文学のテーマを語るくだりは的外れなやうな、おせっかいのやうな気がする。 -
私がよく読む小説は、家族のことは多く語らないものだったと、これを読んで気づいた。
例えば、島田雅彦の『優しいサヨクのための嬉遊曲』は主人公の青年の父母についてはほとんど描かれず、大学のサークルの人々、想いを寄せる人らとの関係や青年自身について描かれている。
人はいくつかの人との関係を持ち、小説の中で描かれる関係と、描かれない関係がある。 それは作家が選択する。
家族との関係を省き、その他の関係を描いたものは、家族関係から離れることで性愛が描かれやすい。
私はその性愛に関するものに惹かれるため、家族が描かれない小説を多く読んでいたのかもしれない。
家庭での細々したことが描かれないということは、学校や職場や街で他人と接するときに相手の家庭が見えないという点で似ている。
家族との関係も、主人公の性も描いた小説はある。
家族と家族それぞれのの性。
語り手は、私(マーちゃん)
大江家にイーヨーという長男がいた事は確認できるが、その妹と弟がいるのかは知らない。
マーちゃんは、大学生でありながら兄を福祉作業所やピアノやプールに連れて行き兄の世話をするという状況を嫌だと思っていないよう。
家を出て一人暮らしをするような大学生ではない。
言いにくいような事でも、父の友人や親戚に話すけれど、一体どんなふうに話す人なんだろう。
痩せっぽちの丸い頭の女の子、表情も話し方もファッションも分からない。
隠し事をしないのか?
この小説の家族は、人を思い、語らい、丁寧に接する家族だと私は受け取った。
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読むのにとても時間がかかった。べつに言葉や内容が特別難しいというわけではないが、唐突に話が始まるような瞬間が何度もあって、語り手に追いつくのがワンテンポ遅れるような感覚になることが多かったから。
それでも、それが嫌ではなくて、奇妙なテンポに振り回されるのがむしろ楽しかった。
そして何より、この物語に登場する3兄弟イーヨー・マーちゃん・オーちゃんが魅力的で、心地よかった。 -
ブックオフ太田、¥480.
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最初の方の印象は以下。
自分が自分に苛立っていることについて、原因を他人に帰すのはあまりよろしくないと思っていた。K=書き手が、Kに対するいらだちを娘に語らせるというやり口が何となくいやらしく思われたのだと思う。あるいは、危機を間接的に語らせたり、危機についての述懐すら奥さんや友人やらに語らせたり。他方では、自分を娘の側や息子の側にも投影してみたり。
当初は、このような間接的な自分語りとベタに受け取って、嫌がっていた。しかし、自分の苛立ちを他人の苛立ちへと付け替えることはそんなに悪いことだろうか? 他の人にもそれを許し、自分にも許していった方がはるかに良いのではなかろうか、などと思うようになった。
僕が大江を好んで読んでいるのは、成されるべき理想のようなものに目を向けつつも、それに至らぬ自分を、開き直るわけでもなく率直に(素直には書かないのだが)認めているというところにあるのだと思う。その届かないものと自分との距離への態度をアイロニーと呼ぶのだろうか。
しかしあとがきにあるようにこれは全部語りの仕掛けであって、その点でいうともうレビューに収まらないほどに巧みで、「静かな生活」という題、この小説自体、「家族としての日記」といったあたりの絡み合いや現実との交錯など見事としかいいようがないものだった。
このレビュー
http://d.hatena.ne.jp/ima-inat/20101229/1293620239
「なんでもない人」なのだ -
「マアちゃん」主語だとやっぱり地の文が地味でモデストになってしまって私としては物足りない。『燃え上がる緑の木』も同じなのだけど。伊丹十三の映画も見たけれど、大江健三郎の作品を読んでいると伊丹十三は相当な切れ者のように想像させられていたのに、何か物足りない。あとがきみたいなので伊丹十三も喋り言葉で参加しているけれど、そこでもなんだかパンチが足りなかった。
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昔に読んだが、断念した本。温かな気持ちになれる本だとAmazonでの評価にあったので再読した。ページを捲る手がもどかしくなるほど面白いわけではない。
この小説の本質ではないと思うが、イーヨーの毒のない発言に癒される。 -
フィクションだって分かっているのに、どうしても、この本は大江健三郎じゃなくて大江健三郎の娘さんが書いているんだという意識で読んでしまった。最後まで。
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ここ数年前から、大江さんの作品をコンスタントに少しずつ、味わいながら、読み進めていこう、と暗に決めている。これは伊丹十三の映画のほうは見たけれど、原作としては読んでいなかったので。面白かったなぁ、ほんとに、この人の作品は、読んでいて、楽しい。(12/1/4)
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私小説に近い作風の小説。イーヨー、マーちゃん、オーちゃんの3兄弟が遭遇するちょっとした事件や、心的風景がテーマとなった6つの短編から構成される連作です。
読後、知的障害を持つイーヨーの一貫した純粋さ、明るさに救われた気持ちになります。 -
伊丹十三監督が映画化したこともあって読んだ本です。知的障害者であるイーヨーと妹のまあちゃんの日々を綴っています。独特の散文が、なれるまで読みずらかったのを覚えています。しかし、だからといって、稚拙であるとかそういう印象を持つことはありません。こういうのもあるんだ、と感じる種類の独特さでした。イーヨーは大江健三郎さんの息子、大江光さんをモデルにしているようです。
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お上品なハイソの一家の話という感じ。
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この作品を読むたびに、光さんを中心にして、皆が結束して生活していることに嫉妬を覚える。親が自分以外の子供を特別扱いすることに、多分私は僻んで遠巻きに眺めるだけだろうから。
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講談社文芸文庫
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一番最初に読んだ大江健三郎もので、今でも一番好き。静謐な中に主人公の全身全霊をかけた祈りが全編通して流れていて、静かに胸を打たれる。ところどころのグロテスクさ…内臓の裏皮をひっかかれる感じが、またどきっとさせられる。
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「魂のことについて」ってきれいな言葉だ。基本中の基本の疑問かもしれないけどどうしてこの人は、自分の家族に似た素材を使ってしか書かなくなったのだろう。<BR>
[06.10.10]<ao -
a quiet life
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伊丹十三の映画も良いです。
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映画よりも数倍おもしろい。
私生活をモデルに淡々と書き上げている秀作。