テレーズ・デスケルウ (講談社文芸文庫)

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制作 : 若林 真  遠藤 周作 
  • 講談社 (1997年5月9日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061975699

テレーズ・デスケルウ (講談社文芸文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 空虚だ。何もかも虚しいと思えてくる。結婚することが、家族が、人とのつながりが。本書からは何を感じればよかったのだろう?何かを感じたかも知れないが、何であったのだろう。
    テレーズが夫に毒を与えたと、それは、どのような動機があったのか?自分のことしか考えない夫への反抗か?免罪され、帰路での回想は、どれも、苦しみの原因とは思われない内容である。家に幽閉された後の日々、苦しみが喜びとなる、とはどのようなことか。人間、人生には謝しが必要である。

  • フランソワ・モーリアックが1人の女性テレーズ・デスケルウの孤独な内面を創作し描いた作品で、ひたすら彼女の心の陰鬱な世界が展開する。和訳は遠藤周作で、モーリアックと一心同体の如く昂揚とした日本語であらわしたという。
    夫・ベルナールの毒殺を計ったテレーズは、家の体面を重視する夫や父らに助けられて免訴を勝ち取り、辺鄙な家への帰り路の汽車の中で、夫へかける言葉を見つけるべく自らの過去を振り返る。家同士の利害を重視した空疎な結婚と、耐えがたく感じる夫の独りよがり、わが娘への情の無さ、そして義妹が付きあっていた上辺だけの男とのなぜか気のあった交流が思いだされるが、また、求めるものが見いだせない自身と自らの冷たく他と交わりえない性格を再確認する。そして、夫が見出した妻への復讐は体面を重んじるための夫婦の芝居と妻をこの辺鄙な家へ半ば幽閉することだった・・・。
    僻地の暗い情景が、テレーズの孤独で倦怠、そして諦観と狂気へと進む物語の進行とよくマッチしていて、尋常ならざる彼女の彷徨と葛藤をより繊細に訴えかけていたといえる。次第に沈んでいく精神と状況が、一転、開放と別れとしての決着で、しがらみから解放されたテレーズはこの後どうなっていくのか。このテレーズはシリーズになっているようで、1人の女性としての葛藤の今後が気になるところだ。

  • 遠藤周作訳。去年長崎の遠藤周作記念館に妻と行った際に、目に留まって購入。遠藤文学の原点とも言えるような、モーリアックの代表作。

    究極的に個人主義を離れることのできない、その面でどこまも無邪気なテレーズが、結婚をしその生活に個性の埋没を知り、悪意とは離れた衝動によって、夫に毒を盛る。
     物語の始まりは、その咎により裁判にかけられるが、家庭の体面を気にした夫とその一族が、テレーズに責めを負わせず免訴になるところから始まる。しかしその許しは愛からではなく、あくまでも体面であるから、テレーズの自由は極度に縛られる。今まで以上に行いも制限され、鬱屈した精神のしみついた、フランスの片田舎、地の果ての印象を与えるアルジュルーズに縛りつけられ、テレーズの行いを知る人々の蔑みの目から逃れることも出来ず、さらされ精神が蝕まれていく。

    しかし、そんな環境でもテレーズはどこまでも理性的である。反省も後悔もなく(あるとすれば結婚自体)、自らのありのままを肯定しながら、しかし宗教的規範、そこからくる家庭の結びつき、因習的な血の呪縛から、必死に逃れようと思いを巡らす。己が生んだ子にも関心を持てず、必死に自分を愛することしかできないテレーズ。最後には、体面ゆえに夫との婚姻関係は保ちながらも、パリに一人生きることを許され、放逐される。

     フランソワ・モーリアックは世界的にも著名なカトリック作家であるが、護教作家ではない。この作品も決してそんな色はない。神を離れ、宗教的なものからの自由を勝ち得た現代の人間であるが、個人主義と、そこからもたらされる解放が、我々に何を与えてくれるのか。こういうと結局、逆説的な護教だといわれるかもしれないが、既存の宗教の正当性がどうとかいう以上に、宗教を含めた人間をもう一度考えていかなければいけない、そんな時代に立たされていることを感じざるをえない。

    ジッドの「狭き門」、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」、漱石の「心」、そんなところと並べて考えていきたい一冊であった。遠藤が執心し、テレーズの影を追いその地まで赴いたという。遠藤の人生を見て見た時にもその重要性は見逃すことができないし、何よりもこの小説に触れたときにそれだけ人を突き動かす何かがあることは確かである。当時の遠藤ほど若くないので、私はそこまで冒険はできないが、もう10年若ければ、そして今の感性と経験があれば、なんてことも重ねて考えたりしてしまう。

    13/9/23

  • 人妻の倦怠。古典的な仏文学のテーマのようにみえる。
    だが、趣は少々異なる。自身の生きる意味/目的を求めても得られず、人生を彷徨するテレーズの造形が秀逸。
    遠藤周作の翻訳も熱意があってよい。

    テレーズは結婚と結びつく性の歓びも、子供への情愛も抱けず、不倫の恋の可能性にさえ、そこにあるのは観念的な自己充足への欲求だけである。信仰が彼女に何かを与えているふしもない。テレーズ自身は何が自分を自分たらしめ、その生の意義となるのか把握できない倦怠に取り巻かれているのだ。

    とりわけ性への拒絶は、妹分のアンナへの愛情に転嫁される点が目を引く。しかしアンナが定型的な「恋する女」や「夫と子をもつ妻」になるや彼女にもテレーズは幻滅してしまう。

    平易な文体で書かれ、古典的な人妻の痴情事件にすらみえる小説『テレーズ・デスケルウ』。その実は、自分を、そして自分を満たしてくれるものが何であるかわからぬままに彷徨せざるをえない、希有な人物造形に成功した作品に思われた。

  • 無茶するヒロインですな〜。彼女の生き方は、女性の自由が認められなかった時代に、消去法でどうしようもなく選んだ自由の発露だったのだろうか。
    自由になるために犯罪に手を染めたのに、結果として幽閉され、ますます自由を失ってしまう。
    でも、どうしてもそうせずにいられなかったんだろう。
    自分の身体を痛めつけて家族を動かそうとする行動からも、ぎりぎりの切迫感が伝わってきた。

  • 自由になりたくて、夫の毒殺を計ったテレーズ。我が体面を気にする夫や実の父により、裁判は免訴となる。テレーズは毒殺未遂にいたる経緯を子供時代から回想しつつ、帰途に着く。

    放免となっても、自分から出て行くことは許されず、家の中に閉じ込められ、自由とはかけ離れ鬱々とした日々を過ごすテレーズ。
    とはいえ、見る影もなくやつれたテレーズを見て、夫はうわべではあるが、優しく看病し、やがて妻を許し解放する。 ただ、自由になったテレーズの行く末が案じられる。

    ノーベル賞作家フランソワ・モーリアックの作にして、訳はかの遠藤周作氏自ら望んで手がけた作品。いささか、シュールな話。

  • 2012.11.3 読了

  • 21世紀のニッポンで、平和ボケの弛緩し切ったのと文句は言うけど、さりとてこーんな因習に閉じ込められた時代もなあー。
    ヒロインのテレーズ、好きなタイプではないけど、どーにも気になるキャラクターで。特に、欲しいものを欲しいというのが面倒でタバコ喫み喫みグタグタしちゃうところなんて妙に共感。「人形の家」のノラみたいに単純明快でないとこも。

    遠藤周作が贔屓にしていたそうで、全集も訳しています(!)
    今、読書人に一定の影響力を持つ人で、海外作品を紹介してくれる人って少ないと思う。村上春樹くらい?北村薫はミステリ中心だし、柴田元幸は翻訳家だから当然だし。

  • ■『テレーズ・デスケルウ』 フランソワ・モーリアック著 遠藤周作訳 講談社

    【前編2 堕落論】
     堕落論にまつわる小説の一つ。著者はクリスチャン作家のフランソワ・モーリアック。遠藤周作が、この小説に出会い大学においてフランス文学を専攻し、日本においてはじめてのフランス留学生として、現地におもむいたことは有名。現地でもテレーズの後を追い、作中の舞台となった土地に足を運んだ。この小説の紹介として、私個人の本棚のレビューを引用する。

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    究極的に個人主義を離れることのできない、その面でどこまも無邪気なテレーズが、結婚をしその生活に個性の埋没を知り、悪意とは離れた衝動によって、夫に毒を盛る。
     物語の始まりは、その咎により裁判にかけられるが、家庭の体面を気にした夫とその一族が、テレーズに責めを負わせず免訴になるところから始まる。しかしその許しは愛からではなく、あくまでも体面であるから、テレーズの自由は極度に縛られる。今まで以上に行いも制限され、鬱屈した精神のしみついた、フランスの片田舎、地の果ての印象を与えるアルジュルーズに縛りつけられ、テレーズの行いを知る人々の蔑みの目から逃れることも出来ず、さらされ精神が蝕まれていく。

    しかし、そんな環境でもテレーズはどこまでも理性的である。反省も後悔もなく(あるとすれば結婚自体)、自らのありのままを肯定しながら、しかし宗教的規範、そこからくる家庭の結びつき、因習的な血の呪縛から、必死に逃れようと思いを巡らす。己が生んだ子にも関心を持てず、必死に自分を愛することしかできないテレーズ。最後には、体面ゆえに夫との婚姻関係は保ちながらも、パリに一人生きることを許され、放逐される。

     フランソワ・モーリアックは世界的にも著名なカトリック作家であるが、護教作家ではない。この作品も決してそんな色はない。神を離れ、宗教的なものからの自由を勝ち得た現代の人間であるが、個人主義と、そこからもたらされる解放が、我々に何を与えてくれるのか。こういうと結局、逆説的な護教だといわれるかもしれないが、既存の宗教の正当性がどうとかいう以上に、宗教を含めた人間をもう一度考えていかなければいけない、そんな時代に立たされていることを感じざるをえない。

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    <堕落論にまつわる小説>
    トルストイ 『クロイツェル・ソナタ』
    モーリヤック 『テレーズ・デスケルゥ』
    ゲーテ 『若きウェルテルの悩み』
    夏目漱石 『こころ』
    ジッド 『狭き門』

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テレーズ・デスケルウ (講談社文芸文庫)の作品紹介

自分の夫の毒殺を計ったテレーズは、家の体面を重んじる夫の偽証により免訴になったが、家族によって幽閉生活を強いられる。絶対的な孤独のなかで内なる深淵を凝視するテレーズは、全ての読者に内在する真の人間の姿そのものなのだろうか-遠藤周作がノーベル賞作家フランソワ・モーリアックと一心同体となって、〓@50FC@揚した日本語に移しかえたフランス文学の不朽の名作。

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